第55話 知ってて黙ってた?


 赤面しつつも、乱れた髪を手のひらで撫でつける六華だが、鏡もないのでよくわからない。


「俺にやらせろ」


 大河が苦笑して、指先で六華の髪を整えていく。

 大河の手つきは完全に子供にしてやるようなそれで、恥ずかしいったらない。


「すみません……」


 どんどん赤面していく六華だが、一方大河はひどく楽しそうだった。


 前髪と一体化していた長い髪を指でとり、六華の耳にかける。

 丁寧に、丁寧に。こんなふうに扱われたら、自分がとても大事な存在のように思えて、なんだかいたたまれない。


(こういう感覚、久しぶりかも……)


 普段は自分が守る側で、守られる側ではないと思っているので、六華は妙に緊張してしまうのだった。


「柔らかい髪だな」


 一瞬六華の耳に大河の指先が触れて、六華はびくっと体を震わせた。

 やめてほしいような、もっと触れてほしいような、不思議な感覚が体を包む。


 思わず上目遣いで大河を見上げると、

「ここでそういう目は反則だぞ」

 と、大河は即座に手を放し、腰に手を置いて視線を斜め上に向けて軽くため息をついた。


「反則?」

「キスしたくなる」

「ひえっ!」


 思わず変な声が出てしまった。

 昼休みが始まったばかりで、竜宮の職員だけでもそれなりに人通りがある。


(えっ、ここで!?)


 とアワアワしていると。


「しねえよ。職場のすぐ近くだぞ」

「もうっ!」


 からかわれた六華は子供のようにプンスカしてしまった。

 大河はそんな六華を見てククッと喉を鳴らすように笑い、

「行くか」

 さっさと歩き出してしまった。


「あっ、待ってくださいっ!」


 慌てて六華もあとを追いかける。



 連れて行かれたのは、竜宮から徒歩十分程度の場所にある五階建てのビルの最上階だった。重そうな扉が一枚、その横に小さな看板が掛けてあり、ひらがなで「あずさ」と書いてある。

 大河のエスコートで店内に入った六華は、「わ」とつぶやいて目を輝かせた。

 入り口には季節の花が大ぶりの花瓶に生けられて、店内はとても清潔で明るい。二人掛けのテーブルが三つに、五、六席ほどのカウンターがある。ちなみにすべての席が埋まっていた。

 年は六十代くらいだろうか。濃い眉につるりとした禿頭とくとうと白の作務衣姿の男が、顔を上げて、「いらっしゃい」とほほ笑んだ。

 愛嬌があるが、それとなく厳しさも感じさせるそんな顔立ちと雰囲気だ。


(だるまさんに似ている……!)


 六華はそんなことを思いながら、軽く会釈した。


「個室をとってます。どうぞ」


 アルバイトらしい若い男性が小走りでやってきて、六華たちを奥へと連れていく。

 のれんをくぐった奥には六畳ほどの小さな個室があって、畳の上にはイスとテーブルが置かれていた。

 大河は当然のように椅子を引いて、六華をエスコートする。


(慣れてる……)


 六華は緊張しながら椅子に腰を下ろして、正面に座る大河を見つめた。


「竜宮から歩ける範囲にこんな店があるとは知りませんでした」

「実は俺も初めて来た」


 大河がなぜかいたずらっ子のように微笑む。


「えっ?」

「山尾先生に教えてもらったんだ。竜宮周辺で飯を食える店をよく知らなくてな」

「先生にって……」


 六華は大きく目を見開いた。


「えっ、もしかして私とふたりで行くって話したんですかっ?」

「ああ」


 それがなにかと言わんばかりに大河は頬杖をつく。


(いやいやいや……! 先生!)


 山尾は今朝もいつも通り朝礼をし、六華とも他愛もない雑談をしたがランチのことを一言だってほのめかしたりしなかった。


(知ってて黙ってたんだ……もうっ!)


 そう思うと、浮かれていた自分の気持ちを知られているようで恥ずかしくてたまらな

い。


(私に子供がいるって知ってるはずなのに、先生が私と久我大河の仲を応援するなんて、そんなことあるかしら……)


 正直言って、不思議で仕方ない。


 山尾は六華の大恩人だ。

 未婚の母になることを選んだ六華は、当然厳しい意見や冷たい眼差しも遠く近くの知人や親せきに向けられてきた。


『こどもがこどもを生んでどうするの』

『将来がめちゃくちゃになってしまうぞ』

『まともに育てられるわけがない』


 たくさんの言葉に、六華は傷つけられてきた。

 だが子供のころから六華を知る山尾は一言もそんなことを口にしなかった。

 妊娠してからは六華の健康を気遣い、まるでわが娘のように慈しんでくれたのだ。

 そして樹が生まれてからは、病院や幼稚園、習い事なども逐一山尾に相談してきたし、竜宮警備隊へ入れたのも双葉のコネではなく、山尾が六華の剣の腕を保証してくれたからだと六華は思っている。

 とにかく母子ともに世話になりっぱなしで、彼はもはや身内のような存在だった。


(樹も大きくなってきたから、私に結婚しろって言いたいとか?)


 だが相手が久我大河というのはさすがに不自然だ。彼は竜宮警備隊の隊長で、おそらくそれなりの貴族出身で、貧乏士族のシングルマザーの自分など釣り合わない。

 そもそもそんなおせっかいな男なら、今まで男性の一人や二人、紹介されていそうなものだ。なんといっても、彼は門下生を数千人規模で持つ『先生』なのだから。


 六華は首をひねるが、結局答えは見つからない。


(今日、ランチから帰ったら先生に聞いてみよう。一緒に食事に行ってるんだからもう隠す必要もないだろうし)


 六華は気分を切り替えて、顔を上げ、正面に座る大河を見つめた。


 好きな男が目の前にいる。

 今はただその喜びをかみしめていたい。


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