陽子が残したもの
昔の癖で君を思い出す。
そんなフレーズがあったような気がします。
人は知らず内に周囲に大きな影響を与え、そして受け取っています。大なり小なり、人と人とが接することで、化学反応とも言えるべき変化と奇跡が、そこで起こっているわけです。
私は長期記憶がいいのか、印象的なシーンに出くわすと、その当時が蘇ります。
例えば沿岸沿いを走っていれば一緒にドライブしたあの人、とか。
なんか言ってて恥ずかしくなりました。
でも、きっと他の人にもあるんじゃないかなって思うのです。
なにかにチャレンジする時、なにかをする時、
決まってあの人の言葉を思い出す、なんてことが。
海斗にとって、あの海での陽子との出会いはまさにそんな瞬間だったのです。
水中から見上げる太陽を、陽子と読んでしまうほどに。
ちなみに余談なのですが、私には千葉県は柏市に親しい方がいます。
夕方になると音楽が流れて、遊んでいる子どもたちの帰宅を促す、そんな放送を耳にすることはあると思います。
で、ですね。柏市民はこの音楽のことを、「パンザマスト」と呼ぶのです。
最初聞いた時、意味がわかりませんでした。そもそも何語だよ、と。
これネットで調べるとすぐに出てくるくらい今じゃ有名な話のようなのですが、小学校の頃から「パンザマストが鳴ったら家に帰ろう」と教育されているそうなんです。
以前その友達と遊んでいた時、
「あ、パンザマストだー。もう五時かー」
と突然やわらか笑顔で言い出したので
「あ、え、は? パンダがマスト?」
「ぱんざますと。パンザマストが鳴ったらお家にかえりましょー、だよ?」
「パンthe mast?」
「えっ」
「えっ」
となった事がありまして、そこで真相を聞いた時に驚いたものです。
こんな感じで、幼少期の頃の思い出というのは、意外と人間性に多くの影響を与えています。三つ子の魂百までとか、育ってきた環境が違うからー、といろいろ言いますよね。
そんな出来事が海斗に起こる! それが今作、海が太陽のきらり、です。
おそらく海斗くんは、この先も、同じようにこの光を見ることで、思わずつぶやいてしまうのでしょう。それは海斗くんが大人になって、子供ができて、もしかしたら子供にもそう教えてしまうかも知れない。
そう考えると、萌えませんか? ←
普通に聞くと、光の屈折現象を前に女の子の名前を呼んでしまうなんて、どうかしてしまっています。事情を聞かなければ、気持ち悪いまであります。
ですが、そこに物語があると、実にロマンティックなことに思えてくるから不思議です。場合によってはそんな海斗くんを好きになってしまう女の子が現れるかもしれないくらいです。
陽子と海斗は、この海斗に起こる変化が「誰もが納得できる」ような、そんなイベントをこの海で過ごさなければなりませんでした。
ここもやはり、作者様のお考えが色濃くでたのではないでしょうか。
どの程度の出来事なら、自分が影響されるのか。
そしてそれを、ずっと思い出としてしまっていられるのか。
一口に表現するのはあまりよくないかも知れませんが、特にこの部分は、男性作者様と女性作者様で分かれる傾向があったように思います。
またこの光の現象でいうところの陽子を、設定の妙として美しく描いた作者様もおられました。
言う慣れば、
「(作者にとって)どんなふうに影響を受けたいか」
そんな心理の現れかも知れませんね。
やっぱり言い過ぎか。
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