第36話 魔王はたまに現れる

 「魔王様、少しよろしいでしょうか」


 新人戦を間近に控えたとある日の昼休み。いつものように昼食を取り終えたレオルベンたち一同は午後の授業に備えてそれぞれの教室に向かおうとしていた。


 だがレオルベンが席を立つ前に彼の前に座っていたオティヌスカルがレオルベンのことを呼び止めた。周りにいたラファミルたちは何事かとオティヌスカルの方を見るが、当のオティヌスカルの表情は冴えない。それどころかラファミルたちを見て気まずさを感じている様子だ。


 オティヌスカルの普段とは異なった様子に不可解な面持ちのラファミルたちだったが、これまたおかしなことにオティヌスカルにティルハニアが助け舟を出す。


 「この似非魔王がレオに話があるなら仕方ないな。ほらラファミル嬢、先に行くぞ」

 「でもレオルベンが……」


 レオルベンを置いては行けないと言いたげなラファミルが不満げレオルベンのことを見つめる。本来なら従者としてずっとラファミルの傍に居たいと思うレオルベンであったが、今日のオティヌスカルはどこかいつもと違うことにも気づいているレオルベンは苦渋の決断を下す。


 「申し訳ありません、ラファミル様。私のことはお気になさらないでください」

 「レオルベン……」

 「レオもこう言っていることだし、行くぞラファミル嬢」


 ティルハニアに促されて食堂を後にするティルハニアとラファミル。その後ろにはマーティンもついていたが、二人はオティヌスカルの方を不思議そうに見つめていた。


 ティルハニアがオティヌスカルに助け船を出すなど、普段ではまずみられない光景にレオルベンたちの周りにいた新入生たちも驚いている様子。


 さすがにこのままではいけないと思ったオティヌカルがレオルベンに提案する。


 「魔王様、場所を変えましょう」

 「そうですね」


 そう言って二人は食堂を出ると人気のない校舎裏へと移動する。


 校舎裏といっても完全に人気がなくなるという訳ではない。まだ昼休みの時間のため校舎裏も新入生の姿がまばらに見受けられたが、彼らは総じて帰り支度をしている。午後の授業の開始が三分後に迫っているので当然と言えば当然のことである。


 校舎に向かう新入生たちの流れに逆らうようにして校舎裏まできた二人は壁際に隣接されている白いテーブルに腰を下ろす。その手には食堂から運んできたドリンクが握られており、これから始まる話し合いがすぐに終わらないことを暗示している。


 レオルベンは椅子に腰を下ろすとさっそくオティヌスカルに尋ねる。


 「それで用件は何だ、オティヌス」


 椅子に座るなりいきなりいつもと異なる口調のレオルベンであるが、オティヌスカルに気にするようなそぶりは見えない。それどころか周囲に会話が聞こえないように二人の座るテーブルに不可視の防音シールドと認識疎外の魔術を行使した。


 いつもと様子の異なるオティヌスカルを前にレオルベンは新入生のレオルベンとしてではなく、魔王ルベンとしてオティヌスカルに向き合う。そしてレオルベンの姿勢に応えるかのようにオティヌスカルも魔王科首席のオティヌスカルとしてではなく、魔王ルベンの右腕であるオティヌスとして本題に入った。


 「魔王様は例の一件の顛末はお聞きになりましたか?」

 「確か魔王科が主導していた操作は国際問題になるため王族政府に引き継がれたとか」

 「はい。この街で起きた事件でしたが、もはや魔族と人族との間の問題で我々学生の手には余る事例でしたために早急に引継ぎが完了していました」


 例の一件とはもちろん魔族によるラファミル拉致のことである。結局あの事件は魔族側の死亡で幕を閉じたが、事後処理がいろいろと残っていたのだ。


 「ですが完全に引き継いだわけではなく、魔族の侵入経路に関しては王族政府と、魔王科と勇者科の一部の学生たち共同捜査が続けられていました」

 「それは初耳だな」

 「口止めされていましたからね」

 「それで侵入経路がわかったのか?」


 まさかそのことだけを伝えるために呼び出したのではないとわかっているレオルベンはオティヌスカルに対して本題を話すように促す。


 「裏付けは済んではいませんが、おそらく突き止めたといって間違いないと言っていいでしょう。魔族たちはとある機関の荷物に紛れ込んでこの街に来たと推測されます」

 「その機関とは?」

 「教会です」

 「教会とはあの教会か」

 「そうです」


 レオルベンの中でやっと納得がいった。


 通常、領主の異なる領地を移動する際には必ず関所が存在し、その関所で身分の証明や持ち物検査を義務付けられている。それは例え他の領地の領主であってもだ。


 そして行商人は運んでいる荷物を調べられて不審な点がないかを隈なく探される。そうやって身分を証明して安全と判断されたものだけが領地間の移動を可能にするのだ。


 ましてやこの学園がある街の関所は国内でも有数の厳しさを誇る領地である。辺境の領地ならまだしも、この街のある領地で魔族が紛れ込むのはまず不可能と言えるだろう。


 けれどもその行商人が教会の人間というなら話は別である。教会の荷物なら関所でも検問も緩いどころか、ほぼほぼ受けていないだろう。


 それは教会が危険なものを運搬するという想定がそもそも存在しないからである。


 「つまり先の一件は教会が仕組んだと」

 「おそらく」

 「目的は王族側の地位の失墜を狙ったところか」

 「王族の直轄地であるこの街で魔族が事件を起こしたとなれば国民は王族の管理体制を疑うことになりますから」

 「勇者信仰もここまでくると愚かなものだ」

 「まったくです」


 人類を統治しているのは言うまでもなく王族であり、王族は人類を救う英雄を育てるべくこの王立カルロデワ学園を運営している。しかし人類救済を掲げているのは王族だけでなく、その筆頭が勇者信仰を布教している教会だ。


 勇者信仰といっても王立カルロデワ学園のように勇者を育てようとしているのではない。彼らは異世界から勇者になり得る人材を召喚することで人類を救済しようと考えているのだ。「唯一神からの啓示によって人類を救う勇者が現れる」という言葉を旨に彼ら教会は勇者信仰を教え解き、日々信者を増やしているのである。


 唯一神を信仰する民にとっては王立カルロデワ学園の勇者は贋作であり、英雄でも何でもない。真の英雄は自分たちとは異なる異世界から現れることが常識だ。だから彼らはその英雄が現れるその時に備えて万全を期している。


 そして人類はいつしか王族と教会という二大勢力によって分断されてしまった。今でこそ対外の危機に対処するために手を取り合っている両者であるが、水面下では相手をこき下ろす策を講じ合っている。


 レオルベンたちの通う王立カルロデワ学園は人類の中でも王族側の中枢にあるような機関のために教会とは無縁の存在だったが、もしオティヌスカルの言っていることが本当ならば両者の対立による火の粉がレオルベンたちに降りかかるのもそう遠い話ではないだろう。


 「それで教会がまた何かやってきたのか?」

 「さすがは魔王様です」

 「何があった?」

 「先ほど王族政府より極秘裏にある報が届きました」

 「というと?」

 「魔族と取引をする、と」


 オティヌスカルの一度息を整えると、再び話を始める。


 「例の一件で生まれた五体の魔族の遺体はこの学園で処理を進めていました。しかし先ほど王族政府から届いた通達によりますと、その五体の遺体を魔族側に引き渡すと」

 「それで魔族側は何を?」

 「彼らが拘束している二名の貴族と、その家臣を合わせて五十名の解放を条件に」

 「つまり一人頭十人分の人族をか」

 「そう言うことになります」


 いくら同胞だからと言って、亡骸一体に持っている交渉材料をそこまで使うとは考えにくい。だが逆に言えばその亡骸にはそれだけする価値があるということである。だと言うならば、その交渉に乗るのは勿体ないというものである。


 「それで王族政府は?」

 「当初はその提案を拒絶していました。ですが……」

 「また教会か」

 「はい。教会側から王族政府に人質の命が優先だという進言があり、王族政府側も渋々その条件を飲んだそうです」


 もし交渉に乗らなかったならば、その情報を教会が国民にリークして「王族は同胞を見捨てた」などと言われるかもしれない。そうなればこれまで均衡状態にあった両者の力関係に変化が生じるに違いない。


 だから王族政府も断るに断れなかったのだ。


 「だが問題はどうして教会がその情報を知っていたかだが、魔族を送り込んできたなら魔族と教会が繋がっているとみて間違いない、ということか」

 「あくまでも仮定の話ですが、王族政府も同様の見解を持っています」

 「教会側もそれを隠す気はないと」

 「ええ。形はどうであれ、魔族と強力なパイプを有している教会をこのまま野放しにするのは危険と思われます」


 そもそも人類が危機に瀕しているのは魔族の存在があるからである。その魔族と利用し合っている関係ではあるが、協力的な関係を構築している教会は王族政府にとって脅威に変わりない。


 「ですから魔王様も気を付けてください」

 「わかった」


 レオルベンがうなずくと同時に午後の最初の授業終了を知らせる鐘が鳴り響くのであった。

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