第60話 姉と修羅場

 ★ ★ ★ ★ ★ 


 翌日の朝。

 いつものように、遥と紫苑と三人で登校した流斗は、自分のクラスに入った瞬間、思いっきり舞夜に抱き付かれていた。


「おっはよー! 流斗、今日も元気? ピンピンしてっか?」

「そういうお前はやけに元気そうだな」


 朝から無駄にテンションが高くて鬱陶しいことこの上ない。

 舞夜に腕をホールドされたまま自分の席に向かうと、流斗の前の席に座っていた椿姫が、目を白黒させて両手をわななかせていた。


「……流、斗? どうして名前呼び……? しかも、流斗さんも舞夜って、名前で呼んでますし」

「あらぁ~、宝条院椿姫さんだっけ? おはよー。流斗はね、昨日から私と付き合うことになったんだよ」

「つ、つ……付き合う? 誰と……誰が?」

「私とぉ~流斗♪」


 舞夜が自分を指したあと、細長く白い指を流斗の顔に持っていく。

 その言葉に、椿姫の縦ロールが謎のオーラをまとって揺らめいた。

 マズイな、と思った流斗は舞夜に注意を促す。


「おい、その話は昨日きっぱりと断ったはずだが?」

「えー、でも今日から私と毎日一緒にヤってくれるって言ったじゃん」

「やっ、やる!? 毎日……一緒……?」


 椿姫の目が泳ぎ、焦点が合わなくなっている。口から漏れる声はやけに低かった。


「わ、わたくしは、中学生の頃から流斗さんと親身にさせてもらっていますのよ」

「へぇー、だからなぁに? それなんか関係あんの?」


 まったく興味がなさそうに、舞夜は吐き捨てる。


「あとから何食わぬ顔でのこのことやってきた泥棒猫に、流斗さんは渡しませんわ!」

「じゃあ、あんたも私と勝負する?」


 二人の間に見えない火花が散り、周りの生徒たちがざわめき始める。


 今年から編入した男子生徒の何人かは、流斗のことを羨ましそうに「ハーレム野郎が」と睨んでくるが、中学から流斗と椿姫のことを知っている生徒たちは、そそくさと撤退の準備を始めていた。学び舎の若人は常に学習する。どこが危険地帯かを。


 お嬢様然とした椿姫の気性が本当は荒いことなど、中学からの付き合いがある生徒たちはすでに知っているのだ。


 そして、その椿姫を相手に一歩も引かず、戦いを前にして狂気に顔を歪めた舞夜の危険性も、普段から戦闘経験を多く積んでいる『武術科』と『魔術科』の生徒は瞬時に理解していた。


 張りつめる空気の中、喧騒が止み、場を一瞬の沈黙が包む。

 そのとき、コンコンコンと教室の扉を三度ノックする音が響いた。


「失礼いたします。三年の神崎遥かんざきはるかです」


 ガラガラと音を立てて教室の扉をスライドさせ、品のある綺麗な姿勢で教室に入ってきた。


「流斗、あなた今日のお弁当忘れているわよ。なぜだか分からないけど、私の鞄に二つ入っていたの。紫苑が入れ間違えたのかしらね?」


 緑色の布に包まれた弁当箱を、遥がこちらに差し出す。


「……遥さん?」

「あら、椿姫ちゃん。お久しぶりね。流斗とは仲良くやっている?」

「そ、それは、もちろん。もちろんですとも! 公私ともに!!」


 珍しく顔を合わせた二人は互いに微笑み合う。

 しかし遥を前にして、椿姫はいつも以上に緊張しているようだった。

 どことなく頬がこわばっている。


「――神崎? そう、この人が流斗のお姉さん? ……なるほど、どうりで全身に闘気が漲っているわけだ。至高の領域に近い」

「で? 血気盛んそうなそっちの女の子は誰かしら?」


 自分より強い獲物を見つけて興奮する舞夜に、遥はそしらぬ顔で応える。


「私の名前は斬島舞夜。あんたの弟の恋人よ」

「……ふぅん、そんな話……私は一度も聞いたことがないのだけど。どういうことかしらぁ、流斗くん?」


 ピキッと遥の額に青筋が立つ。横目でこちらを軽く睨んでくる。

 急に胃酸が込み上げてきて、思わず口に手をあてがった。


「流斗もお年頃だから盛るのは仕方ないとして……私以外の女の子と付き合うなら、ちゃんとお姉ちゃんに許可を取らないとダメでしょう。弟が彼女を作るときは、お姉ちゃんに審査してもらって、試験を合格した子だけが弟の彼女になれるものなのよ。これ世間の常識よ。万国共通。よーく覚えておきなさいね。分かったぁあ?」


 両手がわきわきと動いていて、今にも舞夜の細い首を締めそうな勢いだ。


「遥さん! このポニテが言っていることはすべて戯言ですから、気にしないでくださいまし。流斗さんはわたくしと――」

「あんたは黙ってな! 金髪ドリル」


 椿姫の言葉を途中で遮って舞夜が叫ぶ。

 それに反応し、椿姫が縦ロールを謎のオーラで逆立たせる。

 おそらく風力操作だろう。椿姫の周りの空気が渦を巻き始めていた。


「そういうことなら、このお弁当を流斗に手渡した者が、流斗に相応しい女ってことでいいかしらぁ?」


 遥が大きな胸の前でゆらゆらと弁当箱を挑発的に揺らす。


「承知いたしましたわ!」

「いいね、面白い!」


 二人が同時に遥のほうへと駆けだした瞬間、


「《加重力》」


 遥が手のひらを床に振り下ろす。

 その動作一つで、周りにかかる重力が増した。


「……ぐっ、うぅ」

「うっ……クソ」


 椿姫と舞夜が短い呻き声を上げる。


(普段かかっている重力の五倍ってとこか)


 そう思ったあと、思わず遥に突っ込みを入れた。


「って姉さん! なんで俺にまで重力かけてるの!」

「いやー、そのほうが面白いと思って」


 遥が半分舌を出してこちらにウインクしてくる。その仕草はとてもチャーミングで可愛いのだが、こちらの身は血が重くなって頭にまで回らなくなってくる。

 普段から厳しい鍛錬を積んでいる自分ですらこれなのだ。

 椿姫と舞夜はとっくにリタイアしているだろうと思って二人を見ると、


「ぐっぐぐぐ……まだ、まだまだですわ!」

「す、すっげぇー、なんだこれ、気圧操作か? ……凄い! 強いよ、この人」


 椿姫は地べたに這いつくばりながらも匍匐前進で少しでも前に進もうとしており、舞夜も興奮を隠せない様子で愉悦に顔を歪ませながら片膝立ちで耐えている。


「うーん、二人とも意外とやるわね。それじゃあ、かかる重力を十倍に上げましょうかぁ~」


 そんなことをすれば、《肉体強化》の魔術を使っていない普通の人間なら、足の血管が血の水圧に耐えきれず、破裂して死んでしまう。


(完全に悪乗りしているな。ここは俺が――)


「――《神経加速アクセル》」


 遥が生じさせる重力場を振り切って、流斗は遥の隣に並んで彼女の肩に手を置く。


「姉さん、そこまでだ。これ以上やったら先生に怒られるよ」

「さすがは流斗。『毎日、私と一緒に』鍛えているだけあるわね。さすがに『ずっと一緒に、一つ屋根の下で生活していると』全然対応力が違うわぁ。偉い、偉い」


 何事もなかったかのように、遥は弁当箱を差し出してくる。

 それと同時に、周囲にかかる過重力も解除された。


「お弁当は渡したから、私は帰るわねー。地べたに這いずるお二人さん、流斗と付き合いたいなら、せめて私に一発入れられるぐらいには、強くなることね」


 軽くスキップしながら、遥は悠々と去って行った。

 残ったのは、扉の前で弁当箱を持つ流斗と、地べたにお尻をつけて息を荒げている美少女が二人、残りのクラスメイトは反対側の教室の隅まで避難していた。


「さすがに『魔術科』三年のレベルは違いますわね」

「――強い。あの人とんでもなく強いよ。流斗のお姉さんなだけあるわー。マジやっ

ばい、全身の毛穴から汗が出てきた。昂る、昂るよぉおおお。ははっ……」


 舞夜はみっともなく、ぜえぜえと息を荒げていた。


「あの人は俺の親戚だ。本当の姉弟じゃない」


 流斗と遥は戸籍上血の繋がりは一切ないし、義理の姉弟でもない。

 日向流斗は戸籍上ではすでに死んでおり、『神崎』流斗は遥と士道に与えてもらった二度目の命だ。

 学校でもそうなっているし、周囲の人間もそのように理解しているので、舞夜にもきちんと説明しておいた。


「あっそ。なんでもいいわ。とりあえず、当分のターゲットはあんただし」


 それだけ言うと、舞夜は遥への興味を断ち切った。


(……良かった。これ以上、姉さんに関わって余計なことをするようなら――俺はこいつを本気で潰すことになっていた)


 相変わらず遥のことになると、思考が荒っぽくなる。

 元来流斗も舞夜のように好戦的なタイプだ。

 現在は遥と士道の教育によって大人しくなっているが、昔は殺しまくっていた。


(姉さんに出会ってなければ、俺も舞夜のような戦闘狂になっていたかもしれない)


 否、舞夜のようになるならまだマシだ。彼女は戦闘そのものを素直に楽しんでいるだけである。しかし、もし流斗が誰にも救われず気がおかしくなっていれば、思考を放棄した殺人鬼になっていたかもしれない。


「悪いな、椿姫。舞夜は高校からの編入組で、まだ御園学園に慣れてなくて友達もいないんだ。お察しの通り、『武術科』に所属する戦闘好き。だから去年、御園中学の『武術科』を首席で卒業した俺が、組手をしてやっているだけなんだ」

「では、お二人が付き合っているというのは?」

「嘘だ。舞夜、お前もあまりふざけたことを言うな」


 隣にいる舞夜の頭をげんこつで殴った。


「いたっ! ごめんって。ちょっとこのドリル女をからかってみただけじゃん」

「今度余計なことをしたら、もうお前の相手はしないからな」

「えー! それは困る。もうしない。しないから私と戦って!」


 はいはい分かったよ、と流斗は適当に舞夜をあしらう。

 視界の端で舞夜が椿姫に頭を下げて謝っていた。

 それを見ながら、この二人もお互い仲良くなれればいいな、と思った。


(舞夜はもちろんのこと、椿姫もいまだに友人が少ないからな)


 そういう流斗も他人のことをどうこう言えるほど人脈があるわけではないが。

 教室のスピーカーからチャイムの音が鳴ると同時に、眼鏡をかけた担任教師がクラスに入ってくる。生徒は大人しく席につき、早朝から勃発した謎の修羅場は、ひとまず終わりを迎えた。

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