秋の夕照

「ハロハロウィーン!」


 見知らぬ誰かの恋が破れるところを盗み聞きしてから二週間。

 十月に入った最初の日の放課後に僕は突然春香不審者に声をかけられた。


「……なにそれ?」


「ハロウィンが近いからね! 最新の挨拶!」


「聞いたことないし、近くもないんだけど」


 楽しげな春香に思わず冷たく当たる程、僕はこの二週間で相当追い込まれていた。

 受験のストレスに加え、春香のこともあって僕の気分はずっと落ち込んでいたのだ。

 当然、そんな状態で彼女と話など出来る気がしなくて僕は彼女を避けていたのだが。


「で、なんですか?」


「なぜ敬語?」


 向こうから関わってきた事に頬の引き攣りを感じながら問いかけると、春香は呆れた顔をした。


「最近、私のこと避けてたでしょ?」


「うっ」


「何かあったの?」


 何かあった、ではない。

 まさに君のことで悩んでいるんだよ、と心の中で呟く。


「大丈夫?」


 この二週間の苦しみを思い出して頭を抱える僕に、春香は心配そうな顔を近づけた。


「あ、あぁ。勉強が忙しくてな」


「あぁ、なるほどね」


 誤魔化した僕の言葉を疑う素振りも見せない春香。


「だったら今日一緒に帰ろうよ。ほら、息抜きだと思ってさ」


 春香は、僕の葛藤など全く感知しないままにそんなことをのたまった。


「えと……」


「忙しいなら退散するけど?」


 何も知らない春香は、じっくり考えたい僕に時間を与えてはくれない。


「あ、いや……」


 正直に言えば、いつまでも一緒にいたいし、時間の許される限り長く話をしたい。

 でもそんなことを許そうとしない自分も心の中にいた。

 ぐるぐると考えること数秒。


「うん。帰ろう」


 僕は欲望に負けた。

 頷くと彼女は「良かった」と顔を綻ばせる。


「じゃあ、行こう!」


 久しぶりに並んで歩く帰り道。それはとても穏やかな時間だった。

 一緒に歩き、そして笑い合う。これまでの悩みがちっぽけに思える位楽しい帰り道だ。

 そうして思う。

 この二週間、僕のしてきたことは間違いだったのではないかと。距離を置いたことは、時間のあまり残されていない僕にとっては大きな失策だったのではないだろうか、と。


「あはは!」


 だけどそんな疑念すらも、彼女のコロコロと転がるような軽い笑い声で全部霧散していった。

 そしてその笑顔を見ていると自分の本当の心に気付かされる。


 そう。全く難しい事じゃない。


 彼女の隣にいたい。

 彼女と一緒に歩きたい。


 僕の思いは、ただそれだけなんだ。


「そっか」


「ん?」


 突然足を止めた僕に、春香は首を傾げる。

 心配そうな顔。風に流れる黒い髪。何かを言おうとして、だけど触れて良いのか迷うような優しさ。

 僕にはその全てが失いたくない大切なものだ。


「僕は春香とずっと一緒にいたい」


 今のようにずっと一緒に。

 ただ、隣にいるだけで……それだけでいい。


「うぇ!? えっと……うぇ??」


 顔を真っ赤にしてあわあわとする春香。それに気がついて、「あぁ」と気がつく。


「ごめん、言い方が悪かった」


「え……」


「ただ、ずっと言いたかったんだ。これからもずっとこうして一緒に居たいって」


 そのためには、いつ壊れるかもわからない関係恋愛関係に頼りたくない。


「今までも、そしてこれからも、春香は僕の大切な友達なんだから」


「……友達」


 破れる恋ではなく重ねる友情を。

 そんな言葉で、明確にはできない自分の心を包み込む。


「そうだね……友達、だね」


 春香は呟いた。

 それは弱くか細い声だった。


 やがてまた僕たちは足を踏み出す。

 同じリズム、同じ歩幅。長い時間の間に積み重ねてきた二人の「間」を心地よく感じながら、僕は春香は「いつも通り」に戻っていく。


 やがて駅に着くと、僕たちは手を振りあって別れた。

 その足で僕は湖岸へと向かう。


 夕方の湖畔の景色の美しさは、その刹那性にある。その時その一瞬にしか見ることの叶わない美しさだからこそ、人は惹きつけられる。

 そしてその点では人の繋がりも思い出も美しい湖畔の夕照せきしょうと同じなのかも知れない、と橙に染まる湖面を眺めながら僕は思った。

 僕たちは不変ではいられない。同じではいられないからこそ、その一瞬の調律を大切に思い、時にはそこに執着する。

 僕にとっては、それが友人春香と友人のままでいるという事だった。


「……」


 ひょっとすると、友達でいた時間が長すぎた……だけなのかもしれない。

 もっと早い段階でもう一つの想いに気がついていれば、或いは……。


「僕達は友達だ」


 スッキリとしないその言葉で、胸のモヤモヤを覆い隠して、それから僕はそれきり口を閉ざす。

 しかして、世界が染まるとある日に僕が下した選択は、変化を拒絶するものだった。

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