第50話 葛西水龍②

「さっきの笛で邪龍も封印するのか?」


「邪龍はそれだけじゃダメみたいだ。”声”を使うらしい」


「声?」


 祈祷や祭りの演目の中には祝詞や歌が含まれることがある。この発声方法は特殊で、神社や仏教など他のどの宗教とも違っている。竜司特融の歌なのだと思っていたが、どうやらその中だけでも一條独自のものだったらしい。


「ああ、特殊な声で邪龍に伝えるんだ。竜は襲われていない、お前の出番じゃないって」


「なるほどな」


 空を見上げる。先ほどまで地上に降りていたと思われる葛西水龍がまた上空を飛び回っている。邪龍と直接ぶつかり合っているような様子はない。まだ間合いを図っているのだろう。


「向こうに行こう」


 葛西水龍が休んでいたと思われる場所に向かう。そこは葛西臨海公園内の海のそば、葛西臨海水族園の入口だ。葛西臨海水族園はほとんどが地下になっていて、地上にはガラスドームのような入口だけが見えている。さっき降りて行った方向からするとそのあたりのはずだ。


 葛西臨海公園の入口を入るとそこから奥の広場までが公園のメインストリートだ。並木道に、砂利と石畳、右に行くとピクニックができそうな芝生があって、その奥の橋を渡ると小さな島があり、島の砂浜には邪龍について記した石碑があった。左に行くと水族館だ。前に3人で来た時は遊んでいる人がまばらにいたが、今は全く人影はない。そのかわりに江戸川区の小型竜が数匹広場をうろついている。


「前に来たときは水族館で遊んで、楽しかったね」


「そうだったな。それまではほとんど関わりのない3人だったけど、あれで仲良くなったって気がする」


 海野はそんな風に思っていたのか。確かに楽しかった。でもあの時の俺はふたりのこと、自信を持って友達ということもできていなかった。今は違う。信頼するふたりと一緒だから、この道を歩くことができる。


「見えた。葛西水龍だ!」


 広場に出て左側、水族館の入口ドームの上に葛西水龍が座っている。真っ白で細長い体に力強い手足が伸びている。今でもドラゴンはどうしても嫌悪感を持ってしまうが、そんな俺でもその形は美しいものだとわかる。


「あっちには邪龍もいるぞ」


 葛西臨海公園の浜辺、俺たちが邪龍の石碑を見つけた公園内の人工島。その更に先の海の中に、邪龍は陣取っていた。海の中に入っているとはいってもひざ下まで浸かっている程度だ。邪龍がとても大きなドラゴンであることがわかる。葛西水龍とは逆に頭から爪の先まで真っ黒なその体は海の中にいても目立っている。体の形は人型に近い。二足歩行で立ち上がっており、長い首と鋭い爪、そして大きな大きな羽が生えている。


「あら、竜一にいちゃん。こんなところまで来たの。聞きたいことはおじさんに聞けたかしら」


「咲ちゃん」


 2体の巨大なドラゴンに目を取られていて気が付かなかった。水族館とは逆の向かって右側、邪龍のいる浜辺へ向かう橋の入り口に咲ちゃんは一人で立っていた。


「ここにいるってことは、やっぱり咲ちゃんが何かしたんだね」


 咲ちゃんはふふふと不気味に笑う。


「ええ、そうよ。竜一にいちゃんももう知っているんでしょ?なぜ邪龍がこの江戸川区に生まれたのか。私はあなたたち一條の後始末をつけてあげているのよ」


「後始末?」


「・・・。一條家のせいで私たち竜宮がどんな目にあったかは知らないみたいね」


 とても中学生と会話しているとは思えない。その姿は中学生にしても小柄だが、醸し出す雰囲気や話し方は年上の大人と話をしているようだ。


 一條家のせいで竜宮にどんなことが起きたか。お父さんは一條が邪龍を呼び出して、一條の秘術で封印したと言っていた。それだけを聞くと一條家で完結しているようにも思えるが、実際はそんなに簡単じゃないだろう。街や国を亡ぼすとまで言われる邪龍を呼び出したとなれば、その責任は逃れられないはずだ。あれだけの大きなドラゴンが暴れまわったんだ、目撃者も多くいて隠し通せるものでもない。


「邪龍を生み出したことで、一條だけでなく竜宮家も責められたということなのか」


「“なのか?”だって。そりゃ知らないよね。一條はその一件で、ドラゴンの研究を禁止されて、ドラゴンを操るすべを後継者に伝えることすら許されなかった。ただの竜司として生きるこになったんだもの」

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