第9話 よくある話



雨が降る中、海にせり出た県道を走る。


山肌に沿うように整備された道路は蛇のようにうねり、車2台がぎりぎりすれ違えるほどの狭さだ。



安全運転をするのが普通だと思うが、

田舎だとその常識は通らないらしい。


土地勘があるのか加減を知らない馬鹿か、

曲がり角から車体を突き出したかと思えば、

水しぶきを上げる程の速さで通り過ぎていく。



(事故したらどうするんだろうな、あいつら。)



県内でも地名を知るものが少ないような過疎地では、プロパンガスが主流である。



今日、法定点検調査をしたのは、山と一体化したような狭い一戸建てだ。


4年に一度とはいえ定期的に行く場所だから分かったものの、新人の郵便局員が配達に行ったならば、空き家だらけの中で探し出すのに苦労するだろう。



挨拶すればこだまが返ってくるような場所、

人になんて滅多に会わないし会ったとしても農作業をする高齢者ぐらいだ。


今年で60だっただろうか、自分より4歳年上の女性を見て若いと感じてしまった。



(山の近くまでくれば流石に廃れてくるな。)



「夫が仕事だから病院に行くのにバスに乗らないといけないんだけれど、そのバス停が斜面にあってね。それが辛くて。」



ガスホース交換の立ち合いをしてもらっている時にぽつりと零して、彼女は膝を擦っていた。



(需要あれども、インフラは整わない。よくある話か。)



強くなった雨音に消されたラジオのボリュームを上げた。





『今回の新曲は、実写映画の主題歌になるんですよね。』

『そうなんです!』



途中から聞こえてきたインタビューから察するに、

人気アーティストの新曲が映画の主題歌になるらしい。



大ヒットした漫画の実写化だというが、

俺は題名ぐらいしか知らないしファンではない。


しかし、話の内容を聞くうちに少しもやっとしてしまった。



本来バトルもののストーリーを恋愛に重きをおいて改変し、主演は今人気の若手俳優だと言うじゃないか。



(映画離れしているらしいし、マニアうけを狙うよりは、一般大衆や若者向けにした方が利益に繋がるんだろうな。最近よくある映画だ。)



田舎の過疎化や高齢化、

話題の映画や奇をてらったアーティスト、

ど根性で生えた大根。



話が出た時には大ごとだとはやし立てるが、

少しすれば同じようなものが出てきて陳腐になりすれ違っても誰も気づかない。


その定番のパターンに歓喜したり腹を立てたりする感受性は元から持ち合わせていない冷めた人間だ。


だから、ブームや話題に合わせて感情を動かす人を見ると少し羨ましかったりする。



まあ、面倒くさいのはごめんだが。









短いトンネルを抜けて、左手に見えていた海が急な山の下り斜面に変わった。

対向車がいなくなり、広い道を1人走る。



雨が強くなってきた。

電波が届かないのかラジオにノイズが混じり始める。



耳鳴りがするほどしんとした車内に車体を叩く雨音が響く。


雨音だけを聞いていると気分が沈んでくるし、仕事終わりで疲れた頭が余計にぼんやりしてくる。


気晴らしにとラジオのボリュームを上げるが、同時にノイズの音が大きくなった。


最初は我慢したが耳障りになってきたので、

前方に何もなく安全なことを確認してから手元に視線を落とし、

小さな電源ボタンをカチリと押した。



(老眼で指も太いと一回じゃ消せないんだよ。年取ったな。)




「・・・えっ。」




前方に視線を戻して思わずアクセルから足を離す。


さっきまでは何もなかった道の左隅、

髪が長く深い青色のワンピースを着た女が、

傘もささずに歩いていた。


見落としたのか?いや、そんなはずはない。



確かに地味な色の服だが、

鬱蒼と茂る木々の中で青色は目立つし、

開けた視界で人間が1人いればすぐに気づけるものだ。


山の中、傘もささずに女が一人歩いているという光景の不自然さは、

意識すればするほど気持ち悪い。


ハンドルを握る手の平に汗が滲む。




人間じゃない、直感でそう思った。




離していた足をアクセルペダルにのせてぐっと力を込めて加速する。


メーターは時速70kmを振り切って、

女が一瞬で後方に消える。


サイドミラーに映る女の姿が小さくなるのを確認して、追い越せたことに安堵した。


アクセルを少し弱めて、ほっと息を吐いた。





ただ普通に散歩をしていたのなら申し訳ないが、雨が降る山道を傘をささずに歩いている人間の気持ち悪さったらない。



あと10分も走れば国道に合流して、

住宅地が見えて車の通りも多くなる。


あれほどうざったく感じていた乱暴な運転をする車が今は恋しい。


さすがに肝が冷えて、時間を長く感じる。

同じ景色が続いて代わり映えがないから余計だろう。





いや、違う。




景色が代わり映えしないんじゃない。

車が停まっているんだ。





慌ててペダルを強く踏むが加速しない。


(嘘だろ!なんでだ?)

足元に目をやって驚く。



自分の右足はしっかりとブレーキを踏んでいた。

動かそうとしても、ぴったりと接着剤でくっついたかのように足がそこから離せない。



(え?なんで。くそっ。だって、このまま停まっていたら!)



「追いつかれるじゃないか…!」



あの女の姿を思い出し、ぱっとサイドミラーに視線を移す。



(嘘だろ!)



追い越したはずの女が、2、3メートル後ろからこちらに向かって歩いてきている。



「はあっ、くっ!はあ!」



両手で腿をぐっと掴んで離そうとするがびくともしない。

気持ちばかりが焦ってしまう。

呼吸は浅くなり、全身から汗が噴き出てくる。




さんざん格闘して、ふっと体の力が抜けた。


あんな近くに来ていたのだから、もうとっくに追いついているはずだ。


諦めて冷静になろう。


覚悟を決めてサイドミラーを覗く。




(あれ?)




思わず背筋を伸ばして前のめりに見るが、そこには何も映っていなかった。



(疲れて変なの見たんだな。)



息を吐きながら背もたれに体を預けていく。



力が抜けていく体だったが、

視界の端に見えたそれによって再び硬直した。




運転席の窓のすぐ側に、

あの女が立っているのだ。



髪はだらんと垂れ下がり、顔を隠している。

隙間から見える肌が異様に白い。



目を見開いたまま何もすることが出来ない。



すると、女はこぶしを握った右手をぬーっと振り上げてゴンッと叩いてきた。

俺が動けないでいると、また振り上げて今度は2回ゴンッゴンッと叩く。


次第にそれは早くなっていき、力も強くなる。


窓ガラスが激しく揺れるような強さで

、髪を振り乱し間髪入れずに叩きつけてくる。


ばらんと顔から離れた髪の隙間から唯一、

小さな顎と口が見えた



その中は真っ黒く、歯どころか舌すらなかった。



「ひい!」

ようやく声が出て、体が動かせるようになった。

震える足をアクセルペダルに叩きつけるように置いてぐっと踏み込む。



車は加速し、何とかその場を抜け出せた。





数日後、上司から呼び出された。



「お疲れ様です。」

「ん?おお、いや、悪いな、藤山。

いや、お前は真面目だし、仕事をきっちりするのはちゃんと分かってんだ。

それでも、あえて聞くんだけどよ。」



普段は歯切れのよい上司の様子がおかしい。



「なんですか。はっきり言ってください。」

「そうだな。…藤山。」

「はい。」


上司が俺の目をじっと見る。


「お前、こないだの点検調査の時に、

女、車に連れ込んでないよな?

それか、車貸したとか。」



どくんっと心臓が拍動した。



「…え?」

「いや、やっぱいい!お前に限ってあり得ないから…。」

「い、いや、どうしたんですか?

どういう、ことですか?」

「…実はな、お前が使っていた社用車、運転席の窓が開かなくなって修理に出したんだよ。

そしたらさ…。」

「そしたら?」

「…詰まってたんだって。」

「え?」

「女の長い髪の毛が、ぎっしり詰まって絡みついてたんだってさ。」

「…。」

「…ま、たまたまだな!うん。悪かったな、呼び出して。」


上司が俺の肩を叩いて去っていく。


(あの女だ…。)


あの時の光景を思い出して、俺はしばらく動けなかった。








白いワゴン車が山道を走っていく。


中には若者が2人乗っていた。


「そんなことがあったらしいぜ。」

「ふーん。」

「なんだその反応。本当なんだって。実話の怪談まとめたサイトに載ってる有名なやつだよ。怖いだろ?」

「いやさ、怖くはあるんだけどよ。雨の中傘をさしていない、髪の長い女、髪の毛が絡む、全部ありきたりだなと思ってさ。うん。」

「少しは怖がれよ。お前が暇だからなんか話せって言ったのに。」

「ごめんごめん。でもさ、王道の怪談ってそんな感じだろ。よくある話だ。」


運転する男はトンネルに目を向けた。


「トンネル入るぞー。」

「ラジオがザーザー言い出したな。」

「ごめん、消してくれるか?ノイズ混じるの嫌なんだよ。」

「おう、OK。」


ラジオから聞こえていたDJの笑い声が消えた。


車内がしーんと静まり返る。





ワゴン車がトンネルの入り口に吸い込まれていった。


何もなくなったアスファルトにぽつぽつと雨粒が落ち、ザーと雨が降り始めた。

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