第51話 六華の決意
(いやいやいや!)
六華は慌てて肩にかけられたコートと脱いで、大河に差し出す。
「大丈夫です!」
寒くないと言ったら嘘になるが、隊長に負担をかけてまで暖をとりたくない。
「そんなくしゃみしておいてなにが大丈夫だ。大人しく着ておけ」
差し出されたコートを乱暴に押し返す大河も、決して譲る気はないようだった。
「私は脂肪があるので!」
「俺だって筋肉がある」
「脂肪のほうが氷河期には強いんですよ! 寒いと恐竜だって死ぬんです!」
だからなんだといいたくなるような子供じみた応戦をしつつ、ふたりでじたばたと軽くもみ合った後――。
大河が「強情だな、お前は……」と深々とため息をついて、コートを両手でつかんで自分の肩に羽織った。
やっとわかってくれたのかと六華がほっとした次の瞬間、大河はコートを肩に乗せた手で、六華の体を後ろから抱きよせる。
「!?」
まるで雛を温める母鳥のように、大河は六華を懐に仕舞ってしまったのだった。
「これでいいだろ」
背後から耳元でささやく。
大河と体が触れて背中から熱が伝わってくる。
「いいだろって……」
確かに体を近づけるだけで相当暖かいが、好きな男にこんなことをされて平静でいられるはずがない。
「お前も暖かいし、俺もそうだ」
大河の唇からこぼれる吐息が六華の耳元にふれる。
六華は目を白黒させながら必死に言葉を繰り出す。
「確かにあったかいですけど! これじゃ、不測の事態の時、どうするんですかっ……!」
六華は大河の右側に包み込まれている。
軽く身を引いて剣を抜くことは可能ではあるが、そのほんの数秒の遅れが大河の身を危うくさせるのではないかと六華は不安になったのだ。
「俺は大丈夫だ。絶対に後れをとらない」
だが大河はあっさりと首を振る。
「本当ですか、それ?」
なにも大河の腕を疑っているわけではないが、絶対だなんて、なぜ言い切れるのか不思議だった。
「俺が勝てない存在は、この国では片手以下だ。そしてその方々は、決して自らが剣を持つことはない」
それは己の強さを誇っているような声色ではなかった。
むしろどこか諦めているような、その現実をただ受け入れるしかないというような、諦観にも似ていて――。
(決して自らが剣を持つことはない方々……?)
六華は肩越しに大河を振り返る。
「それってまるで……」
大河は六華が振り返っても見返してくることはなかった。
まっすぐに前を見た大河の目には、どんな色も浮かんではいなかった。
(あ……)
彼のこの表情を見るのは二度目だ。
一度目は久我大河と行った後宮での晩さん会。竜の皇太子である璃緋斗が会場に現れたとき、彼はこんな目をしていなかっただろうか。
そこにはなにもないと言わんばかりの、冷めた眼差し。荒れた感情を別の色で強引に塗りつぶして、なかったことにするような虚無。
六華はなぜか唐突に怖くなった。
彼が目の前にいるのに消えてなくなるような気がした。
それはそう遠くない未来で、そのことを六華は死ぬまで悔やんで、一生を終えるだろうというような――予感。
「隊長っ……」
呼びかけた声に不穏な気配があったのかもしれない。
大河の目にふっと生気が戻ってきて、ちらりと六華に向けられる。
「――そういえば。来週の水曜日、メシでもどうだ」
「えっ?」
「俺の休みがいまいち怪しくて決められなかったんだが。落ち着いてきたからどうかと思ってな。だめか?」
大河が軽く目を細めて問いかける。
「い、いえ、全然……大丈夫ですっ」
六華はぶんぶんと首を振る。それを見て大河はふわっと花が咲くように笑って、唇に笑みを浮かべた。
「じゃあ、店を予約しておく」
「はい……」
六華はこくりとうなずいた。
ただ、一緒に食事ができるなんて嬉しくてたまらないのは本当だが、なんとなくごまかされた気がした。
(いや……ごまかしたというよりも、今はその時ではないということなのかもしれない)
大河は『知りたいのに知られたくないのはフェアじゃない』と前置きをして、六華に自分の過去の話をしてくれた。
だから六華が勇気を振り絞って彼にどんどん踏み込めば、話してくれる気でいるのかもしれない。
(でも、私がそれをしないのは……勇気がもてないからだ)
正直、久我大河は謎だらけだ。
飛鳥という友人がひとりいることは知っているが、竜宮警備隊の三番隊隊長というエリート職にありながら経歴がまったくわからない。
どこで生まれ育ったのか。
両親は、家族は?
子どものころ、警備隊出身の山尾に面倒を見てもらっていたというくらいだからそれなりの身分だとは思うが、貴族の玲は『久我大河という名前を聞いたことがない』と言っていた。
一年間、空白だった竜宮警備隊の隊長職につくために突然やってきた、謎の美丈夫。
それが久我大河という男で。
そして六華の初恋で、世界で一番大事な息子の父親なのである。
いつまでもこのままでいいはずがないのはわかっているが、不安が先に立ってこれまで受け身でしかいられなかった。
(でも……このまま知らないふり、見て見ぬふりをしていていいはずがないんだ)
食事に誘われたのはいい機会でもある。
少しずつ、自分の意志で――彼を知りたい。そして彼が抱えるなにかを、理解したい。
「あの、久我さ……」
六華が彼の名を呼びかけようとした瞬間、ブーンと小さな振動が背中越しに伝わってくる。
「――ん?」
久我大河がかすかに体を動かして胸元に手をやる。業務用のスマホだ。彼はすぐにそれを耳に押し当てる。
「久我だ。どうした? ん……ああ、そうか。わかった、すぐに行く」
大河は電話を切って「呼び出しだ」と告げる。
「代わりの人間がすぐに来る」
「――わかりました」
どうやら彼と二人の時間はもう終わりらしい。
(残念だな……)
六華が彼の腕から離れると、久我大河は肩に羽織っていたコートを手早く脱いで、そのまま六華を正面から包み込む。
「着てろ」
吐息ではない。低い声が、久我大河の唇が六華の耳たぶに確実に触れた。
「……っ!」
ぎゅっと背中を抱きしめられて、六華は体を震わせたが、大河は何事もなかったかのようにさっと腕を離し、「じゃあな」と駆け出していく。
「もうっ……」
顔が熱い。めちゃくちゃ熱い。
六華は手の甲で頬や額を押さえながら、その背中を見送ったのだった。
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