第45話 間木真一郎
流斗のワイヤーで拘束された七人の男たちは、小屋の隅で束になっていた。
「……お、お前、強いな。私の下で働かないか? 表にいたガードマンの三倍は払うぞ」
小屋の隅で丸まっていた葉山が、震える足で立ち上がり恐る恐る近づいてくる。
「生憎俺は金で動かない。俺の行動はすべて姉さんのため。外道は黙ってろ。無駄口を叩くな。思わず殺しそうになる」
葉山の勧誘をすげなく断った。その瞳に光はなく、次に余計なことを口にしたら本当に命はないと思わせるだけの凄みがあった。
誰が好んでこんな男に従うか。自分の命はこんな男のためではなく、愛する義姉を守るためにあるのだから。
「お前の命は守ってやった。契約通り、ここにいる奴隷は俺がもらうぞ」
「ま、待て! さすがに全員は多い! 今から奴隷売買が行われるんだ! 商品がなくなっては、話にならな――」
――パンッ! 狭い小屋に鳴り渡る、乾いた銃声。
葉山の言葉を遮るように、彼の足元に流斗が躊躇いなく銃弾を放った。
「なら、今ここでお前を殺して、奴隷たちを奪ってもいいんだぞ」
子供のものとは思えない、凍てついた鋭い眼差し。
深い闇に吸い込まれそうになる。
「これでも最大限譲歩しているつもりだが? お前に選択権はない。仮にあるとすれば、それは今死ぬか、後で死ぬかの二択だ」
腐海のように濁った黒瞳に、葉山は得も言われぬ恐怖を感じた。
「檻の鍵と顧客情報を渡せ。早くしなければ、また襲われるぞ」
何者かがここに近づいてきている。それも、とてつもない魔力の持ち主だ。
おそらくその者は流斗にとって最大の敵となる。
「ど、どういうことだ? 敵はすべて倒したんじゃないのか?」
葉山が焦って手を滑らせながら、檻の鍵をズボンのポケットから取り出してこちらに渡してきた。
「足りないな。紫苑の鍵も渡せ」
「……そ、それは……」
「渡せ。死にたいのか?」
葉山はしばし悩むが、無表情で眉間に拳銃を突きつけてくる、流斗の平淡な声に大人しく従った。
「気をつけて……敵が……近づいて……きている」
檻を開け放つと同時に、紫苑が汚れた顔を上げて、流斗に忠告してきた。
「分かってる。さっきの男たちとは桁違いの実力だ。俺では対処できないかもしれん」
「なら、私にも……手伝わせて」
囚われの紫苑と視線が合う。
彼女の目はまだ生きていた。
「いいだろう。お前はここにいる奴隷たちを檻から解放してくれ」
流斗は左右の手首から上に膨大な魔力を送り込み、《硬化手刀斬り》で紫苑の身体を繋ぐ鎖を断ち切った。半人半魔の紫苑の膂力でも断ち切れなかった鎖をあっさりと潰した流斗に、葉山があんぐりと口を開けて、間抜け面で涎を垂らしていた。
自由になった紫苑がゆっくりと立ち上がり、手足の感覚を確かめる。
流斗はその手に、葉山から預かった鍵を握らせた。
長い間放置されていた黒髪がすだれのようにはらりと垂れる。
「お前、名前は?」
「私……私の、名前は、
「神崎流斗だ。奴隷たちの安全は……紫苑、お前に任せたぞ」
檻から紫苑が出ると、葉山が「ひっ」と短く悲鳴を上げて一歩後ろに下がった。
自分が散々いいように虐げてきたバケモノが檻から解き放たれたのだ。
葉山が紫苑のことを恐れるのも、少しは理解できる。
天枷紫苑は半人半魔。ハーフデビル。
彼女の《魔力神経》の太さは、普通の人間の数倍を誇り、扱える術の数も練度も、文字通り桁が違う。
けれど、天枷紫苑はどんな人間よりも優しい。それは彼女が大人しくこの檻に拘束されていたことから推測できる。彼女がその気になれば、いつでも脱出できたはずだ。
紫苑は自分が脱走することで、他の奴隷たちが葉山に虐げられることを防ぎたかったのだろう、と流斗は考えた。
自分は半人半魔のくせに、人間の、しかも奴隷の心配をしていた。
だから、流斗は初めて紫苑を見たとき、彼女に興味を持った。彼女のことが気に入ってしまった。紫苑も流斗を一目見ただけでどのような人物なのか把握した。
人の本質を理解することに、悪魔は長けている。
それは半人半魔である紫苑にも関係あるのだろうか。
「葉山、お前も紫苑と一緒に奴隷の解放を手伝え」
「は? ……え? いや、なぜ私がそんなことをしなくてはならないのだ! 新たな敵が攻めてくるというのなら、一刻も早くここを――」
「ここにいることが、一番の安全だと思うが?」
隣に並び立つ紫苑を横目で見ながら告げる。
立ち上がった少女の背は、自分とさして変わらない。予想よりも大きかった。
葉山は流斗と紫苑の顔を交互に見やり、頭を抱えて深く考え込む。
あれだけ紫苑のことを恐れていた葉山のことだ。もし紫苑が自分の味方になるのなら頼もしさを感じるはずだろう。だがそれは同時に彼女の気分次第で、即デッドエンド。という結末もあるということ。
「分かった。私も奴隷を繋いでいる鎖の鍵を解除すればいいんだな。お前はどうする?」
「小屋の外に出て、新たな敵を迎え撃つ。そこで意識を失っている男たちの親玉だろう」
蔑むように、濁った眼差しを小屋の隅にいる男たちに向けた。
ゆっくりと、それでいて禍々しい殺意を放つ、強大な敵が近づいているのを感じ取る。
「どうやら本気でやらないと、負けるのは俺かもな」
そう呟くと、流斗は奴隷たちの囚われている小屋から出た。
遥が心配していたことが的中してきている。
確かに、この任務は一人では荷が重いかもしれない。
しかし遥に任された以上、必ず任務は遂行する。ここで退くわけにはいかない。
それが流斗の生きる意味であり、存在理由である。
生きる理由を失うくらいなら、すべてを懸ける。いまさら命など惜しくはない。
(もしここで死んだら、姉さんともお別れだな)
勝つためなら、どんな手を使っても構わない。
例え、相手を殺すことになろうとも。
空っぽだった心に、熱く滾る決意。
決死の覚悟が、男を修羅にする。
「俺は姉さんを守り、姉さんのために生きる。だから、まだ死ねない」
そのために、邪魔な奴は排除する。
それがどんな相手であったとしても。
静かな森の中を少し歩く。
敵は正面から堂々と姿を現し、こちらに声をかけてきた。
「どうも帰りが遅いと思ったら。私の部下を殺したのはお前か?」
「殺してはいないさ。生かしたまま捕らえてある。こう見えて俺は優しいんだ」
「……ほう。お前の目的はなんだ?」
「違法な奴隷売買を行う商人を捕まえ、捕らえられた奴隷たちを解放するためにここへ来た。お前の身柄も確保させてもらう」
少し離れた正面に立つ男の身長は、流斗より十五センチは高い、176センチ。
くすんだ灰色の髪をオールバックにし、左右の耳にリング状の金のピアスをしている。
額には深い斜め十字傷があり、下顎には色の抜けた剛毛が生えていた。
「それで? お前の名前は?」
「おいおい、わざわざ答えるわけがないだろう、軍人様によぉ……」
「それもそうだな」
流斗の問いに対し、男は馬鹿にしたように笑う。
「いや、これから死ぬお前には、教えてもいいか」
男が腰に下げた鞘に手を持っていく。おそらく武器は日本刀だろう。
「私の名は、
「俺は神崎流斗だ。悪いが奴隷たちは渡さない。あれは俺のものだ」
間木は鍔を親指で押すことにより、はばきを外し、鞘から刀をすらりと抜いた。
歩み足で間合いを詰めながら、頭上に掲げた両腕の隙間から相手を見下ろすように、こちらへ威圧感を与える上段の構えを取る。丹田に力を込めた後、圧倒的な速さを誇る《継ぎ足》で一気に間合いを埋め、振りかぶった白刃を流斗の頭上に振り下ろした。
流斗はクロスした二本の茶色いベルトに下げたナイフケースに素早く手をやる。
間木の日本刀による斬撃を、流斗は逆手に持った二本の短刀で防いだ。
ガキンガキンと二度鳴り響く金属音。
激しい鍔迫り合いの末、両者の身体が一度離れる。
互いの力と気迫は互角と言ったところか。
間木は離れた距離を素早く《送り足》で詰め、『一足一刀の間合い』に持ち込んでくる。
――『一足一刀の間合い』。剣道における基本的な間合いであり、一歩踏み込めば相手を打突でき、一歩引けば相手の打突を躱すことができる。
正中線に沿って放たれる、頭、胸、腹、の三連突きを、流斗は巧みな足捌きでいなし、後方に大きくバックステップ。
二本の短刀を腰のナイフケースに収め、足のベルトに下げたホルスターから二挺のスチェッキン・マシンピストルを抜く。コンマ数秒のうちにその引き金をひいた。
「……ん? 銃か――《
マズルフラッシュを起こし放たれた銃弾に対し、間木は日本刀を鞭のようにしならせて縦横無尽に操り、高速で迫る弾丸をすべて斬り落とした。
(……剣撃速度を大幅に上げる《加速魔術》。加えて使用武器の強度を増幅させる《武装硬化》……厄介な技だな)
流斗の思考をよそに、間木はそのまま大きく踏み込み刀を振るってきた。
――袈裟斬り。流斗の身体を右から左へと斜めに斬り落とす。
その斬撃を流斗は読み切り、上手く後方に下がるが――
一度下に向いた剣先が、もの凄い勢いで左から右へと下から斜めに斬り上げてくる。
「くっ!? 《
スローになる視界の中、なんとか致命傷は避けるが、腹部を浅く斬りつけられる。
ぐらりと体勢が前に崩れる中、その流れに逆らわず右足を軸に一回転した。
血流を加速させ、魔力を左の手首から上に集めて可能な限り『硬化』させる。
「左回転――《手刀斬り》」
遠心力を加えた、刃のような神速の手刀打ち。魔力を注ぎ込んで『硬化』した手刀を、肉体を斬り裂く紙一重のところで間木の日本刀の峰に防がれる。攻防の流れで、左手を上に右手を下にした『天地の構え』に移行した流斗は、間木の腹部に必殺の一撃を放つ。
「《硬化螺旋貫手》」
全身に捻りと回転を加え、左腕を引き手にして物凄い勢いで捻った右腕から強力な貫手を放つ。『硬化』された右拳が腕ごと螺旋を描き、間木の心臓を貫こうと迫る。
その寸前、日本刀を右手一本に持ち変え、左手をフリーにした間木が、左手を正面に押し出し強力な《魔力障壁》を張る。
ぶつかり合う二つの力。猛烈な破砕音が静かな夜の森に鳴り渡り、間木の《魔力障壁》を破壊する。及ばず、流斗の貫手は間木の体に届かなかった。
「まだだ! 《
伸び切った右腕を折り畳み、右肩と背面部から強烈なタックルをかます。
間木は勢いよく後方に吹っ飛び、後ろの木に背面から叩き付けられたが、その左腕に握った日本刀だけは離さなかった。
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