閑話の2 サークル

 俺は自宅を愛している。そしてなによりも、愛すべき部屋で、愛すべき彼女と共に過ごす、蜜のように甘い堕落のひととき——凡人にも解るように言えば、手持ち無沙汰にだらだらする時間を愛している。


 俺の横に鎮座するのは、同大学の同級生。見目麗しい彼女である。薄茶の平机を彩る濃茶のチョコレートを口に放りながら、真黒の28インチTVに目をやり、安物のバーボンを当世風にコカ・コーラで割ったオシャレドリンクを右手に持っていた。コーラ割とチョコは些か相性が悪いようで、塩が欲しそうな顔をしていた。

 余談だが、俺は二人きりのとき酒を飲まない。良識風紀を完璧に守るほど不健全ではないのだが、このような状況に置かれては彼女の酔いを冷静に管理するのが優男としてのというものだ。


 さて、本題に移るとしよう。話を切り出したのは俺の方だった。


「サークルまた変えたんだってな」

「飽きたからね」


 サークル。大学生活を語るには欠かせない、文武楽趣の各々を突き詰める道の一つである。

 彼女がサークルを周期的に渡り歩くというのは学内でも有名だ。彼女は飽き性ゆえに、同じサークルに三ヶ月と留まっていられない。ふと現れてはふっと消え、その分野を極めてはその美貌でサークル内の心を揺れ動かし、ファンを次々に増やしていくのだ。この現象は『天使のつまみぐい』と呼ばれている。


 これまた余談だが、俺の所属するサークルは"弁論研究会"と"△大剣道部"である。趣を異とする二つのサークルを股にかけ、しかも彼女まで獲得しているというわけだ。正に勝ち組。妬んでもらって構わない。その視線でさらにチョコが進むというものだ。


「今度はどこにしたのさ」

「超混交音楽研究会」

「やばそう」


 一見真面目そうな字面だが、接頭の『超』で台無しである。『超』が付くだけで精神レベルが十くらい下がる気がする。『超』を付けると幼稚という風潮はいかがなものかとは思うが、まあ幼稚である。『超』が付いても格が下がらないのは『超心理学』くらいのものではなかろうか。いや、超心理学もそれなりに胡散臭い学問だ。やはり『超』は信用ならない。


 話を戻そう。どうやらそこでは全く種類の違う音楽を組み合わせ、新たな音楽の形態を創り出そうとしているらしい。それなりにまともだった。なんだか申し訳ない。


「具体的には?」

「オペラとエレキギターのコラボとか」

「合うのかそれ」

「微妙だった」


 当たり前である。

 なんとなく合いそうな気もしないでもないが、波形の高音に刺々の高音を組み合わせてもなあ、と思う。実際聞けば得心がいくのかもしれないが。


「私も早速ユニット組んだよ」

「どんな?」

「デスボイスと尺八のコンビ」

「どこで育ったらそれ組もうと思うの」


 いくらなんでも違いすぎる。世間では一時和ロックなるものが流行っていたらしいが、これでは和不協和音だ。せめてデスメタルにお琴や和太鼓を足すくらいにしておいてほしい。デスを相手にするには尺八の音は細すぎる。ひのきのぼうで魔王に勝てるはずもない。


 ちなみに彼女は横浜生まれである。


「てか尺八とか吹けるんだ」

「吹けないけど」

「つまり?」

「デスボイス担当」

「やべえめっちゃ聞きたい」


 前言撤回だ。彼女のデスボイスは聞きたい。否が応でも聞きたい。

 彼女は妙に多彩な技能を持っている。歌も上手い。以前カラオケに行った時は、その美声に酔いしれたものだ。しかし、その張りと響きのある声で死の音を掻き鳴らす姿は全く想像できない。これだから彼女と過ごすのはやめられない。毎日が奇想天外の大発見なのだ。


 俺は思わず後頭部に手をやった。考えを巡らせるときの癖だった。どうにかして彼女をカラオケに誘い出し、デスボイスを披露していただきたい。気分屋の彼女を動かせるかどうかが問題だが、そこは弁論研究会で培ったこの話術を使えばいい。ちょうどチョコパーティにも飽きている頃だ、少し押してやればコロっといってしまうだろう。


「カラオケ行きたいんでしょ」

「えっ」

「行きたいんでしょ?」

「あハイ」


 見抜かれていた。一生の不覚だ。


「わかりやすくて助かるなー」

「できれば分からないで欲しいけどな」

「なんで?」

「負けた気になるから」

「これだから弁論研究会の男は」


 彼女はやれやれと右手を遊ばせたのち、グラスを変にゆっくりと傾け、猫のようにゴキゲンに喉を鳴らした。

 とにかく、道は拓けた。結果オーライだ。ウイニングランという名のごまかしを挟み、適当なカラオケ店に向かうとしよう。


「なんか歌いたいやつあるの?」

「俺と一緒にデスボイスデュエットでもするか」

「粉雪のサビで血を吐いた男と?」

「冗談です」


 懐かしい思い出である。大学一年の夏、彼女を含む仲間内でカラオケに行き、粉雪を歌った俺が「こなゆき」の「な」の圧力に耐え切れず大きく咳き込み、軽く吐血したという事件だ。今でも『紅色の粉雪事件』として語り草である。


 言い訳を聞いて欲しい。レミオロメンが悪いのだ。どうしても原キーで歌いたくなる俺に向けて、これほど魅了的な歌を作るのが悪いのだ。あとは俺の喉を痛めた剣道の掛かり稽古が悪い。俺は悪くない。

 まあ確かに、歌は苦手である。歌うのは大好きだが、このクールな喉仏から成るダンディーな重低音が、アップテンポでハイトーンな現代J-POPにそぐわないのだ。見知った仲でカラオケに行けば、「キー下げろ」というヤジが飛び交うこと請け合いである。


「でも民謡はうまいよね」

「うまくても意味ないだろ」

「隠し芸みたいに披露したらいいじゃん」

「やったことあるから嫌なんだよ」


 民謡は得意だが好きというわけでもない。褒められたせいで鼻天狗になり合コンで歌った結果、女の子四名のうち二名に憐れみの微笑を浮かべられ、一名に皮肉全開の御言葉を賜ったトラウマがある。

 しかし民謡はいいものなのだ。悪くない。古文化を愛してこそ真の文化人と言えるだろうに、嘆かわしいことである。


「久しぶりにこいのぼり聴きたいな」

「やだ」

「デスボイス興味ないの?」

「あります」


 たっての希望とあらば、仕方がない。この俺の「こいのぼり」で涙腺を崩壊させるのもやぶさかではないというものだ。その後は流行りのJ-POPにも挑戦しよう。あわよくばデスボイスデュエットも楽しみたい。


 思考が顔に出ていたのだろうか、横を見ると、彼女がにんまりと頰を緩め、嬉しいのか意地悪なのかよく分からない顔で笑っていた。じっと瞳を覗き込んでくるので、なんだか恥ずかしくなった。


「よーし行こっかぁ」

「のど飴持ってる?」

「龍角散があるよ」

「なら安心だな」


 閑話終わり。枯れた声帯を癒したら、また次の語らいに想いを馳せる。

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