ポケットの中

イネ

第1話

 明日、みっちゃんはお兄ちゃんと二人だけで新幹線に乗って、おばあちゃんの家に行く。ずっと楽しみにしていた夏休みの大冒険。けれども、ちょっぴり不安。

「寝坊したらおいて行くからな」

 お兄ちゃんは腕組みして怒鳴った。

 とってもいじわるなお兄ちゃん。いたずらが趣味で、いつだってこっそり、みっちゃんのズボンのポケットに石や泥だんごを入れる。ときどきならアメやビスケットが入っていることもあるけれど、泥だんごのほうがずっと多い。冬なら雪玉も入れる。

 いたずらが成功して、みっちゃんが猿みたいに「キーッ」とくやしがると、お兄ちゃんは決まって「うおぉぉぉ」と勝利の雄叫びをあげるのだ。

 大人はもっとお兄ちゃんにきびしくしなくちゃいけない。みっちゃんはそう考える。なのに今夜だって、お父さんとお母さんは仕事が忙しくて、来週、おばあちゃんの家に迎えに来てくれるまでは、誰もお兄ちゃんを叱る人はいない。

「冒険はもう始まっているんだよ」

 お兄ちゃんはすまし顔で言った。それから明日の朝ごはんのためにお米をといで、炊飯器のスイッチを何度も確認してから、もういちど言った。今度は怖い顔で。

「寝坊したら本当において行くからな」


 みっちゃんは眠れなかった。明日きていくワンピースが、ハンガーに掛けられて暗闇にぼうっと光るのを眺めながら、おばあちゃんの顔を思い浮かべたり、田舎での川遊びの計画や、いつか新幹線の中で食べたことのある高級なアイスクリームの味を思い出したりした。それから、忘れ物がないように頭の中で何度も何度も持ち物を確かめて、天気予報や、駅までの道順や、たいがいの心配事にけりをつけてしまうと、最後にお兄ちゃんのことだけが残った。するといよいよ眠れなかった。お気に入りのワンピースのポケットに、泥だんごなんか入れられちゃたまらない。それとも、もうすでに入れられているのかも知れない。みっちゃんはついに布団から起き出してしまった。


 ポケットの入り口は右と左の2ヶ所。真ん中でつながって大きなトンネルになっている。泥だんごならそのいちばん深いところに転がっているはずなのだ。

 みっちゃんは腕をめいっぱいのばしてポケットの中をかき混ぜたけれど、それだけでは足りず、今度はつま先立ちになって、えいや、と頭まで突っ込んだ。

 そのとき、すぽん、と音がした。みっちゃんがポケットの中に落っこちた音だ。

 中は真っ暗だった。向こうにぼんやりと見える白い光は、反対側の出口に違いない。とにかく、泥だんごを探さなければ。みっちゃんは自分のポケットの中を、のっしのっしと歩いて行った。

 けれども結局、泥だんごは見つからなかった。ポケットの中は空っぽ。なんて味気ない。いつもは入れてあるはずのハンカチだって今夜はリュックに詰めてしまったのだし、ガムの包み紙も、消しゴムのかけらも、糸クズひとつ見当たらない。蹴りたい小石さえ、落ちていなかった。

 そこでみっちゃんは、いいことを思いついた。このまましばらくポケットの中にいて、お兄ちゃんが泥だんごを入れにやって来たら、その手をぎゅっとつねってやろう。お兄ちゃんが驚いて「キーッ」てなったら、みっちゃんは「うおぉぉぉ」と叫んでポケットから飛び出せばいい。

 真夜中に、ポケットの中で思いついたにしては、それは本当に素晴らしいアイディアだった。ただ、いつまで待ってもお兄ちゃんはやって来なかったけれどーー。


 翌朝、みっちゃんは寝坊した。布団から飛び起きて、あわててワンピースに着替える。襟首と間違えて、何度もポケットに頭を突っ込んだ。けれどももちろん、落っこちてしまうはずはない。

 お兄ちゃんの姿はすでになかった。居間にもキッチンにも、誰もいない。みっちゃんは泣けてきた。泣きながら顔を洗って、泣きながら歯をみがいて、泣きながらリュックを背負って急いで玄関を出ると、お兄ちゃんはそこで、鬼のような顔をして待っていた。

 二人は家を出た。みっちゃんは朝ごはんを食べ損ねたせいで、やせねずみのようにみじめだった。涙は拭いたけれど、かわりにお腹が「きゅうぅ」とないて、それに気付いたお兄ちゃんが、まだ半分は鬼の顔で、けれども半分は笑って言った。

「おい、寝坊助。ポケットの中を見てみろ」

 みっちゃんはハッとした。ワンピースのポケットに、ずっしりと転がる嫌な予感。ゆうべは空っぽだったはずなのに。糸クズひとつなかったはずなのに。くやしくて、情けなくて、みっちゃんはもう声も出なかった。けれどもポケットに手を突っ込んだとき、ようやくみっちゃんは笑顔になった。出てきたのは、銀紙に包まれた本物のおにぎりだった。お兄ちゃんお手製の、大きくて、泥だんごみたいにまん丸いおにぎり。まだ、あったかい。

「新幹線に乗ってから食べるんだよ。お茶も買うんだから」

 お兄ちゃんは得意のすまし顔でそう言ってから、うわぎのポケットの中をのぞき込んで、新幹線の切符を「1枚、2枚、よし!」と数えた。みっちゃんは思い切って、アイスクリームも買わないかと提案した。二人でひとつだってかまわない。

「おにぎりを、完食したら、オッケーです」

 それからお兄ちゃんは「うおぉぉぉ」と駆け出した。みっちゃんも「うおぉぉぉ」と後を追った。冒険はこうでなくっちゃ。

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