空は今日も澄み渡っている

志賀福 江乃

第1話

――どうして、心にぽっかり穴が空いているように感じるんだろう。



 ふと湧いてきたその疑問。放課後にとあるレトロなカフェで、クリームソーダを頼んでテラス席で飲んでいた。私の周りには仲の良い友達。私のお腹に抱きついたり、手をニギニギしあっていたり、スマホをいじっていたり、それぞれ話をしながら好きなことをして、空いた時間を過ごしていた。傍から見れば、仲睦まじく、微笑ましい光景に見えるだろう。実際、誰かがかけることなく順調に話は進んでいて、ちっとも疎外感は感じなかった。



 それなのに、それなのに――何故か私の心は、ぽっかり空いていた。別段、友達に嫌なところがあるわけでも、寂しいわけでもない。ただ言えるのは、どこか、この馴れ合いの光景に飽き飽きしていることくらいだろうか。ベタベタするのは嫌いじゃない。しかし、今日はなぜだか、嫌な方向にばかり見えてしまう。私の話はつまらなくないだろうか、汗臭くないだろうか。杞憂だとわかっていても、それを気にしながら話す自分は、友達に、覆面を被って話しかけているように思えた。本当の自分はここにおらず、一歩引いたところにいるような気がしてしまう。彼女たちは頭が良くて、優しくて、甘え上手で、可愛い。私よりはるかにできた人間だ、と常々感じていた。そんな彼女達を尊敬している。でも、嫉妬もしていた。私みたいにこうやってうだうだ考えず、前に突き進んでいける強い彼女たちが羨ましかった。羨ましくなれば羨ましくなるほど、私自身がひどくちっぽけでくだらなく見えて、彼女たちからどんどん遠ざかる気がした。どこか一歩引いたところでいつも彼女達を眺めているような疎外感が影のように私に付き纏った。



「ちょっとソラ、聞いてるの?」



 あ、ごめーん! 聞いてなかった! そう返せば、ある一人の子は頬を膨らませてもう、ちゃんと聞いてよね! と可愛らしく怒った。可愛いー、と茶化すと棒読みじゃ説得力ないよ、と不貞腐れた。それでなんだっけ? とまた話に戻った。ふと、空を見上げると、夏空が酷く青くて、まだ輝く時間ではないお月様が寂しそうにぽっかりと浮かんでいた。からん、とクリームソーダに入った氷が踊った。











 ぼす、と布団に倒れ込む。私が帰ってきたことに気づいた祖母のおかえりなさーい、という声にただいまーととりあえず返す。今日は体育もなかったし、学校が終わるのも早かったのに、なぜだかどっと疲れてしまった。クリームソーダ、美味しかったなぁ。くりぃむそーだ、可愛くて、綺麗だったなぁ。きっとあの子達の心の中がクリームソーダになったら、あのエメラルドグリーンのように透き通っているのだろう。もしくは、上にぽん、とのっかったアイスクリームのように柔らかくて滑らかな白なのかも。それか、小さいのに、しっかりと色づいたアカで、自分自身を強く持っているのかもしれない。私はきっと、無色で一辺倒でどこにでもあるグラスかな。押しつけられて、形を無理矢理作られて、周りと変わらない、平凡な私。何考えてんだか。ポエマーなんて嫌だ嫌だ。嫌悪、けーんお。普通でいいんだ、平凡で。普通なのがいい子でしょう? 普通でいないと怖かった。周りと違うのは何よりも怖かった。





 ふと、SNSを見る。今日のクリームソーダの写真が早速投稿されていた。投稿された写真は、今流行のタピオカの隣に写っていて、昔ながらのクリームソーダと比べられているようだった。いつだって、女の子は甘いものが好きなんだな、と漠然と思った。私はタピオカ好きじゃないけど。『今日は楽しかったね、ずっと一緒にいたいな』そう書かれたメッセージに、本当はそんなこと思っていなかったりして、と卑屈な感情が溢れた。はぁ、嫌だ、嫌だ、いつから、こんな風に素直になれなくなってしまったのでしょう、楽しめなくなってしまったのでしょう。きっと、昔の頃の面倒な体験のせいで人間関係にひどく臆病になっているんだろう。深く深くため息をついた。スマホをぽいっと投げ出して、制服から着替えるために、昔母が買ってくれたお伽噺のように豪華なクローゼットの扉に手をかける。



「は?」



 扉の向こうには、優しいミントグリーンと、透き通るようなライトブルー、ところどころに暖かく光るパステルイエロー、そして滑らかなミルクホワイトに溢れた世界が広がっていた。









「いらっしゃい、新参さん?」

「うわっ!?」



 ひょこっと顔を覗かせたのは、ロングヘアで小柄な、女の子。彼女は、真っ白なワンピースに、クリーム色の麦わら帽子を被っていた。触れたら壊れてしまいそうなほど、儚くて、かすみ草のような少女だった。金色の目は琥珀のように輝いて、こちらをじっと見つめている。



「何してるの、早くおいでよ」

「いえ、あの、え……」

「ここはね、扉に選ばれた人しか入れないの、この扉が貴女の部屋に繋がった、ということは貴女が何かを抱えていて、選ばれたんだよ」



 話が見えなくて、ただ困惑していると、ぐいっと中に引っ張られた。まぁ、ゆっくりしてきなよ、説明してあげるし、と手を引く彼女は私より背が低く、まだ小学生くらいに見えた。しばらく歩くと、淡いピンク色のテーブルと椅子がポツンと置いてあるのが見えた。辺りには人がおらず、シーンとしているはずなのに、寂しくなく、温かい雰囲気が流れていて、不思議な感覚だ。



「さ、さ、座って」



 はぁ、と答えると元気ないなーとつまらなさそうに返される。なんだよ、と少しムッとしてしまう。椅子に座ると、彼女は少し格好つけて、肘をついた。



「ここはね、何もかも自由なところ。一人でいてもいいし、みんなでいてもいい。好きなことをしてもいいし、しなくてもいいの。何をしてても誰も咎めないし、文句は言わない。他人のことを傷つけない限りね」

「へぇ……、それで、なんでそんなところに私は連れてこられたの」

「そりゃあ、貴女が傷ついていたからでしょう」

「私は何も傷ついてないよ」



 そういうと、彼女はふーん、とどうでも良さそうに相槌をうつ。



「知らないうちに傷ついているんじゃない。私は貴女じゃないからわからないけれど。傷ついても、気づかない可愛そうな人ってやっぱいるもんだ。まぁ、そうだね、向こうの現実に疲れた人が集まって自由に過ごす、そんな場所だよここは。貴女は何がしたい?」

「別に何も」

「じゃあ何もしなくていいんじゃない?」

「それじゃあ、帰るわ」

「まぁまぁ待ちなよ、一緒に何もしないことをしようよ」



 なにそれ、普通じゃない、と返せば、クスクスと楽しそうに笑う少女。何なんだこれは、早く帰ろう、と思って席を立とうとしたら、澄んだアルトの声が、耳に届いた。



「君は、どんな色が好き?」



 ばっ、と後ろを振り返ればニヤニヤと笑ってこちらを見つめる少年のような女性がいた。黄色いリボンで一つにまとめたポニーテールが大人っぽい。しかし、頬とクリーム色のシャツに飛び散った空色の掠れた絵の具と悪戯を企む少年のような笑顔が彼女の愛らしさを醸し出していた。彼女は、目をキラキラ輝かせてねぇ、どんな色が好き、とまた聞いてくる。



「えっと、青かな」

「いいね、海の色だ。海は生命の始まりだ。海は私達を産み、育てた。いずれは自分の害悪な膿になるとも知らずにね」



 また訳のわからないやつが現れた、と呟けば、クックック、と彼女は独特な笑い方をする。



「海の君、名前は?」

「ソラ」

「へぇ、漢字は?」

「天使の天」

「正しく青だね、ほら、空色って天に色ともかくじゃない?」



 私の名前は、カナリー、と彼女は名乗った。どっかの国とどっかの国のハーフだと思ったかい、これが全然そんなことないんだよね、と聞いてもないのに答える。ふと、白いワンピースの少女の名前が気になって、じっと見つめると、私の名前知りたい? と聞いてきた。



「名前を呼ぶのに困るから知りたい」

「へぇ、ここにまた来るつもりなのね」



 散々帰ろうとしていたくせに、とクスクス笑われてなんだか恥ずかしくなる。ここの空間は酷く居心地がいいのだ。学校のことも何もかも忘れられる。気づけば、まだいようかななんて気になっていた。でも、駄目だ。こんなところ、現実から逃げているようなものじゃないか、そう思った。



「私のことは皆シロって呼ぶの」

「シロ? それって本名?」

「本名は忘れちゃった」

「忘れた……?」

「この子ね、ずっとここにいるから」

「外に出てないの、だって外は面倒。ここは何でも揃ってるし、食べなくたって問題ないし」

「でも親御さんとか……」



 そう言うと、一瞬悲しそうな顔をした。すぐさま元の調子に戻ると、知らなーいと、そっぽを向く。



「ま、いろいろ事情があるってわけ、ねぇ、ソラ、青の次に好きな色は?」

「えー、黄色かな」

「熱帯魚じゃん」

「いやしらんわ」



 振り向けば、彼女は真っ白なキャンパスに、深い群青を塗りたくっていた。その姿はなんとも芸術的で、凄い、と思わずこぼした。



「凄くなんかないさ、好きなことをやってるだけだからね」

「いや、綺麗だよ」

「そう? ありがとう、結構自信作、まだ作り始めだけど、そうなる予定。君も書いてみる?」

「私すっごい下手くそだからやめとく」

「書かせるつもり無いけど」

「なにそれ」



 言葉のドッチボールようなやり取りもなんだか慣れてしまって、寧ろ楽しく感じてきた。彼女の艶やかな仕草で行われる創作に目が奪われる。どんどん色が足されていく。深い青、優しい碧、悲しい蒼、切ない空色、たくさんの青が積み重なって、積み重なって、まるで海底の奥底から空を見上げているようだ。ところどころに散りばめられた黄色も派手すぎず、イルミネーションのようにキラキラと輝いている。



 しばらく目を奪われてしまって、ふと時間が気になった。時計はどこだろう、とキョロキョロしても、淡いパステルカラーばかりのこの場所には、時計が一切ない。ぞくり、と身体が震えた。スマホも、腕時計も何もかもない。どっどっ、と心臓の音だけが時間を刻んでいる。酷く恐ろしくなって目の前の光景が怪奇現象のように見えてくる。実際のところ、今の状況は摩訶不思議な現象なのだが。少し震える声でシロとカナリーに、声を掛ける。



「あの、ここに時計って……」

「ん? ないよ? だってそんなの気にする必要ないもの」



 あはは、と笑う彼女たちが恐ろしくなって、後退りする。思わず、か、帰ります! と叫ぶと、世界が真っ白になった。

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