第34話 一番でなければ
空中に漂っていた砂は徐々に湿り気を帯び、固形になっていく。渦を巻くように吹いていた風が、突然方向を変えてこちらに吹いてきた。勢いのある風に、流斗はまたも吹き飛ばされそうになるが、腰を屈めて低くなることで耐え忍ぶ。
風に乗って湿り気を帯びた砂が襲い来る。
流斗はコートを広げて顔を覆うことでそれを凌いだ。
コートに付着したものを手で確かめると、水が混じって軟らかくなった土だった。
(これは……泥? 魔術で水を発生させて砂を泥に変えたのか。チッ、姉さんにもらったばかりのコートを汚しやがって。覚えてろよキサマ)
流斗の怒りが戦闘とは関係のないことで沸々と煮える。
だがそれよりも気になったことがあった。砂埃程度なら視界が悪くなるだけだが、泥が飛んでくるとなると身動きは取りにくくなる。それでも身体的なダメージはない。
(なぜこんなことを? 右肩の痛みが引くまでの時間稼ぎか? それなら竜巻を発生させ続ければいいだけだ。もしかして、それができない?)
魔術の発動には、ある程度精神が安定していなければならない。それも風を操って竜巻を発生させるなんて高度な技術には、余程集中力を使うはずだ。
(宝条院は『痛み』に慣れていない。今まで努力を積み重ね、体力や精神力は鍛えられているだろうが、『痛み』はそう簡単に慣れるものじゃない)
過酷な人生を送ってこなければ、日常で『痛み』を感じる機会はあまりない。
(だとすると、椿姫は体力的にも精神的にも、そろそろ限界ってことか)
やがて突風は止み、泥が飛んでくることもなくなった。
コートに着いた泥を払う。素材が良いのかあまり染み込んでいない。
椿姫のほうを見ると、彼女はまだ右肩を抑えてうずくまっていた。
距離は目算で二十五メートルといったところか。
「宝条院。そろそろ降参したらどうだ」
遠方から流斗は椿姫に降伏を促す。
「だっ、誰が降参なんてするものですか!」
椿姫が左手のひらから風の弾を放ってくる。
それは流斗の横を通り過ぎた。わざわざ避けるまでもなく。
「ろくに狙いも定まらないんだろう?」
流斗は感情を消した静かな顔で、椿姫へ躊躇いなく近づいていく。
椿姫が続けて風の弾を放つが、流斗のすぐ側を通り抜けるだけで当たらない。
風の弾の威力自体は落ちていなかった。
つまり魔力不足というわけじゃない。精神が安定していないのだ。
「こんなところで負けるわけにはいきませんの。わたくしが『一番』になるまでは!」
「なぜ。そうまでして『一番』にこだわる?」
流斗は歩みを止めずに尋ねた。
「あなた。日本で一番高い山はご存知ですわね?」
椿姫が唐突に問題を出してきた。
「は? なんだいきなり。そりゃ富士山だろ」
悪魔の襲撃によって損害を被っているが、依然として日本で一番高い山は富士山だ。
「その通りですわ。では、二番目に高い山は? 三番目に高い山は?」
「はぁ? いちいちそんなこと覚えてるかよ」
山の高さなどどうでもいい。そんなもの知ったことじゃない。
そもそも暗殺一家に生まれた流斗は、お世辞にも学力が高くない。
その回答に、椿姫はため息を吐いた。
「そういうことですわ。誰かの記憶に残るには『一番』でなければ意味がないのです。二番にも三番にも、価値などないのですわ。『一番』以外はその他大勢と同じ」
椿姫は冷めた目で言う。その言葉に流斗は、
「なんだ。お前、誰かに認められたかったのか?」
「なっ……!? え?」
「誰かに認めて欲しかったんじゃないのか? 自分の存在を。自分の価値を」
「わ、わたくしは……」
椿姫が攻撃の手を止めてうつむく。
「それとも認めて欲しかったのは、お前の父親のことか?」
流斗の言葉が鉛のように重く、椿姫の心にのしかかった。
「くっ……あ、あなたに、わたくしの何が分かるというんですの!」
単発では当たらないとみた椿姫は、圧縮した風の刃を大量に発生させて放つ。
「《エアスラスト》!」
流斗は風の刃をいくつかまともにくらうが、椿姫のほうへ歩む足を止めない。
「なんにも分からねぇよ。だから互いに歩み寄るんだろ」
「勝手なことを! わたくしは、わたくしは一人で強くなる! 誰の力も借りない!」
近づく流斗に対し、椿姫が地面を隆起崩壊させて攻撃する。
流斗は空中に高く飛び上がって回避し、椿姫の側に着地した。
すかさず椿姫が左手に風を纏った手刀を放ってくる。それを、
「《小手返し》」
椿姫の左手を捉え、逆に手首の関節を捻って地面に投げ出した。
姉である、遥に教わった技。
「きゃあぁ!」
短い悲鳴を漏らし、椿姫は地面に身を伏せた。
「宝条院。お前はどこか俺と似ている。俺も、お前みたいに考えていた時期があった。一人でなんとかしないとって。でも本当はずっと一人で苦しかった。だけど、俺は姉さんに救われた。だから、お前は俺が――」
言葉の途中で、椿姫は風を操って空中へと飛翔し逃亡を謀る。
「無駄だ」
コートの裾から取り出したワイヤーが、椿姫の右足に絡みついていた。
椿姫はバランスを失って地面へと落ちる。落下の衝撃は風圧でなんとか緩和した。
「話は後でもできる。ひとまずこの戦いはこれで終わりだ」
ワイヤーを掴んだまま、二十メートルほど離れた椿姫に告げる。
「こいつは特別性だ。お前の攻撃じゃあ断ち切ることはできない。宝条院椿姫――いい加減、負けを認めろ」
椿姫が風の刃で断ち切ろうとするが、まったく切れる様子はない。
「……負けられない……戻りたくない……昔とは、違う。私は……」
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