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絖瀬は横目でちらりと黄泉寺を覗き、口元を緩めた。
「実は自分、たまに学校が懐かしくなるときがあって……」
「あー……」
そっちの話かぁ、と黄泉寺は僅かに頭を垂れた。これまで、高校のことは、あまり考えないようにしてきていた。正直、冷静に聞いていられるか不安だ。しかし、下手に拒否すれば今後の関係に悪影響をおよぼすかもしれないし、体力的にも精神的にも余裕がある今のうちに聞いておくべき話でもある。
なにより、人を知るにしても、教えるにしても、最適な話題だった。
覚悟を決めた黄泉寺は、自ら話し始める。
「――俺はあんまり考えないようにしてました。実をいうと、あんまりタフじゃないんで」
言って、無理にでもおどけているかのように肩を揺らす。
絖瀬は「あはは」と軽く笑った。
「タフじゃなさそうなのは、見ればわかるッスよ。線細いッスもん」
「ひどいな。って言っても事実なんで反論できないですけどね。それに正直、絖瀬さんの方がタフそうな感じしますもん」
「あははー。自分は結構タフッスよぉ? 中学の頃は文芸部だったし、高校に上がってからは美術部ッスからねぇ」
ニカっと笑った絖瀬は、力こぶを作るかのように右腕を立てた。
どこがどうタフさにつながるのか、と黄泉寺は肩を揺らしながら訊ねた。
「ゴリゴリの文化系ってヤツじゃないですか。体力いるんですか?」
「そりゃすっごい重要ッスよぉ! いいッスかぁ? 読書には集中力が必要ッス。だいたい百枚のゲンコーを読むのに三十分から一時間はかかるッス。文庫の一冊なら原稿用紙で三、四百枚はあるッスから、全部読むのに早くても二時間くらいはかかるッスよ」
「なんか計算合ってないような気がするけど……?」
「それに本は紙ッスからね! 二十冊も集めたら丸太抱えてるのと変わらないッス!」
「ああ、たしかに。そっちはわかるかも」
黄泉寺はあまり本を読まないが、カバン一杯に詰め込んだ教科書は毎日持ち帰るには重すぎて、中一の夏休みには机の中に置いて行くのが常態化していた。文芸部が何をするのかは知らないが、部活で読むための本を持ち運びするのなら、体力は重要だろう。
「と、美術部は? 美術部も重いとか?」
「そうッスねぇ……自分は油彩はやってなかったッスけど、美大の人たちとか、キャリーバッグを引いてたッス……っていっても、もっと別に、根本的な理由があるッスよ」
「そのこころは?」
「どちらも書くのに体力がいるでしょう!」
絖瀬は自信満々に言い、ころころ笑った。つられて黄泉寺も頬を緩める。絵も小説じみた文章も授業くらいでしか書いた経験はないが、時間がかかる割に納得のいくものができたことはない。だから写真を撮るようになったのかもしれないと思うくらいだ。
――ただ、カメラはカメラで、首から下げて歩くとすぐに肩が凝ってしまうが。
ふと気づくと、絖瀬は目を細めて遠くを見つめていた。
「やー、懐かしいッスねぇ……あの頃はあの頃でしんどかったッスけど、でも、今思うと楽しかったのかなぁって思うッス」
「俺は……俺はどうだったかなぁ……」
中学時代は仲のいい友人もいたが、高校に上がった途端にひとりになった。元々明るい性格でも社交的でもないから仕方がないのだが、まさか教室ではしゃいでいる連中に敵意を抱くようになるとは思わなかった。
いじめというには静かすぎる排斥は、いつの間にか始まっていた。
持ち前の人見知りが災いして、何度か誘いを断った。黄泉寺がしたことといえばそれだけである。自己紹介で話すような話題もなくて、成績も中の中で、もちろん顔の良し悪しより先に厚いメガネレンズの話になった。
たったそれだけなのに毎日が面倒なものに変わり、つまらない世界は壊れてしまえばいいと思っていたら、本当に壊れてしまった。なのにポポポ市があるせいで、たったひとりで過ごすありふれた日常だけは壊れなかった。
それから先は余生のようなものだ。
生まれた瞬間に与えられた加速度が尽きるまで、ただ転がり続けるだけ。
ふと、思い返す。
一昨日前に見逃した子どもは、どうなったのだろうか。
黙り込んでいたことに気づいた黄泉寺は、だからダメなんだと無理やり口を開いた。
「ところで、文化的資源ってなんなんですか?」
とっさに思いついた話題は、なんの面白みもない仕事の話だった。
またしてもぼんやりと焼け野原を眺めていた絖瀬は、ちらりと黄泉寺に横目を向けた。
「あー……まぁ、自分が教えるよりも、実際に見たほうが早いと思うッス」
絖瀬はニカっと歯を見せ、正面を指さした。
遠くに、半壊し校舎の一部が欠けた、コンクリ造の校舎らしき建物があった。座標からすると中高一貫の学校で間違いないのだが――、
奇妙な光景だった。
学校に至るまでの田畑や野っ原に、廃墟化したビルが斜めになって点々とそびえている。イコライザーミサイルの影響で東京から飛来したビル群だろうか。
東京近郊が足の踏み場もない瓦礫の山と化したからこそ、周囲をくたびれた稲穂に囲まれるビルの残骸たちがシュール極まりない。
黄泉寺は吹き出さずにすんだのは、隣に絖瀬がいたからだ。ポポポメカに乗るようになってから今日までで、人目をここまで気にするのは初めてかもしれない。
ポポポメカ二号が学校の敷地内に入ると、絖瀬が忙しく目を動かし始めた。
「どうしました?」
「え? あー……結構いろいろ文化的資源が残ってるなぁって……」
「文化的資源?」
元が何もない学校だったのだろうか。見渡す限りでそれらしきものはない。
半壊した校舎、ひしゃげたバス、ひっくりかえった車、くしゃくしゃに潰れた軽自転車、真っ二つに折れた欅の木、地面に刺さる鉄筋の切れっ端、隕石のように地面をえぐった黒い石の塊、などなど。それら残骸に紛れ、損失した人的資源が転がっている。ほとんどは白骨だ。今は肉付きの人的資源は見たくなかったから、運がいい。
あとは、と黄泉寺は首を巡らせる。見つかるのは東京から飛来したらしい細かな生活ゴミくらいのもので、聞いていたような本や絵画の類はなさそうだ。
「あれ? 黄泉寺さんの方だと表示されてないッスかぁ?」
絖瀬は座席部分がコンクリートの柱で押しつぶされている軽自動車を指さした。
「たとえばアレ。エンジンブロックが丸っと残ってるから、Cプラスッスよ」
「え」
と、黄泉寺は単音を発して目を向ける。
たしかに潰れているのは胴体だけで、排気量六六〇ccの鼻っ面は残っている。だからといって、そんなものまで損失させなければいけないのだろうか。
あははー、と絖瀬は軽く笑った。
「わかるッスよぉ、その感じ。自分も最初はそうだったッス」絖瀬は腕組みをしてうんうん頷く。「でも、アポカリプサーさんが損失させるべしと言うなら、従うまでッス」
「あー、わかります、それ。頭を空っぽにしないとダメっていうか」
「そうそうそう!」
ノリノリで指を振って同意していた絖瀬だが、すぐに顔を曇らせた。
「……まぁ、壊せないものもあるッスけどね……」
わかる。黄泉寺は黙って頷いた。再びコクピットに沈黙が降りる。が、いつまでもそうしていても埒が明かない。
「――で、学校につきましたけど、これからどうするんです?」
「あ、そうッスね。それじゃ作業に……って、そっか」
絖瀬は胸元でポンと手を叩き、コクピット内を見渡した。
「えーと、あれ?」小首を傾げて言った。「アポカリプサーさん、装備とかどこに積んであるッスか?」
『文化的資源損失課用の装備は、コクピット背部に格納されています。開閉の前に動体検知をかけることを推奨します。また、機体に光学迷彩を施しスリープ状態に移行しておくことを強くおすすめします』
「動体検知……ってなんッスか?」絖瀬がぽへっと呟くように言った。
「あ、アレです。あの竜に吼えさせるヤツ」
「吼えさせる? 竜に?」
まるで意味がわからないと言わんばかりに眉が寄った。困り顔も結構かわいい。
黄泉寺は首を左右に振って気を取り直し、操縦桿を握った。
ふと思いつき、せっかくだからとアポカリプサーに訊ねる。
「アポカリプサー、ロアリングとかの操作って、絖瀬さんの方でもできるの?」
『はい。可能です。操作の優位性は黄泉寺委員の方が強く設定されていますが、プレフロンタルコーテックスではどちらも単独で操作が可能となっています』
「へぇ……それなら……絖瀬さん、ロアリングで動体検知、やってみます?」
「えっ? いいッスか!?」絖瀬は顔を輝かせた。「いやぁ、自分、何かできるわけじゃないんで、実はちょっとだけ退屈してたッスよぉ。ぜひぜひ、やってみたいッス!」
いい笑顔だった。つい余計な冗談を言いたくなりそうなほどに。
ぐっ、とつまらない冗談を飲み下し、黄泉寺は操縦桿を手に説明した。
「えっと、この親指のところの赤いスイッチがスクリーミングスイッチです」
「これッスね!」
さっそく親指を乗せる絖瀬に「まだ押さないでくださいね?」と釘を刺す。
「スイッチを押す前に、アポカリプサーに音圧を調整してもらいます。何も指定しないで押すと近くの窓ガラスとかブチ割れますし、人的資源が損失したりしますからね?」
「えぅ」絖瀬は口角を引きつらせ、そっと親指をスイッチからどかした。「こわぁ」
黄泉寺はすぅっと目を細めて、低い声で言った。
「そうなんです。結構、怖いんですよ……でも、ま」肩を小さく竦めて続ける。
「動体検知って言って調整してもらえば大丈夫なんで、やってみてください」
「りょ、りょーかいッス……」
ごくりと喉を鳴らした絖瀬は、まるで噛み癖のある犬に触れるかのように手を操縦桿に伸ばした。ぎゅっと握りしめ、親指を赤いスイッチに乗せる。
「あ、アポカリプサーさん。動体検知を……」
『はい。動体検知ですね? 音圧を調整しますので、しばらくお待ち下さい』
しばらくして、ポーン、と軽い音が鳴った。
怯えたような顔をみせる絖瀬に、黄泉寺が頷き返した。
ゆっくり、落ち着いて、まずは深呼吸をひとつ。
スイッチの押される、乾いた音がした。
一瞬、モニターの映像が乱れた。周囲の瓦礫が細かく振動する。揺れた梢が折れて吹き飛び、木の葉が宙で渦を巻く。
動体検知にしては少し音圧が強すぎる気がしたが、コクピット内は微かに揺れたかどうかという程度だ。粘性が高くしなやかな人工皮肉と、コクピットを包む複合装甲が音と衝撃のほとんどすべてを吸収しているのである。
ふたたび、ポーンと軽い音が鳴った。
『周辺に人的資源は確認されませんでした。周辺約二十キロは完全に無人です――すでにわかっていたことですが』
なんだそりゃ、と黄泉寺は眉を寄せた。アポカリプサーの人間臭い発言もそうだが、わかっているなら教えてほしい。ちらりと隣を覗くと、絖瀬は呆けたように口を半開きにしたまま、モニターと操縦桿を見比べていた。
「なんというか……思ってたのとは違ったッスねぇ……」
「あー……わかります。人的資源を無力化できるくらいですから、外で聞くとまた違うんでしょうけど……内側だと全然わかりませんよね」
「なるほどッスねぇ……と、それじゃあ、準備に入りましょうか」
言って、絖瀬はなんとも曖昧な微苦笑を浮かべた。愛想笑いとも違う不思議な笑顔だ。
絖瀬がアポカリプサーに頼むと、すぐにシートの後方モニターが光を消した。ポポポメカ一号にはなかった人ひとり分ほどの空間を挟んで、スリットの入った金属壁があった。
「ここにスーツが入ってるッスか?」
絖瀬が尋ねた途端、壁がくるりと回転し、
「うぉあ!?」
驚いた黄泉寺は腰をコンソールに打ちつけ、悶絶した。隣では絖瀬が口を押さえて肩を揺すっていた。猛烈に腰が痛むうえに恥ずかしいったらない。
黄泉寺は照れ隠しにメガネを押し上げ、ソレを指さした。
「あんなもん、初見は誰でもビビりますよ」
とうとうこらえきれなくなったのか、絖瀬が腹を抱えてケラケラ笑いだした。
赤面した黄泉寺は痛む腰を撫でつつソレに近づく。
壁の内側から出てきたのは、身長二メートルはありそうな薄気味悪い異星人――らしき人形だ。エビのような、カニのような、あるいは昆虫のようなというべきか、二本の足で直立する人形らしき何かである。
ミッドナイトブルーと銀で彩られた肌が油を引いたようにヌネヌメと光り、アポカリプサー特有のデザインなのか、ポポポメカの表面と同じように突起という突起に施された目玉のような模様が、生理的嫌悪感を呼び起こしてくるようだった。
「それが文化的資源損失課用の兵装スーツ……自分たちはポポポ星人スーツって呼んでたッス……けど……マジッスかぁ……? これ、旧型ッスよぉ」
絖瀬はなんとも嫌そうに唇の端を下げた。
黄泉寺は背中を丸める絖瀬を胡乱な目で見つつ、スーツをつついた。
ねちょり、と指に吸い付いてくるような質感だった。
「……スーツってことは……これ、着るんですか……?」
「そうッスよ? もしかしたらと思ってツナギ着てきて良かったッス」
言いつつ、絖瀬は後ろでまとめていた赤髪を解いた。ツナギをきっちり襟元まで閉めてから口にゴムとヘアピンを咥え、テキパキと髪の毛を結びなおす。
「ん、
「えっ。もしかして、これ」
嫌な予感しかしなかった。
「内側までべっとべとッスよ? だーから改良してもらったのに……」
絖瀬はぶつくさ文句を言いつつ、慣れた様子でスーツの首の辺りをポチっと押した。
ぶじゅり、と粘着質な音を立てながら、スーツが胸元から股間まで割り開かれた。
「さー、気合いれるぞー」
絖瀬はその場でひとつ屈伸し、おもむろに右足を割れ目に差し込み始めた。ぐちょり。
「あ、あの、それ、マジっすか?」
そう訊ねると、すでに右半身を埋没させていた絖瀬が右腕を引き抜き、親指を立てた。
ピンと伸びた親指から糸を引いて垂れ落ちる粘液を見て、黄泉寺は唾を飲み込んだ。
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