第47話 疑念


 デスクが置かれた詰め所は、ほかの隊士や事務員でがやがやと騒がしい。

 だが六華と玲の間は冷えた空気が流れていた。

 行方知れずと聞いて心穏やかでいられるはずがない。


「でも……それなら問題になっているはずでは?」


 六華は必死に口を動かす。

 後宮で人ひとりが消え、自分たちに捜索依頼がないのはおかしい。

 なんのための竜宮警備隊なのだ。命を護ってこその自分たちのはずだ。

 六華は声を潜めながらささやいた。


「だから後宮は問題にしてないんだって」

「どういうこと?」


 大問題を問題にしないと言われて納得できるはずがない。

 六華は体を丸めて声をひそめつつも、玲に椅子ごと詰め寄った。


「姿を消した女官は平民だった。だから自分の意志で出て行ったに違いないと決めつけて、捜索すらしないってこと」


 玲はデスクに肘をつき秀麗な額に指をあて軽くため息をつく。


「年にひとりふたり、そういう女官が出てるってことを聞いて、耳を疑ったよ」

「えっ……」


 いくら女官が数百人働いているとはいえ、一年に数人とはかなりの割合ではないか。


「もちろん、中には普通に仕事を辞めて実家に帰ったとわかっている子もいるらしいけど。ただ出て行った人間のことは、後宮は基本的にまったく問題にはしないらしい」


 行方不明だろうがなんだろうが、いなくなったら仕事を放棄したとみなされているいうことだろうか。そしてそのまま捨て置かれる――。

 想像しただけで背筋がぞっとする。


「でっ、でも……事件性がないってどうして言い切れるんですか?」


 竜宮で働く女官たちは、いわばこの国のエリートだ。

 さらに後宮勤めとなれば、平民だろうがなんだろうが退官後でもさまざまな恩恵がうけられる。女性に人気の職場なのである。

 なんらかのトラブルに巻き込まれたとしてもおかしくないのだ。

 必死に言い募る六華だが、玲はどこか冷めた表情だ。


「尊い御方たちは、人間ひとりがどうなったってそれは些事さじであり、我関せずなのかもしれない」

「それは……」


 六華の肩が緊張でこわばった。

 冷めた表情ではない。玲は静かに怒っているのだ。

 竜の一族を護るはずの玲の言葉は不敬にあたるだろう。悪意のある人間が聞けば、処罰の対象になるくらいに。

 だが六華は彼を責められなかった。

 貴族である玲は本来竜の一族に近いはずなのに、それでも女官の安全を気遣う。本当に優しい男なのだ。


「倒れていた女官は、その失踪した女官ととても親しかったらしい。自分の意志で出て行ったなんて信じられなくて、ああやって暇を見つけてはあたりを捜索していたんだって」

「そうだったんですね……」

「もう無理はするなと言ったよ。あれでは悪目立ちする。上から目をつけられたら、後宮で働くこともできなくなってしまうだろう?」


 そして玲はくしゃりと前髪をかきあげて、ため息をついた。


「まぁ……俺の取り越し苦労で、本当に田舎に帰ったとかだったらいいんだけどね」

「そうですね……」


 六華は玲の言葉に同意するしかない。

 本当にそうであればいい。

 思ったより仕事がきつくて、発作的に竜宮を出てしまったのだと。

 今頃はしょんぼりしながら実家に戻って、両親に叱られながらも安心して生活できるようになっているのだと。

 六華は願わずにはいられなかった。




 玲との話を終えて、なんとなく重い空気のまま仕事が終わった。

 夜勤組との引継ぎをしてから六華はまだデスクについている玲にぺこっと頭を下げた。


「お疲れ様です」

「お疲れ様。気を付けて帰ってね」


 にこりと笑う玲の表情にはもう数時間前の陰りはない。

 いつもの穏やかで優しい玲だ。

 だが顔が笑っているからと言って、心から楽しい気分でいるわけではないのだろう。

 笑顔の裏で泣いていることもある。

 それを六華は大人になって知った。


(私、ずっと中身が低学年男子だったんだな……)


 悲しくても笑うことがあるなんて知らなかった。

 六華はバッグを持って詰め所を出る。

 竜宮のそばから出ているバスには職員が並んでいて、六華も最後尾に並びつつ私用のスマホを取り出した。


「あ……」


 メッセージアプリに光流から返事が届いていた。

 と言っても、妙に不細工な猫がサムズアップしたスタンプが送られてきているだけではあるが。


(なにか変わったことがあったら知らせてほしいって言ってたけど……)


 今日、玲とふたりで遭遇したことはまさにそれなのではないだろうか。


 ただ二番隊の彼が、平民の女官の失踪事件をどう思うか。

 そもそも彼がそのことを把握していたとして、それでも放置しているとなったら気が重いが――。


(決めつけるのもよくないね)


 自分と光流は友達になったのだ。

 それぞれ相手の仕事を尊重しつつも、友人としての付き合い方もあるはずだ。

 六華はスマホをぎゅっと握りなおして、指を動かした。


『今日、巡回中にね――』


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