After6 エンカウント
黒崎加恋視点
◇◇◇
『カナデさんですか? 初めまして、クロロンです』
『あ、あなたが、クロロンさん……!?』
『ふふっ、そうですよ。イメージと違ってましたか?』
『い、いえっ! そんな、むしろイメージより……』
『え?』
『な、なんでもないです!』
◇◇◇
妄想ではこんなだった。
『ふふっ』とか、もはや誰? って感じではあるけど。というか妄想中のリアルではむしろ『ふへへっ』だったと思う。
私は自分を見て顔を赤くしたカナデさんとオフ会をする想像をしていたのだ。
こっちを見ながら視線を彷徨わせるカナデさんと、たまに手が触れ合ったり、目が合ったりなんてして……カナデさんは緊張しながら私とお話をするのだ。
常に優位に立ちながら男性を優しくリードするデキる女を演出したかった。
イメージは出来ているつもりだった。
ちょっと自分に都合のいい妄想ではある気はするけど……
まあ処女の妄想なんてそんなものだ。たぶん皆もやっている。
でも……
「はじめまして、今日は宜しくお願いしますね」
「は、はひっ!」
前日の妄想が馬鹿らしくなるくらいの美少年様が笑いかけてくれる。
この世界は二次元だった? なんてことを至極真面目に考えてしまうほどカナデさんという存在は現実離れしていた。
優位? リード? 私が? 鼻で笑われるよ!
上は濃い青色の半袖、下は少しゆったりとした長ズボン。頭にはロゴの入った黒い帽子。
予め聞いていたものと同じ服装だった。
整った鼻梁。少しだけ垂れ気味な目尻が、穏やかな雰囲気をさらに柔らかく演出している。
目の前にいる実物のカナデさんを見て改めて思う。やっぱりこの人がカナデさんなんだ……凄い。
足が長くてスタイルいい……本当に線の細いイケメンって感じ。
初対面ではあるけど、元々友達みたいなものだからか、少し固さはあるものの自己紹介はスムーズだった。
だけど問題はここから。
「いつも一緒に遊んでますけど、やっぱりゲームとは違いますね」
「で、ですね。毎回チャットやボイチャでしたから……」
カナデさんって俳優さん? いや、俳優どころじゃない。このレベルは世界を狙える……って、私は何を言っているのだろう?
お、落ち着こう。
エンカウントした相手のレベルが想定よりも高かっただけだ。
序盤の村から出ていきなり魔王が現れたくらいの急展開だけど。
やることは変わらないと覚悟を決める。
想定より大分イケメンだったけど、私がやることに変わりはない。
ここは女として頼り甲斐のあるところを見せないといけない。
男性のエスコートは女の役目。絶対に成功させる。
「時間までまだありますね。どうします?」
カナデさんからの軽いジャブが飛んできた。
落ち着け私。大丈夫だから……動揺して髪の毛の先くるくる弄ってる場合じゃない。
「レンさんの喫茶店でやるんでしたよね」
【レン】は、薫のメインキャラクター名だ。
好きなキャラクターから名前を取ったらしいけど、薫のアニメ知識は深すぎてどのキャラなのか見当もつかない。
そして、西条家は家族で喫茶店を個人経営している。
今日は定休日なんだけど、今回はオフ会のために特別に貸し切り状態で使わせてもらえるらしい。
男の人が普通のお店に行ったら目立って落ち着けないだろうということでの配慮だった。
「そ、そうですね。レンのお母さんが経営してるお店で……さっき皆が向かったそうです」
「僕が早く着きすぎたせいですかね。すみません……遠出が久々なので感覚ズレてました」
「いえいえっ、全然いいんですよ。その、私も楽しみでしたし……」
元々多少時間が前後するかもしれないとは聞いていたのでこのくらいなら気にするほどのことでもない。
「でも家族で喫茶店経営って夢があっていいですね」
……なんかエロい。エプロン姿のカナデさんが脳裏に浮かんだ。
いやいや、ほんとに落ち着こう。さすがに本人を目の前にした妄想はアウトだろう。
慌てて思考を切り替えた。
「えっと……場所はここなんですけど」
スマホを取り出してマップアプリを起動した。
画面を拡大して現在位置と、目的位置をカナデさんに見せる。
「ここって、どっち側なんですかね? 駅の近くですか?」
「ふひい!?」
急に顔が接近してきてびくんと肩が跳ね上がった。
カナデさんの吐息が耳にかかってぞわぞわと……というか変な声でた。
「ふひ?」
「いえっ、な、なんでもないです。すみません……」
スマホを横から覗き込まれて凄いびっくりした。
いや、私から見せたからそうなるのは予想して然るべきだとは思うんだけどさ。
けど……ち、近いし。カナデさん男の人なのに警戒心なさすぎる。
未経験の女子高生には刺激が強い。
というか……あ、あれ? もしかしてこれ脈あり? いくらなんでも気のない相手にここまで接近はしないはず。
こっそり手が触れ合ったり……あわよくばそのまま繋いだりなんて……
ほ、ほら! はぐれないようにとかさ!
「ん?」
……すみません。
自分という人間が酷く薄汚れた存在に思えてきた。
カナデさんの笑顔に浄化された気がする。
というか男の人って何でこんな良い匂いするんだろ。
そんなに良い匂いされるとこっちが臭い気がしてくるけど……いや、大丈夫だ。ここで卑屈になってどうする。
お風呂には入ったし、きつすぎない程度に香水もつけている。
今の私から普段ほどの体臭はしない……はず。たぶん。
こっそり腕を寄せて嗅いでみた。
うん、ほんのり香る程度のアロマの匂い。変なフェチズムを疑われるくらい妹にも確認してもらったし臭くはないはずだ。
「ここがあの信号ですよね? ってことはここ曲がってから……ショッピングモールがこれで……」
真面目にスマホを覗き見るカナデさんを隣からチラ見する。
イメージ以上に優しそうな顔を見てるだけで胸が締め付けられるようだ。
「ん、大体分かりました。他の皆はそこにいるんですよね?」
「そっ、そっすね」
言葉に詰まり過ぎて態度の悪いアルバイターみたいな返事になる。
覚悟を決めたばかりだというのに、相手をほとんど直視できない。
喉に綿が詰まったかのように、声の方も思うように出てこない。口の中が緊張で乾いてしまう。
それでも何とかコクコクと頷いた。意識をしてしまうと、高鳴った心臓が緊張に拍車をかけ、顔がどんどん紅潮していくのが分かった。
「あの……クロロンさん大丈夫ですか? 顔真っ赤ですけど、もしかして熱があるんじゃ?」
大丈夫じゃない。ドキドキが収まる気配が全くない。
カナデさん格好良すぎない? もしかして本当にモデルさんなのでは?
そんな言葉が自然に浮かんでくる。
チラリとカナデさんに目を向けると柔和な顔立ちが視界に入った。
駄目だ! 眩し過ぎる!
というかほんとに近いです。まつ毛長いし、良い匂いするし、肌白いし、凄く綺麗だしで、私の頭はてんやわんやだ。
女は狼なので食べられちゃいますよ。
「やっぱりクロロンさんも緊張してます?」
たはは、と照れ臭そうに笑うカナデさん。
都合よく勘違いしてくれてるのでそれに乗せてもらうことにした。
「そ、そうですね……人生初のオフ会ですからね」
「やっぱりそうなんですね……僕なんて昨日中々寝れませんでしたし」
私たちに会うのを楽しみにして布団の中でワクワクするカナデさんが脳裏に浮んだ。
だらしない笑みが零れそうになるけど何とか自制した。
気を取り直して目的地へと向かう。
「レンさんのお店のメニューってどんなのがあるんですか?」
「えっと……コーヒーとか、イチゴミルクとか、ミルクセーキとか、飲物は結構種類多いですよ。最近だとタピオカミルクティーが人気ですね」
「ああ、話題のやつですか。いいですね。僕も一度飲んでみたかったんですよ」
生のカナデさんと二人きりで会話出来てる。
そのことが妙に嬉しくあり……感動すら覚えた。
緊張するけど、シミュレーションはバッチリだ。
当然カナデさんと二人きりになる状況も想定している。
好きな物、嫌いな物、得意な事、苦手な事、好みの異性に、苦手な異性。
どんな質問でもばっちこいだ。
逆に相手を不快にさせない質問もネットで調べてある。
「クロロンさんは何が好きなんですか?」
不意に飛んできたカナデさんからの質問。
さっそく好感度を上げるチャンスがやってきた。
食べ物とかのその他の好物は大体横文字のものを答えておけばいい。ヴァイツェンブロートとかどうかなって思ってる。食べたことないけども。
ちなみにドイツの小麦パンらしい。昔は高貴な人や裕福な人が食べていたパンで、庶民には縁遠いパンだったそうだ。
だけど、私が本当に好きなパンは焼きそばを挟んだコッペパンだ。あれは何か安心する。
一応横文字ではあるけどさすがにコッペパンはないだろう。いや、コッペパン美味しいけどさ。
なんにせよここは印象を上げる最初のチャンス。可愛らしさを意識した答えを口にした。
「犬が好きです」
「……食べるんですか?」
予想しない方向に勘違いされた。
けど今の言い回しではそうなるか……斜め上に間違え過ぎた。どこの原住民族だろう。
慌てて訂正する。
「ち、違うんですよ。カフェラテアートみたいなのがありまして、そのイラストで好きな絵柄が子犬というだけで」
早口に捲し立てる私を見てカナデさんも「ああ」と、納得してくれた。
「そこって食べ物はあります? 朝あんまり食べ過ぎないようにしたのでお腹空きそうなんですよね」
「飲物ほどじゃないですけど色々ありますよ」
「おーそれは楽しみですね。クロロンさんが好きなメニューとかってあります?」
「サンドイッチとか、甘味ならパフェも美味しいですよ」
嘘です。ほんとは焼きそばが好きです。
薫の喫茶店の焼きそばってモチモチしてて、味もソースの味がしっかりしてるしで凄く美味しいんだよね。
でもお洒落な方を口にしておく。横文字の食べ物はお洒落という雑なイメージによるものだけど。
この人はたぶん横文字の食べ物しか食べない。そんなはずはないのだけど、眩いばかりのイケメン顔がそう錯覚させてくる。
……私は何を言ってるんだろう? なんか混乱してきた。軽くパニック状態だ。
カナデさんがそれを聞いて頷く。
「そうなんですかー。あ、でも気分的には麺類とか食べたいですね。ナポリタンとか焼きそばとか」
「ま?」
しくじった。まさかそこで気が合うとは思わなかった。
痛恨のミスだった。どういう運命の悪戯だろう。
気を利かせてくれた恋愛の神様申し訳ありません。嘘はつかないのでもう一度チャンスを下さい。
「あ……」
「?」
今更ながらカナデさんに車道側を歩かせてしまっていることに気付いた。
言い訳になるけど、男の人のエスコートは初なので気が回っていなかった。
万が一にもカナデさんに怪我なんてさせられない。
「あのっ、そっち側だと」
あれ? そういえば……と、もう一つの事実に思い至る。
ネット情報ではあるけど、男性と歩く時は出来るだけ相手に歩幅を合わせないといけないと書かれていた。
だけど私はいつものと同じ歩幅のペースで……もしかしてカナデさんずっと私に合わせてくれてた?
そう考えるとこの位置関係も偶然じゃないように思えてくる。
顔が熱くなる。
早く入れ替わらないといけないのに、そのことが口から出てこない。
現状を嬉しがっている自分がいた。
「あ、暑いですねー」
誤魔化すようにそう言った。
天気予報では今日は涼しい日になると言っていたのに、私の顔の熱は一向に引かない。
理性では駄目だと分かっているのに、今はカナデさんの優しさに甘えていたいと思ってしまったのだった。
「そうですね。都心に近いと人も多いですし熱気がありますよ。倒れないように気を付けないとですね」
リードされてる。嫌ではない。むしろ非常に嬉しい。
だけどちょっぴり複雑だった。
カナデさんにも楽しんでもらいたいと、歩きながら話題を考える。必死に悩んでいつもと同じ話題が浮かんだ。
ゲームの話とかどうだろう。
プレイするコンテンツの系統は似ているので、話をするならそっちのほうが相性はいいかもしれない。
「そういえば今朝お知らせ更新されてましたよ」
「お、どんなこと書いてました?」
元々意識さえしなければ話しやすい人なんだし、会話も慣れれば自然に出来る。
カナデさんとの間に自然な笑いも増えてきたしホッと一安心。
あながち毎日の妄想も無駄ではなかったということか。
毎日ゲームで遊んでたのも大きいのだろう。
少し歩く頃にはお互いの妙な硬さも抜け始めて、ゲームの話題に花が咲いていた。
仲良く話せば話すほど、それを見た周りから「えっ?」て、視線も飛んでくる。
それはそうだ。私だってこんな美男子と冴えない女子高生が並んで歩いてたら同じ気持ちになるだろう。
「今度新しい職業が出るらしいです」
「あ、それは聞いたことあります。魔法職ですよね。りんりんさんがようやくメイジより上の魔法職が来たって喜んでました」
歩いていくうちに栄えている大通りから外れ、気付けば西条家の経営する喫茶店が見えるところまでやってきていた。
シャッターが閉まっているところもちらほらある商店街の一角にその喫茶店はあった。
「あぅ……もう終わりですか……」
カナデさんには聞こえない程度の声量でぽつりと呟く。
楽しい時間はあっという間だった。
寂しい気はしたけど、オフ会はまだこれからなんだ。頑張ろう……両手をぎゅっと握って意気込んだ。
大きく息を吐いて【LAPLACE】の文字が書かれたドアを開けると、カウベルがカランコロンとどこか懐かしい音色を響かせる。
コーヒーの芳ばしい香りが漂う店内には柔らかな日の光が窓から差し込み、ワインレッドのソファと年季を感じさせるテーブルを照らす。
穏やかな空間。ここだけ時間が止まっているような感覚に陥る。
そんな落ち着いた雰囲気の喫茶店の入り口付近で私たちを友人達が騒がしく出迎えてくれた。
「絶対! 絶対土下座したほうがいいですって!」
「だーかーらぁ! んなことしたらドン引きされるっつってんだろうが!」
「怪しい人の言うことは信用しない方がいいよ~?」
「7ちゃんねらーに悪い人はいません!」
「それが怪しいんだっての! いいから土下座はすんなよ!?」
ドタバタと賑やかなやり取り。
今土下座とか聞こえたけど大丈夫かな……?
恐る恐るカナデさんを見る。
「やっぱり皆イメージ通りですね」
眩しいものを見るように優しく目を細めている。
さっきまでと同じ優しい笑みのはずなのに、なぜかさっきよりも魅力的に映った。
理由は分からない。けど、その時のカナデさんの嬉しそうな顔が不思議と私の印象に残った。
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