着物と絵師∽欠片犯罪/7

 薄暗い空の下、好輝こうきは彼方に連れて行かれた洋服屋から喫茶店へ帰るところだった。


(……夢じゃないよな?)


 そう思うのは、七星ななせも一緒だからだ。

 最初、店長命令で彼方に白羽の矢が立ったのだが「わたしが好輝くんを送り届けるよ」と七星が立候補したのである。好輝を送るのを嫌がっていた彼方も一八〇度態度を変えて猛反対したが、七星に押し切られてしまい、現在に至るわけだ。

 出会った時から思っていたが、彼方は七星に対してだけは優しい(むしろ過保護めいてる)。よほど彼女を大切に想っているのだろう。恋の好敵手ライバルとして、この上ない相手だ(彼方本人は相手にしなさそうだが)。


「――ごめんね」


「え?」

 唐突すぎる七星の謝罪に、好輝は目を見張った。


「リィさんを止められるの、ハルしかいないから」


 洋服屋の店長は赤毛のおさげ髪と鳶色とびいろの瞳を持ち、底抜けの明るさがある可愛らしい女性であった。さぞかしかと思いきや、パーカーとホットパンツ、ニーソックス、ショートブーツ――意外とラフな格好だったことには驚いた。しかし服装はともかく、好輝はリィの厄介さを身を以て体験した。そう、彼女は話し始めると止まらない。まさに機関銃マシンガンのごとし。そして、その店長リィを止められる唯一のストッパーは留守だった。七星はそのことを詫びているのだろう。


「……いいんですよ。リィさんの話のタネの多さには驚きましたけど」

 重複した話もちらほらあったが。

「食事中もうるさくて、ごめんね」

「にぎやかな夕食で楽しかったですよ」

 世辞ではない。いつもは伯父と二人――伯父が忙しい時は一人で食事をするので、あんな楽しい食事は久しぶりだった。両親が生きていた頃を思い出してしまったほどだ。

「そう言ってくれると嬉しい。わたしたちは気にはならないんだけど、他の人は……どうしてもびっくりしちゃうみたいだから」

「……ようさん、怒鳴ってそうっすね」

「うん、怒鳴ってる。あと、カイさんも」


「カイさんって……黒藤くろふじかいさん?」


「知ってるんだね」

「ええ。鉄兵てっぺいさんがいた頃には、よく喫茶店うちに来てたらしいですから。けど、四年前に鉄兵さんを亡くしてから、年の離れた弟さんと切り盛りしてるって。――全部、オジキ情報ですけど」


 灰原はいばら鉄兵てっぺい――灰原探偵事務所の創設者だ。好輝が知っている限り、灰色の髪と海のような青い瞳に芸術作品のような造形の顔立ちであるカイとは違い、鉄兵は浅黒い肌と強面こわもての顔を持っており、探偵というよりヤクザの親分のようだったが、見かけによらず人懐こい男性だったと伯父からは聞いている。


「さすが〝神曲町かみまがりちょうのヌシ〟だね。そういえば――」

 七星が思い出したように言う。

「――あなたも伯父さんにお世話になってるんだっけ?」

「あなたも……?」

 好輝は首をかしげた。


「うん。だって、カイさんとススくん……あ、ススくんっていうのは弟さんね。二人は、テツさんの甥っ子さんだから」


 好輝は目を剥いた。カイとその弟が自分と同じ境遇の人間だったとは!

「あ、それは知らなかった?」


「知りませんよ!」


「まあ、わざわざ言うことでもないしね」

 そりゃあ、そうだが……昨日から衝撃を受けてばかりだ。未だ彼方と遥が(双子の)兄妹であることも信じられないのに。まさか、同じ境遇の人間がこんなに身近にいるなんて。

 話し込んでいる間に、遠目で喫茶店『まごころ』を捉える。店から明かりがこぼれている。薄暗かった空はすっかり暗くなっていた。

「――ここでいいっす」

「そう。――今日は、どうもありがとう」

「いいえ。こちらこそ」

「また寄らせてもらうね」

「はいっ! お待ちしてます!」

「またね」

 七星は踵を返し、来た道を歩いていく。彼女の背中が見えなくなるまで、好輝は手を振る。

 その時、黒塗りの車が横切った。


(あの車は……!)


 見覚えがあった。たしか洋服屋の前に停まっていた高級車だ。「なんで、こんな高級車が?」と思ったので覚えている。なにやら胸騒ぎを覚えた好輝は後を追った。

 停車した車の先には七星が。後部座席から男が降りてくる。驚いたことに男は七星の腕を掴み、車にむりやり乗せようとしている。

 好輝は急いで、七星と男のもとへと駆けつけた。

「なにしてんだ!」

 七星が叫んだ。


「逃げて!」


 七星の叫びにとした。逃げるべきは七星であり、好輝ではない。

 男が七星の口に布を押しつける。彼女は抵抗する間もなく意識を失う。男は七星を抱え、すかさず車に乗り込む。


「待て!」


 好輝は車に乗り込もうとするが、男は好輝を締め出そうと抵抗する。

 好輝も応戦した。


 大好きな七星を連れて行かせるものか!


 だが、男との攻防は長くは続かなかった。左肩に激痛が走る。少し頬がこけた老人が警棒を持っているのが見えた。警棒が頭めがけて振り下ろされた。視界がぼやける。それでも必死に七星へと手を伸ばした。


「な……なせ……さ……」


 好輝の意識は深い闇へと沈んだ。

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