NASU vie

月輪話子

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「おぅ!」

はげ頭の男が手をあげ、空に浮かぶ長い道を見つめる老紳士に近づく。


「身支度しとったら遅なったわ!もう『選抜』まで済んでもうてますか?」


紳士はその気さくなあいさつに小さく会釈をして答える。


「ああいや、…もうすぐ来る頃かと。」


青天白日、柔らかな陽光に照らされ黄金に揺れる一面の背の高い草の原。

野原の終わり、雲と蓮の流れる川のほとりからは一直線に伸びたきらめく星屑の路がどこまでも伸びる。

2人の立つ岸辺には心地よい清風が吹いている。


「間に合うたようでよかったわ、今年の『観月杯』も楽しみにしてますさかい!よろしゅう頼んます!」

そう言い、にかっと歯を見せて笑う男に老紳士はニコニコと微笑み、任せておけ、とばかりに相槌を打つ。



「…昔実家の近くに馬場があったんやけどね、そこに、まあ、生きとった頃は嫁と娘と…よう出かけとったから…。思い出しますわ、ほんま。」

「私も、年に一度のこのレースは、孫の顔が見られるのと同じくらい待ち遠しいです。


この、『観月杯』は盆の時期、子供達が精霊馬をよこしてくれ、折角の急ぐ家路なら、浄土と現世を結ぶ天道をコースに見立てた乗馬レースでもしたら楽しかろうと、20年ほど前に有志で立ち上げました。

今では参加希望が多過ぎて、迎えの着順で出走馬を『選抜』しているほどの盛況ぶりです。


仲間内の余興が浄土全体行事にまで成長したことは主催者冥利に尽きます。」


「どうですか?今年も、岩本さんのとこのなすびが獲るんちゃいまっか?」

「順当にいけばそうでしょう。

私も運営委員をして長いですが、どれだけ荒れてもあれが一着でなかったときを見たことがない。」

「おお~、やっぱりそうですか!まあでもせやろなぁ~。

最近、ほんま器用に作ったあるハーレーやらスポーツカーやら出とるけど、それごぼう抜きやもんな!

精霊牛いうたら、普通迎え盆用やからどんくさいモンやけど。」

「はは、去年はゼロ戦もありましたね。…あの精霊牛だけは特別です。」

老紳士は腕時計に目をやり、再び時折天道の先に目をやる。


「以前岩本さん当人から話を聞いたンですがね、

なんでも自分の家は、100年以上、毎年欠かさず、子々孫々が代々守っている自分の畑の茄子を使ってあれをつくっているのだと。」

「100年毎年!?ははぁ、そらすごいわ。えらい年季の入りようやな!

…でもそれで牛が馬に勝てるようになるんかいな。」

「馬、牛、最近は車…形はいろいろありますが、見た目はただの器でしかないし、実際に私たちを運ぶのは『家族の想い』ですから。

今時分希少な、脈々と受け継がれる家の習慣や死者への畏敬があの馬力の秘密なんじゃないかと私は思います。


…、お、みえましたね。」



天道の果てに迎えの馬の群れの姿が見えた。

否、視界に入った瞬間、「個」が抜きんでた。


その一頭は思うとあっという間に集団をつきはなし、迅雷の如くこちらへ駆け向かう。


遠目で見てもわかる、ぼってりと尻の突き出た紫紺の体躯、

平素何かのついでにもらえるような、ちゃちな割り箸の4本足、

俊足を疑問に感じるほど、貧弱で不格好な精霊牛。


しかしつややかな胴は目に見えるほど強い生命力を帯び、迫力に満ちている。

割り箸はまるで巨馬の蹄のように雄々しい地鳴りと土ぼこりを立てて彼岸に馳せる。


待つ者の心を乗せる「茄子」は、今年も天の主人の下へ急ぐ。

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NASU vie 月輪話子 @tukino0

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