短編集

つきしろ

勇者と魔王と螺旋世界

 未来に大都市となる。


 そんな予言を受けた村や街を壊す。それが魔王に与えられた《使命》 育ちすぎた木々は文明を壊す。育ちすぎた人間は世界を壊す。


 勇者は力を持ちすぎた魔王を倒す。それが彼らの《使命》 力を持ちすぎた魔王は自らの力を誇示し、すべての生命を奪う。


 勇者と魔王が相対する時は常に使命が彼らの中にあった。幾百年もの間、彼らは己の命を持って世界の均衡を保ってきたのだ。


 今、均衡は崩される。


 《力を持ちすぎた魔王》は後に発展する予言を受けた村へ向かい《時代を違(たが)えた勇者》に出会う。




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「ゼルー! 獲物取れたー?」


 暖かな日差しに照らされた森の中、日差しと同じ金の色を持つ髪の青年が背中にうさぎなどの小動物を抱えて獣道を走っていた。彼はリリア。女のような名前だが、れっきとした男である。


「こっちこっち、ほらイノシシー!」


 獣道から少しそれた森の中で、イノシシに剣を突きたて楽しげに片手を振るのは長い銀の髪を頭の後ろで高く結ぶ女性。彼女はイゼルディア。愛称は『ゼル』 男のような名前だが、れっきとした女性である。


 そして彼らは恋人同士。


 同じ村で同じ猟師という職についている。腕はもちろん見ての通り、ゼルの方が上である。


「はー、こりゃまたすごいな。イノシシか」


 剣の抜かれたイノシシを覗き込み、リリアは満面の笑みを浮かべる。年不相応な、幼い笑み。


「そっちは美味しいうさぎでしょ? 今日の祭は一段と楽しくなりそうね」


 リリアの背にあるうさぎたちを見て、応えるようにゼルも笑う。


 今日は彼らの村で豊作祭がある。そのためにいつもより量を多く獲物を狩っていたのだ。リリアは少々割高だが肉類では最高の品質を誇るうさぎを。ゼルは安価で皆と楽しむことのできるイノシシを。


 自分たちの腕と、役割にあった獣を狩り、持ち帰る。


「重いんだが、ゼルさんよ」

「張り切っちゃったからね、変わる?」


 重いイノシシをリリアが引っ張り、軽いうさぎもリリアが持つ。


 ゼルが持たせたわけではなく、リリアが自分から持つといったのだ。男だから、と。


 ゼルも彼がそう言うことを分かっていてわざと大きなイノシシを選ぶのだから質が悪い。



 不意に、強い風が吹きゼルの髪の毛をさらう。


 風が運ぶ心地よさと、普段と違う匂い。


 焦げたような香ばしい匂い。だが、共に流れてきた黒い空気は香ばしいなどという生暖かい優しさを持っていない。


 二人は顔を見合わせる。黒い空気が漂ってきているのは自分たちの村の方向なのだ。畑を焼く季節なのだからおかしくはないが、祭りの前日に畑を焼く人間は村に居ない。


「どうしたんだろ――」

「シッ」


 リリアは人差し指を口元に当てる。


 耳をすませばわずかに聞こえるのは人の声。



 怒声悲鳴。



 よく聞けば分かる、知人たちの声だと。


「ゼル、獲物は置いていこう」

「うん、戻らないと!」


 イノシシを引っ張る紐を置き、うさぎを投げ捨てる。


 獣道を走り、二人は村に戻る。



 村の中は惨劇、そう呼ぶにふさわしい光景が広がっていた。


 家は焼かれ、家畜たちは逃げ惑う。女子供は家畜と共に逃げ、男たちは剣を手に戦う。黒の異形たちを相手に。


 村を襲っているのは異形の者たち、一般に《魔物》と呼ばれる者たちだ。様々な姿を持つ彼奴らは情など持っていない。女子供関係なく手をかける。


 情け容赦ない魔物たちを統率し、導く存在が一つ、村の空に浮かぶ。


 人によく似た姿をした存在は村の地に足をつけ、降り立つ。


「おっととと。今回は田舎か……もうそろそろ勇者も来るから交代だと思ったんだけどな」


 黒の翼と角、鋭い爪に黒の腕。人は彼を悪魔、とも《魔王》とも呼ぶ。ここ数十年は彼が《魔王》 勇者は居るものの強さを求めるのに想像以上に時間がかかり、未だに魔王へと到達の気配を見せていない。


 勇者が強くならぬ限り魔王亡き平和な世界は訪れない。


 魔王はフと視線を巡らせる。逃げ遅れたのか、十歳にも満たない男の子が物陰に隠れる形で彼を見上げていた。拙い隠れ方も、かくれんぼならば可愛かっただろう。


 だが、彼は、魔王は見つけるためにいるのではない。


「可愛いね、まだ子供か」


 笑いながら一歩ずつ近づいていく。男の子は恐怖で体が動かない。ざりざりと、砂が鳴る。


 魔王は、村を《壊す》ために居る。


 笑みを浮かべながら、黒い腕がゆっくりと男の子へと伸ばされていく。


「やめろ!」


 ちょうど到着したのか、リリアの剣が魔王の腕を落とさんと振り下ろされる。


 慌てるでもなく、魔王は腕を引き視線をリリアへ向ける。感情のこもらない青い瞳を。


 底知れない深さを持つ瞳に一瞬気圧されるも剣を持ち直し、魔王へ対峙する。先ほどの男の子を背中でかばいながら、リリアは魔王を睨む。


「かっこいいヒーローさん、はじめまして」


 おどけたような声、ふざけた口調。


 だがそこにはビリビリとした殺気。


「必死なところ悪いけど、私を殺せるのは勇者の血を持つ者だけだ」

「どうして、この村なんだ!」


 リリアの悲痛な声は魔王に届かない。


 一人間に知られなくとも、魔王には使命がある。


「何の血も持たない人間に言ったところで大して気休めにもならない。私は――」


 静かに風が鳴る。


 リリアが見ている中で、白銀の剣が踊る。


 上から振り下ろされた剣は余裕を持ってよけられる。次の瞬間、追撃のために下から振り上げられた素早い短剣が魔王の目を狙う。


 素早い短剣まで目がいっていなかったのか、魔王は一歩引いていた足に力を込めて短剣から距離を取るも刃先が頬を裂き、赤い飛沫がわずかに短剣へ付着する。


 短剣を振った持ち主は足早に地を蹴り、リリアの隣へと並ぶ。


 ゼルだ。


 彼女はリリアが魔王と相対している間に生きている住民を逃がし、ここへ戻ってきたのだ。彼女の意思で。


「……血が」


 ぽつり、魔王がつぶやく。彼が触れた指先には頬の傷から流れた赤い液体が付着する。


「血は赤いのね」

「帰れって言ったのに……、俺せっかく格好つけたのに」

「貴方より私の方が強いもの」


 しょぼくれるリリアの隣でゼルが両手に持つ剣を構えなおす。


 魔王は呆けるようにしばらく自分の血を眺めていたが、ゆっくりと顔を上げると新たにやってきたゼルを視界に入れる。


「勇者の血族、なんだ」


 真っ直ぐとゼルを見て。


「《今》の勇者より、ずっと綺麗な魂を持ってるね。名前は?」


 一歩をゼルに向けて踏み出し。


「僕はイチル・アルバード。笑えるくらい普通の名前を持った今の《魔王》さ」


 今までとどこか違う瞳の魔王に、ゼルは思わず足を一歩下げる。


「名前、だよ」

「……イゼルディア・アルヴァス。名乗ったら子供たちを見逃してくれたりするのかしら?」


 試すような言葉に、魔王は笑みを返す。


「逃げたのは追わない。元々この村の範囲から出て行った人間なんて手にかけるつもりもないから。じゃあ名乗ってくれた御礼に、魔物たちを退いてあげるよ」


 笑みを浮かべたまま魔王は片手を空へ捧げる。


 それを合図に村を壊し尽くしていた異形の者たちは一斉に空へと飛び立つ。翼の起こす風が、ゼルの頬を撫でるほど一斉に、多くの異形たちが。


 本当に何か見返りがあるとは思っていなかったリリアとゼルは思わず空を見上げ、魔王から視線を外してしまう。


 彼がゼルの眼前に来るまで、気付かない。


「本当に綺麗……、見惚れるくらいだよ」


 頬に魔王の手を添えられ、違う驚きで体を強ばらせると魔王の、イチルの顔が間近にある。


 動けない。


 彼の鋭い爪は頬、目のすぐ近くに置かれている。また青の瞳も彼女が立ち尽くすには十分な力を持っている。目を潰される。何よりも威圧感で動けない。


 獣と相対すのとは全く違う。分からない感覚。


 ただ恐ろしい。


「ゼルから離れろ!」


 彼女が我に返ったのは硬い金属音が間近で響き、火花が司会に入ったからだ。


 振り下ろされたリリアの剣を素手で受け止めるイチル。先ほどの笑みはどこへ消えたのか、表情を消した瞳でリリアを射抜く。嫌な予感が体を駆け巡り、隣のリリアを強く押す。


 横からの圧力にリリアが倒れ、ゼルを目に見えぬ力が襲う。


「ゼル!」


 力はゼルの目の前で弾け、虹色の光となって地面に落ちる。


「私は村に居るのに何もしない?」

「違うよ」

「さっきと言ってることが違う」

「例外さ。私たち魔族は《愛する者に魔法を使えない》」


 ゼルが戸惑っているのに気づいているのかいないのか、イチルは満足げに話し始める。


 魔族は自分が惚れた相手に、愛する相手に魔法又はそれに類する力を当てることができない。魔族に生まれた者の宿命。相手に自分を慕う気持ちがあろうと、なかろうと。


 魔族は生涯一人の、一つの存在を愛し、尽くす。


 楽しそうに、嬉しそうに。



 ゼルに一目惚れをしたんだ。



 一人勝手な告白。


 魔法は使えないが、触れることはできる。現に先ほど、イチルはゼルの頬に触れた。


「ゼルは俺のだ。お前にはやらない」


 横からの言葉に、悦に入っていたイチルは短くため息をつく。だが、すぐに楽しげな笑みを浮かべる。


「人間さん、よく言うよね。男なら奪え、とか。じゃあ実行しようか」


 言い終えるのが早いか、リリアの体は宙に浮き、次の瞬間彼の体は目に見えない力。イチルの言葉を使うならば《魔法》に吹き飛ばされ倒壊した家の中へと倒れこむ。


 吹き飛ばした本人はいとも涼しい顔で片手を空へと掲げる。掲げた手の先に炎の塊が生み出される。圧縮された炎のような球状のそれを手の中に収めるとわずかに体をそらし、いつでもリリアへ撃ち放てるように腕を軽く上げる。


 イチルの動きが止まったのは気まぐれか、リリアとの間にゼルが立ちはだかったからか。


「イゼルディア、勇者とか魔王とか《使命》とか捨てて私と暮らさないかい?」


 片手に炎を乗せたまま、もう片方の手を差し出しイチルは笑う。


 まるでもう、リリアのことは覚えていないかのように。


「私がその手を取ったら、あそこの人は助かる?」

「良いよ、手は出さない」

「……賭け。賭けをしよう、《魔王》さん」

「面白いね、内容を教えて」


 ゼルはリリアとイチルのあいだに立ったまま、真剣な顔で賭けの内容を説明し始める。


 賭けるのは互いの存在。《勇者》であるゼルは《魔王》のイチルを倒すためにこれから旅をする。もし、魔王城で勇者が勝てばもちろん魔王の負け。魔王の部下に勇者が負ければ、もちろん勇者の負け。その場合、ゼルはイチルのモノになる。


 《今》の勇者が魔王を倒しても、それは魔王の負けである。


 ゼルの狙うところは最後の条件。もし、イチルが賭け自体を断れば両手の剣を振るえばいい。


 イチルはしばらく顎に手を当て考えていたようだが、顔を上げると笑みで答える。


「良いよ、乗った。ただし条件に一つ追加させてもらうよ。君はちゃんと《僕を倒すことを念頭に置いて》旅をすること。逃げられるといやだからね。よければ決定、契約だよ」


 そうして差し出された手を、ゼルは迷わず握る。


 黒の煙がつながった手を隠す。驚くゼルをなだめ、手を離すと手の甲に見慣れない紋章が刻まれていた。


 契約の証、体に害はないとイチルが笑う。まるで鎖のような紋章。ゼルは己の心に誓う、できることなら魔王を自分の手で倒すと。


「よし、じゃあそろそろ《今》の勇者が城に来てしまうから。消しに行ってくるよ」


 契約のために。


 背に生えた翼を何度かはためかせるとイチルは空へと浮かび上がる。


 これで助かる、リリアの倒れる場所へ向かおうと体の向きを変えると空から声が降ってくる、もちろんイチルの、だ。


「イゼルディア、彼は契約外の存在だね? 彼には何の《血》もないし」


 楽しげな笑い声。


 暖かい空気、熱い熱風。


 振り向いた時にはもう遅かった。振り向いたゼルの顔をかすめるようにずっとイチルの手の中にあった炎の塊は放たれ、倒壊する建物の中へと打ち込まれる。


 どれほどの炎が圧縮されていたというのか。炎は倒壊した建物の残骸すらも塵にする。


 後ろを振り向きたくない。振り向けば崩壊することがゼルには分かっていたからだ。


「じゃあね、イゼルディア。城で君のことを待ってるよ」


 遠ざかる翼の音。ゼルはゆっくりと一歩を踏み出す。まずは隣町に行こう、隣町には知り合いがいる。覚えが確かなら剣の道場もあった。


 弔いは今でなくても良い。


 泣くのだって、今でなくて良い。


 今は力をつけないと、彼に勝つことはできない。契約に、賭けに負けてしまう。そうなれば自分の存在は彼のものとなってしまう。



 一歩を踏み出したゼルが今の勇者が死んだことを聞いたのは三日後、隣町で友人の家に居たときのことだった。

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