雪灯

鳥位名久礼

雪灯(ゆきあかり)

鳥位名とりいな 久礼くれい/「ま」 共著  鳥位名 久礼 編


 闇に満たされた煉瓦の通り。裾には白い軌道が続く。

 ガス灯に照らし出された路地の雪を、今は踏みしめるブーツの足音が一つ行くばかり。

 足音は角で止まり、しばし静寂が通りを支配する。

「グレイ・ジェイド……そろそろ出番かな──」


   *   *   *


 宵の酒場。男が一人、カウンターの隅の席で飲んでいる。身軽な旅装に黒髪の男──グレイ。

 そう広くない店内には、他に数名の男がテーブルを囲んでいる。年季の入った木の梁にランプが暗く灯るが、ペチカの温もりで暖かい。

 ガラーン……

 不意に扉の鈴が鳴り、若い女が一人入ってくる。

 彼女は店内を見回してから奥へ進み、グレイの隣に座る。

「こんばんは~、なんか暖ったまるのちょうだい?」

「あいよー。兄んちゃんももう一杯つけるかい?」

「……貰いましょう」

 女……まだ少女の面影を残した年頃の彼女は、しなやかな墨色の髪に、凛とした碧鈍色の瞳を覗かせている。

 そうしている間に、女にはアイリッシュコーヒーが差し出される。

「んー、暖まる~。やっぱり寒いときはこれに限るねー」

 まもなくグレイには熱燗が差し出される。

「交易品で手に入れたヤポニヤのサケですぜ……」

 やや身を乗り出し、声を低めて囁きかける店主。

「そんな良い物を……有難く」

「へ~珍しいのねー。私も一本貰おうかしら……」

 しばらくして、女の方にも熱々の徳利が。

「んん~アツアツ♪」

 女はカウンターから徳利を取ると、グレイの方を向き、

「よければ一杯いかが?」

 徳利を目の高さに持ち上げて微笑みかける。

「……有難う、付き合うよ」

 一瞬戸惑ったグレイだが、すぐに僅かな微笑みを口元に見せて答える。

「私ちょっと猫舌なのよね、そっちのちょっとぬるくなった方を……」

 媚びたようなところが少しもない、至って気さくな表情で女は酌を取る。

「あー……」

 ふと、店主が顔を近づけて、二人に小声で話しかける。

「分かってらっしゃると思うが、ここでサケを飲んだことは……な?」

「わかってるわ、これでも一応そのスジには通じてる人間なんだから」

「?」

 暗黙のように合点する女に対し、グレイは要領の掴めない顔だ。

「んー……あなた旅の方よね?」

「ああ……情勢にも疎くてね……何かマズイのか?」

「それがね……」

「……」

 小声で口元に掌をかざす女に、グレイは耳を貸す。

「この辺は辺境なのをいいことに、マフィア共が地方官まで味方につけて幅を利かせてて、物流を牛耳ったり横暴を働いてるの……この辺では連中をかいくぐって、森林を通る昔ながらの私交易に紛れてこーいうのが取引されてるの。連中に見つかれば密輸扱いされちゃうんだけどね……」

「なるほど……それは世知辛いな」

「旅人さんは絡まれやすいから、くれぐれも気を付けてね。ま、ここにいる分には大丈夫だと……」

 ガスンッ!

 不意に、二人の前のカウンターに手斧が唸る。

「!?」

 とっさに振り向く二人。先程まで入り口付近に座ってヴォートカをすすっていた男二人が、こちらを睨んで不敵な笑みを浮かべている。

「まずったわね……」

 女も立ち上がって手斧を構え、

「あなた武器は?」

 前を睨んだまま後ろのグレイに声をかける。

「残念ながら」

 グレイはカウンターから、熱い酒を満たした徳利を取る。

「ん、上等ー。じゃ行くよ~」

「突撃~!!」

 女は敵の正面に突進しつつ、フェイントで足元にある石炭のバケツを蹴っ飛ばす。

「はうっ!??」

 男の足元に石炭が散乱する。こちらに向かって走り出した瞬間だった男達、一人はその場で見事にすっ転び、もう一人はよろけて両手をわたわたさせ回転している。

 すかさずグレイは、徳利の熱い酒をぶちまける。

「どわぁつぃーーーーー」

 見れば男の背後には、板で蓋をしただけの酒の大樽が。

「てぃゃ☆」

 女は走り去り際に、手斧の柄で男の頭を……。

「だぶごヴォシュ!!」

 男は見事頭から酒樽に突っ込む。

「さらばっ!」

「すまない散らかした」

 グレイは走り際に銀貨を置き、男の背中を踏み台に勢い良く門の前まで駆け込む。

「あ、弓忘れないでね!」

「良く分かったな」

 とっさに弓を取り、女の観察力に感心するグレイ。

「ごちそうさま~。ごめん、おいちゃん出世払いでね」

 バコンッ!

 女は扉を蹴り開けて外へ……

 と、門の正面に男3人が立ちはだかり、短剣ダガーを乱れ投げしてくる。

「やば……」

 女はとっさに、門の脇に積まれた樽の影に。

(こっちへ!)

 声ならぬ声でグレイに呼びかける。グレイも戸の陰から頷く。

(いっせーの……)

「ナイト・オブ・ファイア!」

 少女は樽の陰から炎の矢ファイア・ボルトを放つ。

「助かる(精霊使いシャーマンか……)」

 グレイはとっさに走る。女も続いて樽の影から出て走る。

 二人は追っ手を交わしつつ裏路地を走る。白く石畳を覆う雪が散る。

 とっさに角を曲がり、木製電柱に身を潜める。

 女は警戒の目線を反らさぬまま、横のグレイに声を潜めて呟く。

「とりあえず、あなたも共犯と目されちゃったみたいよ」

「実際共犯だからな……」

「私交易品を店で出したり、それをやりとりするぐらいなら、因縁付けられるくらいで済むんだけどね……」

「私の場合それには当てはまらないのか?」

「利害衝突が起こりやすい『冒険者』って人間が一番狙われるの……あなたこの辺を武装して一人旅してたでしょ? しっかりマークされちゃってたみたいね……」

 と、身を翻して再び走り出す。

 さっきまで潜んでいた電柱に、ダガーが五、六本刺さる。

「なるほど……ッ(武装しなくても安全ならそうしてるんだがな)」

「とりあえず駅に……そろそろ最終の汽車が出るはずよ」

 しばらく行くと道が開け、駅の灯りが目にとまる。

 小さめの駅舎越しに覗くホームには、汽車が一輌煙をあげている。

「(ここに居るよりマシだな)あの汽車はどこへ?」

「この地方の州都に……キルスクっていう大きな街よ。汽車が駅を出た瞬間にアタックかけるよ?」

「わかった」

 グレイは弓を構える。

 ジリリリリリ……

 バシュー……

 汽車は煙を上げ、ゆっくりと動き出す。

 いくつかの影が古い木造の駅舎をすり抜けつつ、ダガーを交わす。

「軽く足止めしといてくれる?」

「できる限り」

 グレイは追手の目の前、足元の辺りに矢を放ち威嚇する。

 その間に女は、加速しつつある汽車の最後尾に回り込み、連結デッキにロープを括りつけて飛び乗る。

 女の掴まった最後尾車両が差し掛かる寸前、

「ウィル・オー・ウィスプ!」

 追手の目の前に、光の精ウィスプのまばゆい光が放たれる。

「乗って!」

「ッ!」

 グレイは少女の声と同時に、すかさず飛び乗る。

 追手は勢い余って、立ちはだかるウィスプに突っ込み、衝撃を喰らっている。


「ふう、うまくいったみたいね」

 連結デッキの重い扉を開けて車内に侵入する。

「みたいだな、有り難う。おかげで助かった」

「ん、こちらこそ」

 この時間の上りとあって、客も閑散のようだ。

 目を丸くしていた老人と酔っぱらいには、

「あはは~……今夜は冷えるわね……♪」

 手をひらひらさせておく女。

 席に席に腰を下ろし、緊張を解く二人。

「んーと……自己紹介がまだだったわね」

 女──アイグルは、この地域の最辺境、森林地帯の奥深くに暮らすタタール、即ち森の民の生まれという。一応、「白き狼」ベルィイェヴォルキと呼ばれる諜報活動等をする密偵組織の一員とのこと。

「密偵組織と云っても大それたものじゃないの。浪人や野伏の組合ギルドとして、仕事の情報交換や助け合いとかをね……」

 グレイも、名前と大体の出身地、当ても無く旅をしている旨を伝える。

「あなたはこの国にいては危ないわ。キルスクから急行列車で国境を越えれば無難に帰れるけど?」

「そうか……アイグルはどうするんだ?」

「私はてきとーに後片付けしとくわ。もともとキルスクでちょとした事件を追ってたとこだしね。さっきの連中が殺気立ってたのもそれに絡んでると思うんだけどね……」

 それ沙汰に関しては、グレイは多少とも腕に覚えがあった。しばし窓の方に目をやると、ふと向き直って口を開く。

「……さっきの礼がしたい。それに私の撒いた種でもある。私でよければ今の話、手伝わせてもらえないか」

「それは助かるわ。まっ、どのみち一晩はキルスクで明かさなきゃダメだしね。二人だと心強いわ」

 あたかも旧知の仕事仲間のように、意外なほどすんなりと答えるアイグル。

「戦闘は得意じゃないがな」

 ポケットに入る程度の折畳みナイフを見せて微笑するグレイ。

「私だって、ほら狩道具ばっかりよ」

 森の民の意匠か、不思議な模様の刻まれた小山刀、古の狩人を思わせる手斧などを見せるアイグル。

「ふ……諜報活動に専念するとしようか」

「そーね。そろそろ着くわ」

 三十分程で、汽車は大きな街に差し掛かってきた。

 赤煉瓦造りの立派な建物が、ガス灯の灯りに立ち並ぶ。

「なかなかおっきな街でしょう?」

「確かに……しかし、我々には乗車券が無いようだ、それなりの降り方が必要だと思うが」

「あっ、そーいえば……」

 汽車は速度を緩め始め、二人に駅が近いことを教える。

「こーいう時は職権濫用~」

 アイグルは懐から黒い手帳と厳めしい紋章のバッヂを取り出す。

「……私は同僚でいいのか?」

「あーグレイは警部ね」

 なるほどその組織とは、十分立派な身分ではないか……と感心するグレイだが、

「一瞬だけ見せるのがコツよ、紋章識別できないくらいにきわどく掌で隠してね」

 アイグルは手帳をはっきりと見せる。一見それげな紋章の下に、よく見るとどこぞで見覚えのあるロゴが……。

「…………」

 中身は……敢えて見なかったことにしよう。

「一瞬見せたらすぐに仕舞うのも忘れずにな……」

「りょーかい!」

 汽車は大きなドーム状の駅舎に至り、並ぶホームの一角に入ってゆく。

 キキィー……

 進行方向に慣性を感じた後、列車は停車場に止まった。

「じゃ、はりきって行きますかー」

 ホームの端の乗降口前には駅員が立ち、乗客の切符を切っている。

 アイグルはバッヂを付けた帽子と襟元をきゅっと正し、渋い顔を作って、

「゛あー……゛゛んんっ……」

 と大袈裟に咳払いをし、他の客がほぼ降りたのを見計らって列車を降りる。

「乗車券の確認をお願いします……」

 駅員は少し眠たそうな声で白手袋を差し出す。

「゛あー、職務御苦労……」

「!?」

 アイグルは懐から例のをつぃるぁっっっっ……と見せ、

「運賃は当局から一月後に落ちるので……では大儀であります」

 眼が冴えた駅員は、

「は! 夜分御苦労様です!!」

 と俄に居住まいを正して敬礼する。

 アイグルも微笑んで敬礼を送り、去る。複雑な表情のグレイを後ろに……。


 白く広がる駅前の大通り。建物や街路樹の枝には、小さなガラスの器に入った灯りが方々に点され、色鮮やかな飾りや垂れ幕が掲げられている。夜更けとなっては静まり返った通りに、道の雪と祭の飾りが淡く灯明に輝くばかりだ。

「ニコライ祭よ、このあたりの冬至の祭」

「これだけ大きな街だ、さぞかし賑うのだろうな……。徹夜と言っていたが、この後はどうするんだ?」

 街の灯りを眺めながら、グレイは問い掛ける。

「この街には私達のアジトがあるから、まずはそこで詳しい話を聞くとしましょう」

「……そうか、私はどこかで待っていた方がいいか?」

「ううん、一緒に来てもらった方がいいわ。一応正式に助っ人として顔見せとこ。あわよくば報酬とか……♪」

「そうか……(素直に私を信用するのはさて)」

「アジトといっても普通の酒場だから……行きずりの仕事仲間が集まってるの」

 グレイの微妙な表情を敏感に察してか、アイグルは微笑んで言う。

 大通りの脇に開いたアーケードをくぐり、二人は下町へ分け入る。夜なお賑わっている酒場街を抜け、奥まった路地裏なる一軒の古びた店に入る。

「やっほー。」

「おーアイグルか。おや? 後ろのナイスな御仁は?」

 席で飲んでいた中年の男が、振り向いて微笑みかける。

 グレイは軽く会釈する。

「あ~えと、カイゼリンの酒場で会ったんだけど……ちょっち縁があってね、今の仕事手伝ってくれるって」

「ほほう? まぁ奥で飲もうぜ」

 男は一瞬グレイの方を見てにこりと微笑み、奥へと入ってゆく。

「入って。『道具』は門のトコにね」

 カウンターの脇の扉を入り、奥の間に通される。

 ここにも机がいくつかあり、やや狭い印象を受ける以外は一見表と変わらない。ただ、机に紙などを広げて話している人々が見受けられる。

 先程の男は、奥の紙を広げた机で何か考えている男の横に座る。二人も続いて同席に着く。

「アイグルか……そちらは?」

「あぁ、アイグルが助っ人を連れてきたようだ」

「グレイだ。アイグルに助けられ、その由縁で彼女と貴方達に協力させてもらいたいんだ」

 アイグルは今までの経緯を簡潔に話す。

「ま、そーいうワケだから。特にしがらみない旅人さんみたいだしね」

「アイグルの仕事仲間のセルゲイだ。よろしゅう」

「ヴラドだ」

 先の男と、席にいた男が順に名を名乗る。

 アイグルは店内にいる仲間達を眺めながらふと思う。いつもより人が少なく、いるのは情報収集や管理担当の者達ばかりで、その面持ちもどこか緊張している。

「んー……今度の仕事はそんなに大変なの?」

「ああ、二人が来る少し前、急に連中の闇取引が今夜あると情報が入ってな。腕の利く奴で偵察に向かったんだ。定時連絡からするとまだ取引は始まってないようだが」

 セルゲイが答える。なるほど彼の他に酒を入れている者がおらず、紙を広げて話し合っている理由を察するグレイ。

「面白そうな話ね……で、セルゲイさんは?」

「俺ぁ参謀さ、上官は基地に控えてるもんだぜ」

「……酔っぱらいはお留守番ってコトね」

 と不意に、表の店から焦った声が響いてくる。

「あんた大丈夫かよ!? 医者の所行った方が……」

「奥に診療師がいる!」

「怪我人? 私も手伝うよ?」

 アイグルはドアを開けて表を覗く。ヴラドは机の上の物を手早くどける。

 勢い良く扉が開かれ、怪我人が二人の店員に抱えられてこちらの部屋に入って来る。

「こっちだ」

 ヴラドは先程の机に怪我人を乗せる。

「どれどれ……」

 肩に刺さった矢は深く、他は浅い切り傷だが、いかんせん数が多いので出血も馬鹿にならないことをアイグルは見定める。

「あちゃー……こっぴどくやられたね……」

 息も絶え絶えに、男は起き上がろうとしている。

「布とヴォートカを……あー、じっとしてて……!」

「ッッ……」

 何か喋っているようだが、虫の息からの言葉はうまく聞き取れない。

「動いちゃダメ……なに……?」

 しばし呼吸を整え、男は口を開く。

「零時……辺境急行……連中、ファイルを持って……ザルツァが追ってる……」

「え……」

「わかった……良くやったな。後は任せろ」

 ヴラドは男の声を聞くと、診療師に手当てを始めさせる。

「セルゲイ、早馬が二頭いたな?」

「すぐに用意しまっせ!」

 セルゲイは外に出ていく。

 ヴラドはアイグルの方に向き直り、真剣な面持ちで話す。

「アイグル、近頃連中が不穏な殺気立ちを見せているのは知っているな」

「ええ」

「それに深く関わる極秘書類の存在を、以前から我々は睨んでいた……。時間が無いので話は手短にしたい。すぐに馬を使えば汽車に間に合うはずだ。行ってくれるか?」

「りょーかい! グレイ、手伝ってくれる?」

「その為にいる」

 グレイは相棒のナイフを器用に踊らせる。

「そう来なくちゃ! じゃ、迅速出陣ね!」

 セルゲイが裏口から戻って来た。

「用意できたっ!」

「了解!」

「ザルツァは少し前に仲間になった、信用できるヤツだ。今夜の件の情報も奴が持ってきたんだがな」

 馬に乗る二人に、セルゲイは言う。

「んー……まっ、会えばわかるよね」

 流石タタールの出身、アイグルは巧みに馬を乗りこなす。

「……零時だ」

 グレイは懐中時計を出して、隣を走るアイグルに言う。

「もう時間じゃない……」

 と、辺境急行なら、直接駅に向かうより列車の通る線路の方が近い事を閃くアイグル。

「……こっちよ、見えるわ!」

 駅へ向かう通りから逸れ、線路に向かう道の方に舵を切って走る。

 郊外の建物も疎らになる辺りで、蒸気を吹く列車を見つける。どんどん加速しているようだ。

「いっくよー!」

 線路に沿うように舵を切り、馬を駆り立てる。徐々に列車に近づく二頭、その間も列車は加速を続ける。

 柵を跨いで線路に踊り込み、最後尾に向かって一気に距離を詰める。

「一か八か……グレイ、勝負かけるよ!?」

「ああ!」

 アイグルはピッケルを括りつけたロープを構える。

 最後尾の車両に差し掛かったところで列車に迫り、タイミングを見計らい、車両の上枠あたりめがけてロープを投げつける。

 最後尾の手摺に絡みついたピッケルの金属音は汽笛に巻き込まれ、アイグルの手にはピンと張ったロープの感触が伝わる。

「よっし!」

 ロープをぐっと引いて手応えを確かめ、

「じゃ、先に行くからこれ持ってね」

 ロープの末端をグレイに投げ、

「っっ……!!」

 ロープを握り、狙いを定めて飛ぶ。

「……っと……!」

 連結部分に乗り移り、縄を車体にしっかり括りつけて、ぐっと掴む。

 グレイを乗せた馬は徐々に汽車から引き離されてゆく。

「縄を手繰り寄せて! 張りつめるまで引いてから、一気に……!」

「っ!!」

 グレイもしっかりと縄を握り、タイミング良く飛び乗る。

 次の瞬間、汽車は橋に差し掛かり、街灯りを背にして走り去ってゆく。


 様子を伺いつつ、連結の扉をうまいこと開けて車内に侵入する。

 最後尾は郵便車のようだった。車内は光源でいくらか暖かいが、赤帽の姿などはなかった。

「今度は誰も乗ってなくてよかったね……前回はまだスリリングな駆け込み乗車ぐらいで済んだけどね」

 二人は辺りを見回しつつ次の車両へ。客車の乗降デッキで、客室は中扉で仕切られている。

「さてと、ザルツァさんってのを探さなきゃね……」

 あたかも今デッキから戻ってきた乗客のように、何喰わぬ足取りで客室へと入る。

 三等車のようだ。向かい合った座席には幾人かの乗客がいる。踞って寝ている人が殆んどで、二人に関心を持つ者はない。

 アイグルはそれとなく乗客に眼を向けるが、それらしき姿はない。辺境方面の夜行列車とあって、乗客もまばらだ。差し当たって殺気らしきものも感じられなかった。

 次の車両は寝台車。こちらもまばらにカーテンが閉まっているばかりで、空席が目立つ。いずれにしても皆寝付いているのだろう、静寂に包まれていた。

 その次は個室車両のようだ。扉が並ぶ通路に人影は無く、ただ天井のランプが揺れているばかりだ。

「用もないのに個室乗り込むわけにも行かないよね……」

「バッヂも止めておいた方が良さそうだな」

「ん、またアレやる? 今度は車掌さんかな」

「……」

 アイグルはまた懐からよくわからないバッヂを取り出し、帽子に装着。ついでに黒いポーチを腰に装着。

「こんなんで大丈夫かな?」

「見事だ、しかし乗客リストは本物の車掌しか持っていない」

「そーね……検札ももう終わってるかな」

「後部車両から来たんだ、すれ違いはないだろう。前にいると思う」

「そっか、チャンスかも??」

「何の手掛かりも無いなら当たってみてもいいだろう」

「ん~、一計があるわ。試してみましょう?」

 アイグルはリュックの荷物を確認。木彫りの人形やら小物類やら、謎のモノが入っている。

「作戦変更、これで行けるわ」

「……?」

「はい、グレイはこれね」

 不思議な模様が刺繍された丸帽子を被される。

「似合うじゃない♪」

「??」

 頭の上なので目視できず、そーっと帽子を触っているグレイ。

「『こんばんは』は“Нозгубки”だからね。じゃ、とりあえず行ってみよー」

 こんこん

 一つ目の個室を叩く。

 …………。

 反応は返ってこない。

「……誰もいないのかしらね?」

 扉に耳をあてがってみる。耳を澄ましても物音は聞こえてこない。もっとも汽車なので小さな音は聞き取りにくい。

「んー……無理もない、か」

 扉は二つきり。よって個室はそれなりに広いと思われる。

「次行ってみましょう」

 こんこん……

 やはり反応は無い。そして、

「……」

 少し解せない顔をしたグレイにアイグルは気づく。

「あ、挨拶マニュアル、発音がよく聞き取れなかった? わかりやすく発音すると『ノズグブキ』って感じね。わかった? じゃーもう一度……こっちが名乗らないから反応しないのかも知れないからね」

 こんこん

「こんばんは、ノズグブキ~……」

「…………」

 虚しく流れる沈黙しか帰ってこない。

「うーん、どーなってるのかしら……しょーがないわね、次行ってみようか……」

 最後、一号車もまた個室だった。ただ、今度は多数の扉が並んでいる。こちらは全て空室だった。鍵がかかっていないのですぐに分かる。

「車掌に乗客名簿を見せてもらえばいい」

 廊下の突き当たりは、重い感じの扉で行き止まる。〈車掌室〉扉に付いた磨りガラスの窓からは光が漏れている。

「そーね、今度こそはりきって……!」

 こんこん

「ノズグブキ~……」

 カチャ……と扉を開け顔を出した車掌は、どこか眠たげだった。

 対するアイグルは水を得た魚、むしろ魚を獲た釣り師のように目を輝かせる。

「旅情溢れる夜行列車の旅、いかがお過ごしで? さてお持ちいたしましたは、辺境の民芸品にキルスク名産ミルクキャラメル云々……旅のお供にお一ついかがです?」

(なるほど、これをやりたかったのか……)

 と、やっと納得して嘆息をつき帽子を取るグレイ。

 一方、車掌はやはり眠そうに答える。

「……どうしました?」

「あ…あはは……いえ、こんばんは……」

 少し残念そうなアイグルだが、すぐに表情を戻し、

「ちょっと伺いますけど、乗客で『ザルツァ』さんという方はいませんかね? 乗り合わせる約束をしていたんですけど……」

「……少々お待ちを……」

 やる気の無い後ろ姿を見せながら、車掌はパラパラと帳簿を捲る。

「すみません~……あ、よければこれどうぞ♪」

 懐からキャラメル箱を取り、一つ差し出す。

 もぐもぐ……相変わらず眠そうなしぐさで食べる車掌。

 しばらくして、車掌は答える。

「あー、乗客リストには載ってないですね」

「そうですか……どうもでした」

 アイグルはお辞儀をして去る。

「おっかしいわねー……? はっ……もしや裏ルートで乗ったかな……?」

「アイグルの組織の人間だ、ありえるな……」

「反応がない個室が気になるわね……」

 個室二部屋の車両まで戻ってみるが、通路は相変わらず静まり返っている。

「……ではこの車両は任せてもいいか? 私はもう一度後部から調べて来る」

「そーね、お願いするわ」

 アイグルはそっと一方の扉に寄り、中の空間に通じている風の通路が多少なりともないか探る。

 幸い扉には鍵穴があった。

「ん~……」

 手をかざす。微力ながら風が通じているようだ。

「どれどれ……」

 扉に聴診器をあてがい、周囲の音に敏感になったアイグル。彼女の耳には人の物とおぼしき足音がしっかりと聞こえた。しかしそれは部屋の中からではない。

「……!?」

 ほんの数メートル先から二人分の足音に気づく。

 アイグルは音のする方を振り向きつつ、コンタクトレンズを探しているふりをする。

 車両の前後からアイグルを挟むように、慎重に、しかし確実に彼女に迫って来る。僅かばかりの殺気を放って……。

 何の変哲も無い背格好の男が二人。ただ、手に握ったダガーがそれらを台無しにしている。

「っ……!!

 …………こんばんは……♪」にこ♪

 アイグルはあくまで平静に微笑む……手のダガーなど見えていないかのように。だがしかし、さりげなくも確実に構えの姿勢を取る。

「……」

 男はただアイグルを注視しながら近づいて来る。彼等の目はアイグルには見覚えがある。命のやり取りをしているときのそれだ……。しゃがんでいるアイグルが動こうものなら、すぐにでも斬りかかって来そうな雰囲気だ。

「♪こ…こ…こんたくと~は…っと……」

 アイグルは謎の歌?を呟きつつ、腰の脇で背後の戸を人差し指でくりくりとしている。

「む~……」

 その間に背中で隠して印を切り、

「……あ!! 天井に直径1mのコンタクト!!!」

 不意に叫ぶと同時に、アイグルは隠遁術インビジビリティを試みる。

 が、彼女の叫びを聞いた途端、男達は全身のバネを駆使してアイグルに駆け寄る。フェイントは通じなかったようだ……。

 と、一瞬のイニシアチブをせめぎ合う彼女と男達に思わぬ外的要素が介入する。アイグルの背にしている扉が急に開き、彼女は部屋に滑り込む。

「!!…………」

「広くはない汽車内で歩き回れば多少なりとも目立つものですよ」

「あなたは……」

 アイグルの後ろには男が一人立っていた。

「未成年者略取未遂で逮捕ーー!!」

 びしっ!

 アイグルは男を力強く指さす。

「……ってね、冗談よ」

「……これは失礼を、私はザルツァと申します、名前はご存知のはずですね?」

 男は微笑(苦笑?)と共に話掛けてくる。

「話には聞いてるわ……やっぱりここね、探したよ」

「今回は別行動と聞いてましたので、接触する気は無かったのですが……急いでいるようでしたので」

 ザルツァは気品溢れる会釈をする。

「早速だけど、詳しい状況を聞かせてくれるかしら?」

「分かりました、情報交換を……。先ずは、どうぞ」

 アイグルを備え付けの簡易ソファーへ促す。

「ありがと。急ぎだったから、詳しいこと聞いてないの」

 グラスに注いだワインを渡し、彼は話し始める。

「お二人の探している物ですが、私の調べたところ一般乗客に紛れた連中の一味が保有しているようですね。ちなみに隣の部屋は先程の二人組が借りています。さしずめ連中の護り屋といったところでしょうか」

「ふーん……三等席の乗客に紛れてるってことね?」

 彼は無言でコクリと頷く。

「さっきは本部に大層なおもてなしを受けて帰ってきた人がいたけど……何か接触があったの?」

「はい、私ともう一人は連中の計画を察知しましたが、何分時間の猶予が無かったので……私がこの汽車に乗り込み、彼には本部に連絡を入れに行って貰ったのです。貴方達がいるところを見ると彼は無事本部に帰れたようですね」

 ザルツァは少し事務的に話す。

「だいぶん悪運がついてたみたいだけどね……」

 と、アイグルは苦笑する。

「……無事なら結構です」

 ゆっくりとワインを飲みながら話すザルツァ。

「で、問題のお客さんの見当はついてるの?」

「はい、私もここで酒を嗜んでいた訳ではありませんからね」

 と、アイグルは不意に廊下から足音を感じる。

 音の主は急いでいるのか歩調が早い。

「誰か来たみたい……」

 アイグルはそっと扉に寄り、耳を傾けて様子を伺う。

 足音は、廊下の中央で止まる。

「相方かも知れないわ、出てみていい?」

「その件ですが、少しよろしいでしょうか」

 ザルツァは慎重な面持ちで口を開く。

「ん……なに……?」

「はい……あなた方は先程も扉の前で探ってましたね?」

「ええ……」

「今となっては申し訳ないと思いますが、この部屋を調べられている時、私は気配を断ち二人をやり過ごしました。それは二人が協力者だと知らなかったからです……」

「あ……ごめんなさい、私達も何も情報がなかったから」

「いえ、その事を言っているのでは無いのです。あなた方の正体は同じ組織の私ですら知りようがない……ならば何故貴方は先程連中の襲撃を受けたのです?」

「……車内をまさぐっていたから、ってだけの根拠じゃないってコト……?」

「……失礼を承知で言いますが、先程の貴方の相方……以前からあまり良くない噂を耳にしていたもので……考えたくは無いのですが……」

「……あなたも彼について何か情報を……?」

 間に、外の足音は汽車の方へ消えてゆく。

「この国に来てからの彼の足跡は少し知ってるつもりだけど……連中にマークされてるみたいだったから、カイゼリンで接触したの……」

 そう、酒場に彼女がやってきたのは偶然ではなかった。

 ──連中が目を付ける旅人がいる……私の知るところでは、彼は重要人物だ。まずは観察、見極めるのだ。判断によっては接触、保護──

 アイグルは脳裏でヴラドの言葉を反芻する。

「個人的な伝手からの情報ですが……西の方で厳重手配されている凶悪四人組がいるのですが、その中に『グレイ』という名を確認しました」

「あ~……! 聞いたことあるかも……もしかしてドロレス一味……とかいう連中……?」

 アイグルは一瞬考えるそぶりをしたあと答える。

「ほう……博識でいらっしゃる。極悪非道な、羽をもつ悪魔と伝え聞きます」

「彼があの盗賊殺しロバーズ・キラーとか殺戮者達スレイヤーズとか恐れられた……でも、この国に来てからずっと単独だったみたいよ。その一味も東方に姿を眩ませてから話を聞かなくなったと聞くけど」

「貴方が連中に敵と悟られる情報源は……私ではグレイ氏以外思いつかないのです……」

 少し残念そうに言い放つザルツァ。

「……で、これから彼に対してどう対応すると……?」

 アイグルはややためらい混じりで言う。

「……彼が連中の間諜という証拠もありませんし、先程の話は私の憶測の域を出ませんので……」

「私は彼の情報を少しは前もって聞いてるし、ちょっとだけど行動を共にしたわ。とりあえず、連中のサイドの人間とは極めて考えにくいし、過去はどうあれ、私達に敵する理由も見当たらないわ」

「そうですか……しかし仲間すら疑っては連中とさして変わらなくなってしまいますね……。いえ、先程の話は胸の内に仕舞って下さい」

 ザルツァはグラスを置き、大げさなそぶりで襟元を正す。

「私だって子供じゃないわ、私なりに見極めてから仲間になってもらったつもりよ」

 と、再び廊下から足音が聞こえてくる。歩幅、独特の歩調は先程の主だとアイグルは感じる。

「さて、お客さんみたいだけどどうすればいいかしら?」

 お好きなように、という仕草で答えるザルツァ。不思議と嫌味は感じなかった。

 アイグルは軽く微笑んで、扉に向き直る。

 鍵穴あたりに近づき、

「あー、ノズグブキ……?」

 ややわざとらしく呟く。

「……Нозгубки」

 と溜め息交じりに返ってくる。

 アイグルはドアを開ける。立つのはやはりグレイその人。

「お帰り。探した?」

 微笑み、素早く部屋に招き入れるアイグル。

「……」

 グレイは何ともいえない表情で答えると、部屋に入る。

「ごめんね……あ、こちらがザルツァさんよ」

 グレイに気遣うように目線を配りながら、アイグルはソファに腰掛ける。

「……はじめまして」

 弓を壁に掛け、自らは座らずザルツァに会釈するグレイ。

「何かわかった?」

 掛けなよ、というそぶりを見せつつアイグルは言う。

「郵便車の荷物が気になったので調べていたんだ。中身は刀剣や鎧だったよ。木箱には『ガラスにつき注意』と書いてあったが……。それと、途中で戦闘になった」

 立ったまま話すグレイ。

「そう……気になる話ね……敵はうまく撒いてきたの?」

「連結口を塞がれたから、一人は手傷を負わせて撒いた。もう一人は判らん」

「私もこの部屋の前で挟まれたわ……きっと同じ連中ね」

 と、アイグルはグレイに違和感を覚える。斬り合いになった筈にも拘わらず、彼には傷一つ無い。衣服すら汚れていない。傷を与えたのなら返り血を浴びなかったのか?

 その疑問を持った直後、グレイはザルツァに向き直る。

「それと、ライターをこの車両の手洗いで見つけた。恐らく置き忘れた物だろうが、貴方の物では? 名が刻んである」

 懐から古びたオイルライターを出す。

「ああ、そういえば」

 ザルツァは胸ポケットに手をあてながら言い、

「ありがとう」

 ライターを受け取る。

「で、何か目星は付いたのか?」

 ザルツァはグレイに事の次第を話す。

「そういう訳なのです。恥ずかしながら私は情報収集しませんものでしてね。連中には護衛が二人いたようなので、あなた方を待っていたのです……。それで、あれを持っている奴は三等車両の一番前の席に座っています」

「三等車両の一番席……」

 アイグルは記憶を辿る。帽子を深く被り、灰色のコートを着た人物が確かにそこに座っていた。

「あー……あの人かな、分かったわ!」

「どうする?」

「阻止するのが目的よね、でも私達もう顔が割れてるわ……ばれないようにして張り込むしかないかしらね」

「既に二度仕掛けられたんだ、待つ必要は無いだろう」

 意外にサラッと言うグレイ。

「……いっちょ勝負かける?」

 アイグルは口元にのみ笑みを浮かべて言う。

「グレイ氏が一人弱らせてくれたようなので、利はこちらにあるようですね」

 ザルツァは不敵な笑みを浮かべる。

「ザルツァさんは?」

「僭越ながら、私も多少戦力になるでしょう」

 ソードブレイカーを握り締めるザルツァ。

「心強いわ」

 アイグルはグラスに残っていたワインを飲み干し、

「グレイ、怪我は……ないみたいだけど……随分きれいに倒したのね……?」

 何かを伺うように慎重な目で聞く。

「……ナイフの柄で強打したから。余り腕の立つ相手じゃなかったからな」

 表情を崩さずに答えるグレイ。

「……そう。じゃあもう一人は強いかも知れないわね」

 僅かに不審な表情をしつつ、アイグルは立ち上がって弓を取る。

「コートの男ですが、カイゼリンから尾けていますがただの商人のようです。手荒い事は苦手でしょう。……連中が不利を悟り目的の物を処分する可能性もあります。早く確保した方が良いのでは?」

「そうね、行きましょうか」

「幸い最後部の郵便車は無人です。争い事になっても一般人を巻き込まずに済みそうですね」

「ああ……」

 手早く弓の弦を調整しているグレイにザルツァが言う。

 外の安全を確かめてから、そっと戸を開ける。

「戦える敵は一人だ、心配ないよ」

「ええ……」

「そうですね……車掌に事の次第を説明しておいた方がいいかもしれません。あと、念のため隣の部屋も調べておきませんか? 連中が借りていた部屋ですし……」

「そうね。じゃ、まずは車掌に話をつけときましょうか」

 と、アイグルは後ろに気配を感じる。

「……!」

 あまり警戒心を表に出さないようにして振り向く。

「!?」

 先程アイグルを襲った男の一人だ。見つかったと見るや後部に向かって走り去る。

「おや、訪ねてきてくれるとは嬉しいね……」

 行こうか、と同意を求めるように、アイグルは軽く一瞬仲間に目をやる。

「グレイ氏は車掌と連中の部屋を!」

 と叫びエモノを抜くザルツァ。グレイは視線でアイグルに問いかける。

 アイグルは軽く頷き、男を追って走り出す。

 グレイは前部へ、アイグル、ザルツァは男を追って後部へ駆ける。

 アイグルは男の背後から弓を放つ。丁度良くドアを閉める男。鉄の板に矢は弾かれる。

「三号車に逃げ込んだわね」

 すかさず後を追う。確かここは皆寝静まっていた寝台車だ。

「せーの、でザルツァさんが戸を開けてね……」

 扉の両端に分かれて張り付く。

「せーの!」

 ガタピシ!!

 電源が落とされたらしく、車内は闇に包まれている。

 アイグルはすかさず進み出て、車内を見定める。

 ビュン!!

 闇を斬る唸り。

 それを聞くか否か、すかさずアイグルは壁の非常灯スイッチを入れる。

 同時に、高速で彼女の目前に迫り来る物が照らし出される。

「っ……!!」

 潜んでいた扉の陰の方に、さっと身を僅かに反らす。

 矢が首元の髪をかすめて背後の戸に当たる。

 ぱら……髪が数本切れる。

 非常灯のおかげで車内は物を見定められる程度に照らされる。

「チッ……」

 男は空のクロスボウを投げ捨てて四号車へと入ってゆく。

「させないわ!」

 アイグルはウィスプを扉めがけて放つ。

 シュバッ!

 アイグルの背後から繰り出された短剣がウィスプと当たり、一瞬激しいフラッシュが場を支配する。

「すまないッ」

 詫びるザルツァ。

「あちゃー……しょーがないわ……」

 男はノブに掴まったまま、なんとか四号車に入りこむ。

「おいっ、感づかれたぞ!」

 扉の向こうから聞こえてくる。

「ひるんだわね、突撃ー!!」

 アイグル達も四号車、即ち三等客車へすかさず踏み込む。

 灰色のコートの男と先程の男が、後ろに移動している。

 乗客は大半が寝たままだが、半目を開けて怪訝に顔をしかめている者もいる。

「どちらにせよ、次で最後尾です」

「逃げられるとまずいわ! ザルツァさんはコートの男を取り押さえてみて!」

「しかし、ここであまり騒ぎを起こす訳には……」

 座席に挟まれた通路の狭さと揺れもあって駄々走りする訳にはいかない。その間に男共は端の扉を出る。

 一歩遅れてアイグル達もデッキに踏み込む。男共は連結を隔てた郵便車の扉を開けようとしているところだ。

「少しでも足止めになるかしら……!」

 アイグルは郵便車の扉付近にウィスプを投じる。

 無理に進もうとしたコートの男は左足にウィスプを喰らい、びっこを引きながら何とか郵便車へ転げ込む。

「逃がさないわ!! ザルツァさんも急いで!」

 二人もすかさず追いかけて郵便車へ。

 男は車両の真中で止まると、アイグルの方に向き直る。

「止まりなさい! 尋常に勝負よ!!」

 そして何故か不敵な笑み。根っからの悪人面であるそれはアイグルに不快感を与えるばかりだ。

「ザルツァさんはコートの男を狙って接触してみて。やばくなったら私もそっちへ行くわ!」

 アイグルは前を見定めたまま、小声で後ろへ話しかける。

「尋常に、とは、我々には合わない言葉ですね」

 と背後から返ってくる。

「……!!?」

 クロスボウを手にしたザルツァは、確かにアイグルを狙っている。

「……あなた……!」

 素早く体勢を横向きにして、ザルツァの方にキッと横目をやり、口元だけ微笑む。

「誰でも信用するのは、あなたの組織の悪い癖ですよ?」

 ザルツァも笑みを絶やさない。追ってきた男も大振りの手斧を構えてニヤニヤと笑っている。

「忠告ありがと、でもそれは余計なお世話よ」

「きっと来て下さると思っていましたよ、取引という情報を流せば……」

(新入りって言ってたからちょっと引っかかってたけど……ヴラドさんのことだから、さては周知の上で……)

 アイグルは心で呟き、

「ナイスアイディアね……」

 不敵に微笑む。

「ああ、それと……幾ら待ってもグレイ氏は来ませんよ? 全てのドアに内側からチェーンキーをかけましたからね。もう一人の仲間が足止めを──腕の立たない手傷者と? いえ、その時までは本気を見せない計画なのですよ」

「随分と周到ね……」

「彼は一人にしてから……そう、我々の用は彼なのです」

(グレイを……)

 アイグルはほんの僅かに怪訝と不安の表情を滲ませる。

「実際こちらも焦っていたのですよ。グレイ・ジェイド──彼は危険人物だ、今ある計画を進める我々にとって……そこに貴方の組織が近づいていったのですから。我々にとっては副利益ですが、賞金も懸かっていますしね」

「賞金……おいしい話じゃない?」

「彼さえお譲りいただけば、貴方にご用は及びませんが?」

「そんなおいしい話、私が手放すと思う……?」

 表情を崩さず、微笑みに似た睨みを返すアイグル。

「……分かりました。それでは、始末する前にもう少し貴方の余裕を切り取ってからにしましょうか……」

 ザルツァは胸ポケットからオイルライターを取り出してまじまじと見る。

「これはザルツァ氏の物のようですね……ご丁寧に名が彫ってあるじゃないですか……クク」

「……!?」

「お解りですか? 彼の相棒が息も絶え絶えに帰ったのに、何故ザルツァ氏が無事この列車に乗れるのです??」

 不気味に微笑む、ザルツァ(?)。

「……だいたい解ったわ。で、ザルツァさんは今どこ?」

「何も知らない彼は、実に有効に動いてくれました……。彼は……既に私自ら息の根を止めたんですよ」

「……よ~く解ったわ」

 と、クロスボウの引き金に力を込めていくザルツァ。

 ふと、アイグルは列車が右に傾きかけているのを感じる。それは本当に些細な横Gの変化だが、彼女の鋭い感覚は誰よりも早く、列車がじきに急カーブに差し掛かることを察知する。

(……!!)

 アイグルはタイミングを慎重に見計らい、

「んー、でも始末なんてことは、はぐれ狼にでも任せときなよ……!」

 不敵に微笑む。直後、車輪の軋む音とともに、車体がぐらっと傾く。

 瞬間、ザルツァの手元のクロスボウに向かって小山刀を投げ、すかさず二人の男の方に身を翻すアイグル。

「!?」

 射出直前、ザルツァの手の甲をかすめた小山刀。照準の狂った彼の矢は明後日の方へ飛んで行く。

 アイグルはすかさずコートの男に詰め寄る。片足にダメージを負った男がよろけたところに、アイグルは素早い動きで彼の茶封筒を取り上げる。

 と同時に、もう一人の男が体勢を建て直し襲い掛かってくる。

 ガシャーン!!

 ザルツァの後方に、ガラスを割り勢い良く飛び込んで来た影をグレイだと認識するのは、アイグルの戦闘中に放つ集中力を以てすれば容易いことだった。

「!!」

 アイグルは腰をかがめた斜め姿勢のまま滑り込むように止まり、左手の先を床に添えて向き直る。

 短刀を構えたザルツァは一瞬、状況判断力が鈍る。

「……」

 アイグルに無言で答えるグレイ。鋭い眼の中に彼女への敵意は感じ得ない。

「……!!」

 アイグルも力強く微笑みかける。

 男は重量のある手斧を大きく振り上げ、アイグルめがけ一気に振り下ろす。

 アイグルは床に張り付く姿勢を崩さないまま、男の右脇に入る形で滑り込む。

 ゴガァ!!

 木張りの床に斧がめり込み、男は一瞬硬直を見せる。多少無理な体勢で放ったので、懐にいるアイグルをあまり良く確認できないようだ。

「……!!」

 アイグルはすかさず、脇から手斧の峰を構えてしたたかに振るう。

「ぐっ……がぁ!!」

 両膝を着き、踞るようになった後、男は気を失った。

 アイグルは体勢を立て直し、グレイの方を見定める。

「少しだけ早過ぎましたが……よろしい!!」

 無駄を省いた動作でグレイを斬りつけるザルツァ。

(シッ!)

 グレイは声の無い気合と共に下段から上段へナイフを一閃。体ごとザルツァの背中に回り込み、逆手に構えたナイフの柄で後頭部に強打を加える。

 アイグルは立ち上がってグレイの方へ近寄りつつ、

「ちょっとごめんね~」

 フェイントでコートの男に手斧のラリアットをかける。

「ヒィーー」

 出入り口に向かい一目散に逃げようとする男だが、足の怪我が竦んでいるのか、あまり速くない。そのままアイグルのラリアットに撃沈される。

「ふぅ……」

 ナイフを逆手に構えて踞ったまま気を失っているザルツァ、斧を抱えて俯せで横たわる男、積み荷に持たれかかる形で動かないコート男。車内に立っているのはアイグルとグレイだけだ。

「とりあえず……シバくかな…♪」

 ロープを取り出すアイグル。

「……」

 慣れた手つきでナイフを仕舞うグレイ。

「お疲れ様……!」

 縛き上げたのち、アイグルは革手袋の右手を差し出す。

「お互いに、な」

 力強く握手を交わす二人。


「そういえば、もう一人の敵は片づけたの?」

 アイグルは思い出したように訊ねる。

「ああ……手傷を負わせて撒いた、と言ったな? 実を言うとあの時点で、寝台車に寝かせておいたよ。計画がどうのと寝言を言ってたがな」

 グレイは少し悪戯っぽい笑みで話す。

「!……フフッ……」

 アイグルは緊張のほぐれた笑顔を見せる。

「極秘書類って結局なんだったのかしら……」

 封筒を開けてみる。『雪山聖大戦ヒマラヤ・ジハード─Reloaded』……映画のチラシのようだ。

「……パチモンか……」

「そのようね……」

 アイグルは車窓から紙の束を放つ。闇に紙が舞い流れ去る。

 そうしている間に、汽車は次第に速度を落としてゆく。

 深夜ながら、沿線にぽつりぽつりと灯りが見える。途中駅が近いようだ。

「夜が明ける前に降りないとややこしくなりそうね。例によって切符も持ってないし……」

「……賛成」

 アイグルは紙に「私がやりました」と書き、偽ザルツァの額に貼る。

「私達はやってにゃーい♪ よね?」


 汽笛が夜闇にこだまして、汽車は静まりかえったホームにゆっくりと停まる。地方都市程度の街のようだ。

「……っ、と」

 ホームに降り立つと、ちらちらと雪が降っている。

「……雪だ……」

 駅舎のガス灯が、静かに舞い落ちる雪を暗く照らし出す。

 しばしののち、汽車は今一度汽笛を鳴らし、雪の中に消えていった。

「これからどうするんだ?」

「そーね……私もずっと旅してるの。ここまで来たら、キルスクへはしばらく戻らずにどっか旅するわ。せっかくの無賃乗車だからね♪ グレイは?」

「元々宛の無い旅をしてる……ふらふらと巡るさ」

 アイグルは、グレイの口調が心なしか柔らかくなっていることに気づく。

「ん、私と同じね」

「そのようだ」

 微笑みを交わす二人。

「こんな時間じゃ宿屋も開いてないわ。仲間の店なら入れてくれるかも……夜明けまで一息ついていかない?」

「……では、付き合わせてもらおうか」

 二人の去った駅舎には、再び雪灯りばかりが静寂に包まれて舞っていた。

 FIN...


   *   *   *


P.S.

「そーいえば、グレイの昔話聞かせてよ……♪ いろいろあったんでしょ? 羽付き悪魔がどうの……って話を聞いたけど」

「うっ……そんな話を……(あの羽付き悪魔め……)」

 悪戯っぽく微笑み掛けるアイグルに対し、ギクッと苦笑して目を反らすグレイ。と、踵を返して雪の道を駆け出す。

「あっ! 待てー賞金~~!!」

「!!?!…………」

 その話は、またの機会があれば……。


・原案協力…「ま」氏 に感謝致します。

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