永遠のさくら
二〇一八年の八月下旬、ぼくは両目を見開いて画面のテロップを読んでいた。
乳がんとはうそだろ……。
健康に気遣っているはずだ……。
大金持ちならすべてのがん治療を試せるだろ……。
抗がん剤はやらなくても、温泉へ行ったりと出来るだろ……。
そんな思いが浮かんだ。
そして正式ニュースのトップで真実をと知った。同級生のさくらももこが八月十五日に亡くなっていたことを。
以前も述べたけど、さくらとは小学三年生から中学一年生をのぞいた中学三年まで、六年間をクラスメートとしてともにした。
小学三年生時代のぼくのプールの脱走、登校拒否、怖い戸川先生をすべて知っている。さくらはそれでエッセイ的なアニメ「ちびまる子ちゃん」でデビューした。今ではだれもが知るはず。
なぜ三年四組かはわかる。恐ろしい戸川先生を優しく描きたかったのではないか。小学校五、六年の浜田先生を実際のモデルといわれているけど、ぼくは違うと思った。さくらのエッセイによると、友蔵は威張っていたのでアニメは優しくしたことを知った。
実在のキャストもたまちゃん、花輪くん、丸尾くん、はまじ、かよちゃん、徳ちゃん、藤木くん、野口さん、ケンタだ。
さらに実際の三年四組のクラスメートは、さくら、はまじ、かよこ、野口、藤木と五人だった。他は小学校五、六年時代や中学時代と重なっている。
小三時代、さくらのことをあまり知らなかった。登校拒否だったり戸川先生のことが怖く、クラスメートのことを気にしていられなかった。さくらは真面目に過ごしていただろう。
四年時代から会話をしたはずだ。といってもさくらはおとなしく、ノートへ漫画を描いていたのはわかった。さくらが実際に描くはまじは小学五、六年生である。それで三年時代はまったく違った。
彼女は五年生から女子のきれいどころが入る、バトンクラブへ入部する。運動会などマーチングバンドの先頭で、バトンをくるくると回していた。梅干しばあちゃん顔のちょうちんブルマーで、よくぞ回せるなと。やがて六年生では上手に馴染んでいた。
たまちゃんとは、五年生で知り合ったのではないか。違ったらごめんよ。交通委員会も同じだし、よく一緒にいたのを覚えている。
かよちゃも仲間だし友だちは多かった。ただ漫画のように、中心人物ではない。小学生のぼくの声も、あんな威張る声ではない。大体子どもだ。なぜあの声かと思ったけど、今ではぼくも物まねできるのでよしとする。
高学年のさくらもノートの四つ角に漫画を描いていた。ただ目が輝く絵で、まる子のような単調な絵ではなかった。
学校の文集ではたしか委員長を務め、とても長い長文を書いていた。先日、友人に見せてもらい驚いた。昔はきれいな字で、丸っこい字ではなかった。これをみなさん読んだなら、小六の感性ではないことを知る。それだけ口には出さない思いがたくさんあったのだろう。
さくらが漫画家を目指していた高校時代、自分は中退して上京した。そして漫才師になろうとしていた。でも失敗した。そのころさくらは、りぼんへ応募し、めでたく新人賞を獲得。暗雲の差だった。
彼女は子どものころからなんだかんだと受賞していたので、痛くも痒くもなかったのかもしれない。いや、そんなわけはない。
集英社の新人賞だし。正直、漫画家になれても挫折はいる。しかしさくらは、私的漫画で成功。テレビアニメまでなった。それもサザエさんのように国民的アニメへ定着した。運がいいのだろうか。
ぼくは運がないのか。もしたけし軍団へ入ったなら、辞めずにすんだのだろうか。カニエイと横浜関内駅近辺で目の当たりにした、ラッシャー板前へのダンカンのいじめ。これに耐えることが出来るのかと……。
さくらと中学時代も同じ。そのころ、なぜか自分をじっと見ている。それがどうも引っ掛かる。後ろを振り向くと斜め後方の彼女がぼくを見ている。それもジッとだ。なんだ、なにを見ているのかと思う。また振り向くと、彼女はジッと見ている。それも目を細めて。なにか感情移入しているように。ぼくへ移入ってなに?
そんな光景が中学二、三年時代にあった。
彼女は目が悪いのに、アニメのように席は後方だ。赤ぶちのメガネをあまり掛けず、目を細めたり人差し指と親指を目に当てがえて黒板を見ていたりする。それってなんだとさくらのマネをすると、目が悪くないからダメだといわれたことがあった。たしかに当時は両目一・五の視力だ。
大人となって目が悪くなり、片手で小さい丸を作ってそこから遠くを見るとよく見える。これかとわかった。
何度もそのような感情移入モードを浴び、たまにはぼくも問いかけた。
ある日、後ろの生徒に話しかける時、さくらが視界に入った。そのとき、ジッと見られていた。一度正面を向き、また振り向くとまだ見ている。なにを考えているのかと正す。そしてもう一度振り向いた。
「なに見てるんだよ」
と、さくらへ問う。
それでも彼女は黙っている。なにかに取りつかれたように、ジッと細くした目でこっちを見ている。
「おい、なんだよー」
というと、さくらは驚いたように我へ返った。まるでエクソシストか。なにかの霊が憑依しているような様子だった。一体なんだ、とても不思議な女子だ。今から思えば自分を将来の漫画のキャラクターを描いていたのか。
中学を卒業し、お互い別れる。ぼくは厳しい高校へ。彼女は県立高校へと。
十七歳の時、一度同窓会を行った。自分は二日酔いだったし、当時仕事場の作業着で出てしまった。未成年のくせに前夜、友だちと焼酎のコーラ割りをたくさん飲んだ。酒歴が浅く、翌日も酔っていた。その時、ヘルメットとおもちゃ刀を持参したので、みんなの前で芸をし盛り上げた。女子五人に男子四人の同窓会だった。その時に黒のストッキングを履いたさくらがいた。ちょっと色気づいたのかなと。今から考えると会ったのはそれが最後だった。
「僕、はまじ」の本の表紙の絵は、一度っきりの電話で話はついているので、会っていない。さくらからの電話には驚き、同級生と会っているかなどの話しに花が咲いた。電話もそれが最後だった。
その三日後には表紙の絵と、さくらからの色紙とメッセージカードが入っていた。電話で表紙以外に色紙を送るからといっていたので、余分な仕事をしなくていいといったのに送られてきた。
これには感謝だった。その彼女が亡くなってしまったので、ぼくが持っていても意味がない。なぜなら子どもがいるわけでもなく、店を営業しているわけでもない。ただ押し入れにしまってあるだけだ。それでは申しわけなく、彼女の絵をだれかのためにならないかと思った。それは清水にちびまる子ちゃんランドがあることを思いついた。そこへ持って行き、出来れば飾ってもらおうとする。まる子ランド店長は喜んでくれ、その色紙は清水のありがとうの会に飾られた。これならさくらも喜んでいるだろう。それと色紙へさくらへの寄せ書き集めをやりたくなった。二カ月間掛かったが、色紙二枚が埋まった。さくらの両親は健在だから、仏壇へ飾ってほしいと親せきを通じて渡してもらった。
彼女が亡くなってもまる子はまだまだ続くので、みなさんも楽しくご覧いただきたい。二〇一八年の静岡市へマンホール寄贈は、なにかを残そうと終活していたのかもしれなかった。いつか出版社などを入れての対談があると思っていた。それがもうなくなった。見えないさくらの霊がぼくの周りにいるのか。あの世で友蔵、クラスメートだったニモネニと楽しく飲んでいるのか。自分も寿命が短そうで、いつか逝くだろうから仲間に入れてほしい。
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