レンタル

「これ、お願いします」

 すっと差し出された白い手にはナチュラルなネイルが施されている。はっきりと聞き取りやすい少年のような声だった。

 レンタルカゴに入っていたのは南米のボブスレーチームを題材にした映画と、監禁殺人を題材にしたスプラッタだった。

 昨夜、冬季オリンピックのボブスレーでは史上初めて南アフリカが優勝していたし、日本では類にない残虐な監禁殺人のニュースが日夜報道されている。彼女は印象的なニュースに刺激されて映画を観たくなったのだろうか。

「216円になります」

 僕が支払いを促すために顔を上げるとそこには見惚れるような美人が立っていた。チョコレート色の瞳が二枚のDVDを見つめている。四月からバイトを始めて二週間、今のところ一番かわいい。そんな彼女はどこか落ち着かない雰囲気で、早く家に帰りたくて仕方がないといった様子だった。

 せっかちな性格なのか、500円玉をレジにパチンと打ち付けると急いでお釣りを受け取って出て行った。


 一週間後、彼女はまたやってきた。

「これ、お願いします」

 聞き覚えのある中性的な声の主は、ドラッグ常習犯の芸能人を題材にした映画と、黒人初のアメリカ大統領が登場するアクション映画を借りに来た。

昨日は、アメリカで史上初の黒人大統領が誕生した。この映画を知っていた僕はフィクションが現実化する瞬間を目の当たりにして興奮した。彼女も同じように高揚した状態でレンタルショップにやってきたに違いない。

「216円になります」

 やはり、先週と同様にとても急いでいるようで、今度は電子マネーで支払っていった。

 この日は客入りも少なかったので、勤務時間が終わるころには、新人に任せてバックヤードの整理をしていた。

「そういえば、もう一作にちなんだニュースなんてあったっけ?」

ドラッグに溺れる芸能人など星の数ほどいるけれど、ここ最近関連したニュースは報道されていない。自分が見落としているだけで大物芸能人のスキャンダルがあったのだろうか。僕は気になって仕事が手につかなくなってしまい、休憩室のテレビをつけた。画面には連日賑わうアメリカ大統領のニュースが流れている。経済、スポーツと続き、番組も終わろうとしている。

「なんだ思い過ごしか」

そう思ってテレビを消そうとした瞬間、かつてミリオンヒットを飛ばしたミュージシャンが、覚せい剤所持により逮捕されたという速報が流れてきた。

 僕はリモコンを握ったまま動けなくなった。彼女はこれまでに借りた四作のうち、三作は誰もが知ることができるニュースをイメージさせる作品だった。だから、ただのミーハーな美人だと思っていた。しかし、残りの一作はたった今、テレビニュースで報道されたものだった。偶然の一致と処理していいものか。

 僕は来週の彼女の動向をチェックすることにした。


 さらに一週間後も、彼女はやってきた。どうやら金曜日の夜に出没するようだ。

 次に借りていったのはマネーゲームの末に詐欺容疑で逮捕される主人公を描いたミステリ作品と、パンダ親子のドキュメンタリー。いずれも似通った事件は新聞やテレビでも報道されていない。これら作品に近しい出来事がこれから取り上げられるかもしれないと思うと、気になって仕方がなくなった。僕は仮病を使い、自宅へ帰るとテレビに張り付いた。こんなにもテレビニュースを真剣に観ることなど何年ぶりだろう。そわそわしてチャンネルを何度も変えた。ニュースキャスターやアナウンサーの顔ぶれも実家で家族と観ていた頃とほとんどが変わっていた。テレビ業界も競争の厳しい世界だという事を実感する。

 1時間ほどリモコンを握っていたが、自宅にいることで気が緩んでいたため、いつのまにか眠ってしまっていた。

 目を覚ますと午前四時半。朝のニュース番組が始まっていた。寝ぼけた眼を擦りながら、聞き覚えのある声にはっとする。メインアナウンサーとして中央に座っている女性について僕は知っていた。

「あの人だ。チョコレートみたいな瞳と中性的な聞き取りやすい声。間違いない」

 僕は驚きのあまりに眠気が吹き飛んだ。確かに美人だと思っていたが、アナウンサーだったとは。自分の世間知らずさに驚愕していた。そして、彼女の口からは可愛らしいパンダ親子と、仮装通貨の詐欺容疑で逮捕された男のニュースが語られたのだ。

 彼女の素性については普段からテレビを観ていればすぐにピンときたかもしれない。彼女は翌日に自分が読み上げるニュースと酷似したDVDを借りていたのだ。


 次の金曜日になると、アナウンサーの彼女は現れた。

 レンタルカゴに入っているのは、免罪により脱獄を図った男の映画。

「明日の朝は脱獄犯か免罪事件のニュースでも読むんですか?」

 つい、僕は尋ねてしまった。

 アナウンサーは一瞬硬直していたが、ぼそりと呟く。

「両方です。……あの、誰にも言わないでもらえませんか?」

「言いですけど、その代わり理由を教えてください。気になってしまって」

 アナウンサーは「わかりました」と言って続ける。

「私、四月からニュースキャスターになれたのですが、原稿を読むときに緊張してしまって、よく噛んでしまっていました。上司と原因を追究していくうちに、ニュースの対象に興味がないから集中力が続かないのだとわかってきました。そこで、興味を持たせるために、ニュースに似た映画やドキュメンタリーを観ることにしました。すると、見る見るうちに改善されたのです。奇妙なことにたくさんある原稿の一部を上手く読めるだけその後は問題なく読み進めることができました。なので、自分が最初に読むニュースと似たDVDを借りてイメージトレーニングをしていたのです」

 胸につかえていた疑問がすとんと落ちて、自然と笑ってしまった。

「予知能力者じゃなくてよかったです」

 僕は包み隠さず話してくれた彼女へ感謝の意を示すため、このDVDを無料で貸し出した。

 アナウンサーはお礼を言って店を出た。

 その日から、金曜日は深夜までバイトがあったとしても、午前四時半に起きて彼女が出演するニュース番組を観るのが週課になった。必ず借りていったDVDを連想させるトップニュースが報道される。ニュースを先取りできる優越感もあったが、DVDの内容から予想することの方が楽しみだった。じっくりと観ていると彼女は一度もつっかえることなく、原稿を読み進めることができている。努力の成果が発揮できていることを喜んだ。ただのアルバイトだが、僕も彼女の成功の一因を担っている気分になった。


 あれから、毎週のように金曜の夜はシフトを入れてもらっていた。彼女は毎週やって来てDVDを借りていった。特別会話をすることはなかったが、混んでいてもわざわざ僕のレジに並んでくれる。素性がこれ以上バレたくないのだろう。

七月になると大学の試験が重なり長期休みをもらうことになった。彼女に夢中になって留年してしまっては仕方がないと言い聞かせ、大人しく勉強することにした。数学の教科書を開いて机に向かうが、数分もしないうちに体がムズムズしてきて落ち着かない。今頃アナウンサーの彼女はどんなDVDを借りているのだろうと頭の中がいっぱいになる。持っていたシャーペンが五分間停止した後、居ても立っても居られない状態になった僕は、寝間着姿のままレンタルショップへ向かった。

 夏とは思えない寒い夜だった。上着を着てくればよかったなと思いながら、引き返すのも面倒で早足で歩いた。

 普段よりも遅い時間だったので、店内に彼女の姿はなかった。今日は店長がレジ番をしている。

「店長、美人の女性客が来ませんでしたか?」

 店長は首をかしげている。

「お前休みなのに出てくるなんて仕事熱心だな。勉強はどうした?」

「そんなことより教えてください」

 ある種の禁断症状が出ている僕は強気に店長を問い詰めた。

「なんだよ、そんなに迫ってきて。……美人か、目の茶色いアナウンサーか? ついさっき来たけど」

 店長は彼女がアナウンサーであることを知っていたらしい。

「なんでそんなに気にしているんだ。お前、惚れているのか。やめとけって。アナウンサーなんて高根の花だ」

 店長に目元を細くして笑っている。

「まあ、似たようなものです。彼女が何を借りていったのか知りたいんですよ」

 冷静になってみるとまるでストーカーのような発言だったが、店長もはっきりと覚えていたのか教えてくれた。

「題名は忘れちゃったけど、異常気象で地球が凍っちまう話だよ。ありゃ名作だよな。氷河期なんか来たら俺は真っ先に氷漬けだぜ」

 店長はへらへらと笑っている。

 背筋が寒くなった僕は、店長の話を振り切って建物の外へ出た。


 脳天に、雹が落ちた。


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