着物と絵師∽欠片犯罪/5

 ――あんたも一度、読んでみなさるといい。芸術家のごうというやつがよくわかる。


 在りし日の彼の、画面の中にあるいかめしい顔を思い浮かべる。

 有能が来て丸一日が過ぎた。太陽は西へ沈もうとしている。


「……スス」


 キッチンで洗い物をしている弟を呼ぶ。

「ん?」

「この件、おまえはどう思う?」

「ん~。そうだねぇ~」

 洗い物を済ませた煤武すすむはソファに腰を下ろし、きっぱり言った。


「死体がエグい!」


「……そういうことじゃなくてだな」

 とんだ肩すかしをくらったカイは眉間を抑える。


「冗談だよ。――お兄さんは?」


 煤武に訊かれ、カイは顎に手を当てる。

「――なにかしっくりこない」

「なにかって?」

「それがわかれば、苦労はないさ」

 ソファの背もたれに体を放り出し、カイは天を仰いだ。

 しばらく天井とにらめっこした後、


「……に訊いてみるか」


 立ち上がる。向かうのは、風景画が飾られている壁。その絵を傾けると、壁が自動ドアのように開いた。中へ入るカイ。煤武も兄の後を追う。


 壁の向こうは、本棚にぐるりと囲まれた部屋だった。


 その中央、ぽつんと置かれたベッド。そこで少女が眠っていた。

 腰まで流れる長く波打つ銀の髪と白い肌、フリルがあしらわれたゴスロリチックな黒のワンピースと黒タイツ。胸には西洋書を抱いている。――まるで生きた西洋人形だ。


「ミラ、起きてくれ」


 少女の体を優しく揺する。ミラと呼ばれた少女は身じろぎ、目を開ける。カイの海のような青い瞳とは対照的なあかい瞳が現れた。


「……なんだい?」


 ゆっくり起きあがったミラの目はとろんとしており、虚ろだ。


「起き抜けですまないが、彼女を出してくれ」


 カイはまるで騎士がそうするかのようにミラの前にひざまずき、彼女の持つ本に触れた。ミラの瞳が大きく見開かれ、淡い光を持ち始める。カイは彼女からすこし離れた。

「〈扉のしおりゲート・マーカー〉〝Maidenメイデン〟。マスター・ユーザーミラ」

 機械的な女性の声がミラを通して言葉を紡ぎ、西洋書がひとりでにページをめくり始める。

「――認証しました。〈鍵のしおりキー・マーカー〉とサブ・ユーザー、どうぞ」

「〈鍵のしおり〉〝Ashアッシュ〟。サブ・ユーザー黒藤くろふじかい

 ミラは一時、沈黙する。しばらくして再び口を開いた。


「――認証しました。認証コード〝Ash Maiden〟、【Cinderellaシンデレラ】起動。〈母体書庫マザー・ライブラリー〉に保管されている過去、現在、未来――ありとあらゆる事柄を記す〈コード〉を解くことを許可します」


 ひとりでにページがめくられていた本が閉じられる。本の表紙にはめ込まれている球体が光を放った。そこから姿の透けた女性が現れる。立体映像ホログラムだ。大きさは小人ぐらいで顔立ちはミラによく似ていた。後頭部で丸く結われた金髪、頭上にはティアラ。そして、美しい絹布シルクのドレス――ミラが生きた西洋人形なら、彼女は本の妖精であった。


『ワタシをお呼び?』


 彼女は情報演算機【Cinderellaシンデレラ】。ミラの用心棒も兼ねる存在である。

「ああ」


『じゃあ、〈情報片カケラ〉をちょうだい』


〈母体書庫〉は、彼女の心髄。彼女そのもの。この世のありとあらゆるデータ。〈情報片〉とは、検索したい語彙ごいのこと。〈紐〉とは〈情報片〉に該当する情報が記載されたものだ。そして、ミラは生きた端末。二人は常に繋がり、〈紐〉――情報を共有している。しかし、ミラは十六歳の少女。成長途中の体は重すぎる情報量に耐えられない。従って、普段は〈母体書庫〉を〈制限ログアウト〉――ミラの体で耐えられる最低限の情報しか閲覧できない状態にしている。すべての情報を閲覧する〈開放ログイン〉のために〈扉のしおり〉と〈鍵のしおり〉が必要なのだ。


「――まずはしゅう猿良えんりょう


 カイが言うと、あっという間にシンデレラは〈紐〉を見つける。


〈紐〉を解きますルースン・コード。――本名、吉野よしの秀吉ひでよし。六十四歳。煉國れんごくにある吉野家の三男として生まれ、日本画絵師「秀猿良」として活躍。病死した妻との間に生まれた一人娘、寧音ねねとともに生活。浄戸じょうどに家を築く。ところが三年前、その家が火事になり、寧音を亡くす。それ以後、すべての財産を処分。弟子たちを一斉に破門し、公から完全に姿を消す。現在は塵横丁ごみよこちょうに住んでいると、まことしやかに噂される』


 そこまではカイも知っている。ほぼ有能から聞かされた情報ばかりだ。次に着物襲撃事件を〈情報片〉として組み込むが、目新しい情報はない。


『あら?』


 シンデレラが首をかしげる。

「どうした?」


良秀りょうしゅう芥川あくたがわ堀河ほりかわ……人の名前? どうして残るのかしら?』


「シンデレラ、〈情報片〉の追加だ。――芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ地獄変じごくへん』」

『「地獄変」、著者は芥川龍之介。鎌倉初期の説話集「宇治拾遺物語うじしゅういものがたり」に出てくる絵師をモデルに描かれた文学作品。秀猿良は作中に出てくる良秀を崇拝していて、たびたび彼について言及しているわね。そしてしくも一人娘がいるという共通点があるわ。良秀こそが秀猿良の芸術の起源ルーツよ』

 カイの周囲で言葉がおどる。



 着物 殺人   芸術家   火事

   炎   若い女  牛車ぎっしゃ 三面六臂さんめんろっぴ

  猿  鎖 牛頭馬頭ごずめず  猛禽類もうきんるい  日本画

    芥川  良秀 一人娘 堀河  地獄変――――



「……なぁ、シンデレラ」


 カイはゆっくりと口を開いた。

『なぁに?』

「今回の犯罪は欠片かけら犯罪はんざいか?」

『YES』

「犯人は秀猿良か?」

『完成していない、招かれざる客、間違った結論――この〈情報片〉が残るわね』

「どういうことだ?」


『〈コード〉にあるのは、純然たる「事実」だけ。「事実」にその人の思考と感情が記されているわけじゃないもの』


 シンデレラは悪戯めいた笑みを浮かべる。彼女が最優先とするのは〈紐〉を解くこと。演算で導き出した『答え』を〈処理〉し、利用者に『事実』を〈提示〉するだけである。

「……すまない。ばかなことを訊いた」

 カイは肩をすくめた。やがて立体映像は消え、彼女は〈制限ログアウト〉状態となる。

 すぐさまカイは携帯を取り出し、


「ヒデさん? 至急、捜査資料を持って事務所に来てください」


 有能を呼び出すのであった。

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