「止めるって……どうやって?」

 黄泉寺は思わず声を荒らげた。

「俺たちだって止め方なんて知らないんだぞ!?」

「怒鳴らないでください。消耗しますよ?」

 絆夏は背もたれに体重を預けた。

「現状を打破しなければ、近い内に私たちも死にます。黄泉寺さんたちがまたポポポ市とかいう場所に潜り込めるかどうかは知りませんが、戻れさえすれば、黄泉寺さんたちだけなら生きのびることもできるでしょう。でも、私たちは入れませんよね?」

 絆夏は顎を上げ、目を強くつむった。

「イコライザーミサイル、でしたっけ? それ、私たちも知っています」

 絆夏はテーブルに頬杖を突き、視線を虚空に投げ出した。

 以前は、他にも生存者のキャンプがあったという。最初は小さなキャンプでも、生活を続ける内に人が集まり、大きなキャンプになっていく。人が増えれば、知識も、集まる物資も増える。人々はキャンプで自活を始める。

 そして、生活が軌道に乗りはじめると、イコライザーミサイルがキャンプに落ちるのだ。

 待ってましたと言わんばかりに、すべてを灰燼に帰す。

 さらには、その地を中心に竜がうろつき始める。

 散り散りになった人々は後に他の生存者と情報を共有する。共有された情報は徐々に伝播し、絆夏のいたキャンプにも届き、人々は散った。

「場所と日時を決めて、壁とか、建物の床とか、そういうところに伝言を残すんです。学校なんかはなぜか残っていることが多くて、黒板がよく使われます。あとは決めた日に物資を持ち寄って分け合うんです。でも、そんなの長く続かない」

 ジリ貧だ。命を刈り取る竜の数は減らないし、貴重な物資を破壊するバグも増える。

 このままでは、世界は、文明は、じきに滅びる。

「私は世界を変えたいなんて思ってません。世界を変えるために頑張って、それで死ぬなら仕方ないなんて、そんなふうには思えません。……パパも、ママも、友達も殺されました。私だけが生きてます。みんなを殺したやつを殺しに行って、それで死んだなら、そのとき私はみんなと同じになれる気がするんです」

 壊れた世界に取り残された少女に、ひし、と死者が纏わりついていた。あの日、瓦礫の上で絆夏が流していたのは絶望の涙ではなかったのかもしれない、と黄泉寺は思った。

 必死になって抵抗して、やっと死ねると、喜んでいたのかもしれない。

「――絆夏ちゃんはさ。いつもこんな生活してんの?」

 特段、意味があって聞いたわけじゃない。いたたまれず、話題を変えたかっただけだ。

 しかし、

「いつも? そんなわけないじゃないですか。私たちには、一日だって同じ日はありません」絆夏は微かに口角を吊った。「自分で考えて、動いて、生きているんですから」

 その問いかけは、内と外の断絶を確認する機会になった。

 黄泉寺はアポカリプサーに守られている世界――悪く言えば生ぬるい世界を生きてきた。断片的にしかポストアポカリプスの現実を知らなかった。。

 内と外の間に横たわる溝は、底が見えないほど深く、途方もなく広かった。

 なら俺は、俺たちは、死んでいたのか。

 黄泉寺は絖瀬に目をやった。俯く横顔は、判決を待つ罪人のようだった。

 二人でひとつのプレフロンタルコーテックス。絖瀬が何を考えているのか、手に取るようにわかった。

 アポカリプサーは黄泉寺と絖瀬を殺しはしない。殺すのはアポカリプサーの庇護下に置かれたポポポ委員たちだ。

 二人は、求められているものが違う。

 プレフロンタルコーテクス――絖瀬のいうところの理性だ。アポカリプサーがポポポ委員の中から選びぬいた、最も人間的な判断装置なのだ。

 黄泉寺と絖瀬が二人で下す決断は、たとえそれがどのようなものであっても、アポカリプサーが欲している決断に他ならない。

 黄泉寺は絖瀬の肩を叩いた。待っていたかのように顔が上げられ、小さく頷く。

 それだけで、充分だった。

「なんとかして、ポポポ市を潰さないとな。それができるのは俺たちだけらしいし」

「……そうッスよね。自分、黄泉寺さんならそう答えると思ってたッスよ」

 二人は視線を交わし、笑いあう。相性がいいのも、アポカリプサーがそうなるように選定したからなのだろうか。どうでもいい。些細なことだ。

 すぐ近くにいる少女に比べ、自分たちの悩みは小さすぎた。

 放って生きれば、やがて自らの罪悪感に殺されてしまう。

 絆夏は二人から煩わしそうに視線を外した。

「ですから、どうやって? なにか妙案でもあるんですか?」

 黄泉寺は絖瀬と顔を見合わせ、唇の端を吊ってみせた。

「特別製の竜が一頭ほど。ここからだと少し遠いけど、隠しておいてあるんだ」

「……それは心強いですが、それ、あぽかりぷさーとかいうのが操作しているのでは?」

「……あ」

 高まっていた戦意は無慈悲に打ち砕かれた。

 キメ顔のまま固まる黄泉寺に代わって、慌てて絖瀬が続ける。

「でもでも! た、試してみないとわからないッスよぉ!」

「それはそうですが……」

 言いつつ、絆夏は困ったような目を鍋神に向けた。鍋神は他に人がいるわけないのに左右を見渡して、私ですか? とばかりに自分の顔を指差した。

「えっと……まぁ、絖瀬さんの意見も――」

 鍋神の弱々しい擁護を断ち切るように、

 ポーン

 と、軽い音が響いた。

 その一瞬、時が止まった。

 俄に絆夏が殺気を放ち、銃を掴んだ。銃口が黄泉寺を狙う。刹那、黄泉寺のポケットからふたたび、ポーン、と軽い音が鳴った。

 黄泉寺は両手を挙げつつ叫んだ。

「待って待って待って! アポカリプサー! アポカリプサーからの通信だよ!」

「あぽかりぷさー!? まさか――」

「違う違う違う! ポケットに入ってるのすら忘れてたくらいだよ!」 

 撃つな、と右手を伸ばし、黄泉寺は、そろそろと空いた手でイヤホンを取りだした。

「で、出ていい? 出ないと却って怪しまれるかも……」

 絆夏は銃口を黄泉寺に向けたまま、怒鳴るように言った。

「ここは地下三階ですよ!? 電波が入るわけないじゃないですか!」

「どうやってるかは知らないけど! ホームデバイスみたいなもんなんだよ! アポカリプサーは常にどっかで聞いてるんだよ! 頼むから銃を下ろしてくれ!」

「ダメです! 早くそれを壊して――」

「出るからな!? 撃つなよ!?」

 黄泉寺は制止を無視してイヤホンを左耳に押し込んだ。咄嗟に絖瀬が銃口との間に躰を滑り込ませた。

『やっと出た! 黄泉寺くん! 何したんだい!?』

 ――銃声の代わりに聞こえたのは、焦るような沢木の声だった。

 自分を狙う銃口の圧迫感に内心で怯えながら、黄泉寺は応答した。

「さ、沢木さん、ですか?」

『そうだよ! よかった――忘れられてたらどうしようかと思ったよ』

「なんで、アポカリプサーじゃなくて、沢木さんが……?」

『それよりキミだよ! 何したんだい!? 緊急の、損失命令が出たんだ!」

「緊急の、損失命令……ですか? 何の?」

「何のって――キミのさ! いや、キミたちのだ! 黄泉寺委員と三頭委員の損失――」

「俺と、絖瀬さんの……」

 損失だって? 

 黄泉寺は沢木の言葉を飲み下せなくなった。

 アポカリプサーが、とうとう俺たちを殺しにきた。いや、殺すのはアポカリプサーの手足たるポポポ委員だが――今は行為の主体などどうでもいい。

 なんのために? なぜ? どうして?

 ポポポ委員はアポカリプサーに組み込まれた判定装置であり、人ではない。損失判定をうけるはずが――あ。

「俺、いま、スーツ着てない……」

 黄泉寺は急に身震いするほどの寒気をおぼえ、慌てて設備室を見渡した。こちらを見つめる絆夏の銃口。視線を右往左往させる鍋神。何かを察した様子の絖瀬。アポカリプサーの目となりそうなものは見当たらない。どこで見ているのか、何のために。

 絖瀬は沢木をみたことはあっても、話したことはないと言っていた。沢木は絖瀬の名前すら知らないはずだ。なら、なんで『三頭委員』という名前がでてくる。

 沢木は、嘘を言っていないからだ。

『――黄泉寺くん!? 黄泉寺くん!? 聞こえてるかい!? 黄泉寺くん!?』

「……聞こえてます」

 慎重に、合わない歯の根がカチカチとぶつからないように、黄泉寺は答えた。

『黄泉寺くん! そこに空き缶とかない!? あるならイヤホンの音量を最大にして、缶の中にイヤホンをいれて! できる!?』

「缶……缶ですか……」

 思うように焦点の定まらない目を振り回し、ようやく足元の乾パンの缶に気づき、黄泉寺は最大音量にしたイヤホンを缶の中に落とした。

 コン、と乾いた音が鳴った。

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