秋の長雨に華は散り。

ねこたば

いつまでも一緒に

 昔から、彼女は僕の一番の友達だった。

 初めて話したあの日から、いつも彼女は僕の隣にいてくれた。

 楽しい時も嬉しい時も、辛い時も悲しい時も。いつもいつでも彼女がいてくれたから、僕は前を向いて歩いてこられた。

 そうしていつしか二年もの時が経ち。

 高校三年生になっても僕たちはまだ、友達でいる。


 *


 シャワシャワシャワ。

 陽気なセミの歌声が響く。

 見上げると陽光に照らされる空は青く輝き、その澄んだキャンバスには筆で伸ばしたように白く細い糸雲が幾筋にも流れていた。

 とても綺麗で、それでいてどこか夢見心地の寂しさに満ちた長月六時の空から、僕は目を離すことが出来ない。


「ねぇ、奏多かなたくん」


 天を仰いでいた僕は、耳を打つ言葉にハッとした。

 視線を隣に戻すとそこには湖岸に腰を下ろしたままどこか不満そうな少女。


「は、春香はるか……」


 ぼんやりとしたまま少女の名前を呼ぶと、彼女は呆れたような顔をした。


「話、聞いてた?」


 僕の名を呼んだ時とは異なる声音に、僕はすぐ苦笑いを返す。


「……ぼーっとしてた」


「もーー」


 頰を膨らませる春香。

 そんな彼女に、「ごめん」と頭を掻く。


「空が綺麗で、つい」


「空……」


 僕の言葉に春香も空を見上げる。


「おー、ホントだ! すっきりした夏空だね!」


「あぁ」


 楽しげなその横顔に目を向けたまま、僕は短く返事を返した。


 春香との付き合いは長い。

 その始まりは高校生になって最初の登校日。隣の席になったのがきっかけだった。

 以来二年半。日数にして実に千日にも近い時間を僕達は共に過ごした。

 クラスは三年間一緒のままだったし、席も何の因果かずっと近くのまま。

 気がつけば互いに一番の友人になっていた。

 あまりにずっと一緒にいるから、周りからはまだ付き合っていないのか、と冷やかされることもある。だけど、僕たちは「友達」だ。これまでも、そしてこれからも。


「静かだね」


 ほぅ、と零れ落ちた声が僕を現実に惹き戻す。

 目の前には水平の彼方まで広がる藍色の世界。いつしかその湖面には落日の橙が煌めいていた。


「この景色、落ち着く」


「だな」


 それは刹那の静けさ。きっといつまでもは続かない調律。

 その調律を欠片も零したくなくて、僕はその景色を目に焼き付ける。


「春香」


「ん」


「何かあった?」


 この二年半、僕は春香と一緒に色々な所に足を運んだ。

 だから、彼女のお気に入りの木陰も、嬉しい時の散歩道も、そして落ち込んだ時に座り込むこの湖岸の景色も、僕はよく知っている。


「……べつにー」


 春香はそう呟いて、それから目を伏せる。


「別になんでもないよ。なんでもないんだけど……ただちょっと勉強がー、なんて」


「受験、気にしてたのか」


「三年の秋だからね」


 春香はそう言って、小さく溜息をこぼした。


「分かるよ。受験、僕も心配だし」


「やっぱり?」


「そりゃね」


 僕は春香の顔から目線を外して、自分の手を眺める。

 中指に出来たペンダコと、手のひらに残る洗い忘れた黒鉛。それらをぎゅっと握りしめて僕は遥か水平線へと視線を飛ばす。


「でも、僕には一緒に頑張っている人がいる。それだけで頑張れる」


「なるほど」


 チラリと春香に目を向けると、明るい色になった顔がそこにあった。


「まさか奏多くんに頼られるとは。全く参ったね」


「調子乗んな」


 悪戯っぽく笑う春香に口を尖らせる。

 それ見て、また彼女はくすくすと笑い声を立てた。


「奏多くんは大学でやりたいことって何かあるの?」


「まあな」


 やりたいことはたくさんある。

 勉強もしたい。遊びもしたい。バイトもしてみたいし、海外留学も楽しそう。

 想像するだけでワクワクが心の底から湧き上がる。

 そして、そんな日々の合間にでも、春香と一緒に遊べたなら……。


「あぁ……」


 その想像をした途端、これまでで一番胸が跳ね躍った。


 --春香と今のままずっと仲良く一緒にいる。


 それが僕の一番したいことなのだろう。

 春香と並んで歩き、春香と一緒に食事をし、春香といつまでも笑って…………。


「もしもーし? 生きてる?」


「うわっ!」


 自分の世界に浸っていた僕は、目の前で振られた春香の手にギョッとした。


「大学でやりたいことは?」


「秘密! 大学生になれたら教えたげる」


「えー。今聞いてるのに」


 膨れる春香。

 だけど、言えるはずがない。

「高校を卒業しても君と一緒にいたい」なんて恥ずかしいセリフ、言えるわけがない。

 顔が熱いような気がして、彼女の顔を見られなかった。


「でもさ、あと三ヶ月だよね」


「ん?」


 春香が突然、声のトーンを落とした。

 思わず春香を振り返ると、彼女は視線を遥か水平線の彼方に投げかけたままうわ言のように呟く。


「高校生でいられるのも、あと三ヶ月……」


「三月まではまだ半年あるぞ」


「そうだけど」


 風が出てきた。

 気がつけば夕陽は山の陰に隠れている。湖畔に座る僕たちのそばにも夕闇が忍び寄り、半袖の腕を撫でる夜風が肌寒い。

 ぶるりと少し身震いをする僕の隣で春香はぼそりと呟いた。


「……そうだけど、冬休み明けはすぐ試験でしょ? だったら家で勉強するかな」


 ドキリとした。

『学校に行かない』。思いもしないそんな言葉に僕は虚を衝かれた。

 三月の卒業までの六ヶ月。僕は春香とずっと顔を合わすことができるものだと思っていた。

 だけどどうやら違うらしいぞと、耳の奥がバクバク音を立て始めた。


「そう……なのか」


 あと三ヶ月。なら、もう時間はない。

 今まで感じなかった焦りにせっつかされて、僕は掠れた声を絞り出した。


「そうか……あと三ヶ月か……」


「うん。で、あれよあれよと言う間に大学生……」


 そうだ、大学がある。

 受験前後は会えなくても、大学生になればきっとまた会えるようになるはず--そんなことを必死に考える自分に気がついて、思わず僕は呆れてしまった。


 何も卒業と共に友情まで消える訳ではない。一体僕は何に焦っているのだろうか。

 落ち着こうとして深呼吸を繰り返す。なのに、何由来か分からない不安が僕の心の中を圧迫していて、ちっとも冷静になんてなれやしない。


「--でも、大学生になったら君との縁は切れるだろうね」


 そんな僕の不安を現実にする言葉が聞こえて、それきり蝉の声が聞こえなくなった。

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