第3話 詰まる思い
だいぶ前に母さんから聞いていたけれど、
正直信じてはいなかった。
大袈裟なほど口を開けて笑い、怒る時はめちゃくちゃに怒鳴る。
ひいじいちゃんの代から引き継いだこじんまりとした酒屋で
ろくに接客せず、お酒かぱかぱ飲んで近所の人とゲラゲラ笑って立ち話する。
爆竹や高い木の木登りだとか
少し危ない遊びを
まだ小学校あがったばかりの子供に教えて、
それを周りが止めようものなら
「こんぐらいじゃ死にゃあしないだろ。」と笑って流す。
とにかく元気で豪快なじいちゃんの記憶しかないから
末期の肝癌で弱ってきていて、今は入院してるなんて、嘘つけって思ってた。
仕事終わりに母さんからの不在着信と
『一度おじいちゃんの顔見に行こう。』
という絵文字も何もない簡素なメールで
本当にやばいんだと、ようやく事態を把握した。
「来てくれたの?ありがとうね。」
病院の外、入り口の側にばあちゃんが立っていた。
かすりの着物の上から白い割烹着を重ねているところから、酒屋の店番を中断して来たのだと分かる。
いつもの優しい笑顔だけど、目の周りが暗くって元気がない感じだ。
「お義母さんすみません。降りてきてくださったんですか?」
「来てくれるのが嬉しくて。顔も見たかったの。」
ここ1ヶ月ぐらい、
入院中のじいちゃんの体調が悪化してから
ばあちゃんはお店を昼中に2時間閉めて、
毎日バスに乗り面会しに来ていたのだとか。
そのことを今知った自分、
1ヶ月前の連絡を真面目に受け取らなかった自分を
情けなく感じた。
ばあちゃんと母さんの会話を聞きながら
エレベーターで上る。
病院独特のにおいがする廊下を歩いて
着いた病室のベッドに、
じいちゃんが寝ていた。
はげあがった頭に、黄色い肌、
点滴のチューブが繋がれたその身体は痩せていて、濁った目で天井を見ている。
乾燥してめくりあがった唇は何も話さずに、
ただ、ぱくぱくと小さく動かしていた。
その光景は正直ショックで、頭の中が真っ白になってしまった。
ばあちゃんが近寄って屈み、
目線を会わせてから肩を優しく触る。
「おじいさん。高仁(たかひと)くんが来ましたよ。秀男とかな子さんも来ましたよ。」
じいちゃんはまず目だけで俺たちを見ると
顔をゆっくりと向けて、
手を微かに伸ばして「あ…あ…。」と
かすれた声で言った。
それに答えたかったけれど、言葉が思いつかなかった。
それを見たばあちゃんは僕に微笑んで
「高仁くん、こちらにいらっしゃい。
ゆっくりお話しするだけで良いから。」
と椅子に座らせてくれた。
場は和んで俺ら家族とじいちゃんと
懐かしい話や
最近の話に花を咲かせた。
じいちゃんは「あー」とか「うー」しか
言えなかったけれど、
ばあちゃんが気遣って話題をふったり話を聞いたりしてくれたから、
とても楽しかった。
そうだ。
ばあちゃんはいつもにこにこして
破天荒なじいちゃんを影から支えていた。
じいちゃんはちゃんと働かなかったけれど
お金の計算や販売はばあちゃんがきりもりして
くれたおかげで店は営めていたし、
3人の子供も育てられた。
それなのにじいちゃんをたてて決して
前に出ようとしなかった。
今も、じいちゃんの枕元の椅子に座り
俺らの話を聞きながらも、
時々じいちゃんに優しい眼差しを向け
様子をみている。
本当にばあちゃんはすごいな、と改めて思った。
話しているうちに点滴が終わっていた。
「失礼します。」と看護師さんが入ってきて
点滴を外していく。
「すみません。そろそろ帰りますね。
お義母さんお邪魔しました。
お義父さん、失礼します。」
「じゃ、帰るな。」
父さんと母さんが帰り支度をし始めたので
慌てて椅子から立った。
「なら送っていくわね。」
そう言ってばあちゃんが離れようとした時だった。
じいちゃんがばあちゃんの腕をつかんだ。
「本当によくしてもらった。幸せだよ俺ぁ。」
じいちゃんは親戚が集まってばあちゃんを褒めだすと
「あいつなんて大したことない。」と
決まって言っていた。
本当は感謝していたんだ。
看護師さんが俺達に近づいて言った。
「普段は全く話されないんですけれど、
奥さんだけにははっきりと
ああやって話されるんです。
いつも言うことは同じなんですけれどね。」
優しく手を握るばあちゃんと、
ずっと同じことを繰り返すじいちゃんを
見ていると、目頭が熱くなった。
1週間後。
「本当によくしてもらった。幸せだよ俺ぁ。」
最期までそう言って、
じいちゃんは静かに息を引き取った。
お通夜と葬式が終わり、
喪服の親戚がじいちゃんの家に集まった。
狭い居間に大人が集まり、
ご飯やおつまみを食べながら
お酒を飲んでいる。
中心にいるのはばあちゃんだった。
俺は久々に会った従姉妹の姉ちゃん達と
仕事の愚痴などで盛り上がっていた。
まるで子供の頃に戻ったみたいだ。
トイレを借りて出てくると、
親達はすっかり出来上がっているのか
大きな話し声が聞こえてきていた。
湿っぽくならないのはじいちゃんの
人柄だろうな、なんて思っていると
ふと、1階の和室、じいちゃんの寝室が目にとまった。
そして、そういえば、と
じいちゃんの言っていたことを思い出した。
俺が小学生低学年の頃、
パチンコにつれて行ってくれた。
打つ前に決まって、
いつもしている左手の銀色の時計を
くるくると回す。
何してるの?って聞くと
「これは願掛けだよ。当たります様にってな。俺が死んだら、タカ、これやるからな。」と
ニカッて笑ったっけ。
別に時計が欲しいわけではないけれど、
じいちゃんとの思い出があるから
もう一度見たくなった。
(ばあちゃん忙しいだろうし…。)
と何も言わずに襖を開ける。
中は綺麗に掃除されていて、
すっきりしていた。
じいちゃんがしまっていそうなところを探すけれど見つからない。
「あれ…ないな…。」
あと探してないのは…と目線を送った先は
仏壇だった。
丁度小物がしまえそうな引き出しがある。
なんだか罰当たりな気がしたけれど
じいちゃんなら許してくれるだろうと
思って指をかける。
ガタッと何かが引っ掛かっているような感触。
雑なじいちゃんのことだ。
無理やりいれたのだろう。
少しずつ揺らしながら引いていくと、
引っ掛かりがとれたのか、
すんなりと引くことができた。
ただ、その中に入っていたのは時計ではなかった。
「なんだ?これ。」
肌色の布でできた染みだらけの小さな人形。
綿が入っているのか柔らかい。
それは大の字のポーズのように
棒状の手足がついている。
丸い頭に顔はないが、
ちょうど口の位置あたり、
黒い糸でばつ印のように縫ってある。
興味本意で爪でなぞると、
糸が古いのかぶちぶちと簡単に切れた。
そのあたりから卵を割ったように口が開け
綿と一緒に何かが飛び出てきた。
どうやら紙みたいだ。
丁寧に折り畳まれたそれを
親指と人差し指を使って引き抜いていく。
なんのへんてつもない紙みたいだ。
何かのメモか、遺言かもしれない。
破れないように慎重に開く。
「…っひ、うあ!」
驚いて投げ出してしまった。
人間の髪の毛が包まれていたからだ。
(な、なんなんだよ。)
手を服に殴り付けるように拭きながら
紙を覗き見た。
「え?」
そこには、墨で書かれた達筆な文字で
『本当によくしてもらった。幸せだよ俺は。』
とあった。
(もしかして…。)と
ある可能性が頭に浮かび
冷や汗が流れる。
心臓がばくばくとうるさい。
呼吸が荒くなってきた。
そして、気を失った。
父が俺を起こすまで俺は和室で寝ていたらしい。
その時には人形なんてどこにもなくなっていた。
「また来てね。高仁くん。」
ばあちゃんが玄関まで出てきて見送ってくれたのだが、
その顔を見ることは出来なかった。
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