優しくて可愛い最強のヤンデレ義姉に拾われた俺は、彼女にすべてを捧げる

くろふゆ

第一章 この壊れた世界であなたが

第1話 終末世界で二人は出会った

 西暦2072年7月某日。


 少年は、亀裂が入った地面の片隅で足を組んで座り、行き交う人々を、生きることに倦んだ老人のような瞳で眺めていた。

 細く入り組んだ道は、驚くほどの人で埋め尽くされている。


 その中にいる多くの人間が憔悴し、土色を帯びた顔をしており、先の見えない未来に不安を抱えていた。皆生きるのに必死なようで、水道管から盗水をしていたり、付近の電線から勝手に電線を引いて盗電をしている。


 鬱積した人々の感情は行き場をなくし、この灰色の空間に漂っていた。

 ここは、周囲の人間に《スラム街》と呼ばれている場所。

 五十年前の人間に「ここは日本だ」などと言っても、誰も信じやしないだろう。


 それほどまでに、日本だけでなく世界は、この五十年で……否、正確に言えば、五十年前の『とある出来事』のせいで、大きく変わってしまった。

 それはもう、世界の根底を覆すほどに。


 少年も、自分がどうすればいいのか分からない。

 何を目的に生きればいいのか分からない。帰る場所などないのだから。

 行き場所をなくして彷徨う心はすべてを拒絶し、誰かに触れられることを恐れていた。


 突如として、強烈な倦怠感が全身を襲い、少年の意識は薄れていく――




 少年の父は、殺しの依頼を受けて標的を速やかに排除する暗殺者。俗に言う殺し屋だった。少年の父の父、つまりは少年の祖父もまた、暗殺の仕事をしていたそうだ。


 少年の母は、彼が九歳のときに病気で呆気なく他界した。

 それは、少年が初めて目の当りにした、人間の死だった。

 母が死んでからは、標的を速やかに排除するための《殺人術》や、生きていくために必要な生活術を父に叩き込まれた。


 こんな仕事をしていれば、いつかその報いを受けて、自分も誰かに殺される。

 少年の父は、自分が死ぬ前に、自分の子供が一人でも生きていける術を伝えたかったのかもしれない。しかし、まだ幼い少年にとって、それは苦痛でしかなく、自分に対して厳しく接する父を恨んだ。


 少年には二つ歳の離れた妹がいた。自分には厳しい訓練を受けさせているにも関わらず、父は妹には甘かった。そのことが、より少年の心を苦しめた。


 妹が七歳であることを踏まえれば、まだろくに運動もできないと考えるだけの余裕が、当時の少年にはなかった。ただ、父に甘えることができる妹に、嫉妬していただけだ。少年も、本当は誰かに甘えたかった。優しくしてほしかった。誰かに抱きしめてもらいたかった。他の誰でもない、自分を。自分だけを愛してほしくて……


 それから五年もの間、少年は父との厳しい修行を耐え続けた。

 常軌を逸した肉体改造。ありとあらゆる骨を、何度も何度も折られた。

 加えて過剰な薬物投与による精神強化。一時的に感情すら喪失した。


 途中で命を落としそうになったことも幾度となくあったが、少年は父に自分の存在を認めさせるためだけに生き抜いた。



 この《スラム街》に流れ着く一ヵ月前、少年の家に襲撃があった。

 どうやら、父に依頼をよこしていた人間の誰かが、父のことをすでに用済みとみなし、余計な情報を漏らす前に、父を消すように依頼したらしい。


 暗殺者は太陽の影に生き、月の光が当たらない闇に散る。

 その悪党の命は、誰からも惜しまれることなどないのだ。

 家の至る所から橙色の火が出て、血のように赤く燃えていたのを覚えている。


 今まで暮らしていた家が焼け落ちていくのを、少年は身動きさえできず、ただただ茫然と眺めていた。熱く燃え盛る炎の中で、少年の心は耐え切れずに軋み、成すすべもなく壊れていく。どこかでガラスが砕け散ったような音が聞こえた気がした。


 それでもなお、少年の体は火が近づくにつれて、自然と自分の身に迫る危機を感知し、傷付いた体を引きずって、その場から遠ざかろうとする。

 心と体が乖離しているのだろうか。内心では諦めていても、暗殺者として鍛えられた本能が、この場は一度退き、生きて次の機会を待て、と告げていた。


 結果的に、少年の父と仕えていた使用人が、逃げる時間を稼いでくれたおかげで、なんとか逃げ延びることに成功した。


 数日後、少年は素性がばれないように煤けたフードを被り、焼け落ちた家の付近を見に行った。そこには家屋や家財が残らず焼失した、見るも無残な光景が広がっていた。


 辺りいた人に話を聞く限り、この家にいた人間は全員死んだことになっているそうだ。


 こんなことはありえない。悪い夢を見ているんだ、と思わず現実逃避に走る。

 家には、自分よりも幼い妹や、自分たちにとても良くしてくれた使用人。

 ましてや、厳しくてとても強い、父がいたのだ。


(あの父が、負けたのか……? 本当に死んでしまったのか?)


 父はいつも口酸っぱく『自分のことは自分で守れ。誰かに助けてもらえるなんて思うな』と言っていた。なのに、どうして……


 結局、父は我が子を守るために、自分より格上の敵と戦ったのだ。そして――――


 信じたくなかったが、それ以来、少年の前に姿を見せる家族は一人もいなかった。


 こうして少年は一人、《スラム街》へと流れ着いた。




 ふと、遠のいていた意識が覚醒する。

 一体、どれくらい瞼を閉じていたのだろうか。


 荒んだ目に映るのは大量の足。薄汚れた道を歩く、戸籍を失い居場所をなくした者たちの足が、目の前を通り過ぎていく。痩せこけた細い老人の足、たどたどしい子供の足、日に焼けた男の足、色素の薄い汚れた女の足。

 失った自らの足の代わりに、機械的な義足を付けている者もいた。


「ここ以外に、居場所がないんだな」


 思わず漏れた呟きと共に腹が鳴った。こんな状態でも腹は減る。体は空腹に正直だ。


(……三日ぶりの飯だろうか)


 久しく飯を食っていなかったと思い、擦り切れたズボンのポケットから包装された握り飯を取り出す。これは《スラム街》の外で、他人から奪った金で買ったものだ。


 ここに流れ着いてからは、《スラム街》の外の裕福そうな奴から奪った金で揃えていた。


 他の子供たちと同じように、適当に与えられる仕事をするという手もあったが、突然やってきた自分に仕事を分けてもらえるかどうか、分からなかったからだ。


 父の口癖である『この世界は奪うか奪われるかだ。こちらが奪わなければ、一方的に奪われ続ける』という教えに基づき、少年の行動も自然とそういう方向に傾いていた。


 その生い立ちからか、少年は他人から何かを奪うことに躊躇するような心を持ち合わせていない。しかし、その行動が一般的に見て『悪』だということは理解していた。


 自分は暗殺者である父の息子であり、またそんな自分自身も立派な暗殺者である。

 生まれたときから『悪』であり、その裁きはいつか受けなくてはならない。

 その報いはいつか受けなくてはならない。そう思って、今まで生きてきた。


 人は生まれた場所と時代、生んだ親、生きた環境で、人生のほとんどが決まる。

 だが、別に少年は《殺人術》のみを教え込まれた、父の操り人形ではない。

 世間一般の常識というものを知っていたし、俗世に疎いということもない。


 むしろ、この若さで世界の表から裏まで知り尽くしている者は少ないだろう。

 彼の恐ろしいところは、すべてを理解した上で、躊躇いもなく人を殺すことができる常軌を逸した精神性だ。


 握り飯を口の中に入れるが、気温が高いせいか湿気ていて、あまり美味しくない。


「家族を失い、居場所もなくし、生きる意味さえ分からなくなってしまった」


 なのになぜ、自分は他人から奪った金で飯を食ってまで生きているのだろう、と不思議に思った。色のない無機質な世界に、この心は何を求めているのか。

 もううんざりしていた。それでもまだ、この世界にしがみついていた。心のどこかで諦めていなかった。見えない希望に縋っていた。


「あぁ、なんで俺……まだ生きているんだろうな」


 ここは日の光が直接当たる場所は少なかったが、夏も真っ盛りというこの時期に、多くの人が密集していることもあって非常に蒸し暑い。

 気付けば座っていた道路にも、自身の汗で小さな水溜りができている。


 もう少し暑さがマシな場所へ移動しようと立ち上がったとき、目の前に少女が立ちはだかった。やつれた顔をゆっくりと上げ、泥のように濁った瞳を彼女に向ける。


 もはや人間の目じゃない。まともな人間なら、その瞳を直視することに耐えられないほど、少年の目は腐りきっていた。これ以上生きることに疲れた、心を病んだ者の双眸。


 対して少女の風貌は、この《スラム街》に似つかわしくない、高級な陶器のように白い肌に、真っ黒いさらさらのストレートヘア。陽の光を反射する髪は緑がかって見えた。


 夏なのに黒い学生服のような長袖を着ており、白い肌が露出している部分は少ないが、腕のところに通気性を上げるためのスリットが入っている。スカートとハイソックスの間から覗く太股の部分が妙に艶めかしい。豊かな胸元に結ばれた細い緑色のリボンを除くと、全体的に暗い印象を受ける制服だ。しかしその制服が、より少女の肌を白く見せている。そして彼女の吊り上がった切れ長の瞳は鋭く、どこか見る者を遠ざけるような冷たさがあった。少年はその美しい少女に、思わず我を忘れて見入ってしまう。


 少女がこちらに一歩近づき、鋭い眼光を向けながら口を開く。


「あなたが、日向流斗ひゅうがりゅうとね?」


 念を押すように尋ねてくる。

 日向流斗と呼ばれた少年は、なぜ少女が自分の名前を知っているのか不審に思い、警戒するような声で問いかけた。


「そういうお前は誰だ? こんなところに来るような、底辺には見えないけどな」

「ふーん、否定はしないのね。もしかすると、これは当たりかしら?」


 少女は顔に手を当てて微笑んでおり、なにやら楽しげである。

 何が面白いのか。見ていて苛々する女だ。


 少年――流斗は、依然として正体不明な少女に対し、警戒を強めて身構えた。


「俺の質問に答えろ。お前は誰だ? 三度目はないぞ」

「私は神崎遥かんざきはるか。《対魔術犯罪科》に所属している軍人さんよ~。強盗罪および傷害罪で、あなたを逮捕させてもらうわ」

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