陳情

「成程。つまりお前達は鹿一匹を狩るために、我が王国の精強なる兵の力を借りたいと申すか」

「へ、へぇ……その……猟師として大変不甲斐ない事は重々承知しておりますが、そ、その通りです」

 へこへこと下げた頭に脂汗を流しながら、白髪の老人はすっかり震え上がっていた。

 老人はとある小さな村を治めている、村長である。

 治めるといっても年功序列で決まった立場に過ぎず、実態はただのまとめ役だ。それでも一応村長という役職ではあるので、村だけではどうにもならない問題が起きた時には、自分より上の地位に立つ者……この国を治める王への陳情を行う役目がある。

 故に老人は今日、その王の元へと出向いた。

 実のところ彼は初めて自国の王城を訪れたのだが、想像以上の豪華さに腰が抜けそうになっていた。案内された謁見の間は石造りなのだが、恐らく大理石を削って作ったのであろう彫刻が左右にずらりと並び、一介の村人に過ぎない老人に威圧感を与えてくる。床として敷き詰められているのも石だが、気持ち悪いほど形が整っていて、さぞ値が張るのだろうと予感させた。敷かれている絨毯の毛皮も質が良く、本当に踏んでも大丈夫なのか不安になる。

 この謁見の間にあるどの『品』に傷を付けても、自分の首を捧げても賠償しきれないだろう。そんなものに囲まれて不安にならないなんて、頭のおかしい奴だけだ。

 ……或いはそいつは頭のおかしいこの王に相応しいかも知れない、等と心の隅で思う老人だったが。

 顔を少しだけ上げ、老人はこの国の王を見る。

 王は玉座にふんぞり返り、足をパタパタと品性もなく揺れ動かしていた。豪勢な服の間から見える腹をぽりぽりと指で掻く姿に、国家の主に相応しい気品はこれっぽっちも感じられない。太りきった身体は醜く、歪んだ表情はその内面を示すかのよう。

 こうして正面から見れば、老人は時折耳にする噂――――この国の王が暗愚だというのも、嘘ではないのだろうと思った。尤もその割には戦争に強く、貴族達の反乱も聞かないのだが……

 疑問を抱く老人は、しかしすぐに自分の考えを頭の隅へと寄せた。田舎で身内同然の村人を纏めるのがやっとの自分に、国の政治などとんと分からぬ。そんな小難しい話より大事なのは、この暗愚がこちらの陳情を聞き入れてくれるかどうかの方だ。

 そう、何人も村人を殺した、恐ろしい鹿の討伐を聞き入れてくれるかどうか。

 ……十日前。角が高く売れる鹿を見付けたと言って、十五人の猟師達が近くにある山――――村では『凍える山』と呼んでいる地に入った。普通は鹿一頭狩るだけなら一人二人で十分なのだが、目撃した猟師曰く、その鹿は大烏の親玉とケンカするほど強いとの事。大烏の親玉は従でも仕留めきれないほど強く、それとやり合うほどなのだから恐ろしい強さなのは明白だ。故に大勢で向かったのである。けれども正直誰もが過剰な戦力だと思っていた。どんなに強い獣だろうと、銃で頭を一発撃ち抜けば死ぬのだから。

 なのに結果はどうだ? 討ち取るどころか、村でも腕の立つ猟師が三人も殺された。生き延びた猟師達曰く、銃すら効かない恐ろしい魔物だったらしい。

 村は悲しみと恐怖に囚われた。敵討ちを申し出る若者も居たが、皆が必死に止めさせた。銃が効かないのに、一体どうやって倒せば良いのか。

 そう、倒し方が分からないのだ。だからもしもその鹿が村に下りてきたら、村民が何十人集まろうと勝てっこない。きっとみんな殺されてしまうだろう。そんな恐ろしい魔物が棲む山の近くになんて、居られない。だけど何百年と守り続けた故郷を捨てるなんて嫌だ。

 暗愚な王が民のために兵を出してくれるとは思えない。だとすると傭兵を雇わねばならないか。しかし傭兵の腕前はピンキリだ。役に立つ者が来るかは半ば賭けになるだろうが――――

「良かろう。兵を出してやる」

 等と半ば諦めかけていた老人は、王が告げた言葉を危うく聞き逃すところだった。

「……え? だ、出して、いただけるのですか?」

「そうだと言っている。不服か?」

「めめ、滅相もない!」

「そうか。お前の村までなら、一月もすれば兵が到着するだろう……さて、用は済んだか? ならばもう引け。そろそろ夕食の時間だからな」

 王はそう語ると、上機嫌そうな笑みを浮かべながら天井を見上げる。もう、老人の事など見向きもしていない。

 まさか早く夕飯にしたいから、こちらの陳情を受け入れたのか?

 有り難いというよりも心配になる考えが過ぎる老人だったが、しかしぐだぐだと意見を述べれば、気を悪くした王に罰せられるかも知れない。いや、そもそも兵を求めて此処まで来たのだから、この結果になんの不満があるというのか。それに王は暗愚でも、戦争に勝ち続けるこの国の兵士は信用出来る。派兵を拒む理由がない。

「あ、ありがとうございます! その、よろしくお願いいたします!」

 深々と頭を下げた老人は、自分が何かをしでかしてしまう前に、この場から立ち去る事を決めるのだった。

 ……そうして老人が去った謁見の間で、王は小さな鼻息を吐く。

 その時を見計らったかのように、部屋の隅から若い女性が現れた。氷のように冷たく透き通った印象の顔立ちをし、軍服に身を包んだ長身の美女。

 彼女は王の側近だ。屈強な男ではなく女を側近にしたのは、この暗愚が気の強い美女を好むから……という噂が国民と貴族達の間に広まっている。

 事実は全く違う。王はこの女が、優秀だから好むのだ。

「一部とはいえ、王城の戦力を分散させてよろしいのですか。貴族達に不穏な動きがあるとの話ですが」

「問題ない。潜り込ませた間者曰く、集めた兵力は有象無象の傭兵との事だ。忠誠心は皆無であり、相応の金を掴ませれば奴等は簡単に寝返る。脅威とは成り得ない」

「成程。謀反を企てている貴族達は、見た目ほど資金に余裕がありませんからね」

「彼奴らは見栄えばかりを気にする。自分を、自分以上に見立てようとすれば無理が出るものだ。反面見栄えを捨てれば、そこに当てていた力を他に振り分けられる」

 王と側近は静かに言葉を交わす。

 暗愚、というのは体の良い隠れ蓑。王の権力を狙う者、誠実な者を焙り出すのに丁度良い。

 堕落した身振りは、心が堕落している貴族達をより貶めるための演技。王がだらしない格好をしていると、外観ばかり気にする貴族達は王を引き合いに出せない。自分の力を誇示するためには、『雑魚』を何匹並べても無意味だからだ。必然競争相手は同じ立場にいる、同格の貴族となる。豪勢な身形をするためには、相応の出費が必要だ。貴族達は無意味な浪費を繰り返し、その資金力政治力を消耗させていく。

 政治的には、王と貴族は敵対……ではないにしろ互いに牽制し合う関係だ。貴族同士が足を引っ張り合えば、相対的に王の力が増していく。

 やがて貴族達は力を失うだろう。無論その力を失う貴族というのは、己の身形しか考えない無能共だけだ。賢明な者は生き残る。そうなれば政治はより精練されたものとなり、国は更に栄えるだろう。

 これこそが王の目的。愚王というのは仮初めの姿であり、真実の姿は国を愛する賢王なのだ。

「それにあの村の近くにあるという山は、古文書に記されていた『奴等』の玉座の一つだ。人を殺し、銃の効かぬ鹿……その奇怪な生物が何か関わっている可能性がある。調査が必要だ。事が起きるよりも前に」

 そしてその賢王が真剣な眼差しを浮かべ、信頼する側近に本心を語る。

 側近は、国を憂う王の気持ちを汲み、静かに頷いた。

「……兵の選定をします。優秀なものを選び抜きましょう」

「任せる。余の守りは気にするな。お前も前線に出向き、指揮を執るのだ」

「はっ! お任せください」

 王に敬礼を返すと、側近は謁見の間から早足で去る。それは王に対する行儀作法からすれば酷く無礼であるが、この王は気にしない。格式や行儀は大切なものだが、実益に勝るとは思わないからだ。

 残された王は、再びため息を吐く。そしてごくりと息を飲み……引き締めた顔で前を見据える。

「……五百年前のようにはいかんぞ、化け物共め」

 そして決意に満ちた言葉を、ぽつりと独りごちるのであった。

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