第44話 ヤキモチ
「そこの方、どうなさいましたか」
玲が先に進もうとする六華を片手で押しとどめ、五メートルほど距離をとって声をかける。
玲の声が聞こえたのか、ゆるゆると顔が上がる。
年のころは二十歳前後だろうか。愛らしい顔立ちだが、顔面は蒼白でかなり具合が悪そうだった。
「……すみません。ただの、貧血です……」
かすかに声が震えているが、怪しいところはとくに感じない。おそらく移動中に立ち眩みでもしたのだろう。
それを聞いて玲はすぐに彼女のもとに走りよると、両手を肩に乗せて上半身を抱き起す。
「歩けますか?」
「あ……」
女官は必死に立とうとするけれど、足に力が入らないようだ。
それを見て玲は、
「――失礼します」
迷った様子もなく、女官の膝裏と背中に腕を回しひょいと抱き上げた。
「きゃっ……」
突然体が宙に浮いて驚いたのだろう。女官が悲鳴を漏らす。
「僕は竜宮警備隊三番隊の清川玲といいます。大丈夫。あなたを医務室に連れて行くだけですよ」
にっこりと花のように微笑む玲はどこからどう見ても王子様だった。
最初は緊張していた様子の女官も、自分を抱き上げている隊士が実に見目麗しいことに気が付いたらしい。
青かった顔に赤みが差し、瞳がきらきらし始めていた。
「僕の首に腕を回してください」
「は、はい……」
女官は耳まで赤く染めて、おずおずと玲の首に腕を回し、胸元に頬を寄せる。
(うわぁ……絵になる……)
黙って状況を見守っていた六華は思わず不謹慎なことを考えてしまったが、今はそれどころではない。
「玲さん、私はひとりで巡回に行きます。そちらの方はお任せしていいですか」
「そうだね……。りっちゃんとのデートがここで終了になるのは惜しいけど」
玲はにっと笑う。
「なにがデートですか。仕事でしょ」
六華はくすっと笑って肩をすくめる。
「さ、行ってください」
「うん。じゃああとはよろしく」
玲はそう言うと、女官を腕に抱いたまま、元来た道を戻る。
後宮にもおそらく医務室的な場所はあるだろうが、あの中に男性が入るのはそれなりに手続きが必要で、それなら元来た道を戻ったほうが早い。
「気を付けて」
六華は念のため、玲の姿が見えなくなるまで背中を見守った。
姿が見えなくなって数秒後――。
「おい」
「ひゃっ!」
背後から声がして、びっくりして振り返ればなんとそこに久我大河が立っていた。
「くっ、久我隊長!? っていうか今、気配がなかったですよ……!」
六華はぽかんと口を開けて、大河に向き合う。
「そうか? お前がぼーっとしてただけで、気のせいじゃないか」
大河は首の後ろあたりをくしゃくしゃとしながら、切れ長の目を細めてどこか楽し気に六華を見下ろす。
「気のせい? そんなわけないです。この状況で背後をとられるなんて、剣士失格ですよ……」
六華ははぁ、と息を吐く。
少なくとも自分は今、『気を張っていた』のだ。
両腕に女官を抱いたあの体勢では、不測の事態に耐えられないだろうと、玲の背中を護っている気でいた。なのに久我大河はその隙をついて、六華の背後に立った。
気配を消すという技術があることは知っているが、それはもはや達人の域である。
(玉砂利を踏んでなぜ音がしない?)
剣士失格だと思いながらも、一方で興奮もする。
やはり久我大河は人とは違うのだ。そこになんらかの術式があるのなら自分だってその端に立ってみたいと思う。
六華はドキドキしながら久我大河を見上げる。
「いったいどんな術式なんですか?」
「知りたいか」
「知りたいですよ。剣士として当然です」
六華はぶんぶんとうなずく。すると大河はふむ、と自分の顎先を撫でて少し考え込むように首を傾けた。
「まぁ、少なくとも術式ではないな。自分は人ではない、と思い込むだけだ」
「ええっ!?」
目を見開く六華に、大河は言葉を続ける。
「そのあたりに転がっている石になればいい。人という感覚は簡単に捨てられる」
「――聞いた私が間違ってました」
自分には決して真似できそうにない。おそらく大河は天才肌なのだろう。
六華はがっくりと肩を落として、それから改めて大河を見上げた。
「ところで隊長はなぜここに?」
巡回は必ずふたり一組だ。
彼に連れはいないということは、巡回ではないのだろう。
「――ああ。ちょっと向こうに呼び出されて、その帰りだ」
大河がやってきた方向は、まさに六華がこれから向かっている方向――すなわち竜宮である。
「竜宮ですか」
「まぁな」
警備隊の隊長が竜宮に呼び出されるのは日常茶飯事だ。おかしなことは何もない。
「……」
「……」
なぜか沈黙が流れる。じゃあさようならと別れて巡回に向かうべきなのだが、大河がじっと自分を見つめているので動けなくなる。
「あの……」
たった数秒の沈黙に耐えられなくなったのは、もちろん六華のほうで。
だがそれを遮るように大河が口を開いた。
「さっき、清川のこと見てたな」
「え? ああ……」
確かに見ていたと言えば見ていた。彼と女官の安全のためだ。
「あいつが好きなのか」
「――は?」
「妬けたよ」
「――」
六華は息が止まる。
「仕事だとわかっていても、お前が見ているものに嫉妬する」
突如、風が吹き抜けて、六華の長い髪が煽られた。
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