第27話 逃げ道を塞ぐ男


(なぜこの人はいつも私の逃げ道をふさぐの~!)


 六華は目を白黒させながら、大河を見上げる。

 かろうじて体は密着してないが、どちらかがその気になれば重なってしまう、そんな距離だ。

 彼からふわっと石けんの香りがして、六華の胸は当然高鳴ってしまう。

 悔しい。そう思う自分は変だろうか。

 動揺するところを見せまいと、必死に表情を引き締める。


「……なんでしょうか」


 すると彼は真顔のまま右手をひょいと気軽に、六華の頬に乗せた。


「ひゃっ……!」

「汚れてる」

「えっ?」

「――すまなかった」


 そして大河は、その手でごしごしと――六華の頬を指でこすりはじめた。

 頬がむにむにと動くが、大河は動じていない。

 気が付かなかったが、きっとあやかしの血がついているのだろう。


(この人のことを、抱きしめたりなんかしたから……)


 いろいろ思い出すとなんとも気恥ずかしくはあるが、六華は妙にまじめな顔で顔を拭き続ける大河の手を振り払うことなどできなかった。


 そうやってしばらく拭かれたあと、


「取れました?」


 と尋ねる。


「いや、あんまり」

「ええー……そんな」


 どこか不満そうな大河の子供っぽい言い回しに六華は苦笑する。


「お前もシャワーを浴びて着替えたほうがいいな」


 大河は腕を下ろして、六華から距離を取った。

 あれほどドギマギしたのに少し寂しい。


「そうします」


 秋で肌寒いはずなのに、六華の体はひどく熱をはらんでいた。




 シャワーを浴びて予備の隊服に着替える。髪をざっと乾かしてポニーテールにして結い上げた。時間は二十分くらいだろうか。綺麗にしてもらったのはうれしいが、やはりすっぴんは落ち着く。

 脱いだドレスを、大河のタキシードと一緒に脱衣所にあるボックスの中に仕舞う。警備隊の詰め所ではクリーニングも受け付けている。そのための専用ボックスだった。


(ドレス、きれいになりますように……!)


 着ていた自分のことは置いておいても、せっかくの美しいドレスだ。六華自身、陰の気を切って切り捲ったことに後悔はなかったが、これでダメにはしたくなかった。

 バスルームを出ると、携帯電話を耳に当てた大河が立っている。


「――はい。そうです。もしかしたら……二番隊から先生宛に連絡があるかもしれません」


 電話の相手は山尾らしい。

 話しながら出てきた六華に気づいたようで、空いたほうの手で六華に『待て』と指示する。


(今日は残業決定だな……)


 日付が変わる前に帰れるだろうか。

 六華はこくりとうなずいて、とりあえずダイニングテーブルの椅子に座ってお茶を飲み、電話が終わるのを待つことにした。


「すまん、待たせた」


 隊服の上着を着た大河が、六華に近づいてくる。


「いえ、大丈夫です。デスクに戻るんですよね?」

「家まで送る」


 大河にそう言われて、六華は硬直した。


「――え?」


 一瞬、脳が誤作動を起こした気がした。


 イエマデオクル????


 正直言って、今日一番冷や汗が出たかもしれない。

 全身の毛穴がぶわっと開いた気がした。


(そ、そ、それだけは勘弁して……!!!!)


 六華はぶんぶんと首を横に振った。


「大丈夫です。隊長の手を煩わずらわせるわけにはいきませんので!」


 はっきりきっぱりと言い放つ。かなり大きな声が出て大河が驚いたが、それどころではない。

 冗談じゃない、絶対に送ってもらうわけにはいかない。

 気持ちはありがたいが家には樹がいるのだ。


「煩うというほどじゃないが」

「でっ、でも報告書がありますよね? 私を送った後に戻るなんて、時間がもったいないし!」

「報告書も山尾先生に明日でいいと言われた」

「えっ、そんなことあるんですか?」


 この竜宮というところ、とにかく書類仕事が死ぬほど多い。

 新人ということをさっぴいても、六華もこの半年でどれほどの間、デスクに縛り付けられていたか。

 戦闘要員の隊士にはきちんと事務方のサポートがついている。だが当然、実地に出ている隊士でなければ報告できない案件もある。その量が毎回大変で、六華は四苦八苦していたのだった。


「まぁ実際、二番隊が出てきた時点で、報告書は最終的に非公開になるだろう。そんなもののために時間をかけるのは無駄ってことだ」


 大河はあっさりとした口調でそう言うと


「行くぞ」


 と歩き始める。


「えっ、あ、あの、ちょっと……!」


 二番隊が出てきたら非公開ってなに!?

 いやいやそんなことは今重要じゃない!

 待って、待って、待ってー!!!

 うちはまずいの、ほんとまずいのーーーー!!!!


 六華の心の叫びは当然届かない。


「たっ、隊長っ!」


 半泣きになりながら、大河の背中を追いかけた。

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