講演会
講演会を行ったことがある。きっかけは新聞社の取材を受けたことがあり、ぼくを取材した女性から、友人が講演をする会社にいるから登録してみてはどうかといわれた。
ただオーディションではないが審査はある。それは講演会を行った状態のカセットテープ、USBスティックなど保存した物を講演会社へ送ること。
いままでラジオやテレビ取材はあるが、それは依頼されたことだった。講演会も依頼されることではあるが、ぼくは芸能事務所に入っているわけでもない。そうなると自らが録音物を送り、合格して登録し、講演会社が営業をしてくれ依頼が入る流れらしい。もちろんそれは仕事となり講演料と交通費が出るという。
ぼくは新聞社の女性にいろいろ聞き、一時間半から二時間の話しをテープへ録音した。四十一歳のころだ。本を出しているので、ちびまる子や自分の過去を話したら、あっという間に二時間近くなった。一人で声を出すのでアパート住民は変に思っていたのかもしれない。なにかの説法をしているのかなと。
それを送ると五日ほどしたらメールが入り、早速営業に入るという。合格したのにそんな嬉しくはなかった。まだ仕事が入ったわけではないからだ。
講演会は料金が高いらしく、それほど仕事は入らないと聞いている。そのころ演芸場でアルバイトしていた。
登録したのが九月上旬だったか、それから半月ほどしたら電話で連絡があった。こんな感じだ。
『浜崎のりたかさんの携帯でよろしいのでしょうか?』
〇三から始まる番号だった。出版社なら登録してあるし、知らない番号だった。
「はい、そうてす」
なんとなく講演会かなと。
『わたくし講演依頼ドットコムの杉本です』
やはりそうだ。
「はい」
『講演依頼が入りましたのでお電話差し上げておりまいす……』
初めての依頼先が遠い。なんと福岡県博多の天神だった。
福岡の博多はわかるが、天神はどこだろうと。
「……ずいぶんと遠くですね」
『それで浜崎さんの意向を聞きたくお電話差し上げました……』
その後、日程や講演会場、時間をメールで知らせてくれた。
休みを調整すれば行けるだろう。ただ講演日が土曜で、翌日の稼ぎどきは休めない。飛行機は乗ったことがないので博多まで新幹線で向かい、日帰りで帰らないとならない。
講演会社の担当がいろいろ調べてくれて、初回なので日帰りでの新幹線の切符の手配をしてくれた。
その日まで、なにを話すか講演会ノートを作成し、それを頭に入れたり読んでは練習をした。
内容はちびまる子ちゃんの話しから進め、プールの脱走、登校拒否、担任からの暴行、復帰した小学四年のことや中学時代など続き、通信高校を卒業したことなど。いまでは作家を目標としていることを話す。
題して『いつも心に目標を』だった。自分の過去を考えると常々なにかを追っている。達成や失敗を繰り返しても目標は持っている。
そんなことを伝える講演だ。
ジャケットを新調し、いかにも初の講演に合わせている。
日程は十一月上旬で、十三時からの講演だ。前日には講演の担当者から遅れないようにと念を押された。
当日、五時起床。後々自分が入社するタクシーを予約した。ジャケットを羽織り、忘れ物がないようたしかめてタクシーへ乗った。
とても眠かった。こんな早朝に静岡駅へ来たのは、通信高校の修学旅行のバスに乗る以来だった。そういえば、ガイドさんに先生と間違えられたなと思い、ひかりへ乗った。自由席は結構埋まっているが座ることは出来た。名古屋で乗り換えて博多まで一気に向かった。景色を眺めたり講演ノートを開いていた。
広島を過ぎたころ緊張感が募り寝てもいられなくなった。初めての依頼先は、通信高校が何社も集まる説明会にゲストとして呼ばれた。まさにぴったり合うゲスではないか。でも上手に話せるかと不安が募った。幸い演芸場で呼び込みをしているので声は出る。詰まることはないが、静岡弁が多々出て伝わりづらいかもしれない。登場するまで何人いるのかもわからない。
ついに博多駅へ着いた。改札口で二人の女性が模造紙に『浜崎憲孝さん歓迎』と。それには笑ってしまい、緊張モードが解けた。
地下鉄で会場へ向かうとすぐ着いた。女性たちの誘導で階段を上がりビルへ入った。博多の街を一瞬見えるが高層ビルばかりだった。
まるで東京に近かった。
小部屋のようなとこへ入ると、弁当とお茶があった。女性たちが昼食を食べてなかったらどうぞといわれ、もちろんすべて食べる。
少し休憩していると緊張が襲ってきた。バックからボールを出し、ジャグリングの練習をした。これで気が紛れる。講演中の一息入れるときに披露でもしようとした。
そして男性から声が掛かり会場内へ入った。コの字型に各通信高校の机があり、真ん中は五十席ほどのパイプイスがあった。そこに腰掛けているのはわずか十五人ほどである。それも遠慮がちに後ろ側へぽつりぽつりと座っているではないか。
初めてだから仕方ないか、と。
司会者に紹介され、『いつも心に目標を』のテーマも伝えてくれた。
そして十三時、初の講演会がスタートした。
正直、笑いが少なかった。途中、汗が流れた。いつも呼び込みをしているのに、休まず人前で話すのはこんなにも体力を使うことを知った。ぼくはお茶も飲まずに飛ばしていた。なぜなら一時間で終わらせてくれというではないか。一時間半と聞いていたはずだ。
最後尾で依頼者は、スケッチブックへ書いた時間を知らせしてくれる。
時計を持っていたが見ていなかった。
通信高校のことを特に話してもらいたかったようだ。でも時間がなく少し話しただけ。場内にいる人は通信高校に入ろうと説明会に来たのだから、本当はそこを多く話さないとならない。
終了後、二人から質問があった。やはり通信高校のことである。
これではとても申し訳なかった講演会ではないか。ジャグリングもやり忘れ、正直失敗だった。終了後は悔やんでもいられず、急いで博多駅を目指す。お土産も買わず、静岡行きのひかりの切符を買って戻らなければならない。明日は仕事だ。客商売なので休めない。
ダイヤ通り乗り継げば、二十一時過ぎに自宅へ着く予定だ。
帰りの新幹線では反省をしながら、缶チューハイを飲んでいた。
三本目からは反省はなく気分がよくなった。すると眠気が出た。
ここで寝ると大阪での乗り換えが出来ないのかもしれない。
缶チューハイから飲みたくもない缶コーヒーで、目を閉じさせなかった。定刻通り乗り換えれば、缶チューハイを握っていた。
あとは静岡駅まで直通だ。難なく自宅には九時過ぎに着き、お茶割りを飲み寝た。
これが人生初の講演会だった。
その後は静岡県島田市の小学校、静岡市の二つの小学校、富士宮の高校がこれまでの依頼だった。高校は全校生徒七百人もいて、笑いも多く大拍手をもらった。
三年前、大阪から依頼が来た。だが、母の死でとてもモチベーションは下がっていた。担当者に相談すると、モチベーションが下がる場合、講演をやらないほうがいいといわれ断った。後日、講演会の登録も外した。講演会は旬な人なら忙しい。でもぼくのような凡人ではそれほどない。
たまにあるとテンションを上げるのがとてもつらい。芸能人はそれが仕事だから、慣れるだろう。素人ではそうはいかない。それも理由だった。
ぼくへ講演の依頼があっただけでもありがたく思う。特に一回目の博多は少人数だったが、移動が長くそれがいい思い出に残った。
講演会社を辞めたが、依頼でもあれば行うだろう。
なぜなら会社への責任がなくなり、自分が背負えばいいからだ。
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