032:ガウル。


『オ、オイ……少しいいか?』


 倫理観についてつぐみさんと私の議論が脳内で白熱してたんだけど、よくよく考えたら私も人間に〈腐敗のブレス〉をぶっかけて、生きたまま腐らせて殺すっていうとんでもないことしてるから偉そうなこと言えないわ……という結論に至り、ちょうど冷静になっていたとき───恐る恐るといった感じの弱々しい声が響いた。


 聞き慣れない低めの……たぶん女性の声。

 つぐみさんじゃない。

 だから私は、まさかっ! と思って狼を見た。


『狼……さん?』


『あぁ……悪いが、オレの麻痺って治せねぇか? 結構キツいんだが……』


『あ、すみません! 今治します! えっとじゃあ、ちょっと噛みますね』


『え、噛むのか……?』


『ん? そうだけど……? 〈解毒牙〉というスキルを使うので、噛まないと』


『そうか……』


『何か問題でもあります?』


『い、いや問題ないっ! やってくれっ!』


 つぐみさん以外と喋るの久しぶりだから妙に緊張しちゃったー。

 変にかしこまってしまったし。

 でもなんか新鮮でちょっと嬉しい。


 それにしても……なんだこの狼。


 なんか踏ん張るように目をつむってるんだけど。


 まるで注射に怯える子供のように……って、え?


 もしかし、こんな小さなトカゲに噛まれるのが怖いのかな……このでっかい狼。


 …………。


 可愛いなおい。


 まあ、ちゃっちゃとやっちゃいますか。

 もうこの狼は私の眷属だし。


 首筋に近づいて───ガブっ。


『うっ』


 …………。


 うって……だから可愛いかよ。


 見た目はライオン並に大きな狼。

 控え目に言って超怖い。

 なのに内面はこれ。


 盛大にギャップ萌えしながら、私はスキルを発動させた。

 

 ───〈解毒牙〉


 何気に初めて使うスキルだからちょっと不安。

 ちゃんと効けばいいけど……。


 それに───


 私は噛みつき終わったら急いで離れた。


 《なぜ離れたのですか、ユウナ?》


 いや……ちょっとまだ怖い。

 〈眷属化〉も使うの初めてだし。

 本当に襲ってこないか……不安。


 《大丈夫です。この獣のアストラル体はすでに掌握しました。ないと思いますが、もしユウナへ僅かでも害意をもったならワタシが精神を破壊します》

 

 ……そ、そんなことできたんかい。

 

 《はい。もちろん普通はしません。寄宿が死ねばワタシも死にますので。ですがワタシの寄宿はユウナであり、この獣は掌握してるにすぎませんので》


 そうなんだ。

 ちょっとビビったよ。


 そうこうしてるうちに、狼がムクリと起き上がった。

 〈解毒牙〉って優秀。

 そしてやっぱりこの狼デカいよ……。

 めちゃくちゃ怖いんですけど……。

 ライオンくらいと思ってたけど、余裕でもっとデカい。

 警戒するなという方が無理。


『…………』


 しばらく私と狼の視線が交差する。


 それに比例して、スキルではない私の本能が警戒心を高めていく。

 

 だけど───その後の行動は予想外だった。


 この大きな狼がゴロンと仰向けになったのだ。


 前足をクイって折りたたんでるのがすごく可愛い……え?


 待って待って、理解が追いつかない。

 これは一体……。


『オレはお前に服従する』


 な、なんか言ってきた。

 これは……服従のポーズなの?


『仲間は全員失っちまったしな……行く宛てもねぇし……。トカゲに従うことになるとは自分でも驚きだぜぇ……不思議とあんま嫌じゃねぇけどな』


 《当然です。私が『忠誠心』を植え付けたのですから》


『……お前、オレにそんなことしたのかよ……』


 うん。

 どうやら本当に敵意はなさそう。

 お腹を見せてるのはその証拠っぽい。

 

 確か名前は───


『───『ガウル』だよね?』


『あぁ、それがオレの名だ。そういやぁ、まだお前の名を聴いて───』


 《“お前”? 申し訳ありませんユウナ。この獣の躾はまだ終わっていなかったようです。幾ばくか精神を破壊し調整しますので、もうしばらくお待ちください》


『な、なにをするつもりだっ! 今すごく不穏な言葉が聴こえたぞっ!』


 いい!

 別にいいから!

 少し私に話をさせて!


 《……分かりました》


 まったく、つぐみさんはとんでもないな。

 思考が物騒すぎだよ。

 誰に似たんだか。


『すまない……誰かに従うのは初めてなんだ……』


『別にいいよ。私も誰かを従えるのなんて……いや、まあ、会社で部下がいたくらいだし。私のことはユウナでいいよ』


『そうか、助かる。じゃあユウナと呼ばせてもらうぞ。それともう起き上がっていいか? ……この体勢は少し恥ずか───』


『あ、待って!』


 ガウルが起き上がろうとしたので、私は慌ててそれを止めた。


『な、なんだ?』


『本当に敵意がないか確かめる。だからまだ動かないで』


 私はゆっくりと近づいていく。

 すると、目に見えてガウルは怯え始めた。


『なに、なにをするつもりだ! お、おい──』


『いいから黙って!』


 なんで私みたいな小さなトカゲにこんなでっかい狼が怯えてるのかはわからないけど、これは好都合。

 しばらく怯えててもらおう。

 ガウルは今もなんか言い続けてるけど全部無視。


 心のどこかで、まだ疑ってる私がいる。

 本当にこの狼は安全なのかということを。

 いきなりサーカスの団長がこのライオンは安全ですって言っても、いまいち信用できないのと同じ。


 でもせっかく眷属にしたからね。

 この恐怖は乗り越える価値がある。

 リスクを冒す価値がある!!


 だから私は───


『な、なにをする! やめろー!』


 ───ピョン。


 と、ガウルのお腹に飛び乗った。


『……なにをしてる?』


 よかった。 

 とりあえず大丈夫だわ。

 でも、試すのはここから。

 狼のお腹の上に乗る蜥蜴。

 めちゃくちゃシュールな光景だな。


『今からガウルのお腹を───撫でる!!』


『え、だからお前は何を……にゃ、ニャハハハハハハ、ちょ、やめ、ニャハハハハハハ』

 

 私は魔物となり無駄に高くなった素早さを存分に活かし、高速で動き回りながらガウルのお腹を撫で回す。

 しばらく撫で回し、私は確信した。

 うん、ガウルは良い子っぽい。

 この反応を見ればわかる。

 しかもニャハハハハって。

 狼ってどっちかというと犬っぽいのに、猫みたい。

 かわいい。


 《……これで何が分かるのでしょう。ユウナの判断基準は独特すぎです》


 まったく、つぐみさんは分かってないな。

 これで全てが分かるんだよ。


 《…………》


 私と居ればいつか分かるよこの感覚が。

 あ、さすがにやりすぎかな。

 これ以上はガウルが可哀想だよね。


『ニャハハハハハハ、やめ、ほんとやめ…………て…………あ……………』


 とりあえず終わり。

 私はガウルを信用することにした。

 ぴょんとガウルから飛び降りる。


『ごめんねガウル。ちょっとやりすぎた』


『あ、あぁ、そうだな……。いや、そ、そうだぞまったく!』


『うん、ごめんごめん。ちょっと待ってて』


 私は隠しておいたマジックポーチを取りに行き、咥えてからガウルの所に戻ってきた。


『ガウル、これを首からかけて』


『なんだこれは?』


『んー、たくさんものが入るポーチかな。簡単に言えば』


 ガウルが眷属になったことでこのポーチにも使い道が出てきた。

 やったね。

 ガウルならこのポーチくらいなんの支障もなく持ち運べる。

 これからは魔石をストックできるから、不安定なその日暮らしともようやくお別れ。

 色が白なのが少し目立つけど、まあこのくらい大丈夫でしょ。


 ガウルは私に言われた通りにポーチのストラップを咥えて、器用に自分の首にかけた。

 うん、やっぱりガウルはいい子だ。

 仲間を失っちゃったのは本当に可哀想だけど、眷属にできてやっぱりよかった。


『これでいいか?』


『うん、完璧。じゃあ一狩りしてから帰ろうか。乗っていい?』


『あぁ。ユウナはオレの主なんだから、許可なんていらねぇだろ』


『そうかも……ね。まだ慣れないけど』


 今までつぐみさんと2人だったから、やっぱりまだ慣れない。

 それに私は人の上に立つような柄じゃないし。

 たぶんこれからも慣れることはないだろうなー、と思う。

 

 ガウルは頭を下げて、私に乗りやすいようにしてくれた。

 本当にいい子だ。

 ついさっき人間を殺しまくってたのなんか全然気にならないよ、うん。

 私はペタペタと登って、ガウルの頭の上に移動した。

 ガウルのおかげでこれからは遠くまで行けるから、狩り場を広げられるよ。

 いぇい。


 《ですが、この獣はスキルのレベルが総じて低いです。隠密能力にも不安が残ります。まずはスキルのレベル上げから始めましょう》


 …………。


 ごめんよガウル。

 これからは君も、この効率厨の被害者だ……。

 

 それとつぐみさん。

 獣じゃなくてガウルね。

 名前で呼んであげて。

 もう仲間なんだから。


 《……分かりました》


 なんでちょっと嫌そうなのよ。

 まあいいか。


『ガウル、とりあえず行こうか』


『あ、あぁ……そうだな……』


 ん?

 なんか歯切れが悪い。


『どうかした?』


『いや、えと、そうだな……。あの……や、やっぱりいい……』


『え、なに? 言っていいのに』


『いいつってんだろ! ほら行くぞ!』


 唐突にガウルは走りだした。

 その爆走っぷりに、私はいつかの暴走車のボンネットに張りついたときのことをほんのりと思い出しながら、それよりも速いガウルに驚愕した。


 いぎゃー、と無様な絶叫をあげたのは言うまでもない。


 そしてこの後、めちゃくちゃ魔物を狩った。

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