アムール・ルーシ大公国と舞鶴海軍女学校

鳥位名久礼

アムール・ルーシ大公国

◆アムール・ルーシ大公国

Веліке Княжество Амурске Роуське

ヴェリーケ・クニャージェストゥヴォ・アムールスケ・ルースィケ

Grand Knyazate of Amur Rousy 阿穆爾露斯大公國(穆國/穆露國)

通称:アムール・ルーシ Амурская Роусь / Amur Rousy


・国旗:https://www.pixiv.net/artworks/77333558

・設定地図(1945年8月当時)

https://www.pixiv.net/artworks/77319637


◆概要

1917年4月21日 「ウクライナ自由国」臨時政府樹立

1917年6月24日 「極東ウクライナ共和国」(緑ウクライナ)臨時政府樹立

1917年11月20日 「ウクライナ自由国」独立宣言

1918年10月14日 「ウクライナ大公国」として立憲君主国化

1919年9月21日 「アムール・ルーシ大公国」として立憲君主国化

 ウクライナ大公国と同君連合(「自由ルーシ同盟」)

*王朝:リューリク朝リュリコフ家(元リュリコフ=シュイスキー家) 聖公ヴォロディーミル1世の末裔 キエフ・ルーシ大公国の継承復興を自認

*元首:大公(ヴェリーキー・クニャージ Велікій Князь / Grand Knyazy/女性ヴェリーカヤ・クニャージュナ Велікая Княжна / Grand Knyazess)

立憲君主制(象徴君主制)

敬称:陛下(Йево/Йейо Велічество/Велічества, His/Her Majesty)

 戦前の日本政府は万国君主平等の理念から、“「アムール、ルーシ」國皇帝陛下”と呼称

 “ヴェリーキー・クニャージ”は元来“Grand Prince”と英訳(独語訳:Großfürst)されてきたが、当国およびウクライナ大公国においては“Grand Knyazy”(独語:Großknes)とする。漢語訳は「大公」であるが、“Grand Duke”, “Großherzog”(ルクセンブルク大公、バーデン大公等)より格上で、「王」または帝国における「皇太子」(“Erzherzog=オーストリア大公”(神聖ローマ帝国・オーストリア帝国の皇太子の称号)等)と同格とする。

 大公太子(大公位第1継承者)の称号“クニャージ Князь/クニャージュナ Княжна”(漢語訳:公、英語訳:Prince/独語訳:Prinz)は王国の王太子・帝国の親王と同格(敬称:Йево/Йейо Вўісочество/Вўісочества, His/Her Highness, 殿下)、その他ヴォロディーミル5世からみて原則3親等以内の男系血族の爵位“ヴィーチェクニャージ Віцекнязь”(漢語訳:公爵、英語訳:Duke、独語訳:Herzog)は各国の公爵と同格(敬称:Йево/Йейо Светлость/Светлоста, His/Her Excellency, 閣下)とする。それよりも遠縁の大公族の爵位“オタマン Отаман/Отамана”(漢語訳:侯爵、英語訳:Marquis、独語訳:Fürst)の敬称は(Господін/Госпожа, Lord/Lady, 卿)とする。

・初代大公:ヴォロディーミル5世(1888-1970・アムール・ルーシ大公としての在位:1919-1946) Володімір Ⅴ 戴冠時31歳

ノヴァルーシ語:ヴォロディーミル・スヴャトスラヴィチ・リュリコフ

Володімір Святославіч Рюріков

ルーシ文語:ヴォロディミェル・スヴャトスラヴィチ・リュリコヴ

Володимѣръ Свѧтославичь Рюриковъ

元ウクライナ系ロシア貴族(伯爵)

・第二代(女)大公:エレナ・ヴォロディーミロヴナ・リュリコヴァ(1919-) 戴冠時27歳

Елена Володіміровна Рюрікова

*初代大公后:オリガ・ニコラエヴナ・リュリコヴァ・ロマノヴァ(1895-) ロシア皇帝ニコライ2世長女、1918年22歳にて結婚

Ольга Ніколаевна Рюрікова Романова

*総督(Һетьман ヘーチマン):上院の指名ののち下院の承認を受け大公が任命

 大公の国事行為を輔弼し、大公とともに国家を代表する

大公不在時等には摂政(Регент レゲント)を兼務することあり、実質「元首」(Глава グラーヴァ)の全権能を代行する

 両院の3/2以上の賛成により大公退隠建白(事実上の不信任決議)を発することができ、その際は譲位するか、もしくは大公に代わり摂政が「元首」として国事行為の全権能を有し、実質的には象徴大統領制となる

・初代総督:アレクサンドル・アレクセーヴィチ・ヴァノフスキー伯爵(Александр Алексеевіч Ванновскій 1874-1967) 任期:1919-1946 建国時45歳

・第二代総督:ユーリー・フルシュコ=モヴァ男爵(Юрій Глушко-Мова 1882-) 任期:1946- 就任時64歳

*首都:ヴラディミロフスク Владіміровск Vladimirovsk

 通称:ヴラディロ Владіро Vladiro 浦城港

*公用語:ノヴァルーシ語 Новароусіска мова / Novarousish language

 副公用語:ウクライナ語、ロシア語、ルーシ文語(教会スラヴ語+古東スラヴ語)

 国定通用語:ベラルーシ語、ドイツ語、イディッシュ語、ポーランド語、高麗語、漢語

*通貨:グリヴィナ Грівьна/コピイカ Копійка(1/100グリヴィナ) ウクライナ・フルィウニャと完全固定等価

 ウ:フルィウニャ Гривня/ロ:グリーヴナ Гривна

 総督/摂政不信任決議は両院の過半数の賛成により可能

*廷室の財産は国家予算から独立した私有財産(特殊財団法人宮廷局)で、独自の資産運用から成り立ち、大公が「元首」の地位にある間のみ国費から宮廷費が支出される 宮殿等(御用邸除く)は国有財産

*総務大臣(Посаднік ポサードニク:事実上の首相):議院内閣制 任期4年・最高3期12年

 国務大臣は総務大臣の指名により元首が任命 防衛大臣は文民または予備役武官

*公国代議院(下院:Княжества Вйесче ヴィェシチェ) 中選挙区比例代表併用制(地方は1人区、都市部は2~3人区)、18歳以上男女直接普通選挙

*公国参議院(上院:Княжества Дума ドゥーマ) 州・県・市議会での互選間接選挙と、貴族・有識者・功労者の下院による推薦からなる 任期6年を3年ごとに半数ずつ改選 会派は結成できるが党議拘束なし

*主要政党

・アムール民主党/ウクライナ民主党(中道・社会自由主義・地域主義・緑軍系・ロシア立憲民主党(カデット)系列・党旗:緑黄対角)建国当時の中心勢力

・進歩党(中道右派・白緑軍系・ロシア進歩党系列・党旗:白緑対角)

・人民社会党→1933年社会民主党に改称(中道左派・赤緑軍系・ロシア人民社会党系列・党旗:赤緑水平)

・労働農民党(左派・赤緑軍系・ロシア社会革命党系列・党旗:赤に麦穂と歯車)

・ルーシ国民党(右派・白軍系・オクチャブリスト系列・党旗:白に十字無し三叉戈)

 アムール民主党/ウクライナ民主党を軸に、進歩党・社会民主党で連立政権を組むことが多い。

*貴族制度

・公:クニャージ(Князь)※大公太子のみ(ロマノフ皇女は特別に同格)

 英訳Prince/独訳Prinz 敬称:Вўісочество, Highness, 殿下

・公爵:ヴィーチェクニャージ(Віцекнязь)※大公族のみ

 英訳Duke/独訳Herzog 敬称:Светлость, Excellency, 閣下

・侯爵:オタマン(Отаман)※大公族のみ

 英訳Marquis/独訳Fürst 敬称:Господін, Lord, 卿(以下敬称同)

・伯爵:ボヤーレ(Бояре)

 英訳Count/独訳Graf

・子爵:ヴィーチェボヤーレ(Віцебояре)

 英訳Viscount/独訳Vizegraf

・男爵:シュリャフタ(Шляхта)

 英訳Baron/独訳Freiherr

大公族:18歳以上の大公太子(大公位第1継承者)と配偶者は公(ウクライナ:リヴィウ公、アムール・ルーシ:アチャンスク公)に叙爵される

 ヴォロディーミル5世からみて原則3親等以内の男系血族は公爵、原則6親等以内の男系血族(家祖リューリク・アンドレーヴィチ・グラーフ・リュリコフ=シュイスキー子孫)は侯爵に叙爵

 原則男系当主にのみ爵位相続され、公爵家の分家は侯爵、侯爵家の分家は伯爵(臣籍)となる

 大公族以外の一般貴族は最高位伯爵まで

 伯爵家の分家は子爵または男爵、子爵家の分家は男爵に叙爵される場合がある

 男爵家の分家は功績次第では男爵に叙せられるが、原則は平民籍となる


*宗教:極東正教会(事実上の国教)、ローマ・カトリック教会、復古カトリック教会、ユダヤ教、イスラーム教、仏教等

*国民祝日(1918年4月以降基本グレゴリオ暦・1923年10月以降宗教行事には修正ユリウス暦使用):1月1日 主の割礼祭 1月6日 神現祭 2月2日 迎接祭

 3月25日 生神女福音祭(聖週と重なった場合は移動)

 3-4月 復活大祭(前金曜日~後月曜日)※移動日 5-6月 昇天祭※移動日

 7月15日 聖公ヴォロディーミル1世祝日 8月15日 生神女就寝祭

 9月21日(アムール・ルーシ)建国記念日 10月14日(ウクライナ)即位記念日

 11月30日 聖使徒アンドレイ祝日 12月25日 降誕祭

*時差:UTC+9 夏時間なし

*内地:プリモルスキー州(沿海州)、アムール州(トゥクリングラ山脈・ソクタハン山脈以北、スコボロディノ・ネヴェル以西を除く)、アチャンスク州(オホーツク地区、アヤノ・マイスク地区、トゥグロ=チュミカン地区ヤム=アリニ山脈以北を除く)

 州級都市:ヴラディミロフスク市(旧ヴラジヴァストーク)、アチャンスク市(旧ハバロフスク)

 ほぼネルチンスク条約で定められた「外満洲」の領域に相当する

*民族構成 ルーシ人(ウクライナ系、ロシア系、ベラルーシ系)、高麗人、漢族、ユダヤ人、ドイツ系、ポーランド系、日系人、ヴォルガ・タタール人、クリミア・タタール人、ツングース系先住民族(エヴェンキ族、ナナイ族、オロチョン族、ウリチ族、ウデヘ族、オロチ族、ネギダール族、ウィルタ族)、ニヴフ族

*セヴェルニー・カラプト(北樺太)自治州 ルーシ人、日系人、ニヴフ族、ウィルタ族、アイヌ族 州都:オハ 南樺太は日本領

*租借地:ウループ島(得撫島) 1945年日本より租借 海軍ウループ泊地

 シュムシュ島(占守島)~ブラト・チルポエフ島(知理保以南島)間のクリル列島(北千島・中千島諸島)はシベリア自由共和国連邦領ロシア権益下、南千島諸島(北方四島)は日本領

 ハルビン市(1932年満洲国建国まで鉄道附属地として実効支配、1945年中華民国から租借)

*北満洲鉄道(東清鉄道)(満洲里~綏芬河市間)、シベリア鉄道イルクーツク~スコボロディノ/ザバイカリスク間の権益保持 広軌(1,520mm)


◎極東正教会 府主教座:ヴラディミロフスク聖アンドレイ大聖堂

ウクライナ正教会キエフ総主教庁庇護下の自治正教会

1918年12月13日(ユリウス暦11月30日、聖使徒アンドレイ祝日)成立

即日ウクライナ正教会より承認、続いてグルジア正教会、ブルガリア正教会、ルーマニア正教会、セルビア正教会等より承認

1923年10月14日 コンスタンディヌーポリ総主教庁より認可

アムール・ルーシ大公国および満洲国内(内マンチュリア)を管轄

・ヴラディミロフスク教区(府主教庁) 聖アンドレイ大聖堂 プリモルスキー州管轄

(旧大主教座:生神女庇護(ポクロフスキー)大聖堂→改:ポクロフスキー宮殿聖ヴォロディーミル礼拝堂)

・アチャンスク教区(大主教座) 救世主顕栄大聖堂 アチャンスク州管轄

・ブラゴヴェシチェンスク教区(大主教座) 至聖三者大聖堂 アムール州管轄

・ハルビン教区(大主教座) 聖ソフィア大聖堂 満洲国(内マンチュリア)管轄

 ハルビン生神女庇護聖堂(ウクライナ教会)


◆リュリコフ家

参考:

・リューリク朝

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%AF%E6%9C%9D

・シュイスキー家

http://genealogy.euweb.cz/russia/rurik13.html

・ポーランドのシュイスキー家

http://www.genealogia.ru/users/rurik/Rospisi/Shuiskie.htm

略系譜:1.リューリク(ノヴゴロド公 830-879)→2.イーゴリ1世(キエフ大公 865-945)・妻:聖オリガ→3.スヴャトスラフ1世→4.ヴォロディーミル1世(聖公 955-1015)→5.ヤロスラフ1世→6.フセヴォロド1世→7.ヴォロディーミル2世→8.ユーリー1世ドルゴルーキー(ロストフ・スーズダリ公、キエフ大公)→9.フセヴォロド3世(ウラジーミル大公)→10.ヤロスラフ2世→11.アンドレイ2世→12.ヴァシーリー(スーズダリ公)→13.コンスタンティン→14.ドミトリー3世(ウラジーミル大公)→15.ヴァシーリー・キルディアパ(1350-1403・スーズダリ公・ゴロデツキー公) →16.ユーリー・キルディアピン・クニャージ・シュイスキー(シュイスキー家祖)→17.フョードル(プスコフ知事)→18.ヴァシーリー・キタイ→19.ドミトリー(ボヤール)→20.イヴァン・グヴーカ(1515-1560)1536年頃リトアニアに移住→21.ヤン→22.アンジェイ→23.ヤン→24.イェロニム→25.アントニ・トマシュ(Antoni Tomasz Szujski・ピンスク生まれ・1745-1823)(ここまで実在)→

(1795年の第三次ポーランド分割により、ポーランド=リトアニア共和国の東側・旧リトアニア領はロシア帝国領となる)

 26.アンドレイ・アントノヴィチ・シュイスキー(1777-1845) 1800年帝政ロシア領ウクライナ・キエフに移住、ザポロージャ・コサックの最後のヘーチマン、キリロ・ロズモフスキー伯爵(1728-1803)の孫娘(レオ・ロズモフスキー(1757-1818)長女)と結婚、叙男爵

 27.曾祖父 リューリク・アンドレーヴィチ・グラーフ・リュリコフ=シュイスキー(1805-1880)

 ロシア軍人(陸軍少将)、クリミア戦争(1856)の戦功で陞伯爵 リュリコフ=シュイスキー家祖

 28.祖父 イーゴリ・リュリコヴィチ・グラーフ・リュリコフ=シュイスキー(1834-1910)

 29.父 スヴャトスラフ・イゴロヴィチ・グラーフ・リュリコフ=シュイスキー(1860-1914)ロシア軍人(陸軍少将)、第一次世界大戦対独戦で戦死

 30.ヴラジーミル(大公ヴォロディーミル5世・1888-1970・即位前:伯爵・陸軍少佐)

 即位前:ヴラジーミル・スヴャトスラーヴィチ・グラーフ・リュリコフ=シュイスキー(ロシア語)

 Владимир Святославич Граф Рюриков-Шуйский

 ウ語 ヴォロドゥイムィル・スヴャトスラヴィチ・フラーフ・リュルィコウ=シュイスィクィー

 Володимир Святославич Граф Рюриков-Шуйський


◆周辺・同盟関係諸国

◇シベリア自由共和国連邦

・首都:イルクーツク市

ロシアとアムール・ルーシの二重保護国

・連邦直轄州:イルクーツク州

・アムール・ルーシ権益下:ザバイカル州、サハ共和国、ブリヤート共和国

・ロシア権益下:(西部)クラスノヤルスク州、エヴェンキ自治州、タイミル自治州、アルタイ共和国、ハカス共和国、トゥバ共和国(1945年併合)/(東部)オホーツク州、マガダン州、チュクチ自治州、カムチャツカ州

社会民主主義勢力(元社会革命党・社会民主労働党メンシェヴィキ等)を中心とする共和国

ソヴィエト・ロシア社会主義共和国連邦とアムール・ルーシ大公国の緩衝地帯

軍基地・租借地 海軍 チュミカン警備府、カムチャツキー泊地、アナディリ泊地(ロシア) 1921年仮設置、1922年各泊地開港、1931年チュミカンは警備府に昇格

 陸軍:クラスノヤルスク基地(ロシア)、チタ基地(アムール) 1946年設置


◆年表

◎自由ルーシ同盟成立史

《1904年》

2月8日 日露戦争勃発

9月 シベリア鉄道全通

《1905年》

1月29日 血の日曜日事件 ロシア第一革命開始

5月27日 日露戦争日本海海戦

6月12日 ロシア、講和勧告を正式に受諾

6月27日 ロシアで戦艦ポチョムキンの水兵が蜂起

 ロシアの革命家アレクサンドル・ヴァノフスキー(31歳)、キエフで武装蜂起、鎮圧されドイツに亡命

8月9日 ポーツマス日露講和会議開始

9月1日 日露両国、休戦議定書に調印

9月5日 日露講和条約(ポーツマス条約)調印

10月14日 日露両国、ポーツマス条約批准(日露戦争終戦)

10月26日 サンクトペテルブルクで労働者代表ソヴィエト会議が開催

10月30日 ロシア皇帝ニコライ2世が十月勅書を発布

《1911年》 10月10日 辛亥革命勃発

12月29日 清朝より大モンゴル国独立宣言、ジェプツンダンバ・ホトクト8世(1869-1924)ボグド・ハーンとして即位 首都:フレー(庫倫)

《1912年》 2月12日 清皇帝宣統帝(溥儀)退位

《1913年》 1月11日 チベット・モンゴル相互承認条約

《1914年》 7月28日 第一次世界大戦勃発

8月18日 サンクトペテルブルク、ペトログラードに改称

8月30日 タンネンベルクの戦いにおいて、ウクライナ系ロシア貴族・陸軍少将スヴャトスラフ・イーゴロヴィチ・リュリコフ=シュイスキー伯爵(ヴラジーミル・リュリコフ父・54歳)戦死、ヴラジーミル(ヴォロディーミル)・スヴャトスラーヴィチ26歳家督相続、伯爵位襲爵、陸軍大尉に昇進

《1916年》 ヴァノフスキー(42歳)、極東ウラジオストク(ヴラジヴァストーク)に潜伏、ボリシェヴィキに対して二重スパイとして密通

4月 日露戦争戦利艦、一等海防艦相模(ペレスヴェート)、丹後(ポルタヴァ)、防護巡洋艦宗谷(ヴァリャーグ)、ロシアに返還、ウラジオストクに回航される 丹後(ポルタヴァ)はチェスマに改称

11月5日 ドイツ帝国の傀儡政権として【ポーランド王国】樹立

《1917年》

3月8日 ロシア二月革命勃発

3月14日 キエフ(キーウ)にてウクライナ中央ラーダ樹立 議長:ムィハーイロ・フルシェウスキー(51歳・ウクライナ社会革命党)

3月15日 皇帝ニコライ2世退位

3月16日 ペトログラードで【ロシア共和国】臨時政府樹立

3月17日 全ウクライナ国民大会開催(4月21日まで)

3月20日 皇帝ニコライ2世と皇后・皇太子・皇女、ペトログラードのツァールスコエ・セロー宮殿に監禁

4月15日(ユリウス暦4月2日) 復活大祭

 黒海艦隊司令長官・海軍中将アレクサンドル・コルチャーク(1873-・44歳)、臨時政府に召喚されペトログラードに出頭 後任には海軍中将ムィハーイロ・サーブリン(1869-1920・48歳)着任

4月21日(復活大祭後土曜日) 【ウクライナ自由国】臨時政府樹立 「ロシア連邦」内での自治獲得を目指す

 リュリコフ=シュイスキー伯爵、臨時政府要人の一人として参画、陸軍少佐に昇進

 黒海艦隊司令長官・海軍中将サーブリン、ウクライナ自由国政府に恭順

 ムィコラーイウのルッスード造船所で艤装工事中の戦艦インペラートル・アレクサンドル3世(1911年10月17日起工、1914年4月2日進水)、クニャージ・イーホルと改称(6月15日竣工) セヴァストポリに停泊中の同型戦艦インペラトリーツァ・エカチェリーナ・ヴェリーカヤ(1915年11月30日竣工)はスヴャータ・オルハと改称

 168m 22,600t 21.5 kn 主砲:1907年型52口径30.5cm3連装砲4基

6月24日 ニコリスク・ウスリースキーで第1回全ウクライナ人極東会議開催、【極東ウクライナ共和国】臨時政府樹立 沿海地方とアムール州・ハバロフスク州を実効支配

 指導者:暫定議長ユーリー・フルシュコ=モヴァ(Юрій Глушко-Мова・1882-・35歳)、陸軍少将ボリス・フレスチャティスキー(Борис Хрещатицький・1881-・36歳)

7月6日 ヴィリニュスとリトアニアの大主教ティーホン(1865-1925・52歳)、モスクワ府主教に着座

8月14日 元皇帝ニコライ2世、皇后・皇太子とともにシベリア西部トボリスクに配流

 ニコライ2世第1皇女オリガ(21歳)はじめロマノフ家皇女(タチアナ、マリア、アナスタシア)、リュリコフ=シュイスキーとヴァノフスキーらの密偵工作により配流直前にキエフに亡命、リュリコフ=シュイスキー伯爵家に庇護される

8月19日 コルチャーク、軍事オブザーバーとしてイギリス・アメリカに向け出国

11月7日 ロシア十月革命

11月9日 【ソヴィエト・ロシア共和国】成立

11月18日 現職モスクワ府主教ティーホン、モスクワと全ロシアの総主教に被選出

11月20日 ウクライナ自由国、独立主権国家宣言 臨時執政:ヴォロディーミル・リュリコフ=シュイスキー伯爵(29歳) 陸軍少将ピョートル・ヴラーンゲリ(1878-)参画

12月1日 日本陸軍ウラジオストク上陸、シベリア出兵開始

 日本郵船の欧洲航路(1917年9月より米国航路に転属中)香取丸型貨客船鹿島丸(オストリフ・オレニ Острів олень)、ウクライナ自由国および極東ウクライナ共和国政府の依頼により、オデッサ⇔ウラジオストク間(スエズ-舞鶴経由)の難民輸送航路に就航(1921年10月あんどれい丸就航まで) スエズまでの黒海・地中海海域はウクライナ自由国海軍が護衛

 香取丸型 149.35m 10,559t 定員:1等113人、2等56人、3等186人 1913年10月13日竣工

 白系ロシア人(ウクライナ系・ベラルーシ系・ポーランド系・ドイツ系・ユダヤ人・タタール人含む)のウラジオストク亡命始まり人口急増

12月4日 モスクワ総主教庁1721年ぶりに復活、ティーホン昇叙

12月13日(ユリウス暦11月30日、聖使徒アンドレイ祝日) ウクライナ正教会キエフ府主教庁、ロシア正教会より独立宣言、府主教(続投)ヴォロディーミル・ボホヤウレンスキー(Володимир Богоявленський 1848-1918・69歳) 即日グルジア正教会より承認、続いてブルガリア正教会、ルーマニア正教会、セルビア正教会等より承認

12月16日 ウクライナ西部にルーマニア系モルドヴァ人の国家【モルダヴィア民主共和国】臨時政府樹立

12月17日 ソヴィエト・ロシア政府、ウクライナ自由国に最後通牒布告

12月22日 ブレスト=リトフスクで講和交渉開始

12月25日 ソヴィエト・ロシア軍東部ウクライナに侵攻、ハルキウ占領(第1次ロシア革命戦争勃発)

 ハルキウを臨時首都としてウクライナ東部にボリシェヴィキ系の【ウクライナ人民共和国】樹立

 ハルキウ大主教アントニイ・フラポヴィツキー(Антоній Храповицький 1863-1936・54歳)、キエフに亡命

《1918年》

1月4日 第2回全ウクライナ人極東会議ハバロフスクにて開催

1月16日 キエフでボリシェヴィキ蜂起勃発

1月26日 ソヴィエト・ロシア軍キエフ占領 ウクライナ自由国政府ジトームィルに亡命

1月28日 トムスクに社会革命党ピョートル・デルバー(1883-・35歳)を中心として【暫定シベリア政府】樹立

1月30日 ラトヴィア独立宣言

2月6日 モルダヴィア民主共和国公式に独立宣言、ウクライナ自由国政府承認

2月7日 キエフ府主教ヴォロディーミル・ボホヤウレンスキー、ボリシェヴィキにより致命(70歳)

2月9日 第一次ブレスト=リトフスク条約締結 中央同盟国(ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ブルガリア王国)とウクライナ自由国が同盟を結び、反ボリシェヴィキ共同戦線を張る

2月14日 ロシア、グレゴリオ暦導入 ユリウス暦2月1日を2月14日に

2月16日 【リトアニア共和国】独立宣言

2月18日 ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国軍、ウクライナ自由国軍と合同して赤軍占領地へ侵攻

2月24日 【エストニア共和国】独立宣言

3月1日 ウクライナ自由国亡命政府、大幅に改組再建 ユリウス暦からグレゴリオ暦に改暦(宗教行事を除く)、独自通貨導入、市民権法採択 党派は立憲民主党(カデット)系列のウクライナ民主党が主導となる

3月3日 ウクライナ自由国とドイツ帝国連合軍、キエフ奪還

 第二次ブレスト=リトフスク条約締結 中央同盟国とソヴィエト・ロシア講和、中央同盟国はウクライナ・リトアニア・エストニアの独立を承認 ラトヴィアはドイツ帝国占領下となる

3月9日 ウクライナ自由国政府キエフに帰還 総督(ヘーチマン):ヴォロディーミル・リュリコフ=シュイスキー伯爵(30歳) 宰相(カンツレル Канцлер):陸軍大将パウロ・スコロパーツキー(45歳) 総務大臣(ヘネラリヌィー・ミニストル Генеральний-міністр):アレクサンドル・ヴァノフスキー(44歳) 陸軍大臣:陸軍少将ピョートル・ヴラーンゲリ(40歳) 海軍大臣:海軍大将ムィハーイロ・サーブリン(49歳) 立憲君主国化を目指して憲法起草

3月12日 ソヴィエト・ロシア、首都をペトログラードからモスクワに移転

3月18日 モスクワ総主教ティーホン、ボホヤウレンスキーの四十日祭に託けキエフ亡命、キエフ府主教を兼務し、「キエフ・モスクワと全ルーシの総主教」を名乗る

3月19日 ウクライナ人民共和国、【ウクライナ・ソヴィエト共和国】に改称

3月25日 ドイツ帝国軍占領下に【ベラルーシ国民共和国】独立宣言

3月 デルバーら暫定シベリア政府ハルビンに退避

4月7日 第3回全ウクライナ人極東会議ハバロフスクにて開催 ウクライナ自由国と極東ウクライナ共和国、【自由ルーシ同盟】締結、立憲君主国化・同君連合化に向け協議開始 極東ウクライナ共和国、ユリウス暦からグレゴリオ暦に改暦(宗教行事を除く)

5月5日(ユリウス暦4月22日) 復活大祭

5月12日(復活大祭後日曜日) ヴォロディーミル・リュリコフ=シュイスキー伯爵(30歳)と皇帝ロマノフ2世第1皇女・オリガ(22歳)、婚配機密礼 他の皇女もリュリコフ=シュイスキー家の養子として遇される

4月22日 メンシェヴィキを中心に、【ザカフカス民主連邦共和国】樹立

4月30日 【トルキスタン社会主義連邦共和国】樹立

5月17日 ヴォルガ地域、ウラル、シベリア、極東でチェコスロヴァキア軍団蜂起

6月12日 ウクライナ自由国・中央同盟国とソヴィエト・ロシア(第1次ロシア革命戦争)休戦 中央同盟国、ウクライナやバルトへの影響力を強化しようという動き 以後ウクライナ自由国は中央同盟国を離れ協商連合国側に歩み寄り(「反共」の一点で共闘呼びかけ)

7月4日 オムスクを首都に、社会革命党ピョートル・ヴォロゴドスキー(1863-・55歳)を首班に【シベリア共和国】樹立、自由ルーシ同盟と共闘誓約

7月17日 皇帝ニコライ2世(50歳)、皇后アレクサンドラ(46歳)、皇太子アレクセイ(13歳)処刑

7月19日 ソヴィエト・ロシア共和国、【ソヴィエト・ロシア社会主義共和国】に改称

8月8日 アミアンの戦いでドイツ帝国軍敗北、以後「百日攻勢」にて協商連合国軍の反攻強化、中央同盟国勢敗色濃厚になる

9月20日 コルチャーク、日本・シンガポール・中国を経てウラジオストク着

10月13日 コルチャーク、オムスク着、シベリア共和国政府に加わる

10月14日(ユリウス暦10月1日、生神女庇護祭) リュリコフ=シュイスキー伯爵、大公(ヴェリーキー・クニャージ)ヴォロディーミル5世スヴャトスラーヴィチ・リュリコフとしてキエフ・聖ソフィア大聖堂にて即位戴冠式挙行、【ウクライナ大公国】として改めて独立主権国家宣言 ロマノフ家皇女は女公(クニャージュナ)に叙爵、大公相続権はないがリュリコフ家大公太子と対等に遇せられる

 ウクライナ国内駐留のドイツ・オーストリア軍撤兵、代わって協商連合国からイギリス、フランス、イタリア、ルーマニア、セルビアが派兵

10月24日 第4回全ウクライナ人極東会議ウラジオストクにて開催

11月1日 ハルィチナー地方(オーストリア領ルテニア)に【西ウクライナ共和国】、オーストリア=ハンガリー帝国より独立宣言(首都リヴィウ)

11月3日 オーストリア=ハンガリー帝国無条件降伏

11月4日 ドイツ海軍反乱・ドイツ革命勃発

11月9日 ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世退位宣言

11月11日 ドイツ帝国と協商連合国休戦協定、第一次世界大戦終結 オーストリア=ハンガリー皇帝カール1世国事不関与(事実上の退位)宣言 【ポーランド共和国】独立宣言

11月13日 ソヴィエト・ロシア政府、ブレスト=リトフスク条約破棄を宣言

11月17日 ソヴィエト・ロシア、対ウクライナ戦争再開準備

11月18日 【ラトヴィア共和国】独立宣言

12月1日 ソヴィエト・ロシアがラトヴィアに侵攻

12月8日 【リトアニア・ソヴィエト社会主義共和国】樹立

12月12日 ソヴィエト・ロシアがリトアニアに侵攻

12月20日 ソヴィエト・ロシア軍、宣戦布告なしで東部ウクライナに侵攻(第2次ロシア革命戦争勃発)

《1919年》

1月1日 ベラルーシ東部にホメリを臨時首都としてボリシェヴィキ系の【白ロシア・ソヴィエト社会主義共和国】樹立

1月5日 ベラルーシ首都ミンスク、赤軍により陥落、ベラルーシ国民共和国瓦解

1月6日 モスクワでボリシェヴィキの傀儡政権「ウクライナ臨時労働農民政府」樹立

1月22日 西ウクライナ共和国、ウクライナ大公国に編入 大公ヴォロディーミル5世従弟オレグ・リュリコフ=シュイスキー侯爵、リヴィウ公に叙爵

2月5日 ソヴィエト・ロシア軍キエフ占領 大公ヴォロディーミル5世とキエフ・モスクワ総主教ティーホン、ハルキウ大主教アントニイ他、ジトームィルに避難

2月11日 ドイツ・ヴァイマル共和政成立

2月14日 ポーランド共和国、ウクライナ大公国と組み、対ソヴィエト・ロシア戦(ロシア革命戦争)に参戦

 大公ヴォロディーミル5世と総務大臣ヴァノフスキー、ジトームィルより鉄路オデッサ→鹿島丸乗御スエズ経由神戸→京都にて海軍中将伏見宮博恭王と会談→舞鶴より極東ウクライナ共和国海軍装甲艦ペレスヴェート乗御ウラジオストクに亡命

 極東ウクライナ共和国、立憲君主国化に向け憲法起草等準備

2月27日 リトアニア・ソヴィエト社会主義共和国と白ロシア・ソヴィエト社会主義共和国が合併し、【リトアニア=白ロシア・ソヴィエト社会主義共和国】樹立

3月10日 ウクライナ東部にハルキウを臨時首都としてボリシェヴィキ系の【ウクライナ社会主義ソヴィエト共和国】樹立

5月15日 希土戦争開戦

8月31日 ウクライナ大公国・ポーランド・白軍の連合軍キエフ奪還

9月21日(ユリウス暦9月8日、生神女誕生祭、日曜日) 極東ウクライナ共和国、【アムール・ルーシ大公国】と改称、立憲君主国として独立主権国家宣言 ウクライナ大公国との同君連合

 ヴォロディーミル5世(31歳)、アムール・ルーシ大公として即位戴冠

 総督(ヘーチマン):アレクサンドル・ヴァノフスキー(45歳)伯爵に叙爵 総務大臣:ユーリー・フルスコ=モヴァ(37歳)男爵に叙爵

 ヴェルサイユホテル改めアムールホテルを仮宮殿兼迎賓館とする

 ウラジオストク(ヴラジヴァストーク)をヴラディミロフスク、ハバロフスクをアチャンスク(Ачанск)に改める

 アムール・ルーシ大公国憲法発布、半年後に施行

 太平洋艦隊装甲艦ペレスヴェート、同チェスマ(元ポルタヴァ)、巡洋艦ヴァリャーグ、穆国海軍籍に正式編入 ペレスヴェートはアチャンスクに改名・アムール・ルーシ海軍総司令部旗艦(1923年7月戦艦ヴォロディーミル・ヴェリーキー就役まで)、チェスマはニコラエフスクに改名 全て装甲艦に分類

 アチャンスク 133.4m 14,789t 18kn 主砲:40口径25.4cm連装砲2基

 生神女庇護(ポクロフスキー)大聖堂周囲に大公宮殿・国会議事堂、市街中心に聖アンドレイ大聖堂建設開始

 建設期間中、主日には中央駅の駅舎を仮大聖堂として使用

11月13日 シベリア共和国政府オムスクを放棄し、イルクーツクに撤退

12月13日(ユリウス暦11月30日、聖使徒アンドレイ祝日) 極東正教会ヴラディミロフスク府主教庁成立、ウクライナ正教会キエフ総主教庁下自治教会 現職ヴラディミロフスク大主教エフセヴィー・ニコリスキー(Евсевій Нікольскій 1860-1922・59歳)が府主教に昇叙

 元ウラジオストク教区大主教座・生神女庇護(ポクロフスキー)大聖堂、仮府主教座となる

 即日ウクライナ正教会より承認、続いてグルジア正教会、ブルガリア正教会、ルーマニア正教会、セルビア正教会等より承認

《1920年》

1月4日 シベリア共和国政府首班コルチャーク失脚、グリゴリー・セミョーノフ (Григорий Семёнов・1890-・30歳)に権限委譲

1月10日 国際連盟発足(本部:ジュネーヴ)

4月28日 【アゼルバイジャン・ソヴィエト社会主義共和国】樹立

7月12日 リトアニア・ロシア平和条約締結、リトアニア共和国独立承認

 アムール・ルーシ政府およびウクライナ大公国政府、日本郵船に特別依頼し、箱根丸型(H型)貨客船あんどれい丸建造開始

7月31日 ソヴィエト・ロシア軍ミンスク占領、白ロシア社会主義共和国再建

8月11日 ラトヴィア・ロシア平和条約締結、ラトヴィア共和国独立承認 リトアニア・エストニアと共にバルト同盟結成

10月12日 ポーランド共和国、ウクライナ大公国とソヴィエト・ロシア軍停戦

 黒海艦隊司令長官、海軍中将オレクサンドル・ネミッツ(Олександр Немітц・1879-1967・41歳)に交代

10月18日 アムール・ルーシとソヴィエト・ロシア軍停戦

10月28日 パリ条約締結 ルーマニア王国とソヴィエト・ロシア講和 モルダヴィア民主共和国、ルーマニア王国に合邦

12月3日 【アルメニア・ソヴィエト社会主義共和国】樹立

《1921年》

2月25日 【グルジア・ソヴィエト社会主義共和国】樹立

3月10日 ロシア皇帝ニコライ2世次女タチアナ女公(1897-・24歳)、ルーマニア王太子カロル(1893-・28歳)の妃となる

3月18日 リガ平和条約締結、ポーランドおよび自由ルーシ同盟(日・カナダ・米・伊・英・中・仏も介入)対ソヴィエト・ロシアおよび元ロシア帝国諸国ボリシェヴィキ系政権間の紛争(ロシア革命戦争)完全終結

 ウクライナ大公国、アムール・ルーシ大公国、バルト三国の独立を承認、ボリシェヴィキ系対立政権解消

 ソヴィエト・ロシア社会主義共和国、【ソヴィエト・ロシア社会主義共和国連邦】に改称 同構成国として、【白ロシア・ソヴィエト社会主義共和国】・【ザカフカス・ソヴィエト社会主義連邦共和国】(グルジア・ソヴィエト社会主義共和国、アルメニア・ソヴィエト社会主義共和国、アゼルバイジャン・ソヴィエト社会主義共和国)・【トルキスタン・ソヴィエト社会主義連邦共和国】(ウズベク自治ソヴィエト社会主義共和国、カザフ自治ソヴィエト社会主義共和国、キルギス自治ソヴィエト社会主義共和国、タジク自治ソヴィエト社会主義共和国、トルクメン自治ソヴィエト社会主義共和国)成立

 シベリア共和国を改め、イルクーツクを首都に【シベリア自由共和国連邦】成立(ロシア、アムール間の二重保護国・緩衝国) イルクーツク州のみ連邦政府直轄、ザバイカル州・サハ共和国・ブリヤート共和国はアムール・ルーシ権益下、他はロシア権益下 領域内のシベリア鉄道は三国共同管理下 マガダン、カムチャツキー、チュミカン、アナディリをロシア海軍基地として租借

 自由ルーシ同盟側の譲歩として、アムール・ルーシ実効支配下のスコボロディノ~チュミカンをシベリア自由共和国連邦に割譲

 アムール・ルーシ領内を避けてロシアからオホーツク海に至るべく、オホーツク鉄道(スコボロディノ~チュミカン)敷設開始

4月7日(ユリウス暦3月25日、生神女福音祭) 日穆同盟条約締結 日本と正式に国交樹立、相互に大使・領事派遣 共同安全保障・貿易簡便化協定

 条約締結記念としてヴォロディーミル5世来日 装甲艦アチャンスク乗御、横須賀停泊、東京で皇太子裕仁親王・原敬首相ほか要人と会談、千鳥ヶ淵・六義園にて桜花見・野立茶会開催

7月11日 モンゴル人民政府樹立(ボグド・ハーンは象徴君主として続投) 象徴君主制の枠内で社会主義化 国号をモンゴル国に改

8月 ウクライナおよびアムール・ルーシ政府、英国ホーキンス級重巡洋艦とほぼ同設計で重巡洋艦建造発注

8月14日 ロシア保護国として【トゥヴァ人民共和国】中華民国より独立

9月14日(ユリウス暦9月1日、教会暦新年度) 日本正教会、ロシア正教会傘下を離脱して極東正教会傘下の自主管理教会となる

9月21日 アムール・ルーシ建国2周年記念式典 日本からは勅使として海軍中将伏見宮博恭王が列席

9月22日 ウクライナ、アムール・ルーシ、バルト三国、国際連盟加入

11月12日 ワシントン国際軍縮会議開始(~1922年2月6日)

11月25日 皇太子裕仁親王(昭和天皇)20歳で摂政に就任し、摂政宮と呼ばれる

12月13日(ユリウス暦11月30日、聖使徒アンドレイ祝日) 貨客船あんどれい丸竣工・就航、ヴラディミロフスク出航

 箱根丸型(H型) 150.88m 10,423t 定員:1等118人、2等55人、3等約134人

 内装はウクライナ・バロック様式(進水後ヴラディミロフスクにて内装工事) 1等社交室、1等・2等・3等食堂を連結し、主日・祭日には仮聖堂として正教会の奉神礼を執行

 舞鶴→ヴラディミロフスク→函館→横浜→神戸→上海⇔香港⇔シンガポール⇔コロンボ⇔スエズ⇔ポートサイド⇔ヤッファ⇔イスタンブル⇔オデッサ

 アムール・ルーシ政府筆頭株主の極東商船公社と日本郵船株式会社の共同運行

 処女航海に大公ヴォロディーミル5世乗御、キエフに還御

《1922年》

1月31日 ヴラディミロフスク府主教エフセヴィー・ニコリスキー永眠、後任に元ハルキウ大主教アントニイ・フラポヴィツキー(62歳)着座

4月17日(復活大祭後月曜日) ワシントン海軍軍縮条約(2月6日締結)のため未成で建造中止となった加賀型戦艦土佐、アムール・ルーシおよびウクライナ海軍が共同購入、ヴォロディーミル・ヴェリーキーと命名 三菱造船長崎造船所で工事を進める

(1918年5月15日計画・土佐と命名、 1920年2月16日三菱造船長崎造船所で起工、1921年12月18日進水、1922年2月5日建造中止)

6月8日 ロシア皇帝ニコライ2世第3皇女マリア女公(1899-・23歳)、セルブ・クロアート・スロヴェーン王アレクサンダル1世(1888-・34歳)の王后となる

9月11日 ギリシア王国クーデタ

10月11日 希土戦争終結

10月25日 ロシア皇帝ニコライ2世第4皇女アナスタシア(1901-・21歳)、ブルガリア王ボリス3世(1894-・28歳)の王后となる

11月1日 トルコ革命 スルタン廃止

《1923年》

7月24日 ローザンヌ条約 トルコの対外戦争終結

7月28日(ユリウス暦7月15日、聖公ヴォロディーミル1世祝日) 高速戦艦ヴォロディーミル・ヴェリーキー竣工・就役 アムール・ルーシ海軍総司令部旗艦となる(アムール・ルーシとウクライナの二重艦籍)

 234.09m 39,979t 28.3kn 主砲:45口径四一式35.6cm連装砲5基

9月5日 関東大震災に際して穆国海軍・戦艦ヴォロディーミル・ヴェリーキーを中心とする救援団を派遣 東京湾日の出埠頭に停泊し負傷者収容、食糧・入浴等提供

10月14日 キエフにてウクライナ大公国独立記念および大公即位5周年記念大式典

 日本からは勅使として海軍大将伏見宮博恭王あんどれい丸にて御成

 コンスタンディヌーポリ総主教メレティオス(52歳)、セルブ・クロアート・スロヴェーン王アレクサンダル1世(34歳)、ルクセンブルク女大公シャルロット (27歳)、エチオピア皇太子ラス・タファリ・マコンネン(31歳・のちハイレ・セラシエ1世)、英国皇太子エドワード(29歳・のち国王エドワード8世)、スペイン王子カルロ・タンクレーディ(53歳)、オランダ王配ヘンドリック(47歳)、スウェーデン王太子グスタフ・アドルフ(41歳・のち国王グスタフ6世アドルフ)、ルーマニア王太子カロル(30歳・のち国王カロル 2世)、デンマーク王太子フレゼリク(24歳・のち国王フレゼリク9世)、ベルギー王太子レオポルド(22歳・のち国王レオポルド3世)、ノルウェー王太子オーラヴ(21歳・のち国王オーラヴ5世)、イタリア王太子ウンベルト(19歳・のち国王ウンベルト2世)、ギリシア王太子パウロス(19歳・のち国王パウロス1世)、ブルガリア王弟キリル(28歳)、チェコスロバキア大統領トマーシュ・マサリク(72歳)、フランス大統領アレクサンドル・ミルラン(64歳)、ポーランド大統領スタニスワフ・ヴォイチェホフスキ(54歳)、フィンランド大統領カーロ・ジュホ・シュタールベルク(54歳)、ドイツ国大統領フリードリヒ・エーベルト(52歳)など列席

 ウクライナ正教会、極東正教会、および在外ロシア正教会(キエフ・モスクワ総主教庁が管理)、コンスタンディヌーポリ総主教庁より独立正教会、自治正教会および自主管理教会の承認

 ウクライナ、アムール・ルーシおよび日本の正教会、修正ユリウス暦を教会暦として採択

11月30日(聖使徒アンドレイ祝日) アムール・ルーシ総督ヴァノフスキーとヴラディロ府主教アントニイ・フラポヴィツキー、勅使として震災慰問来日

 客船あむうる丸にて11/30朝舞鶴着→夜行鉄路移動(10号御料車・11号御料車・700号供奉車)→12/1-3東京(宮城で摂政宮・要人と会談、12/2日曜日・東京駅丸ノ内北口駅舎にて震災追悼聖体礼儀)→12/4戦艦ヴォロディーミル・ヴェリーキーにて東京出港→津軽海峡経由12/7ヴラディミロフスク帰国

《1924年》

3月3日 トルコ、カリフ制廃止

5月20日 モンゴル王(ボグド・ハーン)ジェプツンダンバ・ホトクト8世遷化 ツェレンドンドビン・ナバーンネレン(Цэрэндондовын Навааннэрэн・1877-・47歳)摂政・元首となる

7月15日(聖公ヴォロディーミル1世祝日) ポクロフスキー宮殿、国会議事堂等完成 大公ヴォロディーミル5世、記念式典のためあんどれい丸にてヴラディミロフスク遷御

9月14日(聖十字架挙栄祭) 新ヴラディミロフスク府主教座・聖アンドレイ大聖堂仮落成・献堂 旧府主教座・生神女庇護(ポクロフスキー)大聖堂はポクロフスキー宮殿聖ヴォロディーミル礼拝堂に改称

9月21日 アムール・ルーシ建国5周年記念式典 日本勅使海軍大将伏見宮博恭王ヴラディミロフスク御成

 英国ホーキンス級重巡洋艦とほぼ同設計で、アムール・ルーシ重巡洋艦ゴロド=マキトおよびウクライナ重巡洋艦リューリク竣工・就役(11月1日、ソヴィエト・ロシア海軍バルト艦隊装甲巡洋艦リューリク退役) 両国海軍総司令部旗艦となる

 172.2m 9,750t 31kn 主砲:45口径19.1cm単装速射砲7基 1921年8月起工

 旧式戦艦クニャージ・イーホルとスヴャータ・オルハ、装甲艦に分類

10月14日(ウクライナ大公即位記念日) 大公ヴォロディーミル5世、戦艦ヴォロディーミル・ヴェリーキー→スエズにて重巡洋艦リューリク乗り換えオデッサ経由キエフ還御

11月30日(聖使徒アンドレイ祝日) 戦艦ヴォロディーミル・ヴェリーキー、喜望峰回りウクライナに初入港、オデッサで観艦式

《1925年》

4月7日 総主教ティーホン永眠、モスクワでは後任選ばれず総主教座空位(1945年まで) キエフで後任トロフィム・ヤコブチュク(Трофим Якобчук 1868-1937・57歳)選出、「キエフ・モスクワと全ルーシの総主教」の称号を受け継ぐ

11月 オホーツク鉄道(スコボロディノ~チュミカン)開通

《1926年》

11月30日(聖使徒アンドレイ祝日) ヴラディミロフスク府主教座・聖アンドレイ大聖堂内外装総完成

12月25日 大正天皇崩御、昭和天皇践祚

《1927年》

2月8日 大正天皇大喪礼に勅使として総督ヴァノフスキー来日

11月15日 特Ⅰ型駆逐艦吹雪進水 入れ替わりで、特Ⅰ型駆逐艦と同設計(厳密には浦波と同設計)の駆逐艦スニェーグ(Снйегъ・「雪」の意)、アムール・ルーシ政府の依頼を受け舞鶴海軍工廠にて起工

 同型艦としてヴルナ(Вълна・「波」の意)も技術提供を受けてヴラディミロフスク造船所にて起工

《1928年》

10月14日 ウクライナ大公国樹立10周年記念式典

11月10日 昭和天皇即位大礼(京都御所)に大公ヴォロディーミル5世来日 大礼後、東大寺大仏拝観、伊勢神宮参拝、有馬温泉、東福寺紅葉狩り等の歓待を受ける

 重巡洋艦リューリクにてオデッサ→スエズ/先発喜望峰回り戦艦ヴォロディーミル・ヴェリーキーに乗り換えてスエズ→舞鶴/特別列車にて舞鶴→京都→各地→舞鶴/ヴォロディーミル・ヴェリーキーにて舞鶴→ヴラディミロフスク遷御

《1929年》

4月28日(聖枝祭) 駆逐艦スニェーグ、ヴルナ進水・命名

9月21日 アムール・ルーシ建国10周年記念大式典

 昭和天皇ヴラディミロフスク初行幸 横須賀より戦艦榛名乗御、津軽海峡経由ヴラディミロフスク往復

 タイ国王ラーマ7世(36歳)、モンゴル国摂政ナバーンネレン(52歳)、英国皇太子エドワード(35歳・のち国王エドワード8世)、ルーマニア王太子カロル(36歳・のち国王カロル2世)、ブルガリア王子キリル(34歳)、ハンガリー王国摂政世子ホルティ・イシュトヴァーン(25歳)、ポーランド大統領イグナツィ・モシチツキ(62歳)、米国副大統領チャールズ・カーティス(69歳)、チェコスロバキア共和国外務大臣エドヴァルド・ベネシュ(45歳)、チベット・ガンデンポタン政府名代チャンキャ・ホトクト7世リーイン・イェーシェードルジェ(38歳)、中華民国国民政府代表汪兆銘(46歳)、コンスタンディヌーポリ総主教名代・デルコイ府主教フォティオス(55歳・次期総主教フォティオス2世)など列席

欧洲方面からの貴賓往路:あんどれい丸

11月 大公ヴォロディーミル5世、あんどれい丸にてオデッサ経由キエフ還御 イスタンブル寄港までの間、英国皇太子エドワードら欧洲方面貴賓と同乗

《1930年》

1月11日(神現祭後土曜日) 駆逐艦スニェーグ、ヴルナ竣工・就役

  118.5m 1,680t 38kn 主砲:12.7cm50口径連装砲(A型)

 ジャンペル・ナムドゥル・チューキゲンツェン、モンゴル国王太子ジェプツンダンバ・ホトクト9世(1926-)として選出、1943年即位までの間は摂政ナバーンネレン続投

◎第二次世界大戦前後

《1931年》 9月18日 柳条湖事件、満洲事変勃発

《1932年》 3月1日 満洲国建国 日本の保護国となる

《1933年》 1月30日 ドイツ国、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ)主導によるヒトラー内閣成立

3月12日 ドイツ国、黒白赤の旗(プロイセン主導によるドイツ帝国時代と同デザイン)を国旗に制定

《1934年》 3月1日 満洲国帝政施行

8月2日 ヒトラー、ドイツ国総統に就任

《1935年》 9月15日 ドイツ国、ナチ党旗(ハーケンクロイツ旗)を国旗に制定

《1936年》 5月5日 イタリア帝国成立

11月25日 日独防共協定

《1937年》

7月7日 盧溝橋事件、日華事変勃発

8月9日 第二次上海事変

10月14日 ウクライナ大公国樹立20周年記念式典

11月6日 イタリア帝国防共協定参加

12月13日 南京陥落

《1938年》 3月30日 ムッソリーニ、イタリア帝国元帥首席に就任

《1939年》

8月15日 大公ヴォロディーミル5世、オデッサよりあんどれい丸にてヴラディミロフスク遷御

8月23日 独露不可侵条約締結

9月1日 ドイツ軍ポーランド侵攻、第二次世界大戦勃発 大公ヴォロディーミル5世、安全のためヴラディミロフスクに当面滞在を決定

 ウクライナ大公国の元首:摂政(レゲント)兼総督(ヘーチマン):パウロ・スコロパーツキー伯爵・予備役陸軍大将(1873-・66歳)

9月21日 アムール・ルーシ建国20周年記念式典

9月24日(日曜日) ヴォロディーミル5世長女(第1子)エレナ(1919-・20歳)、再従兄(ヴォロディーミル5世従弟・前リヴィウ公オレグ・リュリコフ=シュイスキーの長男)ボリス侯爵と結婚、アムール・ルーシ大公太子に立太子、アチャンスク女公に叙爵

10月14日(ウクライナ大公即位記念日) ヴォロディーミル5世長男(第2子)ヤロスラフ(1921-・18歳・のちヤロスラフ3世)ウクライナ大公太子に立太子、リヴィウ公に叙爵

《1940年》

6月13日 ドイツ軍によりパリ陥落

6月17日 バルト三国をソヴィエト・ロシアが占領 自由ルーシ同盟抗議声明

10月 日本郵船の欧洲航路停止 あんどれい丸はオデッサ~スエズ間ウクライナ海軍の護衛を受けて運航

《1941年》

4月13日 日露中立条約締結

6月22日 ドイツ、ロシアに宣戦布告 ウクライナとバルト三国、ドイツの保護国化提案を拒否、中立維持を宣言 ドイツ軍白ロシアおよびバルト三国に侵入 自由ルーシ同盟、ドイツに対して抗議声明

 あんどれい丸欧洲航路停止、ヴラディミロフスク⇔横浜航路(函館経由)に転属

 7月9日までに、白ロシア、バルト三国がドイツの占領下となる

 戦艦ヴォロディーミル・ヴェリーキー、セヴァストポリに派遣(不在時、アムール・ルーシ海軍総司令部旗艦は重巡洋艦ゴロド=マキトに)

7月9日 ウクライナ大公国、ロシア側に義勇兵派遣・条件付共闘を決定

12月8日 アジア太平洋戦争勃発 

《1942年》

3月 蘭印連合軍降伏、日蘭単独停戦、インドネシア共和国臨時政府樹立

4月 セイロン沖海戦、日本制海権獲得

5月 マダガスカルの戦い 日英単独停戦

10月11日 日本駆逐艦吹雪戦没 特型と同設計のアムール・ルーシ海軍駆逐艦Снйегъ(スニェーグ)を日本に寄贈、改名して吹雪再建

《1943年》

7月25日 ムッソリーニ失脚

7月29日 キスカ島撤退作戦成功 日本軍アリューシャン方面喪失

9月8日 イタリア王国降伏

ジェプツンダンバ・ホトクト9世(1926-・数え18歳)、モンゴル国ボグド・ハーンに即位

《1944年》

6~7月 ノルマンディー上陸作戦

6月22日 ロシア軍、バグラチオン作戦にてドイツに猛反攻

7月20日 ヒトラー暗殺・クーデター事件成功 ニュルンベルクに自由ドイツ臨時政府(臨時元首ルートヴィヒ・ベック)、ウィーンにオーストリア臨時政府(臨時元首オットー・フォン・ハプスブルク)建ち、ベルリンのナチ政権との間で内戦状態と化す

8月19日 ロシア軍、ドイツ軍を国内から撃退 ウクライナ義勇兵、ロシアとの共闘関係終了、ウ・露関係再び冷却化

 戦艦ヴォロディーミル・ヴェリーキー、ヴラディミロフスク帰投

10月11日 トゥヴァ人民共和国ロシアの占領下となる アムール・ルーシ抗議

 (1945年8月シベリア自由共和国連邦に合邦)

《1945年》

3月29日 米軍フランクフルト進駐、自由ドイツ臨時政府フランクフルトに移る

4月12日 ルーズヴェルト米大統領急逝

4月20日 駆逐艦響舞鶴に回航

4月25日 イタリア社会共和国崩壊・停戦

4月28日 ムッソリーニ処刑

5月1日 ロシア軍によりベルリン陥落

 米・英・仏の3ヵ国、独・伊枢軸残党政府に対して降伏と自由政府に政権委譲の勧告、米国は日本に対して停戦講和勧告を、国際連盟の承認を経て宣言(ロンドン共同宣言)

 日本は国体護持、本土領土保全、外地・占領地の独立勢力保護を条件として受諾の意向を示す

5月2日 イタリア社会共和国降伏

 ロシア軍、シベリア自由共和国連邦に侵入、イルクーツクの連邦政府とチタのアムール・ルーシ大公国シベリア鉄道財団支部に対してクーデター、シベリア鉄道ザバイカリスク線が占領される アムール・ルーシ政府強く抗議

5月5日 ロシア、満洲国と日本に宣戦布告、直後に電撃的侵攻 シベリア鉄道ザバイカリスク線・北満洲鉄道経由満洲里より戦車隊満洲国に猛撃、フルンボイル・チチハル包囲 カムチャツキーより占守島に強襲揚陸

 アムール・ルーシ、ロシアに対して最後通牒布告(宣戦布告には至らず)

5月6日 アムール・ルーシ陸軍ハルビンを中心として満洲国に進駐、ロシア軍を牽制

5月8日 アムール・ルーシ海軍戦艦ヴォロディーミル・ヴェリーキー、重巡洋艦ゴロド=マキト、駆逐艦ヴルナ、択捉島~得撫島沿岸に展開、日本軍と協力してロシア軍の海路を牽制

 ナチ・ドイツ政権降伏 欧洲戦争停戦

5月10日 日米戦停戦

5月15日 アムール・ルーシと国際連盟の圧力により日露戦停戦

 フルンボイル・チチハル陥落、新京包囲、奉天・ハルビン・牡丹江・大連方面は健在

 満洲にはアムール・ルーシ軍が進駐、ロシア軍撤退の監視と治安維持に当たる

 占守島~知理保以南島間の北千島・中千島諸島はロシア軍占領、得撫島、北方四島は健在

6月15日 アムール・ルーシの調停により、日・米・中・露ヴラディミロフスク講和会議開始

 スイスの調停により英・米・露・仏・蘭と独・伊の間でジュネーヴ講和会議開始

8月15日 ヴラディミロフスク講和条約・ジュネーヴ講和条約締結、第二次世界大戦終戦

 ウループ島(得撫島)、アムール・ルーシ租借地となる 他クリル諸島(北千島・中千島諸島)はシベリア自由共和国連邦領ロシア権益下となる

 バルト三国、独露戦の功労として独立、リトアニア・ラトヴィア・エストニア各共和国からなるバルト同盟再結成

 白ロシア・ソヴィエト社会主義共和国、ザカフカス・ソヴィエト社会主義連邦共和国、トルキスタン・ソヴィエト社会主義連邦共和国、独露戦の功労として自治拡大、ザカフカス連合、トルキスタン連合に改組、ベラルーシ・ソヴィエト社会主義共和国・サカルトヴェロ・ソヴィエト社会主義共和国・クルグズ・ソヴィエト社会主義共和国等、現地語の国名に変更

 ロシア占領下のトゥヴァ人民共和国、シベリア自由共和国連邦に合邦・トゥバ共和国として構成国化、ロシアの権益下となる

 シベリア自由共和国連邦のイルクーツク州、ザバイカル州・ブリヤート共和国、再びアムール・ルーシの権益下となる

 ドイツ連邦共和国成立 首都フランクフルト

 アルザス・ロレーヌ→フランス領自治州

 シュレジエン、ポンメルン、東プロイセン、自由都市ダンツィヒ→合同してポーランド領東プロイセン自治州(州都ケーニヒスベルク)

 オーストリア王国成立 国王オットー・フォン・ハプスブルク(オットーⅠ世)

8月~10月 講和記念国際観艦式

 アムール・ルーシ海軍:戦艦ヴォロディーミル・ヴェリーキー、駆逐艦ヴルナ参加(8/25横浜まで)

9月14日(ユリウス暦9月1日、教会暦新年度) モスクワ総主教庁(「モスクワと全ロシアの総主教」)復活、アレクセイ・シマンスキー(Алексей Симанский 1877-1970・68歳)着座

 キエフ総主教庁、モスクワと分立(「キエフと全ウクライナの総主教」と改称)

10月24日 戦後処理と国際連帯のため、国際連盟を改組して国際連合発足

 常任理事国:米国、英国、ロシア、フランス、中華民国

 准常任理事国:日本、ドイツ連邦共和国、オランダ、ベルギー、イタリア、スペイン、ポーランド、トルコ、ブラジル

《1946年》

9月21日(アムール・ルーシ建国記念日) ヴォロディーミル5世(58歳)、ウクライナ大公のみ継続しアムール・ルーシ大公退位 ヴォロディーミル5世長女(第1子)・大公太子エレナ(1919-・27歳)アムール・ルーシ大公を継承、ウクライナとの同君連合解消

 大公配:ボリス・オレゴヴィチ・リュリコフ=シュイスキー 元侯爵、大公位第1継承者としてアチャンスク公に叙爵 ヴォロディーミル5世祖父イーゴリ・リュリコヴィチ・グラーフ・リュリコフ=シュイスキーの男系子孫

10月14日(ウクライナ大公即位記念日) ヴォロディーミル5世、戦艦ヴォロディーミル・ヴェリーキー乗御→スエズで重巡洋艦リューリクに乗換にてキエフ還御

11月30日(聖使徒アンドレイ祝日) 戦艦ヴォロディーミル・ヴェリーキー、喜望峰回りでセヴァストポリ入港、以後ウクライナ籍となる

 アムール・ルーシ巡洋艦ウスリー(Уссурі)竣工・就役 未成の改阿賀野型軽巡を買取・艤装工事 ヴォロディーミル・ヴェリーキーに代わりアムール・ルーシ海軍総司令部旗艦および大公御召艦となる

 184m 8,520t 37.5kt 主砲:50口径15.2cm連装砲4基

《1947年》3月14日 ウクライナ独立30周年記念式典

《1948年》10月14日 ウクライナ大公即位30周年記念式典

《1949年》9月21日 アムール・ルーシ大公国建国30周年記念式典


◆ノヴァルーシ語

ウクライナ語とロシア語極東方言を基に、教会スラヴ語、古ルーシ語(古東スラヴ語)を混成した新言語

字音一致化、表記単純化、ロ・ウ語の相違点は古ルーシ語を参考に折衷

ьはiの非常に弱く短い音(ʲ)、ъはuの非常に弱く短い音(ʷ)


Аа Вв Бб Гг Дд Ее Зз Һһ

a V B G D e Z H

Іі Кк Лл Мм Нн Оо Пп

i K P M N o P

Рр Сс Тт Уу Фф Хх

R S T u F Kh

Жж Цц Чч Шш Йй Ўў ь ъ Юю Яя

Zh Ts Ch Sh Y W y w yu ya

(ロシア/ウクライナ語由来)

Єє Її Ёё Ии Ыы Ґґ Щщ

ye yi yo i/wi wi G Sch

(ルーシ文語のみ)

Ѧѧ Ѫѫ Ѭѭ Ѥѥ Ѣѣ Ѹѹ

ya yu yeo ye ye u:


・アムール・ルーシ大公国 表記

ノヴァルーシ語:Амурская Роусь / ノヴァルーシ語:Амурская Роусь / Веліке Княжество Амурске Роуське

 アムールスカヤ・ルースィ/ヴェリーケ・クニャージェストゥヴォ・アムールスケ・ルースィケ

ルーシ文語:Амуръскаѧ Рѹсь / Великойе Кънѧжество Амуръськое Рѹськое

 アムールスカヤ・ルースィ/ヴェリーコエ・クニャージェストゥヴォ・アムールスィコエ・ルースィコエ

ウクライナ語:Амурськая Русь / Велике Князівство Амурське Руське

 アムールスィカヤ・ルースィ/ヴェルィーケ・クニャーズィフストゥヴォ・アムールスィケ・ルースィケ

ロシア語:Амурская Русь / Великое Княжество Амурское Руское

 アムールスカヤ・ルースィ/ヴェリーカイェ・クニャージェストゥヴァ・アムールスカイェ・ルースカイェ

 Amurskaya Rousy / Velikoe Knyazhestvo Amurskoe Rousykoe

 アムールスカヤ・ルースィ/ヴェリーコエ・クニャージェストゥヴォ・アムールスコエ・ルースィコエ

ルーシ文語:Амуръскаѧ Рѹсь / Великое Кънѧжество Амуръськое Рѹськое

 アムールスカヤ・ルースィ/ヴェリーコエ・クニャージェストゥヴォ・アムールスィコエ・ルースィコエ

ウクライナ語:Амурськая Русь / Велике Князівство Амурське Руське

 アムールスィカヤ・ルースィ/ヴェルィーケ・クニャーズィフストゥヴォ・アムールスィケ・ルースィケ

ロシア語:Амурская Русь / Великое Княжество Амурское Руское

 アムールスカヤ・ルースィ/ノヴァルーシ語:Амурская Роусь / Веліке Князівство Амурске Роуське

 アムールスカヤ・ルースィ/ヴェリーケ・クニャーズィフストゥヴォ・アムールスケ・ルースィケ

ルーシ文語:Амуръскаѧ Рѹсь / Великойе Кънѧжество Амуръськое Рѹськое

 アムールスカヤ・ルースィ/ヴェリーコエ・クニャージェストゥヴォ・アムールスィコエ・ルースィコエ

ウクライナ語:Амурськая Русь / Велике Князівство Амурське Руське

 アムールスィカヤ・ルースィ/ヴェルィーケ・クニャーズィフストゥヴォ・アムールスィケ・ルースィケ

ロシア語:Амурская Русь / Великое Княжество Амурское Руское

 アムールスカヤ・ルースィ/ヴェリーカイェ・クニャージェストゥヴァ・アムールスカイェ・ルースカイェ


・ヴラディミロフスク 表記

ノヴァルーシ語:Владіміровск ヴラディミロフスク Vladimirovsk

ルーシ文語:Владимѣровськъ ヴラディミェロフシク Vladimyerovsyk

ウクライナ語:Володимирівськ ヴォロドゥィムィリウシク Volodymyriws'k

ロシア語: Владимировск ヴラジーミロフスク Vladimirovsk

略称:Владіро ヴラディロ Vladiro

日本語通称:浦城(うらじろ)/浦城府(うらじろふ)

中国語:弗拉基米爾夫斯克(フラジミロフスク) 通称:浦城府(プーチョンフー)

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