甘く時間は蕩けて-前編-(2022年バレンタイン(ヤク中心))

 タイトル通り

 本編二部作目第四十二節閲覧後推奨

















 2の月の上旬は、街中──いや世界中が甘い香りに包まれる。毎年この季節になるとあらゆる街は甘く彩られ、商店街などにひとたび足を踏み込めば左右から漂う甘美な香りに、ついつい誘われることも少なくない。世界中の人々が、何処か浮足立つ雰囲気を纏わせていると言っても過言ではないのだ。

 そこまで人々をご執心させるものとはなにかと尋ねられれば、答えはチョコレートだ。何故チョコレートなのか、それは2の月14の日に原因がある。


 2の月14の日。その日はバレンティアの日と呼ばれている。別名は恋人たちの日。

 少し歴史の勉強になってしまうが今から500年前、この惑星カウニスにはバレンティア司祭という、ユグドラシル教会に属する司祭がいた。

 バレンティア司祭には一人娘がいた。そして彼女には婚約者がいたのだが、その人物にある時徴兵が言い渡されてしまった。当時は第三次世界大戦真っただ中。戦争に繰り出される婚約者を想い、毎夜自室で涙を流していた娘の姿に、バレンティアの心は痛んだ。

 心を通じ合わせ将来を共に過ごすことを誓っていた恋人たちが、戦争がきっかけで永遠の別れに引き裂かれる現実は、その当時決して少なくなかった。実際に恋人を失い、心に傷を負った人々の嘆きを、司祭という立場上彼は何度も耳にしていた。そして泣いている娘の姿に、そんな彼らの姿を垣間見た。


 滅私奉公を求められる司祭である前に、バレンティアも子供の幸せを願う人の親だ。何より自身の娘が泣いている現実を前にして、どうにかして支えになりたいという思いが強く灯った彼は、あることを思いついた。

 それは本来なら莫大な資産を必要とする結婚式を、無料で執り行うことだった。親類までの人間しかゲストに呼ぶことが出来ず、婚儀には必ずと言ってもいいほどの見世物であるパレードも行わない、教会内で誓いを立てるだけの簡素な小さな結婚式。荒んでしまうであろう乱戦の世で、愛の誓いを交わせる幸せなひと時を過ごしてほしい──その思いだけで、彼は連日教会内で恋人たちを祝福した。


 独善的にも見えるそんな行いを生涯果たしたバレンティア司祭は、死した後その存在を祀られることになった。彼が最初に執り行った娘の無料結婚式の日時が、2の月14の日と記録が残されている。これが、2の月14の日がバレンティアの日と呼ばれる起源だという一説がある。


 やがて長い時間の中で名前だけが独り歩きする結果となり、内容も無料の結婚式からかなりカジュアルに変貌して恋人たちがプレゼントを交換する日になり、今に至るというわけだ。

 そしてそのプレゼントとして広く親しまれているのが、冒頭にもある甘い香りを放つ菓子──チョコレートであった。無論、チョコレート以外のクッキーなどの菓子あるいは花束など、贈り物に定義はない。しかしいつからかバレンティアの日にはチョコレートを贈るという文化が広まり、時期になれば街中の菓子店が腕によりをかけて作ったチョコレートたちが並ぶというわけだ。この時期が商売を生業にしている人物たちの間で、バレンティア商戦と言われるのも然もありなん。


 ******


 ミズガルーズ国家防衛軍、魔導部隊部隊長執務室内にて。

 その日の報告書に目を通していたヤクは、ちらりと部屋の一角に視線をやってから盛大にため息を吐く。今日だけで何度ため息を吐いたことやら、と自嘲気味になっていたところに訪問者が一人。その人物の手にある丁寧に包装されたであろう包みを見て、数えるのも面倒になった何度目かのため息を吐いた。

 訪問者はそんなヤクの様子に目もくれず、慣れた手つきで部屋の一角に包みを置く。


「はぁ~い国家防衛軍配達便到着。荷物はここにい置ておくわね、のーちゃん」


 慣れた手つきで包みを置いた訪問者──ツバキは軽快な声でヤクに呼び掛けた。一方のヤクはそんなツバキとは対照的に、勘弁してくれと言わんばかりに低く返事を返す。


「……毎年この日だけは、早く仕事が終わらないものかと願うのだがな」

「そんなこともう今更よ、諦めなさいな。それにしても、毎年数が増えてるんじゃない?」

「そうかもしれんが、途中から考えることを放棄した」

「なんとまぁのーちゃんらしくない無責任なセリフだこと」

「数えたくなくなるのも無理はあるまい、毎年毎年何故こうも飽きずに……!」

「まぁこればかりはどうしようもないんだし、ご愁傷様ね」


 唸るような声で愚痴を零したヤクに同情の言葉をかけるツバキ。ヤクの愚痴の原因は、自身の執務室の一角を占領している大量の包みたちである。中身はそのほぼすべてがチョコレートだということは、包装紙からも明らかだった。文字通り山積みにされている大量のチョコレートを前に、気分は憂鬱である。


 ミズガルーズ国家防衛軍の軍人は基本的に、国民から親しまれている存在だ。そのうえヤクの場合は若くして部隊長という地位に立ち、珍しいと言われている氷属性の魔術を駆使して最前線で戦い、国を守っている。

 その姿は本人の意思とは関係なく、惚れ惚れさせられる存在であるらしい。人々の間ではヤクを、そのルックスの高さも相まって「氷上の麗人」という二つ名で呼ぶこともあり、主に世の女性陣はもれなく虜になる──というのはツバキ談である。


 それらの理由から、毎年2の月14の日になると国民から大量のチョコレートがヤク宛に届くというのが、ここ数年の彼のバレンティアの日の状況だ。ちなみにこの現象はヤクだけではなく、自分と同じ立場であるスグリも同様とのこと。文字通り押しつぶされてしまうくらいの、大量のチョコレートが送られてくるらしい。死因がチョコレートによる圧死だなんて、まったく笑えない冗談ではあるのだが。

 もちろん二人だけでなくツバキ宛にもチョコレートは送られてくる。ただヤクとスグリは群を抜いているのだ。


 何事にも限度というものがある。こうも大量に送られてきてしまっては、もはや途方に暮れるしかない。処理するこちらの身にもなってほしい、というのがヤクの正直な感想だ。加えて彼はそれほど甘味が好物、というわけでもない。むしろ苦手な部類に入る。

 昨年までは自宅に持ち帰れば甘味が好物な弟子に処理係を命じていたが、今年はそうもいかない事情があった。

 処理係を任命される弟子──レイは今、ユグドラシル教団騎士の入隊前研修のために人工島ヒミンにいる。帰還は来週とのことで、ある程度の量は自身で処理しなければならない。ヤクにとっては絶望的なそんな現実も、ため息の原因の一つだった。


「……しばらくは胸焼けの日々が続くと思うと、増々甘味が苦手になりそうだ」

「任務の一つと思って頑張るしかないわねぇ。まさか部隊長ともあろう人物が、国民からの贈り物を無下にする、なんて噂が立とうものなら……」

「他人事だと思って……!」

「まぁまぁ。同じ気持ちを抱く者同士で慰めあいながら、チョコレート消費の日々を頑張りなさいな」


 そんなやり取りがあったのが数時間前の出来事。その日の仕事を終えたヤクは、とりあえず消費できそうな見た目の包装紙からいくつかの包みを手に、帰路につこうとしていた。

 街中がどこか甘い雰囲気に包まれる中を一人鬱々と歩いていたが、ふと商店街のある店に目が留まる。手に持つ包みを一瞥してから、ヤクは思いついたようにその店へと足を向けた。


 その店は酒の卸売をしている店らしく、様々な種類の酒が販売されていた。壁を埋め尽くさんばかりの商品の多さに、思わず言葉を失ったほど。店主はお客が来たことに気付いたらしく、お手本と言わんばかりの営業スマイルを見せながら姿を現した。


「いらっしゃいませ。おや、ヤク様ではありませんか」

「ああ、貴方が店主か。世話になる。ここに来るのは初めてだが、物凄い量の酒が並んでいるのだな」

「ええ、ミズガルーズ一の酒店だとお客様からご好評いただいております。それで、どのようなお酒をご所望でしょう?よろしければおすすめを紹介いたしますよ」

「私はあまり酒には詳しくないからな、助かる。そうだな……チョコレートに合う酒なんて、ないだろうか?できればブランデーやワイン以外の酒で、辛口なものがいいのだが……」


 ヤクの言葉に、店員は彼が手に持っていた包みを見て状況を判断したようだ。なるほど大人なバレンティアの日の過ごし方だ、と。チョコレートとお酒の組み合わせの良さは酒の味が分かってこそ、存分に楽しめるというもの。酒に疎いと言うなら最高のお酒を紹介するのが、酒店の主としての務め。バレンティア商戦に燃える店主はそんな商魂を胸に灯し、そうですねと脳内で引き出しを整理していく。


 ヤクからの要望は、珍しいものだった。チョコレートに合わせる酒というのは基本的に、ブランデーやワインが多い。理由は単純に相性の良さからだ。しかしそれら以外の酒でなおかつ、辛口とは。チョコレートの味を邪魔しない酒がいい、ということだろうか。そうなるとある程度種類が限られてくる。

 考えを巡らせながらふと目についた酒瓶のラベルを見た店長は、ならばとその酒を選ぶ。リクエストに応じるならこの酒がいいだろう。それにチョコレートを楽しむ酒として、最近少しずつ有名になってきている酒類の一つでもある。


「そのようなものならば、このお酒がおすすめですよ」

「これは……アウスガールズで作られている酒か?」

「ええ。アウスガールズのお酒はコメを発酵させて作られると言われる、醸造酒と呼ばれるお酒なのです。ご存知でしたか?」

「ああ、耳にしたことはある。しかしチョコレートに合うというのは初耳だ」

「実はこの醸造酒の作り方とチョコレートの作り方には多くの共通点がございまして。それゆえに相性がいいと、最近通の間で話題になっているのですよ」


 店主の言葉に、感嘆の意も込めて頷く。アウスガールズで作られた酒なら、もきっと喜んでくれるだろう。しばし酒瓶を吟味してから、購入することに。購入ついでにおすすめの飲み方も提供してもらい、ヤクは店を出てとある場所へと向かうのであった。

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