第2話


 寺島雅哉(42)を筆頭に、辰巳昇(37)と、事務員兼捜査員の杉本美優紀(23)。この3名で営っている小さな探偵社【どんとこい探偵社】は、主力の辰巳を失って、大きな打撃を受けていた。


 急遽、求人を募ることにした。


 5人の応募者の中から採ったのは、探偵経験があるという、市川由子(32)だった。


 長い髪を後ろに結って、眼鏡を掛けた由子は、いわゆるオバサン系の地味な風貌でパッとしなかった。


 が、却ってこういうタイプが探偵に向いていた。


「――探偵経験ありということですが、どのような類いのものを?」


「主に浮気調査です」


 冷静沈着に寺島の目を真っ直ぐ見た。


「じゃ、尾行のほうも?」


 期待を込めた。


「はい。何度となく」


 由子のその即答は自信に満ち溢れていた。――




“ははおやこころしたのがにげた”


 寺島は、辰巳が最後に寄越した電話の内容が未だに把握できずにいた。


① 母親、子殺したのが逃げた。


② 母親、子殺し田野が逃げた。


 さて、どっちなのだろう……。


 この電話が、村井喬子を見張っていた時のものなら、状況的にはどちらも当てはまる。


 ①は、母親と子。つまり、喬子と子どもを殺した誰かが逃げた。となる。


 ②だと、親子と田野。つまり、喬子と子どもを殺した田野が逃げた。となる。


 




 由子が田野の張り込みから帰ってきた。


「お疲れさまで~す」


 美優紀が天然の明るさで出迎え、小型冷蔵庫から缶コーヒーを出した。


「あ、ただいま」


 ハンカチで額の汗を押さえた由子が横顔を向けた。


「どうだった?」


 煙草をくゆらしながら寺島が訊いた。


「ええ、今日も真っ直ぐ帰宅しました」


 年季が入ったショルダーバッグからメモ用紙を出した。


「はい、どうぞ」


 美優紀が、缶コーヒーを注いだグラスを置いた。


「あ、どうもありがとう」


 報告書に写しながら、笑顔の美優紀をチラッと視た。


「うむ……子どもを殺しといて、平然と日常生活を送れるものかな……」


 寺島が独り言のように呟いた。


「は?」


 由子が慌てて顔を上げた。


「ん? いや、辰巳が最後の電話で言ったことを書き留めてみたんだが、どうもハッキリしない。親子を誰か別の人間が殺したのか、田野が殺したのか。だが、殺されていたのは子どもだけだから、親子を殺した、にすると辻褄が合わない。仮に田野が殺したなら、何食わぬ顔で普通に過ごせるものかなと思ってさ」


「ええ。……でも、特に変わった様子は」


「うむ……じゃ、やっぱり母親が殺したのかな……」


「社長、お先に」


 美優紀がカバンを肩に掛けた。


「あ、お疲れさん」


「お疲れさま。気を付けてね」


 由子も声を掛けた。


「ハーイ、お疲れさまでしたぁ」


 笑顔でドアを閉めた。


「社長、その書き留めたのを見せてください」


「ん? あああ」


 ソファーに深く座っていた寺島は、重そうに腰を上げると、自分のデスクの引き出しを開けた。――




“ははおやこころしたのがにげた”


 それを読んだ由子が、もう一つの解釈を述べた。


③ 母、おやっ、子殺し、田野が逃げた。



「つまり、母親が子どもを殺した。そして、それを目撃した田野が逃げた」


「うむ……なるほど、そういう捉え方もできるな。さすが、ベテラン探偵だ。……だが、そうなると、田野は殺人現場を見たわけだから、いずれにせよ、動揺なりがあって然るべきだろ?」


 鼻炎の寺島は、鼻の穴の片方から煙を出すと、納得いかない顔で煙草を消した。


「ですよね。……でも、挙動不審の類いは窺えません。平静です」


「うむ……」


 寺島は腕を組んだ。


 だが、この時、由子は全く違う人間に焦点を置いていた。


 辰巳の履歴書で知った、趣味の《絵画鑑賞(特に印象派)》に由子は着目した。

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