はまじの危機中年から初老編

一、知らない親族から二千万の借金の請求、相続放棄(四十)

二、最大級に痛かったぎっくり腰(四十二)

三、タクシー時代、客が業務横領したのをぼくのせいとなり一万五千の金を返還される(四十五)

四、身体の痛み(四十六~現在)

五、母の死(四十八)

六、友人の死(四十九)

七、バイクでこける(五十)

八、脱肛(五十一)


五、六、七、八はすでに述べたり今後に話すので、一から四までを載せる。



一、知らない親族からの話し。

 前厄とは四十から四十一歳をいうようだ。その年の二月、まだ四十のとき一通の封書がぼくのところへ来た。ずいぶん分厚く、埼玉信用保証協会、という差出だった。

 なんだろう、と思い開いてみれば驚いた。内容はこんな感じだ。

『亡くなった浜崎弦さんの相続があります。自宅が抵当に入っていますが、借金が二千万ほどあります。つきましては三親等まで請求が行きます。息子さんや亡くなった母はすでに放棄しております。つきましては浜崎憲孝さんへ請求を求めます』

 これには驚き、いま流行の架空請求と思った。だいいち『浜崎弦』など会ったこともない。この人は埼玉在住のようで、すでに亡くなっている。なぜぼくに来るのだろう、と。

 息子がいるのに放棄とはなんだろう。自宅が抵当、と書いてあるが自宅があるならそれで借金を返せばいいのではないか。でも借金が家より上回る場合もあるため、それだろう。

三親等ということは弟にも書面が来ることになる。

 夜、弟のとこに電話すると来ているらしい。これは本当のことだったのか。

「おれらも放棄すればいい、だがすんなりいかないだろ」

 弟はそういうと、弟の妻へ代わった。

「これは相続放棄すればいいんですよ。でも追ってかないとならないわよ」

「追っていくとはなにを?」

 弟妻が話すには、三親等の証明を実家のある青森まで書類を追うのだった。それをそろえ埼玉の家庭裁判所へ提出するらしい。ぼくはそんなことするのかー、と面倒臭がった。

 弟妻はたまたま社会保険事務所へパートとして勤めていたため、彼女が追ってくれるらしい。これには感謝した。

 架空請求と思いきや、ほおっていればとんでもないことになっていた。父の実家と弟妻は何度も連絡をとっていて、青森まで書類を追ったようだ。それを知ったときはとてもありがたかった。そして埼玉の家裁へ相続放棄の書類を出し一応終わった。

 こんなことがあるとはまったく知らなかった。これは前厄なのかと思えば、三つ下の弟は厄には当たらない。ただ運が悪いのか厄なのか、神様のいたずらなのかだ。



二、ぎっくり腰の話し。

 これも後厄ではないだろうか。

 演芸場をやめて、ジャグリングボールをさらに練習したくなり、図書館外の芝生で毎朝練習していた。

 ジャグリングをしながら足を上げてボールを通した練習。ボールを上げたときに一回転してボールを受け取りジャグリングを続ける練習。前や後ろから投げての練習など、図書館のパソコンでユーチューブを見ては行っていた。

 凝り性とでもいうか、いままでベース、サーフィン、キーボード、ドラムなど完璧を目指そうとしていた。そんな性質なので、ジャグリングも四十二の身体なのに凝ってしまった。

 十日たったある日、図書館でキーを打っていたとき、妙に腰が痛む。もともと腰痛はある。でもいつもの痛みとは違う。いつもなら歩いたりとなにか運動的なことをすれば痛みは緩和した。ジャグリングという運動を朝から行ったので、腰痛は楽になるはずだ。

 腰かけているだけなのに、時間とともに腰が重くなり、異常な痛みに変わった。それは立ち上がったときだった。

 常々誰かがぼくの腰を金づちで叩いている感じ。これはいままで経験のない痛みだった。

 座ったときも激痛はやまない。これではキーを打つことが無理なので昼に退散することにした。

 予想では、ジャグリングのせいだろう。ボールを前後に投げるとき、腰を左右使うからだ。たったあの動きが激痛に変わったというのか。

 車へ乗るとき、痛みはよりひどくなった。帰ってコルセットをしないとならない。でもこの叩かれる痛みは治りそうもない。腰の医者には散々通った。自分にはリハビリはムダだ。それに金もかかる。とにかく安静にしようと思った。

 自宅へ帰れば、まずコルセットをする。洗濯物を入れたりとなにかと用事がある。

 数時間たっても当然痛みはやまなかった。夜になればいつも通りお茶割りタイムとなる。

 夕飯は簡単な卵かけごはんにインスタント味噌汁を作った。酔っても痛みはとれず、そのまま寝たのだろう。夜中、あまりの痛さで起きた。しばらく腰へ手を当てながら耐えた。

なぜこんなに痛むのだろう。年のせいか。ジャグリングの練習にしても、それほどひどく腰を使ったとは思えない。かつてのドラム練習のほうが腰に悪かった。

 それにしてもいつもの痛みの十倍以上だ。そうだ、あのときだ。二十中頃の夜中に便器へ腰をぶつけ倒れたときだ。その翌日は配送があったので、仕事へ行き、そして入院となった。あの痛さに似ている。

 尿意をもよおしトイレ向かうときは立てなく、四つんばいで向かった。それもゆっくりだ。急ぐと腰へとても響く。激痛により立つことも数分かかる。明日から生活をどうしたらいい、と冷や汗交じりでトイレへ入った。次は立ちあがろうとすれば痛むので、便座へゆっくりと座った。小便をするのにこんな時間をかけたのは、配送のときの激痛以来だ。

まさか骨が折れているのではないだろうか。

 そんなに軟な身体になったのか。まだサーフィンのほうが何十倍も腰に悪いというのに。 

そのサーフのときにこの痛さは一度も起きていない。 

 トイレから出て、数分かけて布団へ戻った。横になっても激痛は続き、眠れなかった。

 朝までうとうとしていた。医者に行くべきだろぅか。でも入院と宣告されたら困る。

 骨は折れてないにしろ、もしやぎっくり腰ではないのか。腰は悪いが、まだぎっくり腰にはなったことがない。それは動けなくなるほどの凄まじい痛みと、トラックドライバー時代に先輩やサーフ仲間から聞いた。激痛で動けないなら自分の症状に似る。

 でもドラムやサーフでぎっくり腰は起きなかったのに、ジャグリングの練習で起きるのだろうか。厄年も加え、神様がなにかの制裁を仕向けたのかもしれない。世の中の出来事はすべて因果応報と思っている。過去、だれかを傷つけていたのかもしれない

 その日は一日寝ていた。はいずりながらの歯磨きやトイレ、ご飯の支度以外、コルセットをつけて横になっていた。テレビを見ても痛む。医者に行くべきだろうが、痛みが引くのを頭痛薬を飲み待った。

 翌日はたいぶよく、睡眠もとれた。頭痛薬が効いたのかもしれない。近隣にある接骨院へ自転車で向かうことにした。

「……だいぶ背中が緊張して硬くなっている。ぎっくりですね。しばらく通ってください……」

 それを聞き安堵感に包まれた。内臓の病気で痛む場合もあるからだ。先生の言葉が神の言葉に近かった。

 その日からトイレやご飯の支度は立って出来るようになった。ただしコルセットは外せなかった。体の一部となっている。

そして全部で五回接骨医院へ通ったら、痛みがなくなった。それからというものの、ジャグリングの派手な練習は一切せず、たまにやるときは座って行っていた。いくらやる気はあるけど加齢とともに骨は弱っている。そんな教えを受けた感じだった。

 ぎっくり腰はほんと激痛なので気をつけてほしい。



三、次は業務横領をぼくの仕業となり返金の話し。

 危機までいかないが、会社に不満だ。

 タクシードライバー時代のパチンコ屋までよく乗せる客とのことだ。

 その男性客をОとする。パチンコ屋からぼくのタクシーへ乗ると、静岡のパチンコ屋まで行ってくれという。いつもより長い距離を走るので、車内はお客との会話が弾んだ。

「……運ちゃん、今日の台二千円でかかった」

 フィーバー台はかかるまで、いくらかとられるようだ。それが五百円の人もいる。ぼくはパチンコをやらないが、お客との会話でなんとなくわかるようになった。いまでは忘れてしまったけど。

 ぼくのほうも、

「……それはよかったですね。二千円が数万となったのですか?」

 などと、話しを合わせるのだった。こんな感じで静岡のパチンコ屋へ到着した。

 メーターは四千七百円だった。

「じゃ、五千円な、ちょっと待っててくれ」

 真ん中の小物入れのところへ五千円を置いた。そしてドアを自分で開けて降りた。

数分たち、メーターを切るべきか迷った。通常、待っててくれといえばメーターは切らなくていい。でも常連客なのでメーターを切った。お釣りの三百円をもらえば、のり弁当が食べられる。

すぐに来るものだと思ったが、待っても来ない。パチンコでもやっているのか。メーターを切ってしまったため、これでは損だ。タクシーは待機場所に戻らなければなかなか仕事はない。なぜ待っていろといったのか。ここのパチンコ屋からタクシーを呼べばいいはず。

だんだん待っているのがバカらしくなった。十分が二十分、二十五分と時間が過ぎていく。こんなにも待たす客はいままでいなかった。いい台ですぐにかかったので、パチンコへ熱中しているのではないのか。

三十分たったとき、ドライバーシートを立て直す。そしてギアをドライブに入れ、バックミラーからОが来るのを気にしながら道路へ出た。

 そして清水へ戻り仕事をこなしていた。

 パチンコ屋で待機すれば、またОを乗せることになる。

 そのときが来た。

「……なぜこないだ帰っちゃったんだ、帰り困ったよ」

「すいません、三十分待っても来なかったので……」

「メーター入れなかったの?」

「ええ、切りました」

 このときは、それほど怒っていないようだった。だが半年後に事件は起きる。

 それからというものの、Оを乗せていなかった。どこかへ出稼ぎでも行ったのだろう程度に思っていた。

 半年ほど過ぎたころ、非番日で日中はサーフへ行き、夕方から晩酌を楽しんでいた。

そのとき会社から電話だ。なんだろうと出る。

「……Оがさ、浜崎出せ、浜崎出せって叫んでるんだ。なんかあったのか?」

 当時の所長からだ。

「え、このごろ乗せてないし、別にないです」

「ちょっとこのまま待ってて、事情を聞くから」

 まさか、待っててくれ、といったときのことだろうか。電話を切らずにグラスへ口をつけた。飲んでしまい、これから清水まで行くわけがなかった。

「……タクシー乗ったとき、待ってろというのに待ってなかったのか?」

 やはり半年前のことだ。

「そうだけど、半年も前の話しで、その後もОを乗せ、怒ってはいなかった。あのときメーターを切って三十分も待ちました。それでも来なかったので清水へ戻ったんです」

「そんな前の話しか、とにかく酔ってるし、それなら帰ってもらわんと……」

 ぼくは電話を切ると嫌悪感が抱いた。なぜいまごろそんなことをいってくるのか。それも会社へだ。明日は出勤なのにお茶割りが進んでしまう。その後も自分のタクシーへ乗ったし、たいして怒らなかっただろうに。三十分も待ったのだし、こっちに非はないはずだ。

翌日会社に行くと、所長室へ呼ばれた。

「……きょうОが文書で請求に来るだと。帰りのタクシー代金五千円、そのとき帰れなく仕事ができないという迷惑料五千円、計一万の請求だと」

 ぼくはなんだそれ? 状態だった。

「それを払うんですか?」

「そうしないと民事にするといってるんだよ」

「おかしいじゃないですか、それも半年前のことをいまさら。こっちは三十分待ったのに」

「でもね、お客が待っててといったら、待ってないとドライバーのほうにも責任が出るんだ……」

「それで、ぼくが払うんですか?」

 タクシー会社はバンパーや小さい自損事故を自分で払って直す。とてもブラックに近いというか、ブラックだ。

「今回は会社で払うが、今度はこんなことがないようにしてよ。上から怒られるのはおれなんだ」

 渋々納得いかなかった。だが自分が払うわけではないので、所長に頭を下げて出た。

その日はОへとても憤慨な気持ちでタクシーの乗務に入った。

ところがだ。数日たったとき、またОが精神的苦痛を受けたと称し五千円の請求に来たらしい。ぼくは所長へいった。

「……強請りと業務上横領か企業恐喝じゃないですか。払う必要はなく、警察へ届けるべきです」

「それがそういうわけにはいかないんだ。文書がしっかりとしている。どうも弁護士かだれか知恵のある人から教わった文書なんだ。それにこういうのに慣れている。下手すると民事で訴えられる。そうなればここの会社へ傷がつく……、それで今回の請求は、浜崎さんにお願いします」

 耳を疑うとはこんなことだろう。Оはタクシー会社をバカにしている。このとき所長にも腹が立った。

 ぼくはなにもいわず所長室を出た。そしてタクシーへ乗ると営業所から出た。

 数日後、所長から催促され腸が煮えくりかえりながら五千円を払った。

 だが、前回会社からОへ払った一万を、所長はぼくに請求してきた。それからというものの、この所長とはろくに会話をしなかった。三カ月後、所長は転勤になった。顔も見たくなかったのでせいせいしたのだった。

 結局、ぼくがОへ一万五千円払ったことになる。いま書きながら思い出したので、憤慨な気持でいる。

こんな場合は、会社側が警察へまず相談しないとならないのではないだろうか。ぼくへ直接へいってきたなら、警察へまず相談をする。そして民事訴訟なら弁護士費用を考えると、裁判はどうだろうとなる。これはОの悪知恵作戦の勝ちではないだろうか。だがそういうことをすれば、どこかで報いに襲われるはずだ。それが因果応報である。

Оはぼくへいったことがあった。人生は太く短くだ、と。



四、身体の病みの話し。

 タクシー会社を辞めたとき、もうお客とは会話がないということで、上あごにほぼ入れ歯が入った。そこから身体の調子が悪くなった。箇条書きにするとこうだ。

・頭髪が多量に抜け禿げた。

・毎年しもやけができる。

・ぎっくりほどではない腰痛は、右が特に痛む。

・母の死から常に気分が落ち込んでいる。

・翌年の友人の死でさらなる輪がかかる。

・やることを忘れることが多い。

・冬の初め、背中に激痛が毎年起きる。

・右目が左より暗くて違和感がある。

・脱肛が気になる。

・水泳では起きないのに、サーフィンをしたあと、とてもだるくなるときがある。

・冬でもないのに唇が荒れ、薬を塗っても治らない。

 こんな感じだ。五十一になったので、身体の異常はだれにもあるだろう。

 このなかでとても引っかかるのは、気持が落ち込んでいることだ。以前はこんな気分にはならなかった。これって仮面性うつ病かもしれない。気分を上げようと毎日焼酎のお茶割りを飲んでいる。

心の異常ってなってみると、とてもつらいことだった。だが精神病などの薬は、とても身体によくないらしい。

 世を生きるにはつらいことが多い。学校、仕事、育児、病気がちなどだ。本音はつらさを避け、笑うことがとても精神にいいようだ。でもつらいことは勝手にやってくるし、心が病になる。病は気からというけれど、勝手に気持を病にさせられるのではないだろうか。

 心の病を背負っている方へ、本当につらさを避けて笑っていられるようにしよう。

 嫌悪感を抱いたタクシー会社を辞めたのに、また別のつらい気持ちがやってきて、それと葛藤している。身体の痛みもつらいけれど、精神の病もとてもつらいことだ。でもメンタルクリニックへは行かないつもり。前の自分のように、面白いことを考え生きていくにする。


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