第3話


 岩場の影に身を潜め、ふうっと大きく深呼吸する。


 まず一つわかったこと。ここはどうやら、世界三大大陸の一つ、ガルトロス大陸のどこか、みたいだ。さっきのキラーラビットという魔物は、ガルトロス大陸にしか棲息していない。


 ということは、様々な物語の中心地である。神話の始まった場所でもあり、人間の時代が始まった場所でもある。


 俺をこんな場所に送り込んだキチガイ竜神……


 いやいや、偉大なる創造神ウィラルヴァ様が、神話の時代の終わりに、三つに分かれ、その本体である破壊神と、人と共に生きることを決断した父なる神、人になることを選んだ母なる神の三柱に分かれ、時代の英雄と共に、何千、何万年にも渡って戦いを繰り広げるのが、この物語の大まかなストーリーだ。


 創造神ウィラルヴァから、父なる神と母なる神が、抜け出て行ったという形で、本体である破壊神ルイスは不死。


 父なる神ウィルは、後継者に力を継承し、魂と記憶も受け継いでゆく。


 母なる神レーラは、力を聖域に封じ、転生を繰り返して人として生きている。これが、三柱の現在の状況だ。


 ちなみに神と呼ばれる存在は、この三柱の他にも複数いる。神話の時代の、竜神達の生き残りだ。


 さて、ウィラルヴァは、破壊神を倒す布石を打て、とかなんとか言ってたような気がするが…。


 破壊神ルイスとの戦いに終止符を打つのは、アレク・ファインという英雄。物語の主軸となる主人公。


 ということは、アレクを手助けするというのが、最善の道だろうか? あるいは、父なる神であるウィル・アルヴァを?


 まぁ、アレクとウィルは、そのうち力を継承して、同一人物になる。基本はそこを手助けする、という方針で間違いないはずだ。


 それよりも気になるのは、一体ここがどこなのかということだが……と、辺りの景色を伺っていたら、


 ボコッ…!と、軽く地響きを発しながら、地面の下から、巨大な甲殻類の鋏が生えて来た。


「……?」


 呆然と眺める。


 ボコッ…ボコボコッ!


 全長五メートルは軽く越える、巨大なサソリが、地面に空いた穴の中から、ノソノソと這い出て来た。


 岩場の影に身を潜めた俺と目が合い、「キシャアアァァ!」と全身を震わせ、両腕の巨大な鋏を大きく掲げる。


「ま、マジかよ!?」


 咄嗟に辺りを見回す。先ほどキラーラビットから救ってくれた飛竜の姿を探すが、すでにどこか遠くに飛び去ってしまったらしく、影も形も見当たらなかった。


 ビシュ…!!と鋭い音を発し、巨大な鋏が振り下ろされる。


 慌てて横向きに跳ぶと、ドガッ!と激しい音を立てて、隠れていた岩場が粉砕された。


「いてて…」


 擦りむいてしまった腕を、スリスリと摩りつつ起き上がる。と、


「……ん?」


 摩った左腕に、見覚えのある、白銀色の腕輪が嵌められているのに気がついた。


「これは…まさか、ロードリングか!?」


 不意にウィラルヴァが、ある程度の力を授けよう、と言っていたのを思い出す。


 この世界に存在する、竜神、竜族、神獣、魔獣、魔物、という人外の存在。


 人の力では到底、抗うことのできない存在に、唯一対抗することのできる力、シィルスティング。


 そのシィルスティングにもまた、人外の存在である、魔獣や神獣が封印されている。


 そのシィルスティングを収納するための装備が、このロードリングという腕輪だ。


 ズシ…ズシ……! サソリが近寄って来る地響きが聞こえ、ハッと我に返る。


 迷っている暇はない。


「魔狼シルヴァ!」


 咄嗟に思いついたシィルスティングの名前を呼んだ。


 祈りの巫女と守護騎士、という物語で、主人公の騎士が愛用していたカードだ。


 珍しく完結させた物語であり、特に思い入れのあるカードの一つだった。


 銀の腕輪から、同じ色の一枚のカードが出現し、右手の中に収まった。


 その中に映し出された、白い狼の姿。


 間違いなく、魔狼シルヴァだ。光と風の属性を持つ魔獣で、輝く白銀色の体毛が特徴的な、五つ星クラスの上級魔獣である。


「行けっ! 魔狼シルヴァ、召喚!」


 大声で叫ぶ。別に口に出す必要はなく、念じるだけでいいのだが、口に出した方が意思をハッキリと持つことになるため、間違いがない、という設定だったはずだ。


 馬よりもやや大きいくらいの狼が、白銀の体毛を風になびかせ、目の前に出現した。俺とサソリの間で盾になるようにして、低く構えて唸り声を上げ、サソリの魔物を威嚇する。


 サソリの魔物がシルヴァの威圧に圧倒され、逡巡して一歩後退りした。


 シルヴァの意識が、なんとなく俺に向けられているように感じる。


 おそらく、指示を待っているのだろう。


 ロードとは、どうやって戦うんだっけ。このままシルヴァ単体で戦わせることも、もちろん可能だけれど、もっと特殊な戦い方があったはずだ。


 守護騎士の物語を思い出す。


 確かあの主人公は、手や足にシルヴァの力を宿して、魔獣の力を自分のものにしていた。


 召喚融合という技術だ。


 召喚融合には、魔獣化と武具化の、最も基礎的な二種類があり、それを駆使して戦うのが、ロードの戦闘スタイルだった。


 ただし、シィルスティングを扱うためには、神力、という力が消費される。


 人の生命力に直結するその力は、消耗しすぎると、死を招き兼ねない。


 俺の記憶が間違っていなければ、守護騎士の物語の主人公は、シルヴァの召喚融合を、三分を目処にして戦っていたはずだ。その後、再び召喚融合できるまでには、数時間の休憩を必要としていた。


 一流のロードである彼でも、三分が限界だったその力……俺にどこまで扱えるだろうか。


 ええい! 悩んでたって仕方ない。ものは試しだ!


「来い、シルヴァ!」


 右腕を突き出し、召喚融合と念じる。


 どこか嬉しそうに、鳴き声を上げたシルヴァが、白銀の輝きに包まれた。


 瞬間、一筋の光となり、俺の右腕に纏わりついていった。


 筋肉がググッと盛り上がり、白銀の体毛に覆われる。鋭い爪を長く伸ばし、サソリの魔物と真っ向から対峙した。


 シルヴァの意識が、薄っすらと伝わってくる。


 獣らしく、すごく単純ながら、強靭で逞しい意思だった。


 突っ込め! と。


 迷うことなく地を蹴った。経験したことのない力が、靴底からグッと地面を蹴りつけ、一気にサソリの魔物に接近する。


 身体能力が上がってる? 腕にしか召喚融合していないため、脚力までは強化されていないはずだが……


 そうか、常発能力、いわばパッシブスキルが働いているのか。


 シィルスティングは、リングの中に所有するだけで、何かしらの特殊能力がつく。


 腕力が上がったり、泳ぎが得意になったり、中には精神的な効果をもたらし、判断力を向上させたり、というものもある。


 逆にマイナスの能力が、ついてしまうものもあり、確かそちらは制約と呼ばれ、て区別されていたな。


 まぁいい。とにかく今は、このサソリの魔物を撃退するのに徹しよう。


 ビシュッ!と突き出された、サソリの毒尾をかわし、シルヴァの爪で、サソリの頭を斬り上げた。


 頭部を斬り裂かれ、サソリの魔物が、ズゥゥン…と後ろ向きに倒れ込む。


 …実に、呆気なかった。


 それだけで、サソリの魔物は、永遠にその動きを止めてしまったのだ。


 ふうっと息を吐き、シルヴァの融合を解除する。


 融合状態の間、ずっと身体の中から、精神力とか集中力にも似た何かが、少しずつ消耗されてゆくのを感じていた。


 これが、神力を消耗するということなのだろう。


 だが、それもまだまだ余裕があるようだ。シルヴァは五つ星クラスの上位魔獣であり、これを扱えるならば、十分に一流ロード並みの神力があると言える。


 サソリの死骸に目を向ける。未だビクビクと死後硬直するように、痙攣を繰り返している。やがてその動きも、少しずつ小さくなり、ついには完全に動かなくなってしまった。


 これでもう大丈夫だろう。再び、長々と安堵の息を吐く。


 それはともかく……シィルスティング、どれくらい持っているのだろうか。おそらくだけれど、シルヴァの他にも、たくさんのカードが収納されているような感覚がある。


 左腕のリングに触れ、思いつくカードの名前を片っ端から言ってみた。


 すごい、全部出て来た。とりあえずこの場で思い出せるカードは、最高レベルの八星も含めて、全て出て来た。


 これほど大量のシィルスティングを所有するロードなんて、ほとんどいないだろう。精々が、父なる神である、ウィル・アルヴァくらいのものではないだろうか。


 ありがとうウィラルヴァ。僕、おりこうさんにするよ。


 神力の消耗の少ない、一つ星のカードから、最高レベルの八星まで。持っているカードを一枚ずつ確認してゆく。


 ああ、裏設定で、八星よりも上があったんだっけ。まぁ裏設定なんで、今のところは考えなくてもいいが。


 魔法カード……も、ちゃんと持っているようだ。


 魔法には簡易魔法と、永続魔法の二種類がある。


 簡易魔法は一度きりの使い捨て。使った後は、空っぽのカードになり、然るべきところでチャージしなければ、使用することができない。


 対して永続魔法は、使用するのにロード自身の神力が消費され、ある程度は威力の増減も制御できる。神力が切れない限りは、繰り返し何度でも使用できる。


 というか……なんか知らないけど簡易魔法が、無限かっていうくらいに、無駄に大量にあるんですが……。


 ……よっぽど信用ないのか俺は。結構、神力は高いみたいだし、永続魔法だけでも十分に思えるのですが。


 ……ウィラルヴァめ。


 と、


 バサバサバサ……。


 頭上を、一羽の鳥が飛んでいた。


 お、貴重な食料発見!


「ファイアボール!」


 二つ星の炎魔法を取り出し、狙いを定める。


 ……黒焦げになって落ちて来るという、悲しい結果が待っていた。

 

 焼きすぎた。食えたもんじゃない。ちょっと加減するくらいで、丁度いいのかも知れないな。


 いや、二つ星の魔法だから、焼き鳥を作るのには、一つ星くらいで丁度いいのだろう。要勉強だ。


 二つ星の水魔法も使ってみる。これも問題なし。ただし勢いよく打ち出される水の弾丸だったため、飲み水にするのは難しそうだ。飲み水が欲しけりゃ、低級の水魔獣でも使えばいいだろう。


 続けて雷、風、地、etc…と試し、どれも問題なく使えることが判明した。


 そういえば、水魔法と炎魔法は反発するため、どちらか一つしか持てないって設定だったが…どちらも問題なく使えるなぁ。人によって相性もあったはずだが。


 他の属性でも、カードごとに細かい制約があったはずだ。


 色々とシィルスティングを持ってるんで、何かしら特殊な常発能力で、魔法の適性がついてるのかも知れない。まぁ、何か問題が出てきたら、その都度対処すればいいか。使えるんだから問題はない。


 と、そんなふうにして、魔法のテストをしていると、


 ゴゴゴゴッ…!


 再び地面の中から、二体目のサソリの魔物が姿を現した。


 おや。ちょうどいいターゲットが。


 もはや、すっかり余裕綽々な気分だ。


 大魔法使いにでもなった気分で、五つ星の炎魔法を取り出す。


 名前はボルケーノ。どこにでもある魔法という感じだ。安易だが、それは中学時代の俺に言ってくれ。今の俺に責任はない。ないったらない。認めたくないものなのだ、若さゆえの過ちというものは。こんな世界に連れ出されて、取り返しはつかなくなっちゃったけど。


 カードの表を正面にかざし、ふうっと息を吐く。


 いっくぜぃ。


 神力を一気に消耗してしまわないように意識する。同時に、出来るだけ神力を込めると意識する。慣れるまでは、こういうふうに明確な意思を持つことが大事だ。それがスイッチとなり、身体の中の神力を消費し、カードが魔法の力を行使する。


 グッ…と相当な神力が持っていかれた。が、まだ余裕はある。なんだこんなもんか。これなら八星でも大丈夫そうだ。


 目の前の景色、視界の全てが、荒れ狂う炎に支配される。


 …あれ? ヤバくねこれ? 絶対使い方ミスってるぞ!


 熱風が掌と顔に吹きつける。服の袖と髪の毛の先が、チリチリと焦げた。


 ジーンズの表面に熱がこもり、今後ろからパァン!とジーンズの膝裏を引っ張られたら、引っ張った奴を殴り殺す自信がある。


 とっさに後方に飛んで避難した。


 やがて炎が収まり、熱風も消え去っていった。


「あっつ! もっと遠くを狙わないといけないのか。しくじったぁ」


 物語の登場人物達は、いつも平然と魔法を使用していたが…裏ではこんな弊害もあったのか。もしかしたら俺の知らないところで、怪我したり火傷したりしてたのかも知れない。


 パンパンと服の表面を叩き、熱を逃がす。前髪の先っぽも焦げてしまったが…まぁ、そろそろ散髪したいと思っていたので、特に問題はないか。どこかで短く切り揃えてもらおう。


 掌をちょっと火傷したが…おや? すでに治ってきている。そういや再生スライム持ってたな。治療用として重宝されている、神獣クラスのシィルスティングであり、自然治癒力を高める常発能力がある。その力が働いたのだろう。


 さて、魔法の成果は……


 前方一面が、焼け野原になっていた。サソリの姿もどこかに消え失せ、もはや蠢くものは何一つない。草木も全て燃え尽き、ただただ茶褐色の岩肌と、黒土の大地に、燃えるものは燃やし尽くした灰塵が積もる焦土が、眼前に広がっていた。


 マジか…扱いどころが難しいぞこれ。


 そういえば、五つ星って上級魔法だったっけ。加えてボルケーノは、超広範囲の魔法。使っちゃいけない憎しみの光だったのか。


 効果を把握できていないシィルスティングを、安易に使うなという教訓だろう。


 余程のことがない限り、魔法は三つ星くらいまでにしておいた方が良さそうだ。あるいは範囲を絞って一点集中とか…。簡易魔法は、威力の増減も不可能だけれど、永続魔法なら、範囲指定とかもできたはずだ。そういう感覚にも、慣れていかないといけないな。


 神力に余裕があるときにでも、少しずつ試してゆくことにしよう。

 

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