海が太陽のきらり

薮坂

twinkle


 音もなく、それは海へと沈んでいく。ひらりひらりと、まるで木の葉のように揺れながら。光を鈍く反射させ、海の底へとまっしぐらに。

 この海は深いのだろうか。透明度が高く、美しい海ではある。それでも波があるので底までは見通せない。だから、おれの目でそれを追えたのはほんの少しの間だけだった。


 それには思い出が詰まっていた。青春時代の証と言ってもいい。でも、もう必要のないものだ。

 それは証でもあり、そして呪いでもある。だから手放した。それを見ると誇らしい気持ちになると同時に、身を引き裂かれるような悲しい気持ちにもなるからだ。


 さよなら、おれの青春時代。静かな海の底で安らかに眠ってくれ。

 そう思いながらおれは踵を返す。そうして、岩礁から海に放り込んだに別れを告げた。



 さて、これからどうしようか。格好つけて海にメダルを放り込んだはいいものの、これからすることがまるでない。

 季節は夏。入道雲はその背を高く伸ばし、真っ白に輝いていて。そしてセミは割れんばかりの大合唱で、おまけに陽射しは容赦を知らないほどに暴力的。

 ──夏。それはもう真っ盛りの、夏だ。


 果てしない水平線。どこまでも広がる無窮の空。その空を映して煌めく、息を呑むほど美しい海面。


 綺麗な眺めだ、と思っていたその時だ。いきなりがぬっと出てきたのは。立ち泳ぎでもしているのか、上半身だけがその海面から出ている。驚くいとまも与えられず、おれはそいつに告げられる。


「キミさぁ、あたしの海にゴミを捨てないでくれる? 激しく迷惑なんだけど」


 と、そいつは何かをおれに放り投げてきた。かなりの速度。加えて咄嗟のことでキャッチが出来ない。

 ノーガードのすねにそれがめり込んだ。途端に激痛、痺れるような痛み。カラリと音を立てて磯の上を転がる、さっき捨てたはずの銅メダル。


「痛ってぇな! なにすんだ!」


「なにすんだ、はこっちのセリフ。海にゴミを捨てるな、って学校で習わなかった?」


 ぷんすか。まるでそんな擬音が浮かんできそうなほどの膨れっ面で、そいつは言った。どっから出てきたんだ、こいつ?


「ねぇ、聞いてんの?」


「いや待て、お前誰だよ? どっから湧いて出たんだ?」


「人をフナムシみたいに言わないでよ。あたしにはちゃんと陽子って名前があるの。そしてここでひとり、気持ちよく泳いでたの。キミがゴミを捨てるまではね」


 お陰で台無しだよ、と唇を尖らせるそいつ。いきなり現れてさらに文句を言われるとは。マジでなんなんだコイツは。 


「ねぇ、なんで海にゴミなんか捨てたの?」


「これはゴミじゃねぇ、見りゃわかんだろ」


 そいつはじっとおれの足元のメダルに目を向けると。そのままの姿勢で言い放った。


「……ゴミだね!」


「ゴミじゃねぇ!」


「海に捨てたんだからどう考えてもゴミじゃん。それともなに、アプネアの目標物にでもするつもりだったの? それにしちゃ、キミは水着も着てないよね。つまりゴミだ、やっぱり」


 言いながらそいつは、水飛沫を上げて磯の岩場に上がってきた。黒い長袖のラッシュガードと、鮮やかな黄色のサーフパンツ。足には短めのフィンを付けている。シュノーケルマスクをしているので顔はよく見えないが、同い年くらいの女の子には違いない。マジで何者だ、こいつ。


「何か弁明でもあるなら、聞いてあげないこともないけど」


 マスクを取りながら、その子は言った。短く切ったショートボブから水滴が舞い、それが太陽に煌めいた。うっかり、本当にうっかり。その姿を見て、美しいと思ってしまうおれ。


「……なにジロジロ見てんの? やらしい」


「いや見えるから仕方ないだろ! ていうかマジで誰なんだよ、お前?」


「さっき陽子って名乗ったじゃんか。キミ、もしかして脳ミソも残念な人?」


ってなんだ、って。おれはどこ残念じゃねぇ」


「顔もセンスも行動も。充分、残念だけどなぁ?」


 クスリと笑う女の子は、おれの足元に転がっていたメダルを拾い上げる。


「はいこれ。このゴミ、持って帰ってくれる?」


「ゴミじゃねぇけど、それは手放したものだ。おれにはもう必要ない」


「必要ないものを、人はゴミと言うんだけどなぁ。まぁとにかく、捨てるんなら別のところにしてよね。それならあたしも文句は言わないし」


「じゃあ、お前がどっか別のところに捨てといてくれ」


 はぁ? なんであたしが?

 そうとでも言いたげに、あからさまに眉根を寄せるその陽子。


「キミ、モテないでしょ。初対面の女の子に言うセリフじゃないよ」


「うるせぇな、ほっとけよ。とにかくおれは捨てたんだ。あとは勝手にしてくれ」


 そう言って、今度こそ踵を返したのだが。直後、後頭部にガツンとした鈍い衝撃。

 痛ってぇ、また投げやがったコイツ!


「勝手にしろって言われたから勝手にしたんですぅー」


「そういう勝手じゃねぇ! 何すんだお前!」


「お前じゃない。陽子だって何度も名乗ってんでしょ?」


 不敵な笑みの陽子。傲岸不遜。それを具現したかのような笑顔で言葉を継ぐ。


「ふうん? どうやらキミは、本当に脳ミソも残念なようだね。ようし、三歩歩いたら忘れるにわとりみたいだから、キミのことは丹羽にわトリと呼んであげよう」


「変な名前を付けんなよ。おれには海斗って名前がある」


 陽子はわざとらしく腕組みをすると、おれの顔をじろりと一瞥する。まるでセリにかけられた鶏を見るような眼差しで。


「ふうん、海斗か。名前だけはいいじゃんか。その他はいろいろ残念だけど」


「うるせぇ、ほっといてくれ」


「ねぇ、海斗はどうしてこの町に来たの? この辺の子じゃないでしょ」


「……ここにはじいちゃんの家があるんだ。夏休みで、することもない。だからこの町に来てる」


「することがない? 夏なのに? うわー、残念極まりないねそれ。凄く残念、至極残念」


 節をつけて韻を踏む。まるで歌うかのようにおれを扱き下ろす陽子。ニタリとした顔は完全に蔑みのそれだ。


「でさぁ、色々と残念な海斗っていくつなの? 高校生くらい?」


「色々と残念、って頭につけるな。おれは高二だけど、なんだよ。お前もそんくらいだろ?」


「ぶーっ、ハズレ! あたしはこう見えてとっくに成人してるんですぅー! お酒だって飲めるんですぅー!」


 人を喰ったように笑う陽子を見て思う。何となく、これ以上関わり合ってはいけない。根拠はないがそんな気がした。よし帰ろう、すぐ帰ろう。おれはもう一度踵を返そうとする。


「あ、どこ行くのさ」


「変な女とは関わりたくない。だから帰んだよ」


「ちょっと待ちなよ」


「なんだよ」


「そ、れ。また忘れてるよ、トリ男」


 ニヤリと笑う陽子に、本気で腹が立つ。おれは足元に転がっていたメダルを引っ掴むと、それを思い切り遠くへと投げ込んだ。メジャーリーガーもびっくりの大遠投。ゆったりとしたフォロースルーを添えて。

 メダルに付いていた首かけリボンはひらひらと舞い、遥か遠くに小さな水柱が立った。はっ、ざまぁ見やがれ。いい気味だ。


「どうだ、これでもう回収は、」


 と、セリフを最後まで言う間も与えられぬまま。おれは陽子の回し蹴りをモロに食らい、頭から海に飛び込むハメになった。それもかなりの勢いで。

 目の前全部、泡だらけ。それ以外何も見えないし、ゴミか何かが目に入って痛い。ヤバい、これは洒落になってない。ただでさえ泳ぎは苦手なのに、そのうえ着衣水泳だと? 冗談じゃない。これは絶対、溺れ死ぬヤツ。


 ぶくぶくと海に沈みながら思う。

 あぁ、勢いに任せて馬鹿なことしちまった。似合わない行動はするもんじゃない、と。



(続く)



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