「海が太陽のきらり」を振り返って

海が見たかった

みなさん、こんにちは。企画主のゆあんです。


随分と期間が空いてしまいましたが、かんたんな振り返りをしていきたいと思います。お世話になっている作家様からコメントを頂いたのがそのきっかけではあるのですが、そういえば総括をしていなかったことも思い出しまして、これはやらねば! と遅ればせながら筆を取っている次第です。大変良いきっかけを頂けたと思っています。ありがとうございます。


総括、というと総評、なかなかに堅苦しい感じがいたしますが、いかんせん、時間が経ち過ぎてしまいました。


と言いますのも、当時の私は仕事が忙しく(言い訳)、部署変更だったり業務の棚卸しができてなかったりと、脳みそをフル回転させていたんですね。特に理由もないのに、口を開けば『忙しい』と、よくない状況でした。

それもすべて自分が要領よく仕事できないことが原因ではあったのですが、そうなると無駄に長い通勤時間の有効利用というのもうまくできなくなっています。座れれば大口をあけて居眠りをしていました。企画を立ち上げた頃は、「新部署ができるぞ!」ということで私の業務負担が「やった!これで半分になる!」なんて甘く見積もっていた訳で、全く、世の中世知辛いのです。


いきなりではございますが、私は夏生まれです。夏が苦手なんですけど。


幼少の頃、顔に水がかかることですら絶叫していた私を見て、母がスイミングスクールに入れました。その頃から泳ぎは得意になっていったのですが、程なくして父がスキューバダイビングに目覚め、夏休みには毎年国内、数年に一度は国外の海へに旅行するのが我が家の日常でした。

今でこそリゾートとして名を馳せるモルディブやフィジーなんかは数回行った記憶があります。

そんな私でありますので、夏になると、無性に海が見たくなります。学生の頃はラブコメ的な期待も込めて数人で海に行くのが定番ではありましたが、専門学生になるとその機会も減り、社会人になった今も、その機会が増えることはありませんでした。


楽しみ方も変わります。昔はどろんこになるまで泳いで遊びましたが、いつしか、まるで水着を濡らさないようにしているかのように、海岸で過ごすだけなのです。水着なのに。近年では、ドライブがてら海岸に立ち寄り、ただただ黄昏れるだけなんて始末です。水着すら持ち込まないなんて、海に向かうのに本気が足りなすぎます。


「ああ、今年も海に行かずに終わってしまったな」


気づけば世間は秋の形相でした。


そんな折、私の感性にぴったりとハマる楽曲の存在を知りました。ピアノを中心としたバラードだったのですが、とても美しい楽曲で、その柔らかな響きは、透明な水の中にいるかのような感覚をくれたのです。


そこで思い出しました。あの、透き通る海で見た世界を。


透明度の高い遠浅の海は、穏やかな水面が海底の砂浜に映し出されます。水中にいると、まるで海面が上にも下にもあるような、そんな感覚がしてきます。そしてその水面越しに見る太陽の美しさは、筆舌に尽くし難いものがありました。

ダイビングをされる方なら、一度はその光景に息を呑んだと思います。


ここで閃く訳です。

――これ、小説の題材に使えるのでは、と。


そして同時にこうも思いました。

――どうせなら、たくさんの海が見てみたい。と。


それが本作のプロットを描くにあたった、動機の一つなのでした。

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