第2話るるかとカマキリ

 私は人からよく「ゆるい口調と印象とは裏腹に、真面目真面目くそ真面目な奴」と言われる通りの性格で、待ち合わせ時間は律儀に守る方だと思う。でも一度だけ待ち合わせをすっぽかしたことがあって、ある冬の日、私は最寄り駅のそばまで来ていたのに約束のこともすっかり忘れて二時間ほどじっと立ち止まっていた。

 なぜなら、駅前のロータリーで、ある動くものを見つけてしまったからだ。

 首がもげていた。

 なのにそれは動き続けていた。

 カマキリだった。

 くるくるくる。

 首をどこに落としてきたのか、見当もつかないけれど、とにかくその首なしカマキリはアルゴリズムに従うロボットみたいに手足をずっと同じ挙動で動かし続けてその場を旋回し続けていた。虫の生命力はすごいものだ、と私は感嘆して足を止めてじっと凝視していた。そのうち感嘆を通り越して私は忘我の思いでその動きをただ見ていた。五分ほどそうしているうちに、自分の感情が無になっていくのがわかった。

 そのカマキリにはもう未来がないのが明瞭だ。かろうじて手足の筋肉を動かす微弱な電気が尽きた時に動きを止めるに違いない。その瞬間まで、カマキリはただくるくるくるとその場を回っているのだろう。

 私は気づいたら、手でカマキリに触れようと指を伸ばした。

 指がカマキリに触れるか触れないかという時、指先を通して、私のなかに〈イメージ〉が流れ込んできた。

 私は駅前のロータリーではなく、広い草原に立っていた。

 空は晴れているのに、そこには雪がしんしんと降っていた。

 幻覚を見ているのだと思った。でも不思議と混乱や焦りはなかった。

 雪は静かに振り続けている。それは雪なのに冷たくなくて、むしろ私の肌に〈熱〉を感じさせた。空から降る雪は少しずつその数を減らしていくようだった。そして雪の〈熱〉もだんだんと感じなくなっていく。

 この雪が完全に止んだとき、あのカマキリは止まるのだという気がした。

 次の瞬間、私の意識はもといたロータリーに戻っていた。

 足元では、あの首のもげたカマキリがまだくるくるくると旋回している。

 こんな経験は初めてで、でもその後私はこの不思議な体験に入り込むコツを覚えたようで、何度も同じ体験をした。ただし、生き物に対してこの〈イメージ〉の世界に入ることはできなくて、もっぱら、命も知性もない物、例えば電化製品なんかに対しては同じこができるようだった。

 変な体験だけど、まあ、私の多感な感性が見せている幻覚だろうということにして、それ以降もあまり深くは考えることはなかった。

 あの時のカマキリ自身は、望んで動いているわけではないはずだった。仮に虫にも心や意識があったとしても、既に頭がないのなら、もうそれも存在していないと思う。なのに私は、カマキリは精一杯に自分の望みを叶えているように思えた。

 その日は第一志望の高校の入学試験で、隣駅に住む友人と一緒に試験会場へ行くはずだった。はっと我に返った時には携帯に大量の着信と、私を置いて先に行ったことの報告が届いていた。当たり前だが私はその高校に入学できなかった。その日は、そのまま家に帰った。その場を離れる時も、まだカマキリはくるくるくるしていた。

 いつまでそうしていたのか、カマキリは満足して止まったのか、私は知らない。

 私――槙島るるかは、私の人生しか知ることができない。

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