儚げな友達

桜坂 透

第1話




彼女はとても綺麗で、美しい存在なのだと思い知った。それと同時に、僕らは何も出来ない、無力でちっぽけな存在であるということも。



***



彼女と出会ったのは、高校の入学式の日だった。




入学式当日。まだ入学する前から早々に寝坊し、遅刻しかけていた僕は、かなり焦りながら学校までの道を走っていた。信号に引っかかり、イライラしながら待っている最中、信号の向こうに同じ制服のスカート姿が見えた。他にも生徒がいた事に安心した僕は、信号が変わってから、走るのをやめて歩き出す。

ふと、なぜ目の前にいる生徒は、信号を渡っているのにも関わらず、歩いていないのかと疑問に思い、その生徒の横を通り過ぎる際、チラッと横をみた。

そして、思わず足を止めた。

「え……」

驚愕の声が漏れる。

なぜなら彼女は、片手で血だらけの猫を抱きかかえ、片手でスマートフォンを睨み付けながら操作していたのだ。

制服が血まみれになっていることにもかわまずに。

漏れた声に反応したのか、彼女は顔を上げ、僕と目が合った。

「あ、あの、この近くに動物病院って知らない、ですか…!?」

必死の剣幕でそう言った彼女に僕は一瞬怯みつつ、考えるよりも先に動いていた。

「こっちに来て!」

彼女の腕を掴んで走り出す。

僕は家から近い高校を選んだ。だからこの辺の地図は感覚で覚えている。それに、ペットの犬が世話になっている動物病院を知っていたので、あの猫を見て、反射的に身体が動いていた。

無事、動物病院に着いてからは、事情を簡潔に話すと、そこで待っていて、と指示された。

それまで無我夢中に走っていたので、落ち着くと、お互いに我に返った。

「あ、あの、ありがとうございます。本当に。そして、すみません、急にこんな、巻き込んじゃって…」

彼女は申し訳なさそうに俯きながら話した。

「いや、そんなことないよ。むしろ、すごいね、君…えっと」

あ、と彼女が呟き、名前も知らなかったことにお互い気づいて、名乗りあい、軽く自己紹介をした。彼女は地方から来ていて、同じ学年だということを知った。

「制服、大丈夫…じゃないよね、それ。って、あ…」

「「入学式…」」

今まで全く忘れていたことを思い出し、そして、お互い目を合わせて、笑った。

「しょうがないよ。もう。制服は、どうにかしてくれるはず…」

「ま、なにも間違ったことはしてないし」

そう言って笑いながら話していた所に、獣医がやって来て、その表情をみた僕達の顔からは、笑みが消えた。

「嘘…だってまだ温かかったのに!」

そう言って彼女は床に座り込み、泣き始めたのだった。

僕は、ただただ、何も言えなかった。なぜか、助かると思い込んでいた。なぜだかは今でもわからない。


***


その後、病院から学校に連絡がいき、僕達は遅刻したことについて何も咎められなかった。僕ら二人は別々のクラスになり、一年生の間は特に彼女との関わりはなんらなかった。連絡先も知らないし、彼女と会えば必然的にあの猫を思い出してしまい、なんとなく避けてしまっていたところもあった。



そして、二年生になった。

クラス替えがあり、クラスに入って、少し驚いた。教室にあの時の彼女がいたからだ。

彼女と目が合って、僕は少しだけ、戸惑った。

だけど、そんな様子は知らないかのように彼女は僕に笑いかけ、近寄ってきた。

「あの時はありがとう。同じクラスになったんだね。これからよろしく!」

僕は驚きながらも安心した。あの猫の件について、僕の心の中にあったわだかまりが溶けたようだった。

心のどこがで、僕がもう少し早ければ、と思っていた節があったのだ。

でも、彼女はそんなことは気にしていない様子だった。

それから僕らはよく関わるようになった。クラスのいつものメンバーの中には彼女がいて、学校以外でも遊んだり、度々集まったりして、仲良くなった。

そして、僕は彼女のことを好いていることに気がついた。僕の周りでも、僕らがそういう風に見えていると噂があった。

だから、僕は告白した。彼女に。みんなで行った夏祭りの帰り。

結果は以外にもあっさりと振られた。

「私には、まだ、わからないんだよねそういうの。だから、ごめんね」

と。

ショックだった。普通に。

でも、なぜだか、彼女らしいと思った。そんなところが好きだとも思った。

僕は、振られた後も、彼女にとって信頼出来る友達であり続けた。



***



冬の出来事だった。

学校が終わり、一緒に帰ろうと彼女を待っていた。

なかなか来ないので教室に行くと彼女は一人、雪が降る外の様子を眺めていた。

「どうしたの?もう誰もいないけど。帰ろうよ」

そして振り向いた彼女にどきっとした。

瞳が、濡れていた。

「ご、ごめんね、帰ろう、」

顔を袖で拭きながら戸惑う彼女の様子をみて、何か嫌な予感がした。

「ねぇ、何があった?」

彼女の腕を掴んで問いかける。

「………………」

沈黙の中、時計が刻む音だけが響く。

「…ごめん、ごめんね」

そう言って彼女は僕に抱きついて、泣き始めた。

「な、なに、本当にどうしたの」

あまりに突然で困惑しつつ、背中を撫でて落ち着かせようと試みる。

すると、直ぐに彼女はハッとした様子で僕から離れた。

「…私、隠してたことがある。言わなきゃ、いけないことがあるの」

そして彼女はとつとつと話し始めた。

実は、昔、大病にかかったことがあること。それは、再発する可能性が高く、長くは生きられないとわかっていたこと。そして、その病気が再発したことがわかり、来年度からは学校に通えなくなること。

僕は、信じられなかった。信じたくなかった。

しかし、三年生になり、彼女とまた同じクラスになれたのにも関わらず、彼女の席が空いているのをみて、その事実を実感せざるを得なかった。



***



僕は無事に、大学に受かり、高校を卒業することが出来た。

卒業式が終わり、友達に謝りつつ、彼女の病院へと向かった。

病室に入ると、彼女は、外の様子を眺めていた。外には、雪のように桜の花びらが舞っている。

不意に、あの雪の日の景色と彼女の姿が重なった。あの時に比べて、彼女はやせ細り、寡黙になり、普通の人にはない、儚さを纏っていた。

彼女が僕に気づく。

「…来てたんだ。卒業、おめでとう」

「…ありがとう」

彼女はまた、窓の方に視線を向ける。

「ねぇ、桜の花びらってさ、雪みたいだよね」

彼女も僕と同じように感じていたらしい。

「僕もそれ、思った」

そう言うと、彼女は微笑んだ。

「本当にありがとね、わざわざ卒業式なのに来てくれて。友達と一緒にどこか行ったりとかしたかったでしょ?」

「…ううん、大丈夫だよ。それに、君だって僕の大切な友達だ」

そう言うと彼女は、僕の方をみて、不意に涙を流した。彼女が突然泣き出すのは、ここ最近ではよくある事だった。

「…私、まだ謝らなくちゃいけないことあったや」

「何?」

「高二の夏休みの夏祭りに、君が、私に、好きだって、いってくれたよね。覚えて、る?」

「もちろん」

「あのとき、私は、嘘をついたの」

彼女の言葉に心臓が鳴った。鼓動が早くなっていく。

「それ、は、どういう、意味?」

「本当は、私も君の事が好きだったの。でも、病気のことがあって言えなかった。君を悲しませると思った。私はこの先長くない。だから、この気持ちは殺さなきゃいけない、って。」

「うん、うん」

彼女の姿が滲んでいく。

「でも、君は本当に友達として側にいてくれた。私は、酷いことをした。そしてまた今、君に酷いことをしている、ことになる」

僕は彼女を抱きしめた。

「大丈夫、君は酷いことなんてしてない。僕は君のことを大切な友達だと、思ってる。だから、大丈夫。君が謝る必要なんてないんだ。僕らは、友達なんだから。君は、何も悪くない。」

「…うん、わかった。ごめんね。ありがとう。」



***



少し落ち着いて、頭はぼうっとしながらも、眠りについた彼女を眺めながら考えていた。彼女と初めてあったとき、彼女が、新品の制服を汚してまで猫を助けた理由に今さら気がづいた。そして、やはり彼女は綺麗で、美しい存在なのだと思い知った。それと同時に、僕は何も出来ない、無力でちっぽけな存在であるということも。

月明かりに照らされながら眠る彼女は、より一層、儚かった。

彼女の手を握る。

「恋人同士だったら、きっと、引き裂かれることに耐えられなかった。でも、僕らは友達なんだ。だから、この先別れることになっても、笑って、さよならできるさ」

そう、一人、自分に言い聞かせるよう呟きながらも、僕の頬に伝わる温かいものは、とめどなく溢れ続けるばかりだった。



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