貞操観念逆転世界におけるニートの日常

猫丸

第1話 ヒキニートになる覚悟を決める





 目が覚めてすぐに病院だと分かった。

 白を基調とした清潔な一室。

 薬品や消毒液の独特な香りを感じた僕はしばらくぼんやりと天井を眺める……1分、2分とゆっくり周囲を見渡した。

 5分ほど経過しただろう辺りで直前の記憶を辿りながら枕元のナースコール用のボタンに手を伸ばす。

 すぐに人がやってきた。

 かなり慌てた様子の白衣の女性から話を聞けば、どうやら僕は生死の境を彷徨っていたらしい。

 それなりに危ない状態だったらしく、この後すぐに行った精密検査で何一つ問題が見つからなかったのは奇跡だと言われた。

 病院というある意味非現実的な場所にいることに緊張なのか興奮なのか、あるいはその両方のような感情を抱いた。

 ……けど、それも初日だけだった。


「退院ってまだできないんですかね?」


 僕が意識を取り戻してから既に数日が経った。

 このままだと寝てばかりの生活に順応して、退院後が辛くなりそう……問題がないなら退院させてほしいけど、まだ時間が掛かるのだろうか?


「大鳥さんは男性なのでそんなに簡単には無理ですよ」


 美人と言っても差し支えのない端正な顔をなぜか少しだけ赤く染めた女性の担当医がそんなことを言ってくる。

 意味はよく分からなかったけど申し訳なさそうな顔を見て無理なんだということだけは伝わってきた。

 高校入学を来月に控えた時にこんなことになるとは運がない。

 寝坊というには長く寝すぎてしまっていたようで入学式はもう何日も前に終わっている。

 やることもないからテレビをつけ特に興味もないニュース番組をしばらく眺める。

 あ、そういえばここWi-Fi繋がってたよね。

 傍にあったスマホを手に取り検索する。

 この前気になるネット小説を見つけたからそれを読もうかな。

 貞操観念逆転物のラブコメハーレム小説だ。


【貞操観念逆転世界】


 一言で説明するなら男女の貞操観念が逆転してる世界のことだね。

 よくあるパターンだと男女比が偏ってるとか。

 そのネット小説の展開で例えるなら――


 男の子が事故に遭って貞操観念逆転世界……つまりパラレルワールドに行ってしまうんだ。

 そこは男が少なく貴重な世界で、女の子はどれだけ可愛くて美人でもモテない童貞みたいな扱いを受ける世界。

 そこで主人公はハーレムをつくるなり、可愛い女の子とのラブコメを楽しむなりするわけ。

 貞操観念逆転世界で美少女や美女の価値はかなり低いからね。

 釣り糸を垂らしたら入れ食い状態って感じ。


 まさに貞操逆転のテンプレって感じの話だったけど、構成力が高いのと登場するヒロインが可愛いということもあり一目で気に入っていた。

 世界観も丁寧で心理描写も上手かったのですぐにその世界に入り込めたのだ。


「えーと、あれ? ないな……どこだったっけ」


 スマホ片手に小説サイトを探していると毒にも薬にもならないことを垂れ流していたテレビからニュースが聞こえてきた。


「近年女子高生による男性へのセクハラ被害は悪化の一途を辿っており男性専用車両の警備強化といった対策が――」


 強い違和感にぴたりと手が止まった。

 なんだろう、女性専用車両と聞き間違えたのだろうか。

 続けて流れてくるニュースは女の人が喋っていた。

 いや、今時女性のアナウンサーなんて珍しくもない。

 だけど、なぜか目が離せなかった。

 慌ててチャンネルを変える。

 女性芸人、しかもかなりレベルの高い美女が結構きわどい格好でお決まりの熱湯風呂をやらされていた。

 マラソンの中継、昼ドラ、ニュース、バラエティに食べ歩き番組。

 女の人しか出ていなかった。

 僕は病室を飛び出して院内を見て回った。

 走ると危ないと注意されたので謝りながらも、それでも少し早歩きで進んでいく。

 やはり女性しかいなかった。

 おい……いや、待って待って……これまさか本当にひょっとしてひょっとするんじゃ。

 待合室に読みかけの新聞があった。

 持ち主は見当たらず、誰かが忘れていったもののようだ。

 僕は新聞の一面を開いた。


【男性の出生率は年々減少傾向にあり――これを受けて国会は男性に対する補助金の増額を決定】


 オタク趣味拗らせすぎだとは思うけど僕はこの段階でかなり確信に近い予感を抱いていた。

 あまり長々と説明するのも面倒だ。結論から話そう。

 どうやら僕は本当に貞操観念逆転世界に来てしまったようだ。





 数日後。

 そうだな、どこから話そう。

 歴史的な差異については長くなるので置いておこう。

 とても一言では説明できない。

 重要なことから簡潔に話すと……この世界の男は働く必要がないのだそうだ。

 女性に養われることが当たり前。

 それどころか男ってだけで国から補助金がもらえたり。

 どうやら本当に男女の価値が大きく変化しているらしい。

 男女比が大きく偏ったこの世界では男は男というだけで国から保護されるレベルの希少生物。

 男と比べたら性別が女というだけでどんな傾国級の美女でもどこにでもいる凡人に成り下がる。

 そんな、何もせずとも得をする世界に生きていれば当然人間の男なんて生き物は勘違いをする。

 自分は偉いんだ、凄いんだと。

 一人だけ歳の近い男の子がいたので話しかけてみたら凄かった。

 傲慢が服着て歩いてる感じって言えば伝わるかな。

 同じ男としてちょっとだけ複雑な気持ちになったよ。


 恐らくこの世界の価値観に染まっていない僕がちょっと優しくすればどんな美少女だろうとすぐに心を許すだろう。

 本当に歪すぎる世界だ。

 けど……やばいよ、何ここ楽園だよ。

 そこで僕は決意をする。

 ハーレム主人公になって可愛い子たちとイチャイチャ――なんてことはなく。


「引き籠ろう、誰とも関わらずにニートになろう」


 引き籠る決意を固めた。働かなくても良いって最高じゃないだろうか。

 一生遊んで暮らせるお金のアテもある。

 少し前まで学校面倒だな~なんて考えてたけど、それももう関係ない。

 今の僕の心はとても晴れ渡っているんだ。

 貴重な男としてこの世界では価値のない美少女たちとのラブコメハーレムも捨てがたい気はするけど、それよりも24時間365日何もしなくていい逆転世界の男の希少性に惹かれた。

 良く考えたら無理に関わる必要もないからね。


 これは貞操観念逆転世界にやってきた大鳥奏と言う少年が世界との関わりを断ち部屋からほとんど出ない物語。

 貞操観念逆転世界のハーレム主人公を拒んだ僕という人間の引きこもり譚である。

 え? それ何が面白いのかって?


 シャラップ!




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