THE・ザンギ!

雪竹葵

プロローグ. 邂逅

1. ザンギ少女との出会い

 人生というのは、予想外の出来事で満ちあふれている。

 予想ができないことだからこそ『予想外』な訳だが、人間の想像力はどうも様々な可能性を考えるという点においては弱いようで、予想した物事は限られた領域から脱することはできないらしい。

 限られた領域が一体何なのか俺には分からない。

 ただ、人間の予想する能力には限界があるってことだ。

 ――抽象的な分かりづらい話はやめよう。

 具体例として、放課後に家の鍵を忘れたことに気付いた場合を考えよう。

 ちなみに忘れた本人――ここではA君としよう――の親は仕事で夜遅くまで帰ってこない。またA君には妹がいるが、今日は帰宅前に友達とタピオカするらしい。

 最近の女子高生は口を開けばタピオカ、喉が渇いたらタピオカ、お腹が減ったらタピオカだ。頭の中がタピオカタピオカぷるんぷるん。

 それはともかく、A君は鍵を忘れたために帰宅できずピンチな状態。

 普段なら当然のように鍵を持ち歩いている。しかもA君は今まで一度も鍵を忘れたことがなかった。

 だから、鍵を忘れたという今の状況は予想外な訳だ。

 しかし起こってしまったことは仕方がない。大事なのはこの予想外の事態に対してどう対処するか、ということだ。

 これがゲームだったなら選択肢が三つくらい出てくるのが定番だろう。

 ということで、俺が考えた選択肢を列挙しておく。

 一、妹が帰宅するまで友達の家に行く。

 二、妹にメッセージを送って鍵を取りに行く。

 三、学校で時間を潰す。

 さあ、どれを選ぶべきか。

 一つずつ、順番に見ていくことにしよう。

 一、妹が帰宅するまで友達の家に行く。

 普通に考えれば何も問題のない選択肢のように見える。

 ただ、あくまでもそれは『普通に考えれば』だ。

 その普通という言葉の中にはA君に友達がいるという仮定が含まれている。

 だが残念。A君には友達がいない。

 よって一の選択肢はまず選べない。

 続いて二、妹にメッセージを送って鍵を取りに行く。

 A君が一番早く帰宅できる可能性をはらんでいる選択肢はこれだろう。

 ということで、俺はスマホをポケットから取り出し、妹にメッセージを送った。

『家の鍵忘れた』

 数秒で既読がつく。

 そしてすぐにスタンプが送られてきた。

『草(スタンプ)』

 一面緑になりそうなほど草を生やされたスタンプ。くそムカつく。

 この選択肢は却下だ。

 最後、残された唯一の選択肢。三、学校で時間を潰す。

 ……これしかないな。

 ただ、この選択肢の問題点は、どこで時間を潰すのかということだ。

 俺の頭の中で思い浮かんだ候補は四つ。教室。自習スペース。図書室。食堂。

 教室と自習スペースは陽キャがやたら騒いでいることが多く鬱陶しいので却下。

 残るは図書室と食堂だが、図書室はガリ勉の巣窟だし静かすぎて逆に居心地が悪い。

 結果、食堂に向かうことにした。

 ……もう分っているとは思うが、A君とは俺のことである。


 ◇ ◇ ◇


 校舎の一階、廊下の奥の方に食堂がある。

 実験室などの特別教室を除き、ほとんどの教室から距離のあるところに食堂が位置しているため、生徒たちからは遠くて不便だと言われている残念な食堂である。

 そのためか、昼休み以外はほとんど利用者がいない。

 放課後にまったり時間を潰すには適当な場所だと言えるだろう。

 俺は柄にもなく数学の教科書とノートを取り出し、勉強を始める。

 今日の授業でさらっと数学担当の河田かわだが「次回の授業で小テストやるぞ~。八割行かなかったら課題出すからな~」とかのたまったからだ。

 河田の課題は終わらせるのに一日以上かかると言われ、さらに提出が二日後だったりするので、課題提出まで地獄の日々を送ることになるのである。

 さすがに人間の活動のために必要な睡眠時間を削ってまで課題に取り組みたくないので、仕方なく俺は勉強している。

 勉強を開始してから十分が経過。

 食堂のおばちゃんたちが食器を洗う音を聞きながら、俺が睡魔に襲われていたとき。

 扉が開き、珍しく食堂に人が現れた。

 クラスメイトの二葉ふたば翠怜すいれんだ。肩にギリギリ届かないボブカットの女子である。

 ぼっちの俺でもクラスメイトの名前と顔は何故か一通り暗記している。覚えていても役立つことはほぼないのだが。

 二葉が放課後にこの食堂を訪れたのは、おそらく勉強のためだろう。俺は勝手にそう決めつけていた。

 しかし意外なことに、二葉は一直線に食券機に向かい、お金を投入して迷いもなくあるボタンを押した。

 ここからでは何のボタンを押したのか、遠くて見えない。

 この食堂ではデザートは一切扱っていない。だから衝撃的な光景だった。

「まじか……」

 思わずぼそっと呟く。

 二葉はおばちゃんに食券を渡す。しばらくしておばちゃんから皿を受け取り、食堂の端の席に座って食べ始めた。

 この中途半端な時間に食事をるということは、昼食を抜いたか、何らかの理由でかなりお腹が減ったかの二択だと思うが、正直そんなことに興味はない。

 俺はただ二葉が何を食べているのか、それだけが気になっていた。二葉はクラスの中でもかなりの美少女なので、何を食べているのか純粋に興味深かった。

 俺は給茶機に向かう体を装いながら、二葉の後ろをそっと通ろうとする。その瞬間に二葉の前に置かれたトレーの中を見た。

 軽く山を形成している大量のザンギ。そしてご飯と味噌汁。

 これはザンギ定食だ。しかも特盛り。

 食堂の定食を特盛りにするのは柔道部員か一部の野球部員だけだと思っていたが……。

 小柄で細身な女子である二葉が注文しているとは、世の中不思議なこともあるもんだ。

 二葉が此方を一瞬ちらっと見たことに気付いた俺は、二葉には何も興味がないかのようにそのまま通り過ぎようとする。

 が、通り過ぎる寸前、後ろからガッと右腕を強く掴まれた。少し痛い。

「…………見た?」

 二葉は俺の腕を掴んだまま尋ねてきた。低めの声が俺を僅かに萎縮させる。

 二葉は「何を」の部分を明確に述べていないが、おそらくザンギ定食特盛りを食べているところを指している。それくらい俺にも分かる。

 女子なのに特盛りで食べているところを見られて恥ずかしい。だいたいそんなところか。

「だ、大丈夫だ。世の中にはギャルの大食いタレントだっているんだからな」

 どうせ「見てない」と言ったところで女子は「嘘!」とか言ってきてしつこい生き物だということは大体把握している。

 ならば素直に認めた上で、恥ずかしがる要素がどこにもないことを伝えるのがベストな回答だと言えよう。

 どうだ。

「見たんじゃん!!」

 大きな声で二葉は言う。いや、叫ぶという表現の方が相応しいかもしれない。

 俺は驚いて二葉の方へ振り向く。二葉の顔は羞恥で真っ赤だった。

 女子ってまじで面倒だな……。

「よりにもよって何でこんな奴に見られちゃったかなあ……」

 二葉の心の声が漏れ出ているが、「こんな奴」という言葉で俺の心を傷つけるのはやめて頂きたい。本人には自覚はないだろうけれど。

 二葉は俺の腕を解放して立ち上がり、俺の正面に回る。

「ねえ、アンタにお願い事があるんだけどさ」

 妙に馴れ馴れしく話し掛けてくる二葉。初めての会話のはずなんだがな。これが陽キャパワーか。

「このこと、誰にも言わないで貰える? お願い!」

 二葉は両手を合わせて俺に懇願する。

 そもそも俺は頼まれなくたって言いふらすつもりはない。というか、伝える友達がいない。ぼっちだもの。

 俺は念のため『このこと』が指している内容を確認する。二葉の口から具体的な内容を聞いていないからだ。

「確認だが、二葉がザンギ定食特盛りを放課後に食べていたことを俺が秘密にすれば良いんだよな?」

 二葉は一瞬硬直し、直後顔を真っ赤にしつつ、

「何で! 具体的に! 言うの! 恥ずい! バカ!」

 言葉を途切れ途切れにさせて怒っていた。途切れさせる度に地面にドンと足を強く叩きつけながら。

 二葉の様子を表すなら『プンスカ』という言葉が最も妥当だろう。

 何とも可愛い怒りである。

 とにかく、これで二葉がザンギ定食特盛りを食べていたことは誰にも知られたくないということだけ分かった。

 むしろ、その他の情報がゼロな訳だが。

「とにかく、秘密なんだからねっ!」

 二葉はまだ怒りが収まっていないようで、頬を膨らませてそっぽを向いている。

 自分の台詞がツンデレ風になっているのも気付いていないようだ。

「分かった。秘密は守る」

 既に言葉のキャッチボールに疲れ始めていた俺は、やや投げやり気味に会話を切り上げようとした。

 だが、

「そんな雑な言い方だと、ちーーーーっとも信じらんない」

 二葉はそうしたくないらしい。

 コイツ、結構面倒臭い性格してやがるな。

「……少しくらい俺を信用しても良いだろ」

 思わず俺の心の声がれる。

「だって普通に考えてよ。クラスで永久的にぼっちな…………アンタの名前何だっけ?」

 途中で言葉に詰まったと思ったら、俺の名前を知らなかったようだ。

 今までよく名前も知らない相手と会話できたな。さすが陽キャ。略してさすよう。

「俺は久保くぼ晃弥こうやだ」

「へえ、地味に格好いい名前なのね」

 地味にとか言うな。

「で、永久的に永遠にいつまでも果てしなくぼっちの久保が、私の弱みを握った訳でしょ?」

「ちょっと待て。一体どこが弱みなのかさっぱり分からん」

 ぼっちを修飾している同義の言葉たちは話の本筋から外れるので仕方なく気にしていない素振りをしておこう。仕方なくだからな、仕方なく。

「……え? それマジで言ってる?」

 二葉は不思議そうに俺を見つめる。

 俺、変なことを言ったかな?

「今までの内容から、お前が」

「お前じゃなくて二葉翠怜」

 二葉は不服そうに口を尖らせていた。

 さっきまで俺のことをアンタって呼んでいた奴の台詞とは思えないな……。

「……お前が」

「だーかーら、二葉翠怜だって!」

 いちいち面倒な奴だな。

「……二葉」

「うわ、キモ……」

「おい」

 人に名前呼ばせといてドン引きするとか、酷いなコイツ。

 俺は話が進まないので、溜め息をついてから二葉を無視して強引に続ける。

「二葉がザンギ定食特盛りを食べることを恥ずかしがっているのは今までの話から分かった」

「もうっ! 具体的に言われると恥ずかしいって言ったじゃん!」

 茹でダコもびっくりなくらいに真っ赤になっている二葉。

 顔は可愛くても、性格が面倒だからモテないだろうな。

「……話が進まないから我慢してくれ」

「むう……」

 これで少しはマシになるだろう。

「それでだ。俺には分からないことがある。ザンギ定食特盛りを食べていたからって恥ずかしがる必要があるか? 確かに女子で特盛りを注文するのは珍しいとは思う。だけど、世界規模で見れば大食い女子はゼロじゃない。テレビにだって大食いの女子がタレントとして出演しているくらいだからな。それはおま……二葉の個性だろ」

 二葉の抱えている悩みを軽くしようとか、そういう善意で言った訳じゃない。

 ただ純粋に俺が思ったことを述べただけだ。

 人間は一人一人異なっているのが当然のはずなのに、秩序を保つためだとか言って個性を尊重しようともしない。

 それは自然に逆らっているようにしか思えない。

 ただ俺が勝手にそう思っているだけだ。

「……ねえ、さっき秘密は守るって言ったよね? それって本当? 本当の本当?」

 二葉の纏っていた空気がガラリと変わる。

 俺の目を真っ直ぐ見つめ、真剣な表情だった。

 どうやら俺の言葉は二葉の心に響いてしまったらしい。親切心で言った訳じゃないのに。

 ただ、深く考えずに発した俺の言葉が二葉を動かしてしまったのも事実。その責任は俺が取るべきだ。

「当然だ。秘密は守る」

 決意を込めて、俺はきっぱりと断言する。

「嘘じゃない?」

「嘘じゃない」

 二葉は信じきれないのか不安そうに尋ねてきたが、俺の覚悟は揺るがない。

 これから二葉が何を言おうと、俺一人で受け止める。責任を取るとはそういうことだ。

「絶対に守ってよ?」

「ああ」

 二葉は最後に念押ししてから話し始めた。

「私は確かに特盛りのザンギ定食を食べてたってことを秘密にして欲しいって言ったけど、別に特盛りだから恥ずかしかったんじゃない。私が女子の中でも大食いだってことは友達も知ってるし」

 男女構わず大食いだろうと思ったが、それは口にしないでおく。

「秘密にして欲しいことは、別のこと。それは私が最も恥ずかしいと思っていること」

 そう言って、二葉は大きく深呼吸する。

 それから覚悟を決めたのか、俺の方を真っ直ぐと見据える。

 周囲の空気が一瞬にして重くなったように感じられた。

「……秘密にして欲しいのは、私がザンギを好きだってことなの!」

 あまりにも予想外すぎる展開に、頭がついていけない。

 何故なら、俺にはザンギ好きと羞恥が頭の中で繋がらなかったから。

「そ、そうか……」

 先程までの俺の覚悟を返して欲しい。二葉は知るよしもないだろうけれど。

「ザンギが好きな女子って、何かうまく言えないけど、女子っぽくないじゃん」

 うん、分からない。

 日本中にザンギ好きの女子なんて数多くいるだろうよ。

「だから、絶対に、秘密にしてよ!」

 最後に強く念押しされたが、俺は困惑しつつも「ああ」と相槌あいづちを打つことしかできなかった。

 ――これが、俺とザンギ少女、二葉翠怜の出会いだ。

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