第5話 紅茶
入学式が終わり、ラファミルが諸々の荷解きを終えたのは既に日の沈んだ夜のことだった。入学初日からいきなりの重労働で疲労困憊のラファミルは部屋着に着替えると、備え付けられていたベッドにそのまま倒れ込む。
王立カルロデワ学園の学生寮は各学生のそれぞれに一部屋ずつ割り当てられており、特に門限なども定められていない。そしてこの王立カルロデワ学園の学生寮の最大の特徴は学科ごとに建物が違っていることだろう。騎士科なら騎士科の学生寮が、魔術科なら魔術科の学生寮が用意され、学生たちはそれぞれの寮の仲間たちと日々研鑽できるようになっていた。
そして所属の決まっていない新入生たちは新入生という括りで一つの建物に押し込められることが慣例であり、ラファミルが今いるのもその新入生寮である。ちなみに王立カルロデワ学園では男女別で建物や部屋割りを分けることなどはしておらず、新入生の部屋順は入学式の席同様に入学手続きを済ませた順になっている。
そのためラファミルの隣の部屋にはレオルベンの部屋があり、従者であるレオルベンが主人であるラファミルの荷解きを手伝ったことは言うまでもない。
たった一年で出ていく新入生寮であるが、これから一年過ごすことに変わりはないので自分の使いやすい部屋にアレンジすることが許されている。ただ退去時には元に戻さなければならないため、凝ったアレンジをする者はほとんどいない。そのためラファミルが入居したときも部屋はずっと初期のころから変わらない模様だ。
「はぁ……」
ベッドに倒れ込んだラファミルは枕に顔を埋めながら小さくため息をついた。外では気張っているラファミルだが、彼女もまだ十五歳という子供だ。十五歳で成人とされるこの国ではあるが、内面はまだ子供のままである。
貴族の地位の有無にかかわらず、十五歳の少女が常に周りに気を張っていたら気疲れしてしまうのも当然のことだろう。
「父様……母様……」
枕元に飾ってあった写真立てに手を伸ばすと、ラファミルはそれを自分の前までもって来て中に飾ってある写真を見つめる。
写真には家の庭で楽しそうな表情で写る一組の親子の姿があった。優しそうな笑顔が特徴的な茶髪の父親、輝く銀色の髪が特徴的な柔和な表情の母親、太陽のようにきらきらとした笑顔の子供。その背後には何かを作業している黒髪の少年の後ろ姿が写り込んでいる。
その写真はラファミルが五歳の時に撮った家族との写真だ。その数年後にあのような悲劇が起きるとは思いもよらなかったであろう幸せそうな家族の写真である。
この時はまだラファミルに笑顔があった。それに他人に対しても関心がないということもなく、今よりもずっと人懐っこい子だった。
けれどもあの事件が全てを変えた。ラファミルから大切なものをすべてを奪い、ラファミルにすべての非難の目が向けられるようになった。
最愛の家族を突然失い失意の中のラファミルに構わず向けられた非難の嵐。それはまだ幼かったラファミルに容赦なく降り注ぎ、いつのまにか彼女のことを変えてしまった。
人懐こかった少女はいつの間にか他者との関りを避けるようになり、自らに蔑視の視線を向ける者や侮辱する者に対する興味の一切を捨てた。もう大切な人を失う辛さを味わいたくない。幼いながらもラファミルはそう決心したのだ。
「私……頑張るね……」
頬に涙を滴らせながら写真に写る両親たちに話しかけるラファミルはとても弱々しく、触れただけで崩れ落ちそうな積み木の塔のようであった。
ラファミルが流れた涙を拭きとると、コンコンとドアをノックする者がいた。訪問者が誰かわかりきっていたラファミルは自らの顔をパンパンと叩いて部屋の扉を開ける。
「どうしたのかしら、レオルベン」
部屋を訪れたのはラファミルの従者にして隣の部屋に住むことになったレオルベン。部屋着のラファミルとは違い、レオルベンはまだ制服のままだ。
「これから街へ買い出しに行こうと思いまして」
「そう」
新入生の部屋には生活に必要なもの最低限備わっているし、今すぐに買いに行かなければならない物はほとんどないと言っていい。しかし今後の生活をよりよいものにするために必要なものを買い足す新入生は少なくない。
「それでラファミル様も何か必要かと伺いたいと思いまして」
「そうね、今すぐには思いつかないわ」
「かしこまりました。では私はこれで」
そのままラファミルの部屋を後にしようとしたレオルベン。しかしそんなレオルベンにラファミルが待ったをかける。
「今すぐには思いつかないとは言ったけど、いらないとは言ってないわ」
「それはどういう?」
「考えるから少し待っててちょうだい」
「かしこまりました。なら一度部屋に戻り、出直します」
そう言って身体の反対方向に向けたレオルベンだが、ラファミルがさらに待ったをかける。
「それだと二度手間でしょ。思いつくまで私の部屋で待ってなさい」
「ですが……」
用もないのに主人の部屋に居座っていいものかと躊躇うレオルベン。それにこんな時間に男女が同じ部屋にいるとしたら周りに新入生たちに何と揶揄されるかわからない。本人たちにそのつもりはなくても、周りの者たちは面白おかしく吹聴して回る者たちが至っておかしくない。
けれどもレオルベンの懸念などラファミルは気にしていなかった。
「そろそろ一息つきたいと思っていたのよ。紅茶でも用意してくれないかしら?」
「そういうことなら直ちに」
主人の要望とあらば断わるわけにはいかないレオルベン。ラファミルの部屋に入ったレオルベンはすぐに備え付けのティーポットを使って彼女の前に紅茶を用意した。
自分の前に用意された紅茶に口をつけたラファミルは開口一番で味を批判する。
「やはり備え付けの紅茶ではこの程度なのね」
その口調からするにレオルベンの用意した紅茶が口に合わなかったのは確実だが、当の準備したレオルベンには一切の変化が見られない。それどころかラファミルの意見に賛同しているような素振りまで見受けられた。
「レオルベン、いつものオリジナルブレンドをお願いするわ」
「かしこまりました」
いつものオリジナルブレンドとは、レオルベンのオリジナルブレンドの紅茶の事であり、ラファミルがいつも愛飲している紅茶である。ラファミルはレオルベンのオリジナルブレンドを飲んで以来、それしか好んで飲まないようになったのだ。
「それで、そっちの部屋は片付いたのかしら?」
「はい。もうほとんど終わりました」
「早いのね」
「私は私物が少ないですから」
レオルベンはそう言っているが、彼の私物は少ないというより少なすぎるのだ。そもそも普通の新入生が持ち込む荷物の半分程度しか持ち込まなかったラファミル。そのラファミルの更に半分ほどしか私物を持ち込まなかったのがレオルベンなのだ。
おそらく他の新入生は今も荷解きに終われているに違いない。
二人が寮に持ち込んだ私物の数は普通の貴族どころか、普通の平民に比べても少ないから早く終わるのも当然と言えば当然のことなのだろう。
「まあいいわ。とりあえず今のところ欲しいものは紅茶と……そうね、あとタオルがもう少しあると嬉しいかしら」
「かしこまりました。では、すぐに調達してまいります」
ラファミルからの要望を受けたレオルベンは彼女の部屋を後にすると、夜の街に繰り出すのであった。
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