なぜに、と小首を傾げる黄泉寺に対して、絖瀬は顔を伏せた。

 マイクを通し、絖瀬の囁くような声が「……言う? 言っちゃうッスか? でも言っちゃうと……」などと呟いていた。

 やがて絖瀬は意を決したように、恐る恐る顔を上げた。

「こ、この際だから、黄泉寺さんにも、ちょっと、聞いてみたい、ことが、あるッス……」

 よほど悩んだ末の提案なのか、声がひどく震えていた。その母親を探す迷子のような雰囲気から、黄泉寺は『聞いてみたいこと』を察した。

 おそらく、彼女がパートナーに選ばれた理由だ。アポカリプサーが言っていた、イコライザーミサイルが発射される遠因となった何か。まだ黄泉寺も話していない何かを絖瀬は先に言おうとしている。それなら、聞かないわけにはいかない。

 それもできれば、傷つけないように。

「俺に、ですか? それは……」

 小さく肩を竦めた黄泉寺は、できる限り軽い口調で言った。

「重い話ってやつですか?」

「……そうッス! 重い話ってやつッスよ!」

 ポポポ星人型スーツの奥に、安堵の笑みを浮かべる絖瀬の顔が見えた気がした。

 二人は教室を後回しにし、絖瀬を先頭に階段を上った。さすがに登るだけで崩落するとは思い難いが、亀裂クラックだらけの階段は一段踏みしめるごとに揺れているような気がした。

 ある教室を探しているという絖瀬は、階を上がる度に廊下を覗き込んだ。

 一階、二階と見当たらず、さらに上へと上へと向かうので、黄泉寺は絖瀬がなんの教室を探しているのか何となく察しがついた。けれど、絖瀬の落ち着きのない足取りに指摘できなかった。あたりまえだが、彼女はいま緊張の極致にあるのだ。

 黄泉寺も、イコライザーミサイルが降ったあの日、絖瀬と同じ顔をしていた。子どもを殺してしまわなかったことがきっかけだ。知っているのは沢木だけ。昨日の今日でそれが真実だと知らされて、いままで平静でいられたこと自体が不思議なのだ。

 もしかしたら、黄泉寺が真実を受け止められたのは、同じ境遇にある絖瀬が隣にいたからもしれなかった。

 だから、絖瀬が自分で見つけるのを待った。

 絖瀬が「あっ」と微かな声があげたのは、四階の廊下を覗き込んだときだった。

 廊下の先を指さし、絖瀬が振り向く。

「黄泉寺さん、来てもらっていいですか?」

「了解です……どんな話でも引いたりしないんで、何でも聞いて下さい」

 俺も同じものを抱えてるんで、という風に、黄泉寺は優しく答えた。

 絖瀬が廊下の先にある二枚扉を開く――。

 外から見たとき欠けていたのは、その部屋の一部だったらしい。まだ高い日の光に照らし出されていたのは、湿気った風に晒される古ぼけた本の山だ。扉の茶色くなったプレートには『図書室』と書かれていた。

 B、B、Bプラス、Bマイナス、C、Bプラス……。

 黄泉寺のHUDに、緑色のフレームが、同時にいくつも表示された。離れているから同時に表示されるフレームが少ないだけで、一冊一冊を手に取ってみれば個々の判定値が表示されるだろう。

 黄泉寺は緑のフレームが踊る文化的資源の宝庫を眺めながら、絖瀬の言葉を待った。

 しばらくして、絖瀬がその場にしゃがみ、気怠そうに壁に背中を預けた。

「黄泉寺さん、判定値、どうなってます?」

「……平均してBって感じですかね。絖瀬さんの方は?」

「自分のも、だいたいおんなじッスよ……」

 絖瀬は反動をつけて立ち上がると、自分の首元に手を添え、

 突然、ポポポ星人型スーツを脱ぎだした。

「ちょっ! 絖瀬さん!?」

「わかって、る、ッス!」

 本当に分かっているのだろうか。心配する黄泉寺をよそに、ぐじょり、と絖瀬がスーツから上半身を引きずり出した。意外なことに、着用時にあれだけ粘液質な感触があったにもかかわらず、額や首筋に髪や浮かんだ汗を除けば顔に液体がついていなかった。

 絖瀬は両手の粘液を振り落とすと、深く息を吐き出しながら言った。

「近くには人がいないッスよね? 黄泉寺さんもどうッスか? 気持ちいいッスよ?」

 疲れきったと言わんばかりの笑顔に、黄泉寺は言葉を見失う。ただ、同じことをすれば絖瀬も話がしやすいだろうか、とだけ思う。

 黄泉寺は首元に手をやり、スーツの着脱操作をしようとした。頭の中に『作業中のスーツの着脱は推奨されません』とアポカリプサーの声が響く。

 無視して、黄泉寺も頭を外に引きずり出した。

 吹き付けてくる湿っぽい風に、黄泉寺は沢木の言っていた言葉を思い出した。

 アポカリプサーは人に判断ミスを求めている。だとしたら、いまさら作業中にスーツを脱いだくらいで、どうなるというものでもないだろう。

 えいやと両腕も引き抜く。こちらは粘液でベトベトだった。

 顔をしかめた黄泉寺は粘液で肌に貼りついたシャツに手を擦りつけた。生ぬるい。

「うぁ……これ、最悪だな」

「ですです。マジ、ツナギで来てよかったッスよぉ」

 楽しそうに言って、絖瀬はツナギのポケットから銀色の棒状の器具を取りだした。スイッチを入れて口に咥える。

「え? マジ? それ、煙草っすか?」

「んぅ?」絖瀬はぐっとそれを吸い込むと、煙を吐いた。「違うッス。VAPEベイプ――電子タバコとか言われてるやつッスけど、ただの匂い付き水蒸気ッスよ。……警察に見つかったら補導されちゃうかもッスけど……ねぇ? ちなみに、いま吸ってるのはチェリーフレーバーッス」

「へぇ……」

 もくもくと吐き出される厚い煙は粘度が高いのが色濃く長く残り、少し甘い匂いがした。しかし、吸い方も、吸ってる仕草も、ほぼ煙草と同じに思えた。

「って、まさか?」

「へへへへ」絖瀬はへらりと笑って、もう一服吸い込んだ。「たまーに、ですけどね」

 文化的資源損失課は現地に到着したら個々に動く。絖瀬はたまにこうして、VAPEとやらを吸っていたのだろう。あまり褒められた行為ではないが、ポポポメカのモニターを通して個人で生殺与奪を決めていた人的資源損失課の人間に、それを咎める資格はない。

「それで、俺に聞きたいことってなんですか?」

「ああ、それッスね。それ、聞いておかないと」

 絖瀬は口を丸く開き、ポッ、とリング状の煙を吐いた。煙はすぐに風に巻かれ霧散した。流れていく煙をじっと眺めて、絖瀬は言った。

「黄泉寺さん、ここの本、サクっと燃やせますか?」

「……技術的に……って話じゃないですよね?」

 スーツには資源損失用の熱戦放射口がついている。ポポポメカにも積まれているそれを小型軽量化したものだろうから、低出力で使えば火炎放射器とほとんど変わらない。本を焼くどころか、ひとりで学校を丸ごと焼き尽くすことだってできるだろう。

 ――子どもを見逃した、中道五番町商店街と同じように。

 絖瀬は、細く、長く、煙を吐いた。

「自分、ポポポ委員会に入ったばっかりの頃は、サクっと燃やしてたッスよ。なんでなのかわかんないッスけど、全然、抵抗なくって」

「課は違うけど、わかりますよ。なんか、ゲームやってるみたいな気分でしたから」

 委員会に参加して、竜に乗って、好きな音楽をかけて画面を見つめる。あとは的を見つけて引き金を引くだけでいい。たまたまオラついた連中や女漁りに忙しいイケメンの判定値が高かったおかげで、黄泉寺は瞬く間にスコアトップに立った――らしい。アポカリプサーは競争を求めなかったので、そう告げられたというだけではあるが。

 絖瀬は床に散らばる本を冷めた目でみやった。

「そうなんッスよね。自分が学校に目ぇつけたのもそれが理由ッス。どうも課のオジサンオバサンたちは、会社とか民家とかばっか狙うんで……入れ食い状態ッスよ」

「ちょっと違うけど、わかります」

 人的資源損失課はもっと適当だった気もする。操作形態インターフェイスがゲームに近いというのもあっただろう。けれど、黄泉寺は好きに攻撃していいと言われると、本能的に同年代を狙ってしまうらしい。代わりに、年上と年下にはどうしても甘くなった。

「でも、自分はできなくなっちゃったッスよ」

 絖瀬はその場にしゃがみ、ポポポ星人スーツに覆われた足の間に目を落とした。

「二週間くらい前だったかなぁ……」

 その日、絖瀬はいつものように他の課員から離れて近隣にある小学校に行った。

 人的資源損失課が処理を終えた後に当地に入るという業務特性上、すでに焼け落ちている可能性もあった。が、なければないで周辺を捜索すればいい。

 学校は、珍しく原型を留めていた。運が良い。

 意気揚々と足を踏み入れた絖瀬は、いつものように、まず図書室を目指した。本は判定値が高くなりがちだから、自分ルールの中で高得点になるのだ。

 特に気を使って歩いたわけではないが、改良に改良を重ねられたスーツは歩行音すらしなくなっていた。期せずして、存在を隠匿しながら図書室にたどり着く。

 他の教室よりも高級そうな扉は開かれたままだ。

 絖瀬はハミングでも出そうな気軽さで図書室に入った。

 子どもがいた。

 図書室に片足を突っ込んだ絖瀬に気付く様子すらなく、じっと本を読んでいたという。

 似ている、と黄泉寺は思った。シチュエーションはそっくりだ。

 絖瀬はもう一服煙を吸って、ゆっくりと吐き出した。

「自分、一回だけ白兵戦用のコラプサー弾を使ったことがあるって言ったッスよね?」

「……まさか」

 あはは、と口元を緩めた絖瀬は、首を小さく左右に降った。

「違うッス。銃撃を受けたッスよ」

「銃撃? それって……」

「自衛隊員の銃を拾ったんでしょうねぇ……オジサンッス」絖瀬の黒い瞳が潤んでいく。「一応、スーツは銃弾も防ぐんで、びっっくりしたってだけッスよ? でも、びっくりしたからつい……右手で撃っちゃったんスよ」

 黄泉寺は口をつぐんで俯いた。絖瀬の静かな声が続く。

「やっちゃった、って思ったら手が震えだして。すぐに子どものこと思いだして。振り向いたら、その子、泣きながらこっち見てて」

 後悔が、絖瀬の頬を伝って落ちた。

「やぁ……ほんっと、トラウマもんッス。それからはもう最悪ッスよ? どこ行ってもあの子の顔がちらついちゃって、物音がすると隠れちゃったりして、もうあんな顔見たくないって思って何もしないようになって、なのに……」

 イコライザーミサイル。

 黄泉寺は心中で呟き、半壊した天井を、その先の空を睨んだ。

 最初の一発は東京スカイツリーを正確に貫いた。所在地である墨田区の人口は、当時で約二十五万人だった。足立区から時計回りに葛飾、江戸川、江東、台東、外に広がって千代田、文京、港、新宿、豊島、北、それに荒川。それらが含まれる半径十キロ圏内にあった背の高いビル群は破壊し尽くされ、今では終わった文明の沼と化した。

 沼地に住むのはアポカリプサーの操る機械仕掛けの竜だけ。たった一発で、それも最大威力となる半径十キロ圏内だけで、数百万の人的資源が損失したのだ。

「……でも、アポカリプサーが言ってたじゃないですか。絖瀬さんだけじゃなくて、俺も遠因になっているって」

「どういうことッスかぁ……?」

 鼻をすすり始めた絖瀬に、黄泉寺は言った。

「比べるもんじゃないと思いますけど、俺も結構メチャクチャなんですよ。ほんと、突然ポポポ委員会とか言われて、なんも考えずに竜に乗って。俺、メチャクチャな数の人、殺してますからね。それもゲーム感覚で。生かすかどうかも適当だったんですよ。女の人だと殺したくねぇなぁとか、おっさんは許してやろうとか、イケメンは死ね! とかね」

 初めて他人に話したからか、目の奥が傷んだ。

 そして口にした途端、かつて自分が下してきた判断のすべてが狂っていった。正解なんだと自分に言い聞かせてきた選択は、すべて、自分が生きのびるために選んだだけの、独善的な決断に過ぎない。

 生かすも殺すもこちら次第。AIは未来のために、人に、取るべき行動指針を示す。

 だが結局、決断を下すのはいつだって人間だ。

 目眩がするようだった。唐突に理解してしまった。

 黄泉寺は全身を襲う虚脱感に耐えられず、背中を壁に預けて座り込んだ。

 その単語だけは口にするなと、本能が叫んでいた。

 けれど、

「――どう言い訳しても、殺してきたのは俺なんだよなぁ」

 残念ながら、絖瀬と違って、すでに涙腺が錆びついていた。

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