第24話 子猫のみゃーご
こんな憂鬱な朝は初めてだ…。
大空に白く浮かぶ太陽が煩わしく感じる。
高校時代にバンドを組んでいた飯田から
「俺の家に遊びに来てほしい。」
と電話があったのは昨日の夜のこと。
強引なあいつの誘いを断れず、
こうして待ち合わせ場所まで歩いているが
折角の休日を無駄にしている気がして、
自然と目線が落ちていく。
別に飯田のことは嫌いではない。
ただ、社会人になった今、
遊ぶ時間よりも家でぐうたら過ごす時間の方が魅力的なのだ。
「おーう!久しぶりじゃねえか!あれ?寝起きか?なんか暗くね?」
顔を上げると、数メートル先の待ち合わせ場所に、飯田が手を振って立っている。
少し髪色が大人しくなっているものの、
手をぶんぶんと振る動作や
口を大きく開けて笑う無邪気さは変わらない。
進学せず就職を選んだ俺と違い、
大学に進んで学生の飯田。
同い年なのに、「若いな」と思ってしまった。
突然電話してくんな、
大学生になったんだから
少しは相手の都合も考えるようになれ。
本当はそう説教をしてやろうかと思っていたが、諦めて静かに「違うし。」と答える。
「急にごめんな。
でもさ、どうしてもお前に俺の家に来てもらいたかったんだよ。」
「別に良いけどさ。なんで俺なんだよ。」
「ん?ああ、ま、見れば分かるって!」
「見れば分かるって…。」
俺はぶつぶつと呟く。
飯田はサプライズを気取っているらしいが、
詳細が知らされぬまま家に連れていかれるこっちの身としては、ただただ迷惑でしかない。
「会わせたい子…。まさか、子供か!?」
「違うって!俺まだ結婚してねえし!てか彼女に振られたばっかだわ。」
飯田の子供でも、彼女でもない。
じゃあ、いったい誰なんだ?
まさか、昔片思いしていた香澄さん…?
思い出の中の香澄さんがさらさらとした髪を風になびかせ微笑む。
「一真?何、にやにやしてんだよ?」
「は、は?してねえよ!」
「そうか?気のせいかあ…。あ、着いたぜ!」
「え?」
そこにあったのは、
レンガで外壁を飾った2階建ての一軒家。
「え?ここ?」
「おう!俺の実家。」
「実家ぁ!?先言えよ!適当な服着てきちまったじゃねえか!」
「大丈夫だって!俺の親、そういうの気にしないから!」
「俺が気にするんだよ…。くそ、道が違う時点で気づけば良かった…。」
飯田は大学進学と同時に1人暮らしを始めていた。
その家に、進学と引っ越し祝いだと酒を持って行って遊びに行ったことがある。
「てっきりあのアパートにいくかと思って、
こんな毛玉ついたジャージで来ちゃったじゃねえか。」
「ははは。ごめんごめん。
あ、でもさ、そこもう住んでないんだよ。
今は実家暮らし。」
「え!まだ1年とちょっとしか経ってないだろ?なんで急に…。」
「そりゃあ、あの子とずっといたいからだよ。すんごく可愛いだぜ。俺が帰ったら鳴いて喜んでくれてさ。」
「鳴く…?あ、もしかして犬かなんかか?」
「あー!これ以上はダメダメ!びっくりさせたいんだから!」
飯田は顔を真っ赤にして手をばたばたと振った。
分かりやすすぎる反応である。
「ま、とにかく!入れよ!な?」
「ちょ、分かったって!」
飯田は玄関扉を開けてぐいぐいと俺の体を玄関に押し込んだ。
それに流されるまま上がり込む。
バタンと扉が閉まり、他人の家特有の匂いがした。
壁は真っ白い壁紙が張られていて、
家がより広く感じられる。
吹き抜けになった天井をぽかんと口を開けて見上げた。
「一真?上がって良いぞ!」
「え、あ、お邪魔しまーす…。」
俺は何だか肩身の狭さを感じて恐る恐る靴を脱いで上がる。
ふと、笑い声が聞こえてきた。
リビングの方からだろうか。
飯田の家族であろう男女の入り混じった話し声が玄関まで微かに聞こえてきている。
「ただいまー!」
「あ、お帰りなさ~い!」
飯田が大きな声で言ったのに続いて帰ってきた女性の声。
少しして、パタパタというスリッパを履いた足音が聞こえてきたかと思うと、
角からひょこっと飯田のお母さんが顔を出した。
「あら!一真君!高校以来ね。お久しぶり~。元気にしてた?」
「あ、お久しぶりです!すみません、突然お邪魔して…。」
「いえいえ!話は息子から聞いてたの!
こちらこそ、突然お誘いしてしまってごめんなさいね。どうしても見せたいっていうのよ。
うちの猫ちゃんを。」
「猫?」
飯田の方を見ると、両手で顔を覆って天を仰いでいた。
「うん。ほら、働くようになると何かとストレス溜まるだろ。
お前、猫好きって言ってたから、どうしても見せたくてさ。ちょっとでも気分転換になるかと思って…。」
「な、なんだよ。それ。」
ただの男友達である俺を気遣うようなことをさらっと言うもんだから、気恥ずかしくなって赤面した。
飯田は昔からこうだ。
自分の考えで突っ走って、強引に周りを巻き込むその迷惑さの裏には、
いつも友達に対する純な思いやりがあった。
「ありがとな。」
「ほんとはサプライズにしたかったんだけどな!」
ニカッと飯田は笑った。
こっちだぜ、と飯田にリビングへ通された。
キャットタワーや猫用のトイレが置いてあり、猫の飼い主らしく人間よりも猫の為の内装が完成している。
その部屋の隅で飯田の親父さんとお姉さんがしゃがんで、何かを覗き込んでいた。
高校2年生の弟さんはその輪に加わらず、テーブルの席について、スマホを黙々といじり、俺にすら興味を示さない。
どうしようか悩んでいると、飯田が声を掛けてくれた。
「父さん!姉ちゃん。一真来たよ。」
「あ、いらっしゃい。」
「こんにちは。」
2人は振り返って満面の笑みで俺を出迎えてくれた。
ただ、なぜか声は聞こえるか聞こえないかぐらいの小ささ。
その理由を、お姉さんが唇に人差し指を当てて答える。
「今ね、寝ちゃってるの。」
俺は納得して下手に音を立てないように体を縮こませた。
「マジかよ!ついてるな、一真。みゃーごの寝顔可愛いんだぜ。」
「みゃーごって?」
「猫の名前!鳴き声から俺がつけたんだ。」
安直な名付け方に思わず噴き出した。
「な、なんだよ。」
「くくっ。いや、なんでもない。ペットショップか?」
「いや、違う。ひろってきたんだ。
近くに公園あるだろ?あそこにいたんだ。
首輪もしてない、小さい子猫でさ。
それを姉ちゃんが拾ってきたんだよ。」
「そうだったのか…。」
「最近さ、ここらへんで親子の猫が殺される事件、あっただろ?
子猫だから守ってあげないとって、
飼うことにしたんだよ。」
猫の親子が殺された事件は、俺もニュースで見たことがある。
なんでも、大人のメス猫とまだ小さな子猫の切断された首が並んで置いてあったらしい。
なんで親子と分かったかというと、
その2匹が一緒に行動しているところを近所の人達が目撃していたのだ。
その2つの首は野ざらしにされていたせいで、
見つかった時には、それが何か分からないほどボロボロになっていたという。
自分の地元で起きたというショックは大きく、そのニュースは強く記憶に残っていた。
「そっか…。みゃーごは幸せだな。」
「だといいな。…ほら、起きる前に一真も見ろよ!」
「ん?あ、そうだな。」
自他ともに認める猫好きな俺。
愛くるしい寝顔を想像しながらそろりそろりと近づく。
察してくれた親父さんとお姉さんが体を動かしてどいてくれた。
そして、この子を見てくれと言わんばかりににこにこと笑顔を向けてくる。
その足元には猫用の丸い柔らかなクッションがあった。
が、そこにいたのは丸くなって眠る愛らしい子猫ではない。
黄ばんで薄汚れた、ただの白い石だ。
「…え?」
唖然として眺めていると、横にいる飯田がとろけるような笑みを浮かべながらそのクッションの元へと体を屈めていく。
「い、飯田、これ…。」
「可愛いなあ。みゃーご~。」
「ちょっと、しー!起きちゃうでしょ!」
「猫は寝るのが仕事だからな。下手に起こしたら可哀そうだ。」
「ごめん…。あ~、でも、可愛いなあ…。ちょっとだけ。」
飯田は石の周り、何もないところを指でつついた。
「あ、ずるい!肉球は触りたいけど我慢してたのに!」
「あ、見ろ、伸びをした…。」
親父さんがぼそっと言うと、3人は石を黙ってじっと見つめた。
そして、同時ににまあっと笑うと声を揃えて「可愛いなあ。」と呟いた。
「うわ…!」
その光景を見て、全身に鳥肌が立った。
思わず後ずさりして、誰かにぶつかる。
振り向くと、それはお母さんだった。
「一真君、ごめんなさいね!ぶつかっちゃったわ。…あら、寝てるのね。これいらなかったみたい…。」
と俯く彼女の手には、
子猫用の柔らかいキャットフードが乗った小皿があった。
「母さん、置いとけば食べるよ。」
「そうよね。じゃあ置いておくわ。」
「ああ、本当に可愛いなあ。
この寝顔が見たくて実家に帰ってきたんだよ。おかげで同棲してた彼女に振られちゃったけど。」
「みゃーごはそれだけ可愛いもんな。」
囲んでいるのが石で、それを猫だと信じきっていること以外、飯田達はいたって普通に会話をし、やり取りをしている。
それがまた違和感があって、気持ち悪い。
「お、俺、帰ります。」
「え、なんでだよ。来たばっかりじゃねえか。」
「そうよ。一真君の為にお昼ご飯も用意したのよ。」
「え、い、いや、でも!」
「いいって!そういう時は甘えるもんだよ。あ、一真、俺写真撮ってアルバム作ったんだよ。見せてやるから来いよ。」
「ま、待てって!おかしいよ!だってそれ、ただの石じゃねえか!」
ぴたっと全員の動きが止まる。
そしてじっと俺の方を見た。
「え?みゃーごだよ?」
俺はそれ以上、何も言えなくなってしまった。
「ああ、疲れてんだな、一真。
母さん、お茶かなんかある?」
「あらやだ、私ったら気が利かないわ!ごめんなさいね、一真君。今淹れてくるから。」
「ほら、座れよ!ずっと歩いてきたし、立ちっぱなしで疲れたよな!ごめん!ほら、そのソファに座って!」
そこから約2時間ぐらい、
飯田が持ってきた石しか映っていない写真を何枚も見せられた。
お昼ご飯を食べてる時も、テレビを見ている時も、話題は猫のみゃーご。
飯田は時々、何もない足をもぞもぞと擦り合わせて「みゃーご止めろよ!くすぐったいって!」と笑う。
気がつけば窓の外は、夕日に染まってオレンジ色に染まっていっている。
「あれ?もうこんな時間か!一真、泊まっていけよ。服は貸すから。」
すでに考えるのを放棄していた俺は、その言葉にこくりと頷いた。
夜中にトイレに起きた俺は、
用を済ませたあと寝室に戻らずに、
キャットタワーがぼうっと立っているリビングに足を運んだ。
クッションの上、石がある。
当たり前だが、顔も、体も、ない。
でも、俺にはそれが、大きな瞳を潤ませて空を見つめているように見えた。
(どうしたんだよ。石だろ、ただの。でも、なんで、こんな愛しいんだ?)
呆然と立ちすくんで石を見上げる俺の隣に、いつの間にか起きていた弟さんが並ぶ。
「あ…。」
「なあ、気になんの?」
「え!?い、いや、ただの石…。」
「いいよ。持って帰りなよ。」
「は、は!?い、いや、まずいだろ。だって…。」
異常なほどの溺愛ぶりを思い出し、俺は身震いした。
もし、俺がこれを持ち帰ったら、飯田達は発狂するに違いなかった。
「可愛いんだろ?それ。」
「…は?」
「そんなにじっと見てさ。よっぽど気に入ったみたいじゃん。」
「そ、そんなこと…。」
弟さんが近寄り、耳打ちをしてきた。
「明日、俺と兄貴は学校、親父と姉ちゃんは仕事、母さんはパートで家に誰もいなくなる。」
「…。」
「こいつだけ残すの可哀そうなんだよ。なあ、俺がみんなに一真さんに預かってもらうように言うからさ、そのまま持って帰りなよ。」
弟さんが何を言っているか分からない。
だってこれはただの石だろ?
可哀そうも何も、ただの石に感情があるわけないじゃないか。
あれ、俺がおかしいのか?いや、どうみたって石…。
目に映るのも石、頭の中でも石だと認識している。
なのに、俺は頬を緩ませてこう言っていた。
「いいのか?」
そんな経緯で、俺はみゃーごを家に迎えることになった。
今までアパートに一人暮らしで、特に寂しさを感じたことはなかったが、
家に帰るとこの子が玄関までとことこ歩いてきて、大きな目を潤ませてこっちを見つめ、
「みゃーご。」と鳴いて出迎えてくれることに、心が満たされている。
ふわふわな黒い毛も撫で心地が良くて、今ではブラッシングが日課だ。
俺は最愛のみゃーごに出会って、最高に幸せな日々を送れるようになった。
居酒屋に2人の男がカウンターに並んで座っている。
若者らしく、度が強く気取った名前の酒が注がれたグラスを手にしていた。
「なあ、聞いたか?一真の話。」
1人が言う。
「ああ。変になったらしいな。それしか知らねえ。お前、なんか知ってんの?」
もう1人が尋ねた。
「いや、俺も人づてに聞いたから本当かは分からないんだけどさ…。」
「ああ。」
「なんでもあいつ、突然仕事を休み始めたんだって。
理由が、『子猫だけ置いとけないから。』っていう訳分からんもの。
で、上司が怒って無理にでも来るように言ったら、無断欠勤するようになって。
流石にまずいって思った上司が、一真の先輩1人連れて家に押し掛けたんだって。チャイム鳴らしても出ないもんだから。
試しにドアノブを引いたら、鍵をしてないのかガチャって開いて…。そしたら…。」
「そ、そしたら…?」
話していた男はゴクリと酒を飲み一点を見つめた。
「ゴミが散乱した部屋の真ん中でさ、一真がにこにこ笑ってたんだって。
上司なんて気にも留めずに。
恐る恐る近づいていくとさ、手に何か持ってるんだ。それを優しく指で撫でてるんだ。その何かを見た上司達は絶句したらしい。」
「何を持ってたんだ?」
男は聞き手の男の方を向いて目を見開いた。
「それが、白い石だったんだって。小さくて、少し黄ばんだ白い石。見た目的にざらざらしていたらしい。
お世辞にも綺麗と言えない石を、大事そうに、愛しそうに見つめて『みゃーご。可愛いな、みゃーご。』って言いながら、ずっと撫でてたんだってさ。」
絶句した聞き手の男は、きつい酒をあおった。
少し間を開けて、ようやく声を出す。
「で、その石はどうしたんだよ?」
「気味悪がった先輩が捨てたらしいぜ。」
「はあ!?どこに?」
「ほら、河川敷の…。」
「うっわ。俺あそこ通らないどこ…。あんな砂利ばっかのとこに石がまぎれてたら分かんね…ん?」
「どうした?」
「いやさ、その石だけど。」
「うん。」
「白くて、でもちょっと黄ばんでて、ざらざらしてたんだよな。」
「ん?おお。それがどうしたんだよ。」
「いや、ふと思い出したんだ。一真の地元でさ猫が殺される事件あったなって。親子揃って首を切られてたっていう。なんでも、見つかった時には白骨化して、ぼろぼろになってたって言ってたかな。」
「白骨化…?」
「あのさ…もしかしてだけど、一真が持ってたの、石じゃなくて…。」
「え、お、おい、嘘だろ?…ま、まさか…!猫の…!」
男は恐れおののいて言葉を失った。
そして、両手でつむじから顎先に向かって覆うようなゼスチャーをしながら、頭に浮かんだ5文字を口パクする。
それを読み取った男は、静かに頷いた。
すっかり静かになってしまった彼らの空間に、隣の席の嬌声が流れ込む。
「超可愛い猫ちゃん~!」
鼻にかかった甘い女の声が言った言葉に、
2人は息を合わせる間もなく自然と揃ってそちらを見た。
隣の席に座る男女6人グループは、男が飼っているという猫の話題で盛り上がっていた。
和気あいあいとするその集団を、息を呑んで凝視する2人。
「だろ?俺んちの猫。ミケオって言うんだ。」
「名前そのまんますぎない?ウケる~でも可愛い~。」
「私も見たぁい。」
男から離れた席、自分たちに近い場所で座っている小柄な女が、手を伸ばしてスマホをせがむ。
渡されたスマホを眺め、「超可愛い!え、めっちゃ可愛いね!」とはしゃぐ女。
向かいの席の男に写真を見せようとして、彼女に向いていたスマホの画面が一瞬自分達の方に向く。
白い石が脳裏に過ぎった2人は息を呑んだ。
向けられた液晶画面、そこに映し出されていたのは、丸い瞳を潤ませた愛らしい三毛猫であった。
彼らはほっと息を吐き、姿勢を直す。
「そろそろ、会計しようか。」
「ああ。」
そう短く返事して、
伝票を持って立ち上がった彼に続いた男が言う。
「俺、しばらく犬派になるわ。」
それには返さずに、黙って伝票を掴んでレジへと向かった。
背後では合コンをしているであろうあの6人グループが喋っている。
話題はもちろん、男の飼っている三毛猫。
写真の中の猫は、静かに空を見つめていた。
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