第46話 不穏な噂


 大河と一緒に詰め所に戻る途中――。建物が見えてきたところで突然、大河が立ち止まった。何かあったのかと六華も立ち止まる。


「今度、一緒に食事でもしないか」

「え?」


 六華は目をぱちぱちさせた。


「え、じゃなくて。そんなおかしなこと言ったか。あれからなんだかんだで忙しくてそれどころじゃなかったが、お前を口説くって言っただろう」


 大河はクスクスと笑って、隣の六華を愛おしそうに見つめる。


 口説く、食事、大河とふたりきり……?

 六華の頭がぐるぐるし始める。


「あ、あの……えっと」


 正直言って、言われた瞬間は胸が躍った。

 だが今の六華に、プライベートの時間などあってないようなもので。


「夜はその……あまり遅くなるのはちょっと」


 悟朗がいるとはいえ、樹といられる時間をこれ以上減らしたくない。

 せっかくのお誘いは嬉しいが、後ろ髪ひかれる思いでそう答えると、


「それは前回聞いた。父親が心配するんだろ? だったら昼間でもいい」


 そういえば、待っている男がいるからいつも早く帰るのだろうと言われたとき、父が心配するのでと誤魔化してしまったことを思い出した。


「お前とふたりの時間が欲しい」


 まっすぐな言葉が六華の胸にぐさりと刺さる。

 好きな男にこんなことを言われて、いやだと断れる女がいるだろうか。


「ランチなら……はい……」


 うなずいた瞬間、パッと大河の表情が明るくなった。


「本当にいいのかっ?」


 声が弾んでいる。

 六華がイエスと答えるとは思わなかったのかもしれない。

 黒い瞳をキラキラと輝かせて、六華の顔を覗き込んでくる。


(顔が、近い……!)


 この久我大河という男、普段はあまり人を寄せ付けない雰囲気をしておいて、自分が気を許した相手には一気に間合いをつめてくるタイプのようだ。


「は、はいっ……」


 こくこくとうなずきながら大河を見みつめかえすと、


「マジか……正直断られると思ってた……嬉しい」


 大河は大きな手で自分の口元を覆うと、落ち着かない様子で横を向く。


「言ってみるもんだな」


 六華もまた、そんなに喜んでもらえるとは思っていなかったので、大河の新鮮な反応に甘酸っぱい気持ちになる。


(私とランチにそんなに喜んでくれるなんて……嬉しいな)


 緩みそうになる顔を引き締めるのに必死になった。


「ただ、お前と俺の出勤シフトって、今月はきれいに別れてるんだよな」


 それは六華も知っていた。警備隊の仕事は二十四時間年中無休のためそういうこともある。ちなみに大河の顔が見られたらそれだけで嬉しいと思っていた六華は、来月のシフトまで確認済みである。


「俺が休みの時に休憩中のお前をランチに誘うことにする。どうしても近場になるが、逆だとお前に負担をかけるし……それでいいか?」

「はい。大丈夫です」


 自分が休みの日はやはり家のことを優先させたいので、大河が六華の都合にあわせてくれるというのはありがたかった。


「よし。じゃあ近いうちに。忘れるなよ」


 大河はふんわりと笑って六華の頭をぽんぽんと叩くと、

「山尾先生に報告があるから」

 と、先に行ってしまった。


(久我大河とランチ……)


 ドキドキしながら、六華は自分の頭の上を手のひらで撫でる。

 背中に羽根が生えて飛んでいけそうなくらい、気持ちがふわふわとして浮かれていた。

 そもそも彼と一緒なら、職員食堂だって嬉しい。


「仕事……がんばろう」


 思わずぽつりとつぶやいていた。




 デスクに戻ると、隣の席の玲はまだ戻っていなかった。

 巡回の報告書を書き上げてたところで、玲が疲れた様子で戻ってきた。


「おかえりなさい」

「うん……ただいま」


 玲は浮かない様子でデスクに着くと、そのまま「はぁ」とため息をついて、背中をストレッチするようにのけぞらせた。それから一念発起したように体を起こすと、引き出しからチョコレート菓子を出して袋を開け、豪快に手を突っ込み口の中に放り込む。

 貴公子然とした玲らしからぬ態度だ。


「なんだかお疲れですね?」


 すると玲は軽く苦笑して、袋ごと六華に差し出し「食べる?」と首をかしげる。


「食べます」


 六華はしっかりうなずいて、チョコレートコーティングされたクッキーをつまんだ。


「女官さんは大丈夫でした?」

「うん」


 なんだか煮え切らない返事である。


「なにか問題でも」

「――実はいやな噂を聞いてね」


 玲はみけんにしわを寄せて、六華に顔を近づける。


「いやな噂?」


 なんだか深刻そうな雰囲気だ。

 つられて六華も声を押さえていた。


「後宮で、失踪事件が起こってると」

「――えっ?」

「さっき医務室に連れて行った女官から聞いたんだ。同期の女の子が二週間近く、行方が知れないって」

「……」


 六華は言葉を失った。

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