38 観音様


これはKさんという男性から聞いたお話です。


現在、四十路手前のKさんは

今から十数年前に不思議な体験を

したといいます。




バイク乗りのKさんは釣り好きも相まって、

仕事が休みの時には山道を通り

よく遠方までお出掛けしていたそうです。




その日もいつものように釣りに出掛け、

目的地までバイクを走らせていました。




山の斜面に沿って作られた道路は、

急なカーブを描きながら螺旋状に続いています。



いつも乗りなれている愛車であり、

なによりバイクは車より小回りがきき、

自身も山道は走りなれている。



そんな根拠のない自信があってか、

先がろくに見えないにも関わらず、

普段通りの速度で走っていました。




あるカーブにさしかかり、

車体を傾け曲がった、その時です。



目の前に突然トラックの面が現れ、

Kさんは激しい衝撃と共に弾き飛ばされました。



Kさんが曲がろうとしたその時、

実は対向車線に大型トラックがいたのです。


トラックもカーブを曲がろうとしたのですが、

車線をはみ出してしまったらしく、

死角から飛び出したKさんに対応できぬまま

正面衝突してしまいました。



その事故の悲惨なこと。



車体はもう乗れない状態に。


Kさんは胸部を強く打ってしまい、

骨が折れ、肺には血が溜まり、

意識不明の重体に陥りました。




運が良かったことに、

懸命な治療の末、

Kさんは意識を取り戻しました。




(病院?そっか、事故に遭ったっけ。)



怪我と痛みはあるものの

記憶にも体にも障害はなく、

あんな大事故に遭ったというわりには

彼は至って健康でありました。




そこへ、一人の看護師がやってきました。




「Kさん!目が覚めましたか?」

「あ、ああ。はい。」



ここで初めてKさんは看護師から

事故の詳細や、

自分の命が危険な状態であったことを

聞かされました。




そんなにも大きな事故に遭ったにも関わらず

命が助かったことに驚きほっとするKさんに、

「これ、預かってたやつですよ。」と

看護師があるものを渡してきました。




それは一枚の白いA4用紙。


その紙を埋め尽くすように、

曼荼羅が描かれていました。



「え?なんですか、これ。」

とKさんが尋ねると

看護師は驚いて

「いや、これKさんが自分で描いたんですよ。」と答えます。



Kさんはタイやインドネシアなど、

アジア諸国の文化が好きで、

あちらの宗教特有の紋様や曼荼羅を

趣味で調べたりすることがあったそうですが、

その紙に描かれた曼荼羅は

今まで一度も見たことがないものでした。



ただ、色もなく、

鉛筆だけで描かれたというのに

その曼荼羅は圧巻されるオーラを放っていたそうです。



「Kさん、ずっと気を失ってたって

 言いましたけど、

 実は一度さっき起きてみえたんですよ。

 突然、がばっと起き上がって、

 『何か書くもん持ってきて!』って

 叫んだから、ナースステーションに

 あった紙と鉛筆渡したら、

 ご自分でばばばっとすごい

 勢いと剣幕で描かれたんですよ。

 曼荼羅を書き終わったらぱたっと寝て。

 今また目を覚まされたんです。

 ついさっきの出来事なんですが

 覚えてないですか?」




看護師がことのあらましを教えてくれたのですが、Kさんはそれでも自分で描いたことを思い出せませんでした。


しかし、

(そういえば、変な夢を見た。)

とあることを思い出しました。





気を失っている間。

Kさんはある夢を見ていました。




気がつくと、Kさんは白い空間にいたそうです。


(なんだろう、ここ。)


と周りを見渡していると、

Kさんの前に何かが現れました。




揺らめく布を身にまとい、

口元に静かな微笑みを浮かべ、

優しくこちらを見つめる人。



掛け軸でもよく見られるような、

観音様でありました。



身長の高いKさんから見ても、

観音様の御姿はとても大きかったといいます。



Kさんは全くと言っていいほど信心深くないのですが、

そのあまりの神々しさに思わず手を合わせ拝んでしまいました。




何かを願うわけでもなく、

手を合わせて頭を下げるKさんに、

観音様がそっと手を差し出してきます。



なんだろうと顔を上げて見ると、

差し出された観音様の右手に、

光輝く玉がありました。



状況が飲み込めずぽかんとするKさんに

観音様は何も言わず、

静かにその玉を差し出しました。




「え、受け取っていいんですか?」

とKさんが戸惑っていると、

観音様は何も言葉を発さず、

ただその優しい眼差しに肯定の色を宿し、

Kさんを見つめました。



Kさんはようやく、

その玉を自分が受け取っていいことを理解し

「ありがとうございます。」

と両手で受け取りました。



光輝く玉に手が触れた瞬間、

夢は終わったのでした。




(じゃあ、

 この曼荼羅は観音様そのものなのかな?

 大切にしないとな。)



Kさんはそう決めたのですが、

何故か退院して家で大切に保管したにも関わらず、曼荼羅はどこかに消えてしまったそうです。


しまってくれたお母様に聞いても

「ああ、描いてたね。おかしいわね。

 確かにしまったのに。」と首をひねるばかりでした。





肺がつぶれるほどの大事故から、

後遺症もなく回復したKさん。



観音様がお授けになった光輝く玉は、

もしかしたら、命の源だったのかもしれません。



ある意味臨死体験ともとれるような

不思議なお話でした。









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