ティアドロップ


英国王ヘンリー八世は無類の女好きで精力絶倫だった。宮廷の伝統をぶち壊し、離婚を禁じる教会に反抗して王妃を6人も取り替え、うち2人は不倫したと首斬りの刑に処した。よく飲み、腕っぷしが強い巨体、勝手気ままに行動して波乱の王様人生を送った。横暴な専横君主である一方、ユーモアとウィットに富み、人の気持ちをなごませる大人物だった。堂々たる宮廷の格式の中に、ヘンリー八世の性生活をチャールズ・ロートンが名演する。不毛だったイギリス映画を世界市場に送り出し、一時代を画したアレクサンダー・コルダの傑作である。


ヘンリー八世といえば‥テューダー朝の女王エリザベス1世の父親である。

6度の結婚に加えて、ローマ・カトリック教会からのイングランド国教会の分離によって知られる。ローマと対立し、修道院を解散し、自ら国教会の首長となった。だがローマによる破門のあとも、カトリックの教義への信仰は失わなかった。また、ウェールズ法諸法(英語版)によって、イングランドおよびウェールズの統合を指導した。


1513年には神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世と連合して、1544年には神聖ローマ皇帝兼スペイン王カール5世と連合してフランスを攻めるが、どちらもハプスブルク家からの援助は最小限であり、膨大な戦費に堪えられず失敗に終わった。


絶頂期においては、魅力的で教養があり老練な王だと同時代人から見られ、ブリテンの王位についた人物の中で最もカリスマ性のあった統治者であると描かれている。権力をふるいながら、文筆家および作曲家としても活動した。薔薇戦争の後の危うい平和のもとで女性君主にテューダー朝をまとめることは無理だと考え、男子の世継ぎを渇望した。そのため6度結婚し、イングランドにおける宗教改革を招いた。次第に肥満して健康を害し、1547年に薨去した。晩年には好色、利己的、無慈悲かつ不安定な王であったとされている。後継者は息子のエドワード6世であった。




ヘンリー八世について語るとキリがないので此処でやめておく。



嵯峨野つかこ「は?」







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