第7話 悪魔が天使になった
翌日。
大野のおかげでバイトの予定が狂った分、こっちのペースも崩されていつもより疲れて、返ってくるなりそのまま寝てしまった。
目が覚めて時計を見ると、まだ7時半。
講義はあるけど、今日は午後出だからゆっくりできる。
と思って、もう一寝入りすることにした。シャワーを浴びる選択肢もあったけど、シャワーで頭がすっきりするのはまだ抵抗があった。
それからさらに3時間ほど眠った。
もう一度目が覚めて、時計を見ると10時過ぎ。
さすがにこれは、と思ってむっくり起きて、昨日出かけたままの服を脱いでシャワーを浴びることにした。さすがにちょっとすっきりしたかった。
シャワーを浴びて、頭がすっきりすると小腹が減っていることに気がついた。
昨日の夜、晩飯を抜いてそのまま寝てしまったせいだ。
で、冷蔵庫を漁ってみると見事に何もない。
「ちょっと早いけど、大学へ行って学食で軽く食べるか」
と独りごちて、出かける準備をした。
当たり前だが、キャンパスはいつも通りのキャンパスだった。
昨日の大野のことをキャンパスに来てようやく思い出したが、あれは何だったんだろう、と考える余裕もなかったわけだ。
と言っても、別に俺が考えたところで何が変わるわけでもない。と、思って頭の中から大野のことは追い出した。
まぁ、ここまでの数日間のことを考えると、昨日の豹変ぶりは疑問符だらけだけど、何かあってのことなんだろう。
などと考えつつ、学食に入って軽食を済まし、講義が始まるまでコーヒーを飲んでのんびり過ごした。
で、つつがなく4限と5限をこなして帰ろうとした夕方。
ヤツは現れた。
「鈴谷ー、待ってよー」
認めたくなかったが、振り向くと大野だった。こっちに向かって走ってきている。
「はぁはぁ……なんで……待ってくれないのよー」
「いや、突っ立ってるのも何かと思ってな。別に逃げようとしたわけじゃない」
いや、本心は逃げたかったんですけど。
毎度毎度、人がわんさかいるキャンパスで、ただでさえ目立つ超絶美女が俺の名前を呼ぶとか、注目を集める以外の何物でもないので。
悪目立ちはしたくないんだ。
「で、どうした。昨日の約束通り、わざわざ向こうのキャンパスからやってきたってか」
「そうよ……はぁはぁ……約束は守らなくっちゃ……はぁはぁ……」
「どうでもいいけど、お前、そんなんで簡単に息が上がってどうするんだ?」
「はぁ……だって普段走ったりしないもん……はぁはぁ」
「まぁ、いいとこのお嬢ならそんなもんか」
「境遇は関係ありませんー。で、今日は相手してくれるんでしょ?」
「約束だからな。バイトもないし相手してやる。バッグで後頭部を殴らなかったのもちゃんと守ったのな」
「そうよ、約束だから」
「で、どうしたいんだ?」
「いつもの場所でお茶したい」
俺はいつもと言うほど行ってるところではないんだがな。
「わかった。じゃあ、とりあえず駅まで行くか」
「うん!」
違和感がある。
とてつもない違和感がある。
数日前までは鼻持ちならない、上から目線のワガママお嬢だったのが、ただのお嬢様に変わっている。
俺の中でイメージを書き換えるのは簡単じゃない。そのくらいインパクトのある登場だったんだから。
それがコレ。
違和感しかないんだが、何なんだ。
「荷物、いいのか?」
「ん? 何が?」
やっぱりものすごい違和感がある。
数日前までは、人の頭をバッグで殴りつけるようなヤツで、平気で荷物持ちをさせて鼻面捕まえて引きずり回すようなヤツだったのに、この変わりようは何なんだ?
とりあえず、大学の最寄りの駅まで来た。
いつもと同じように俺が帰る方向と逆の方向のホームへ行き、何とはなしに来る急行に乗っていつもの駅へ移動する。
その間、お互いに無言。
ただ、今までのように殺気を纏った雰囲気ではなく、単にしゃべることがないからお互い話さないだけ、というような感じ。
横目で大野を見てみると、何やら楽しそうな感じでほほ笑みさえ浮かべている。
それ自体はとてもいいことだ。
こっちには危害を加えられることはないし、荒れていないのでこの間みたいに、いきなり「飲むぞ」とやられる雰囲気でもなさそうだから。
でも、こっちはその経験をさせられた分だけ、警戒しているわけで、いくら普通のお嬢になったとは言え、そうそう気を許すことはできない。
本当に何をされるかわからないだけに余計だ。
とか考えているうちに、いつもの駅に到着。
「さ、いこ」
「お、おう」
今までのように強引ではないけど、やっぱり主導権を握られている感はある。
駅ビルの中に入り、昨日も来たカフェに到着。
窓際のカウンター席が2つ隣り合わせに空いていたので、何とはなしにそこに陣取る。
「鈴谷はアイスコーヒーでいいんだよね? サイズは?」
「あ、えーっとMでいいかな」
「わかった。じゃ、ちょっと買ってくるね」
昨日もこんな展開だったんだよな。
で、何故かは知らないけど、ちゃんとシロップとミルクを持ってきてくれた。
暴君でもそんな気働きができるのか、と思ったもんだが、案外大野の地はそんなヤツなのかも知れない、とちょっと気を許した。
「いかんいかん。まだ何されるかわからんからな」
「どうしたのー? 何されるって何?」
知らない間に背後に大野が来ていた。
トレイを置いて
「はい、アイスコーヒーMね」
「お、おう、ありがとう」
「どういたしまして」
早速、ガムシロとミルクを入れてツーっと一口。
大野はホットにしたらしい。
そして、やっぱり無言。
まぁ、仕方ないよな。まだ会って1週間も経ってないんだから。お互いよく分からないことだらけで、共通の話題なんてあったもんじゃない。
でも、大野は俺のことをいろいろ知っている可能性はある。
不公平な気はしないでもないけど、それは言っても仕方ないことだ。
数瞬の間を置いて大野が
「あのさ、鈴谷」
「なんだ?」
「アンタに言いたいことがあるの」
「言いたいこと?」
ヤバい。
一体何を言うつもりなんだ?
やっぱりお嬢づらは仮初めの姿で、実は昨日までの大野が本性だったのか?
頭の中で警報が鳴り響く。
「うん。あたし、アンタが好き。アンタに彼氏になってほしい」
「なんだ、そんなこ……はぁ?」
「あ、あたしだって女子大生よ? 好きな人がいたっていいでしょう?」
「そ、そりゃ構わないと思うけど、俺?」
「そう、アンタ。アンタじゃないとダメなの」
「そのダメな理由って何だ?」
「あんなに横暴に振る舞ったあたしでも、ちゃんと面倒見てくれたし、今もこうやって逃げずに相手してくれてる。今までそんなヤツいなかったの。だから本心から好きになるのはこれが初めて。そのくらいアンタが好きになった」
ぶっちゃけられたなー。
ここまで言われるとグウの音も出ないけど、ここで安直にYESと言っていいものかどうかは悩む。躊躇がある。
「お前がそこまで言うなら、俺も本音で言う。正直、初めて会ってから数日しか経ってないし、その数日間のお前の印象は最悪だ。見た目が超絶美女なのは認める。男として、こんな美人に告白されてうれしくないわけがない。でも、昨日までのお前を見ていてどこまで信じていいのかわからん」
「そっか……そうだよね……でも、あたしはあたしの言うことを信じて、としか言えないよ。で、鈴谷を手放したくない」
熱烈ラブコールだ。
困った。
困ったけれど、信じてという言葉を信じるしかないのは確かだ。
俺の悪いクセだけど、単純な道を選べないんだよな。
「わかった。お前の気持ち、受け入れる。付き合おう」
「ほ、ホント!」
「この場面で『ウソでーす』とは言えないだろ」
「あ、ありがとう……」
おい、そこで泣くな。
泣かれると俺が泣かしたみたいじゃないか。困るんだよ。
「とりあえず、落ち着け。泣かれても俺は困る」
ティッシュを取り出して渡しながら言う。
「うん……ごめん……あんまりうれしくって……」
「こんなどこにでもいるようなヤツに受け入れてもらって泣くほどうれしいのか」
「あたしにとってはどこにでもいるヤツじゃないの。あたしだけのナンバーワン」
こんな美人にここまで言われるとは男冥利に尽きるってもんだろうな、きっと。
心のどこかに素直に喜べない自分がいないでもないのは自覚できるけど、まぁ一緒にいるうちになんとかどうにかなるんだろう、きっと。
ここはくっついて良しとすべきか。
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